故爾(ゆえに)、天津日子番能邇邇藝命而(に)詔(みことのり)す
天之石位離れて、天之八重多那【此二字以音】雲而(に)押し分け、
天浮橋に於いて 伊都能知和岐知和岐弖【自伊以下十字以音】宇岐士摩理蘇理多多斯弖
【自宇以下十一字亦以音】
天より降り、竺紫日向之高千穗之久士布流多氣【自久以下六字以音】于(に)坐す
故爾(ゆえに)、天忍日命・天津久米命の二人が天之石の靫(ゆぎ)を負いて取り、
佩頭椎之大刀を取り、天之波士弓を取り持ち、天之眞鹿兒矢を手に挟めて、
立御前而(に)立ち仕奉(つかえたてまつる)
故、其の天忍日命、此れ者(は:短語)大伴連等之祖、
天津久米命【此れ者(は:短語)久米直等之祖】也
是於(これにおいて)之(これ)詔(みことのり)す
此の地者(は:短語)、笠紗之御前、韓國眞來通而(に)向かい、
朝日之直刺國 夕日之日照國也
故、此の地は、甚だ吉の地 而(に)詔(みことのり)す
底津石根宮柱布斗斯理に於いて、高天原氷椽多迦斯理而(に)於いて坐す也
故爾(ゆえに)、天宇受賣命に詔(みことのり)す
此の御前に立つ仕奉(つかえたてまつる)所、猨田毘古大神者(は:短語)、
專(もっぱら)顯(あきらか)な所を申し、之(これ)汝奉(すすんで)送る
亦、其の神の御名者(は:短語)、汝、仕奉(つかえたてまつる)を負う
是(これ)を以って、猨女君等は、其の猨田毘古之男神名而(に)負う
女を呼び、猨女君之(これ)の事、是、也
故、其の猨田毘古神、阿邪訶【此三字以音】という地名に坐す時、
比良夫貝【自比至夫以音】に於いて、而(すなわち)漁と爲す
其の咋(かんだ)手を見て合わせて、而(すなわち) 、海鹽を沈めて溺れさせる
故、其の沈んだ底に居る時名之(これ) 底度久御魂【度久二字以音】と謂う
其の海水之都夫多都の時名、都夫多都御魂【自都下四字以音】と謂う
其の阿和佐久の時名阿和佐久御魂【自阿至久以音】と謂う
是於(これにおいて)、猨田毘古神而(に)送り還るに到る
乃(すなわ)ち、悉く追い鰭廣物・鰭狹物が聚(あつまる)を以って問いて言う
汝者(は:短語)天神御子に仕奉(つかえたてまつる)耶
之(これ)の時、諸(もろもろ)魚を皆、仕奉(つかえたてまつる)
と白(もう)す之(これ)の中、海鼠(なまこ)不白(もうさず)
爾(なんじ)天宇受賣命、海鼠と謂うと云う
此の口乎(お)、之(これ)口不答(こたえず)
而(すなわち)、紐を以って、其の口を小刀で拆(さく)
故於(ゆえにおいて)、今、海鼠の口拆(ひらく)也
是を以って、御世嶋之速贄獻之時、猨女君等に給(たまわる)也
天忍日命
「自伊以下十字以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。
「伊」:呉音・漢音:イ
「都」:呉音:ツ、漢音:ト
「能」:呉音:ノウ (ノゥ)、ノ、ナイ、漢音:ドウ(ドゥ)、ダイ、慣用音:タイ
「知」:呉音・漢音:チ、唐音:シ
「岐」:呉音:ギ、漢音:キ
「弖」:て
上記により、呉音「いつのちちぎちちぎて」、漢音「いとどうちちきちちきて」
となりそうです。
「いつの」は「斎の」と変換できますが、「ちちぎちちぎて」が良く分かりません。
「ちぎて」は、「千木」や「杠秤・扛秤」を指す可能性があります。
また、色々と調べていくと、「ちち」も参照34のサイトにあるように、
「あれこれと。さまざまに」と関係ありそうだと思います。
ただ、「ぎち」に関しては、参考になりそうな情報はありませんでした。
つまり、「いつのちちぎちちぎて」とは、どこかの建築現場での事だと考えられます。
参照33:ちぎの意味 - 古文辞書 - Weblio古語辞典
参照34:ちちわくにの意味 - 古文辞書
「自宇以下十一字亦以音」と注記があり、「音読み」指定となります。
ただ、「亦」とは何を指しているのでしょうか?
「宇」:呉音・漢音:ウ
「岐」:呉音:ギ、漢音:キ
「士」:呉音:ジ、漢音:シ
「摩」:呉音:マ、漢音:バ
「理」:呉音・漢音:リ
「蘇」:呉音:ス、漢音:ソ
「多」:呉音・漢音:タ
「斯」:呉音・漢音:シ、唐音:ス
「弖」:て
上記により、呉音「うぎじまりすりたたして」、漢音「うきしばりそりたたして」
となりそうです。
色々と探しましたが、こちらの意味に通じる様な情報がありませんでした。
「自久以下六字以音」と注記があり、「久士布流多氣」が「音読み」指定になりそうです。
「久」:呉音:ク、漢音:キュウ(キウ)
「士」:呉音:ジ、漢音:シ
「布」:呉音:フ、漢音:ホ
「流」:呉音:ル、漢音:リュウ(リウ)
「多」:呉音・漢音:タ
「氣」:呉音:ケ、漢音:キ
上記により、呉音「くじふるたけ」、漢音「きゅうしほりゅうたき」となりそうです。
イメージ的には、「久」=「長きに渡って」、「士」=「男性の様な」、
「布流」=「布の様に流れる滝」、「多氣」=「多くの気体」と考える事が出来そうです。
登場したのは、第一章「竺紫日向之橘小門之阿波岐【此三字以音】原」、
第七章「竺紫之岡田宮」、第十六章「竺紫君石井」と今回の合わせて、
4回登場しています。
第一章の「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」で「竺紫と筑紫」の違いについて、
検証していますが、二つの地域は異なります。
ちなみに、「筑紫」の登場ですが、第一章「筑紫嶋」、「筑紫國謂白日別」、
第十一章「筑紫訶志比宮」、「筑紫國之伊斗村」、「筑紫末羅縣之玉嶋里」の
5回登場しています。
ただ、問題は、「竺紫」と「筑紫」がどれだけ離れていたのか?については、
情報が皆無なので、知る事は出来ませんでした。
下立松原神社(合祀)、安房神社 下の宮、爾佐神社、宇都可神社、住吉大伴神社、
大伴神社、降幡神社
高忍日賣神社
高忍日賣神社
日置神社
以前は「高御産巣日神の子孫」として考察したので、
今回は、「天忍日命」に関連する支族の「大伴宿祢」と「佐伯宿祢」を考察します。
ここから色々な氏族に分かれますが、問題もあります。
「左京神別 天神 大伴宿祢 高皇産霊尊五世孫天押日命之後也」と
「新撰姓氏録」と書かれていますが、「天忍日命」ではありません。
「右京神別 天神 大伴大田宿祢 高魂命六世孫天押日命之後也」、
「大和國神別 天神 高志連 天押日命十一世孫大伴室屋大連公之後也」の二つも、
「天押日命」とあって、「天忍日命」ではありません。
「河内國神別 天神 家内連 高魂命五世孫天忍日命之後也」のみが、
きちんと「天忍日命」と書いています。
つまり、「天忍日命」から「大伴宿祢」が始まっていない事になり、
系図化するのも、大変になりそうです。
多分に現在出回っている系図とは異なると思います。
そして、「天押日命系」と「天忍日命系」に分かれるかも知れません。
この事について調べると、「古事記」、「日本書紀」、「先代舊事紀」、「古語拾遺」では、
問題なく「天忍日命」となっていました。
ところが、「新撰姓氏録」のみが「天押日命」なのは不思議です。
次に、「新撰姓氏録」の記事を見てみます。
原文:
初天孫彦火瓊々杵尊神駕之降也 天押日命 大来目部立於御前 降乎日向高千穂峯
然後以大来目部 為天靱部 靱負之号起於此也 雄略天皇御世 以入部靱負賜大連公
奏曰 衛門開闔之務 於職已重 若有一身難堪 望与愚児語相伴 奉衛左右 勅依奏
是大伴佐伯二氏 掌左右開闔之縁也解読:
初めて天孫の彦火瓊々杵尊神が、駕(のりもの)で之(これ)降る也
天押日命、御前に於いて大来目部を立てる
日向高千穂峯乎(お)降る
然し後、大来目部を以って、天靱部と爲す
此れに於いて、靱負之号を起こす也
雄略天皇の御世、靱負の部に入るを以って大連公を賜る
奏(すすめて)曰く
開闔(かいこう)之(これ)衛門が務める
職に於いて、已(すでに)重く、若し、一身に難有っても堪える
愚児を相伴し、語るを望んで与える
衛左右で奉(たてまつ)る
勅依して奏(すすめる)
是、大伴佐伯二氏、左右の開闔(かいこう)を掌(つかさど)り、之(これ)縁也
上記の記事を見ると、「天押日命」は元々「大来目部」であったと解釈できます。
「雄略天皇の御世、靱負の部に入るを以って大連公を賜る」という事は、
「靱負」に入ったから「大連公」を賜ったと解釈できるので、
この当時は「大伴室屋大連公」は、「天押日命」と同じ、
別の系統から来たと解釈できます。
そうなると、「天押日命」系統の人物に
「天忍日命」の系統の人物が嫁いで一緒になったと考える事も出来そうです。
しかし、軽く調べてみましたが、関与した情報がありませんでした。
1:「佐伯宿禰東人」の妻が書いたと言われる「歌」が残っている様です。
万葉集巻四の「相聞」の歌が、それのようです。
この「佐伯宿禰東人」は、Wikiによると「聖武朝の天平4年(732年)諸道に対して初めて
節度使が設置された際、東人は西海道節度使判官に任ぜられ(節度使は藤原宇合)、
まもなく外従五位下に叙せられた。」とあります。
2:「佐伯宿祢大虫」と書かれた木簡が、平城京跡地より発掘
3:佐伯人足の子である佐伯今毛人が、聖武天皇の東大寺造営に官人として活躍
4:他にも「佐伯宿祢赤麻呂の歌」など色々と名が登場する。
上記くらいしか情報がありませんでした。
大田神社(合祀)
古事記には「天津久米命【此者久米直等之祖也】」とありますが、
「新撰姓氏録」に「天津久米命」から始まる「久米直」は記載していません。
「新撰姓氏録」以前に、消滅してしまったのでしょうか?
色々と調べていたら、参照35のサイトを見つけて、
そこから、参照36のサイトで見たら「天津久米命」を見つけました。
「皇御孫命天降坐時、御先立天降供奉」と書いているので、
今回の場面と一致していますし、「天津久米命」なのかも知れません。
ただ、祖父と思われる「移受牟受比命」には、
388 左京 神別 天神 浮穴直 直 移受牟受比命五世孫弟意孫連之後也
661 河内国 神別 天神 浮穴直 直 移受牟受比命之後也
と、その前の事が記載されていないので、人物像を知る情報がありません。
参照35:新撰姓氏録4 ムスヒ神裔譜の起点を見る(3) 安牟須比命ほか
参照36:諸系譜 第2冊
「天之波士弓」と「天之眞鹿兒矢」が登場します。
「天之眞鹿兒矢」は初登場です。
「天之波士弓」は第四章の
「持天神所賜天之波士弓・天之加久矢 射殺其雉」で登場しています。
「天之波士弓」は「天若日子」が賜ったと解釈できますが、
大量生産でもしていたのでしょうか?
「此三字以音」と注記があり、「音読み」指定となります。
「阿」:呉音・漢音:ア
「邪」:呉音:ジャ、ヤ、漢音:シャ、ヤ
「訶」:呉音・漢音:カ
上記により呉音「あじゃか」、漢音「あしゃか」となりそうです。
「阿邪訶に坐す」とあるので、地名だと思いますが、
どの場所を指しているのか不明です。
福島県に「阿邪訶根神社」があるようですが、関連性があるかは不明です。
「自比至夫以音」と注記があり、「音読み」指定となります。
「比」:呉音:ヒ 、ビ、漢音:ヒ
「良」:呉音:ロウ、漢音:リョウ、慣用音: ラ
「夫」:呉音:フ、漢音:フ、慣用音:フウ
上記により、呉音「ひろうふ」、漢音「ひりょうふ」となりそうです。
一部では「たいらぎ」の事を指していると書いていますが、不明だそうです。
あと、一部では、「猨田毘古神」が「比良夫貝」によって、
「猨田毘古神」が死ぬなんて話があるようですが、
古事記には、その様な話はありません。