爾(なんじ)速須佐之男命、天照大御神于(に)白(もう)す
我の心清く明るい故
我の所で生まれた之(この)子は、得手のある弱(若い)女
此れに因って言う者(は:短語)我、自ら而(に)勝と云う
勝佐備(此の二字、音を以ってす)於(お)、
天照大御神之營田之阿(此の阿の字、音を以ってす)から離れた溝に埋める
亦、其の大嘗(だいじょう)之殿に於いて聞いて看ると、
屎麻理(此の二字、音を以ってす)を散らしていた
故、雖(これ)の為と然り
天照大御神者(は:短語)登賀米受(とがまず)而(に)告げる
醉(よ)って吐き散らす屎(くそ)の如く而(に)登許曾(此の三字、音を以ってす)
我、那勢(なせ)之命の為の如く
此れ又離れの田の阿の溝に埋める者(は:短語)
阿多良斯登許曾(阿自(より)以下七字、音を以ってす)の地
我、那勢(なせ)之命の為の如此(し)登(と、此の一字、音を以ってす)
雖(いえど)も、直ぐに詔(みことのり)す
猶(なお)其の惡態(あくたい)は不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る
天照大御神、忌服屋(きぶくや)而(に)坐す
神を令(うなが)し御衣之(これ)織る時
其の服屋の頂きを穿(つらぬ)く
斑馬(まだらなうま)を剥く而(に)は天を逆さに剥ぎ、堕(くず)れる所に入る時、
而(すなわち)天服織女、梭(ひ)於(お)
陰上(陰上の訓は富登と云う)而(に)衝き死ぬを見て驚く
勝とは?
原文:
爾速須佐之男命 白于天照大御神 我心清明故 我所生之子得手弱女
因此言者 自我勝云而
解読:
爾(なんじ)速須佐之男命、天照大御神于(に)白(もう)す
我の心、清く明るい故
我の所で手弱女得て生まれた之(この)子
此れに因って言う者(は:短語)我、自ら而(に)勝と云う
この文は「自我勝云」に要約されます。
しかし、「爾天照大御神詔 然者 汝心之淸明 何以知
於是 速須佐之男命答白 各宇氣比而生子」とあるように、「勝」は無関係です。
そもそも、3人の女性を養女?にしたからといって、
「心が清く明るい」とするのは、おかしいです。
しかも、「自ら」とした場合、「自らに勝つ」とは何を指すのか不明です。
重要なのが、「得手弱女」という言葉です。
読みに関する注記の記載がありません。
検索すると、「手弱女」で「たおやめ」や「たわやめ」と出て来ますが、
正しいかは不明です。
「得」:呉音・漢音:トク、訓読み:え、う、表外:てろ、あつ
「手」:呉音:しゅ、漢音:しゅう、慣用音:ず、訓読み:て、た
「弱」:呉音:ニャク (表外)、漢音:ジャク、訓読み:よわ、表外:ゆわ
「女」:呉音:ニョ、漢音:ジョ(ヂョ)、慣用音:ニョウ、訓読み:おんな、め
そもそも、「手弱女」という単語なんでしょうか?
もし、違うとすれば、
「得手(得意分野)」のある「弱(若い)」「女(女性)」となりそうです。
いじゃなみ(いざなみ)では、「若い」=「妹」とありましたが、
今回「弱」=「若い」とするのは、「妹」よりも下の年齢の意味があるかも知れません。
「妹」が「成年(15歳)」よりも「1〜2歳下」、
「弱」が「成年(15歳)」よりも「3〜4歳下」と考えています。
弱いのも、まだ、筋力などが付いていないからと考えれば、有り得そうです。