目次
左の御美豆良(みづら)、八尺(やさか)に勾(ま)がる璁(いし)之、
五百津(いおつ)之美須麻流珠の而(ひげ)を纏(まと)う所で、
天照大御神、速須佐之男命に乞うを度す。
奴那登母母由良邇(ぬなとももゆらに)振り、天之眞名井而(に)滌(あら)う。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。
亦、右の御美豆羅(みづら)の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、天之菩卑能命。(菩自(より)下三字、音を以ってす。)
亦、御𦆅(かずら?)の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、天津日子根命。
又、左の御手の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、活津日子根命。
亦、右の御手の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、熊野久須毘命。(久自(より)下三字、音を以ってす。)
正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命
前回の「多紀理毘賣命」、「市寸嶋比賣命」、「多岐都比賣命」と
今回の記事の内容に、微妙に異なる箇所があります。
多くの人は、脱字や同一人物と思っているかも知れませんが、
別人であり、「速須佐之男命」は次代の後継者という位置づけだと思います。
現代で言えば、「天皇」と「皇太子」の様な関係で、
男女8人の技術者が、他国から来てくれたので、
「速須佐之男命」も出席し、「建速須佐之男命」と同じ仕事を任されたと考えます。
「八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而」は、
「
各纒持八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠而」から、
「之」が削除されています。
「八尺勾璁」と「五百津」では「之」が維持されているのに、
なぜ、「美須麻流珠」と「之」を削除したのでしょうか?
可能性として、「美須麻流」という
「滝の上から、「玉に似た美しい石」が流れて来るのを待って採取した」
行為により重要視された「珠」だったのが、
後に、「美須麻流」で発見される「珠」と同じ様な形を「美須麻流珠」と
表現していたのかも知れません。
そうだとするなら、今回の場面と、第二章初めの場面とでは、
多くの年月が経過しているとも解釈できます。
それと、「美須麻流珠」としなければダメだったと考えると、
望んだような形の「珠」を入手しづらくなり、
場所を変えたと言えるようにも思えます。
「美豆羅」も「美豆良」も「みづら」と読むと思いますが、
「羅」と「良」では意味が異なってきます。
「羅」:呉音・漢音:ラ
「良」:呉音:ロウ(表外)、漢音:リョウ、慣用音:ラ(表外)
読みですが、「良」が慣用音の「ラ」であれば簡単ですが、
「呉音」や「漢音」だとすると、「みづら」と読めません。
「羅」:連なる、鳥捕獲網
「良」:良い背中
上記のように、意味としても、同一と考える事は難しいです。
「 御美豆羅」では、下記の様に解釈しました。
「御」:身分の高い人
「美」:美味い、美い、美しい
「豆」:作物を入れる器(たかつき)
「羅」:連なる、鳥捕獲網
上記の様に解釈した為、「帽子」を指しているのでは?と考察しました。
しかし、「良」となると「美」とかぶってしまいます。
そこで、「良い背中」→「良い骨」と変換すると、
「栄養価の高いお供え物」と解釈できます。
考察をしましたが、「美豆羅」と「美豆良」は別物と考えられそうです。
「正」:呉音:ショウ(シャゥ)、漢音:セイ(セィ)、訓読み:ただ、まさ
「勝」:呉音・漢音:ショウ(ショゥ)、訓読み:か、まさ、表外:あ、すぐ、た
「吾」:呉音:グ、漢音:ゴ、訓読み:われ、わが、あ、あが
「速」:呉音・漢音:ソク、訓読み:はや、すみ、わ(表外)
「日」:呉音:ニチ、ニッ、漢音:ジツ、
訓読み:ひ、か、表外:たち、す、こう、くさ、いる、あき、び、へ
「忍」:呉音:ニン、漢音:ジン(表外)、訓読み:しの、表外:むご
「穂」:呉音:ズイ(表外)、漢音:スイ、訓読み:ほ、表外:こう、のり、ほい、お
「耳」:呉音:ニ、漢音:ジ、宋音:ジ、ル、訓読み:みみ、表外:のみ
上記により、呉音「しょうしょうぐしょうしょうそくにちあまのにんずいに」、
漢音「せいしょうごしょうしょうそくじつあまのじんすいじ」となりそうです。
「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」の読みを調べると、
「まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと」と出る事が多いです。
しかし、本当に正しいのでしょうか?
特に古事記の情報源の時代は、「音読み」が隆盛なのに、
「訓読み」のみというのは、違和感しかありません。
四章の「葦原中國」の冒頭で、「天照大御神之命以 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者、
我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國。」と記載されます。
こちらも、多くの方は同一人物と考えているでしょう。
しかし、第二章最後に、「速須佐之男命」と「櫛名田比賣」の子と思われる、
「兄八嶋士奴美神」の子孫に「大國主神」がいます。
普通に考えれば、「速須佐之男命」の6代孫が「大國主神」なのだから、
当然、「天照大御神」も世代交代を行っているはずです。
つまり、最低でも平均年齢(30歳)×6代と考えても180年経過しているので、
「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」=「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」
ではありません。
名を継承しただけなのか、それとも、血の継承もあるのかについては、
今後検証してきますが、今回の場面において、
「天照大御神」が「我が御子」とは言っていないので、
四章の時代に名を継承したと考えるのが妥当と思います。
ただ、残念なのが、表記の変化がほとんど無いので、
神社を調べても、時代考証するのが難しいと思います。