是於(これお)之(これ)詔(みことのり)す
瀬の上者(は:短語)速瀬、瀬の下者(は:短語)弱瀬
而(なんじ)中瀬に於いて初めて堕ち、迦豆伎(?)滌(あら)う時而(に)
坐る所から神名八十禍津日神(禍の訓は摩賀と云う。此れ下も效(なら)う。)成る
次に大禍津日神
此の二神者(は:短語)其の穢れが繁る國の所に到る時
汚や垢(あか)而(に)因って成る所の神の者也
次に其の禍(わざわい)直す爲而(に)成る所の神名
神直毘神(毘の字は音を以ってす。此れ下も效(なら)う。)
次に大直毘神、次に伊豆能賣(并せて三神也。伊以下四字は音を以ってす。)
次に水底於(お)滌(あら)う時に成る所の神名底津綿津見神
次に底筒之男命
中於(お)滌(あら)う時に成る所の神名中津綿津見神
次に中筒之男命
水上於(お)滌(あら)う時に成る所の神名上津綿津見神(上の訓は宇閇と云う)
次に上筒之男命
此の三柱綿津見神者(は:短語)阿曇連等之祖神伊都久(いつく)神也
(伊以下三字は音を以ってす。此れ下も效(なら)う。)
故、阿曇連等者(は:短語)其の綿津見神之子
宇都志日金拆命之子孫也(宇都志の三字は、音を以ってす。)
其の底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命三柱神者(は:短語)
墨江之三前(みさき?)大神也
是於(これお)
以前(4/14参照)にも同じ様な状況があり、詳しく考察しなかったので、
今回は、漢字から考察します。
「是」:
「柄の長く突き出たさじ」の象形と「立ち止まる足」の象形から、
まっすぐ伸びた柄のあるさじを意味し、
そこから、「正」に通じ(「正」と同じ意味を持つようになって)、
「ただしい」を意味する「是」という漢字が成り立ちました。(「正しい」の意味を持つようになった為、篆文になり、
OK辞典
「日+正」の文字となりました。)
成り立ちは少し、分かりづらいので、意味の一つである「「これ」、「ここ」、
「この」など(事物・場所・方角などを指し示すのに用いる時に使用する語)」
から考えて行きます。
「匙」の原字でまっすぐなさじを意味、
下部に「足」を加えまっすぐであることを強調した。「これ」の意味は仮借による。
Wiki
とWikiにはありますが、「是=これ」が「仮借」ならば、
なぜ、「是」が古事記では多く使われているのでしょうか?
漢字に意味が無いのであれば、別の漢字を利用しても問題ないと思います。
例えば「此れ」でも良いような気がします。
この辺りは、当時の人達以外に、理由を知らないと思うので、
「これ」とは?を考えて行きます。
Wikiには
これ【此、是、之】
Wiki
1:(指示代名詞)近くにある物事を指す。これ。
2:(場所)ここ。
3:今いま。
4:私わたし。自分。
5:お前まえ。あなた。
6:この人。
7:漢文訓読調の文で、語調を強めたり整えたりする語。
Goo辞書でも、「話し手が持っている物、または、話し手のそばにある物をさす。」と
あり、「これ」は、極端に解釈すると「近く」と言えそうです。
では、原文に戻って、「於是詔之(是於(これお)之(これ)詔(みことのり)す)」を
考えると、「これ」を指すべき「物事や事柄」は何でしょうか?
今回の原文の前に書かれていたことは、「計12人の人物に神名を命名した」話です。
当然、「神名を命名」した「だけ」なので、水辺に移動はしていません。
ところが、この後の話は「中瀬」なので、
「竺紫日向之橘小門之阿波岐原」から移動していると思われます。
という事は、「中瀬」に移動する文章も、存在していた可能性が高いと考えます。
その箇所が抜けているのは、故意なのか、それとも、
情報源が消失していたのかは、現代では調べようがありません。