汗美須?銍?曰く
鞅綏韃、都于(に)耶(父親)と共に、神京で畢(ことごとく)識(しる)と曰(い)う 也
緻(こまかく)漾(ただよう)雲の翅(はね)を遣わして敎(おしえ)、
焉(ここに)阿(良き)解にて治めるを兢(おそれる)
又、耑(たん、草木が出る形)や礫(つぶて)、
濆(ほとり)の阿(良き)兮(鳴子板の形)の解を敎(おし)える
高い虛(あな)に居る戞牟駕の耶(父親)と曰(い)う。
是、仲京と爲す
旦つ、曷(いづれ)濟(さいという川の名?)に扈(はびこる)鸛(こうのとり?)を
枚(木を叩き)敎(おしえる)
穀(穀物)が剌(もとり)啄(ついばむ)事を覺(おぼえ)て居る
耶(父親)の覇(はたがしら)の節と曰(い)う
是、海京と爲す
颯(そう)を潑(はねて)尉(じょう)の美しさを枚(木を叩き)扈(はびこる)を敎(おしえる)
期を撫(なでて)範(はん)を紀(糸+巳、しるし)、耶(父親)の濆(ほとり)を洌(きよく)して居る
齊京也
耆(おいた?)麟(き)を馭(ご)で阿(良き)解にて治め、
軻(くさび?)という巫(道具?)で牟を敎(おしえる) は叡(あきらか?)
耶(父親)が漫(みだりに?)芝を辣(からく)すると曰(い)う
神祖、此(ここ)于(に)初めて降りた
故、曰率母理之京を率いる秦を稱(たた)えると曰(い)う
阿解、又、然し、宮に於いて、矩(ものさし)而(に)丹(あか)を居(おく)
耶(父親)は叙(ついで)に圖(はかる)と曰(い)う
是、離京と爲す
生、阿(良き)解而(に)異なる
頭に角や刄が有り 鬼[鬼+居]が好きと捉える
乃(すなわ)ち、命を頒(わけて)遮(さえぎられ)ても蘇(よみがえる)、
桿(てこ)を使って厲(れい、砥石)を禁呪二十四般之法で立てる
今于(に)有る驗(しるし)也
西を疏(とおり)征(ゆく)を頌(たたえる)と曰(い)う
神祖、將(まさに)西于(に)征(ゆく)
乃(すなわ)ち、阿(良い)辰(農具)を敎(おしえ)城于(に)餼(穀物?おくる?)と云う
奈(からなし)の盟(誓い)を介(たすけ)と敦(おしえる)
敎賀を察(あきらか)にし、阿(良い)城于(に)餼(穀物?おくる?)
晏(おそい)奈(からなし)の泗(なみだ)を敦(てあつくする?)
敎悠(とおい)麒、阿(良い)城于(に)餼(穀物?おくる?)
汭(川が合流するところ)の沫(しぶき)が葛(くず)の様に齊(そろう)
是(これ)に於いて、太(天子) の怒りを央(なかば)洌(きよく)濟(すくう)
斐(あや)于(に)至る伊(聖職者)は、岣(衡山(コウザン)の主峰)、
而(すなわち)倭之岡、焉(ここに)都とす
太(天子) の怒りを央(なかば)洌(きよく)蓋(くさのふた)をし、西海之名也
斐(あや)の伊(聖職者)、
岣(衡山(コウザン)の主峰)で倭の西の陸(おか?)を日之處で塞ぐ也
秘府錄曰く 神祖、地を遏(と)めて、浸す于(に)拓(ひら)く
五原を區(しきる)と爲す
伯(おさ)屹(そばだつ)濃(こい)紳(おび)和(やわらぎ)氣を治め、
岣(衡山(コウザン)の主峰)に於いて馬姑(しばらく)焉(ここに)
是、西原と爲す也
泱(水の流れるさま。)汰(おごる、にごる)辰(農具)戞(ほこ)和(やわらぎ)にて氣を治め
岣(衡山(コウザン)の主峰)に於いて羊姑(しばらく)焉(ここに)
是、東原と爲す也
戸に禺(おながざる)の納(たずな)にある栂(つが、とが)により俊(才能)を兢(つつしむ)治め、
伊(聖職者)に於いて、焉(ここに)淇(淇水)を樂(このむ)
是、中原と爲す也
太(天子)が墜ちるが、噉(くらう)を湮(ふさぐ)
和(やわらぎ)にて氣を治め、
柵に於いて房(花または実などの一つに群がり集まったもの。)を焉(ここに)熹(あぶる)
是、北原と爲す也
瀰(ひろい)冉(しなやか)な沄(水が巡り流れる様子)にて墜ち、
和(やわらぎ)にて氣を治め、柟(くすのき)に於いて、
崤(河南省にある山の名)を焉(ここに)藐(ないがしろ)にす
是、南原と爲す也
是(これ)于(に)旦(あきらか)に御(おさめ)、賅(不明)安らかに閔(あわれむ)
波が調(ととのい)、那(那国)に阿(良い)沄(水が巡り流れる様子)
乃(すなわ)ち古き諸(もろもろ)を敎え、矩(さしがね)有る勿(なかれ)
畿(王都から遠く離れた地)に曾(かさねる)覲(まみえる)を怙(たのむ)矣
初めて、五原に先住之種が有り
龍(たつ)の皮を沒(しずめて)革(あらためて)牧(やしなう)
北原に於いて、姑(しばらく)、魚目の穴の腹(なか)
西原に於いて、黃眉の熊の耳に棲む
中原に於いて、孟(はじめ)て、田に苗(なわ)の羅(あみ)を馮(たのむ)
南原に於いて、舟の裾、莬(ねなしかづら)首が狼(みだれる)様に
海原に於いて、咸(みな)善く順(すなお)に服を、
但し、南原の箔(すだれ)の兇(わるい)箘を籍にも狠(もとる)不格(ただせず)
神祖、放伐之海を疏(とおして)曰く
箔(すだれ)の箘の籍、三つの邦(国)之名、
鳥人は楛(粗末な)盟(誓い)で舒(ゆるやか)な之(これ)の族(やから)也
後、海を歷(順序を経て)踏み、灘波に據(よる)蔚(おとこよもぎ)
都、巨(おおきい)鍾(かね)遂に入り猾(みだれる)
辰藩者(は:短語)其の遺された孽(木の切り株や根元から生えた芽)と云う
神祖、親しい八百八十を載せるに臨(のぞみ)登る
珍(たから)に芳(かおる)漾(ただよう)
淄(黒く染める)球が墜ち匾(薄く平たく)なった
麰(おおむぎ?)を蓋(くさのふた)をして、之(これ)峰より祝(いわう)曰く
辰沄を龢(あえる)
秩(いねを順序よく積み上げる)提(さげる)
宸(のき)檀(まゆみ)珂(綺麗な石)枳(からたち)
膠(にかわ)で牟(かぶと)を頡(抑える)
岬から密かに高い袁(ゆったりした衣服)銍(金属の矢?)を射る?
晏(おそい)髭(ひげ)は德が溶り、戞(ほこ)を賁(かざる)
日祖之處に詣(いたり)莎(はますげ、雑草の一種)を戞 (ほこ)に終(しまう)
永く非(そしり)止めた文を紀す
旦(あきらか)に賅が墜ちる
阿(良い)旻(そら)を例えば、矣(矢が当たって止めて)潑(はねる)
後、經(たていと)が十有り、六つ連ねている
伊(聖職者)が璫(みみだま)有り兢(おそれる)
赫(かがやく)琿(王の名)を尼(したしむ)
承嗣で大きく統(おさ)める
祖は風を重ねて興す
河洛、焉(ここに)盛んに復(もどして) 疏(とおして)曰く
宸(のき)檀(まゆみ)珂(綺麗な石)枳(からたち)
猶(なお)、稻の華を神の洲(しま)と言う也
戞日(軽く打つ日?)也
義(よい)餘(あまり)について、今攷(考える)不可(べきではない)
神が統(おさめる)志(こころざし)曰く
神が統(おさめる)諸(もろもろ)逖(とおい)處(ところ)に莫(くれ)が不恢(ひろくない)
義乎(お)取り、阿(良い)族(やから)を稱える者(は:短語)
毗(たすける)を以って祺(さいわい)と爲すと曰(い)う
阿(良い)靳(むながい。馬の胸にかけるつなで馬具の一つ。)曰く
泱(水の流れるさま)を委(まかせて)曰く
淮(淮河)を委(まかせて)曰く
潢(水が深く広いさま)を耳にして曰く
耶(父親)の潘(とぎじる)也
暘(ひので)に靈(たましい)が諸(もろもろ)取り、毗(たすける)者(は:短語)
姚(うつくしい)也、陶(やきもの)也、黎(くろく)句(あたる)也
皥(おおきい)陶(やきもの)が有り
唐の陶(やきもの)皐(太陽の光をうけて多くの沼が白く輝く大きな地)が三つ洛(つらなり)
黎(くろく)有る八つの養(食物をすすめて)矣(矢が当たって止まる)場が洛(つらなる)
諸(もろもろ)を取り、寧(むしろ)毗(たすける)者(は:短語)祺(さいわい)
義(ただしい)和(あう)也、嬀(嬀水(キスイ))の姒(義理のあね)也、猶(なお)隗(けわしい)也
諸(もろもろ)を取り、太(天子)が嶽(大きく険しい山)毗(たすける)者(は:短語)祺(さいわい)也
則(すなわち)、五族と號(よびな)し渾(すべて)の瀰(あまねし)句(あたる)を婁(つなぐ)と爲す
初めて四つの嶽(大きく険しい山)有り
後、九伯と爲す
其の音、蓋(くさのふた)と相に同じ也
姜(美しい娘)の畎(畎水)よりも濮(濮水)が高く、
諸(もろもろ)焉(ここに) 屬(さかん)に委(まかせる)
以上を通じて、諸(もろもろ)稱えて、夷(えびす)に因って神之伊尼也
廟(やしろ)にある㫋(個々の文字の起源や構成原理、仮名などのもとになった漢字)を
汶(汶水(ブンスイ))率いると爲す
第十一章〜第二十章
「汗美須?銍?曰く 神祖、
鞅綏韃都于(に)神京で畢(ことごとく)識(しる)と曰(い)う耶也」
と解読しましたが、色々と不明な点が多いです。
まず、「汗美須銍曰」です。
「曰」は、「曰(い)う」もしくは、今回の様に「曰く」だと思います。
しかし、「汗美須銍」に関しては、初登場なため、「汗美須」が正しいのか、
それとも「汗美須銍」が正しいのか、全くの不明です。
次に「耶」の存在です。
「契丹古伝」は、「契丹人」に伝わる「伝説」等をまとめた書物である可能性が高いです。
そして、完成年は不明ですが、「契丹國」は「916年〜1125年」までの國なので、
「916年以前」か、「契丹國」の存在中になりますが、「耶」の扱い方からすれば、
Wikiなどにある「邪」の分化と考えている可能性が高い様に思えます。
しかし、本来の意味が、「や」や「か」と言った「疑問の終助詞」のために作られたというのは、
疑問にしかなりません。
なぜなら、「疑問の終助詞」は「文法」としての意味であり、
本来の意味とは別に使われていたのでは無いか?と考えています。
参照76のサイトには、なぜか、「邪」の「説文解字」と「説文解字注」の字形を
載せていて、「耶」の「説文解字」については載せていません。
これは、非常におかしな話で、仮に「邪」の分化だとしても、
「耶」という漢字が存在するのだから、「耶」の「説文解字」を載せるべきでしょう。
参照74のサイトには、「説文解字」の字形を載せていないので、
無いのかも知れませんが、だからといって、無関係な字形を載せても意味がありません。
参照76のサイトにある「説文解字」と「説文解字注」の字形ですが、
「耶」の漢字から、「説文解字」が「耶」、「説文解字注」の字形が「邪」だと考えています。
理由として、参照74のサイトにある「漢隸書」と「宋傳抄集篆古文韻海」の字形は、
「耳」の「左側」が「上」に伸びているのが分かります。
ところが、「邪」の「牙」は、「上」に伸びていなく、塞がっています。
これらの理由から、参照76のサイトにある
「説文解字」が「耶」、「説文解字注」の字形が「邪」だと思われます。
そうなると、「耶」が「邪」の分化とするのが正しいのか?となります。
参照74:耶: zi.tools
参照75:邪: zi.tools
この分化を、誰が言い始めたのか?ですが、
参照74のサイトには「布之道《廣韻形聲考》:耶,「邪」之訛形分化字」とあります。
「廣韻形聲考」が完成年を調べると、参照77のサイトによれば、
「作者:布之道 (版本 2022.09.30)」とあり、最近の事だと分かります。
これ以前は、
「《漢多》:從「耳」,從「邑」,主要用作助詞」が使われていたのだと思われます。
これによって、「邪」の「分化」というのには、何も根拠が無い事になります。
参照74のサイトにある「漢多」の記事には、「韓非子‧難二」、「孫臏兵法‧威王問」、
「答劉禹錫論天書」などで、「耶」は「疑問の終助詞」として使われた例を上げています。
しかし、調べてみると、これらの書物は、ほとんどが「説文解字」以前であるので、
字形を「耶」だと思って、解読していれば、どうしても「耶」として認識されます。
本当にそうなのか?という事を、全て調べた上で、
「疑問の終助詞」以外に使われていないのであれば、そうなのだろうと思いますが、
現時点では、思惑により、正しく精査されているか疑問があります。
参照77:廣韻形聲考
正しい意味は不明ですが、参照79のサイトにある「品詞变化」の場所で、
「名詞」として「父親」の意味があると書いています。
これは、非常に面白いです。
これが本当であれば、「疑問の終助詞」は後世に使われた為なのかも知れません。
「父親」が正しいのであれば、
「鞅綏韃、都于(に)耶(父親)と共に、神京で畢(ことごとく)識(しる)と曰(い)う 也」
という解読もできそうに思いますし、文章的におかしくありません。
ただ、「鞅綏韃」が単語なのか?という疑問があります。
人名や単語であれば、「鞅綏韃」とするのも良いですが、
今までの解読からすると、微妙だと思います。
どちらにも、受け取れてしまいます。