爾(なんじ)高御產巢日神と天照大御神之命を以って、天安河之河原に於いて神集めを、
八百萬神が集め、而(すなわち)思金神の思いを令(うながし)而(すなわち)詔(みことのり)す
此葦原中國者(は:短語)、我御子之知る所の國、言依る所で賜った之(この)國也
故、此の國に於いて道速振荒振國神等之多く在るを以って爲す
是(これ)、何(いず)れの神を使う
而(すなわち)將(まさ)に趣(すみや)かに言う
爾(なんじ)思金神及八百萬神、之(この)議白(もう)す
天菩比神、是遣わせる可(べ)き
故、天菩比神者(は:短語)遣わす、乃(すなわち)ち大國主神に媚びて附き、
三年于(に)至り、不復奏(ふくそうせず)
天安河と思金神令思
原文:
爾高御產巢日神・天照大御神之命以 於天安河之河原 神集八百萬神集 而思金神令思而詔
解読:
爾(なんじ)高御產巢日神と天照大御神之命を以って、天安河之河原に於いて神集めを、
八百萬神が集め、而(すなわち)思金神の思いを令(うながし)而(すなわち)詔(みことのり)す
この場所は「河」とあり、「幅が広い河」というのが分かります。
「川」は、基本的に「幅が狭い川」を指すと考えています。
改めて、「川」と「河」の違いを調べてみると、「河」も「川」も同じと書くサイトもありますが、
参照66のサイトと参照67のサイトの「甲骨文字」の字形を見れば、異なっています。
異なっているという事は、「字形の意味」も異なっています。
「川」は、一貫して同じ字形のまま、現代に来ていますが、
「河」は、「商(殷)」の字形では、「河」と認識できません。
甲骨文字の「賓組(参照66のサイトの下部参照)」の時期になると、
「氵(さんずい)」に似た字形が表れますが、本当にそうなのかは不明です。
「春秋金文春秋」の字形から、完全に「氵(さんずい)」へと変化しています。
この様に、元々「氵(さんずい)」も「可」も無い字形だったのが、
「春秋戦国時代」頃から、元々の字形から完全に外れてしまいます。
参照66のサイトにある「商甲骨文𠂤賓間」から「商(殷)代」の間の字形が、
字形を見た今となれば、本当に「河」の字形として使っていたのか?と疑問になります。
「商甲骨文𠂤賓間」から「商(殷)代」の字形について、
考察しているサイトが現時点見つかっていなくて、なぜ、「河」だと思ったのか、気になります。
ほとんどのサイトでは、「説文解字」にある字形から考察していますが、
本当であれば「商甲骨文𠂤賓間」辺りの字形で考察すべきです。
参照66: 河: zi.tools
参照67: 川: zi.tools
「於天安河之河原 神集八百萬神集 而思金神令思而詔」を、
「天安河之河原に於いて神集めを、八百萬神が集め、
而(すなわち)思金神の思いを令(うながし)而(すなわち)詔(みことのり)す」
と解読しましたが、違和感があります。
「神集八百萬神集」が、「神集めを、八百萬神が集め」と解読するのは、
間違っていないと考えています。
ただ、次の「而思金神令」の解読を「而(すなわち)思金神の思いを令(うながし)」
とした場合、「八百萬神」が「神集め」するのと、
「思金神」に答えさせるのとは、「すなわち」で繋がらないように思います。
もし、「神集八百萬神集而」だとしても、「神集めを八百萬神而(に)集めさせる」と、
繋がりますが、次の「思金神の思いを令(うながし)」に繋がるように思えません。
例えば、「此後思金神令思」であれば、「八百萬神」が神を集合させた後に、
「思金神の思いを令(うながし)た」と話が繋がります。
この様に考えると、もしかして、「八百萬神が神集めする話」と、
「思金神の思いを令(うながし)た」という話は、
時期が異なるのはではないか?とも思っています。
「八百萬神」に「神集め」させた結果、どの様な事をしたのか?については書かれていません。
「神集八百萬神集而」でも、「神集八百萬神集」でも、
例えば「神を集めて、今の問題について話し合った」としたうえで、
「思金神の思いを令(うながし)た」のならば、問題は無いでしょう。
なぜ、その様にしなかったのか?疑問です。
あと、「而(すなわち)詔(みことのり)す」の「詔(みことのり)」は、誰がしたのでしょう?
多くの人は、「高御產巢日神と天照大御神」がある事から、この2人だと思うでしょう。
しかし、「爾高御產巢日神・天照大御神之命以」が、
「爾(なんじ)高御產巢日神と天照大御神之命を以って」と解読した場合、
「爾(なんじ)」という人物が「高御產巢日神と天照大御神」の「命令を遂行した」
と解釈できます。
この人物は、「「八百萬神」に「神を集めるように」と指示し、
「思金神」が意見を言えるように促し、準備が完了したから、
「詔(みことのり)」という「会議を始める宣言」をしたと解釈できます。
そうなると、最低でも「詔(みことのり)」を出せる人物であり、
「高御產巢日神・天照大御神之命を以って」とあるので、
この2人よりは、下の地位にいる人物と推察できますが、人物名が分かりません。
「此葦原中國者 我御子之所知國 言依所賜之國也」は、なぜ、「此」から始まったのでしょう。
先程までは、「天安河之河原」に「神を集めて」、「会議を始める宣言」をしていました。
これは、「天安河之河原」に「天(あま)」とあることから、
「天(あま)なる國」にいるのだと、推測することができます。
しかし、ここでは、「此」とあり、「葦原中國」にいる人物目線になっています。
当然、「我が御子」も「天照大御神」や「高御產巢日神」から見てではなく、
「此」と「我が御子」から、多分ですが、「葦原中國」の統治者目線なのだと思います。
そうなると、この当時「葦原中國」の統治者が不明なので、「御子」の名も不明です。
あと、第一章〜第三章までを確認しましたが、どこにも、
「葦原中國」を賜ったという文がありませんでしたので、
「葦原中國」は、「天(あま)なる國」と提携はしているけれども、
独立採算で、國の運営をしていた可能性が高そうです。
なぜ、「葦原中國」が、「天(あま)なる國」の管轄下に入ったのかについては不明です。
そこが分かれば、面白かったのですが、残念です。
原文:
故以爲於此國道速振荒振國神等之多在 是使何神而 將言趣
解読:
故、此の國に於いて道速振荒振國神等之多く在るを以って爲す
是(これ)、何(いず)れの神而(に)使いを、將(まさ)に趣(すみや)かに言う
「道速」はなんとなく分かりますが、「振」については、イメージできないので、
考察していこうと思います。
振
参照68のサイトの上部には、「漢隸書」からの字形しか無いですが、
下部にある字形の最後の方に「甲骨文字」が載っています。
この字形を見て、「彳(ぎょうにんべん)」があるのはびっくりしました。
「金文」などの古い字形を探して、1個だけありました。
それが、参照69のサイトの字形なのですが、
なぜか、「「敐」禽簋西周早期集成4041」の字形を掲載しています。
この字形を見ると、「振」ではないですが、参考になるかと思いましたが、
「大きい目」しかありませんでした。
「西周早期」の「目」の字形は、「罒」の様な字形なので、当然「目」ではないですが、
初めてみたので、今後、判明するかも知れません。
結局、「甲骨文字」が1個存在している以外、
「漢隸書」までの期間の字形が見つかりませんでした。
参照68: 振: zi.tools
参照69: 振的解释|振的意思|汉典 “振”字的基本解释
「甲骨文字」の字形を、分解して、本来の意味を探していきます。
参照68のサイトにある字形は、小さくて見づらいので、
参照69のサイトにある字形を見ます。
左にあるのは、最初でも書きましたが、「彳(ぎょうにんべん)」の字形です。
上の方には、人の形が「左右」で向き合っています。
人の字形は「右向き」ですが、「左向き」は「匕(さじ)」を表しています。
ただ、字形を見ると疑問もあって、2つの字形が重なっているようにも見えます。
次に、分からないのは、真ん中と下の字形です。
これも見ていなかったように思います。
この様に考察しましたが、不明な箇所が多くて、
この字形の本来の意味は分かりませんでした。
「振」の「甲骨文字」の字形からは、本来の意味を読み取れなかったので、
「扌(てへん)」と「辰」に分けて考えます。
参照70のサイトにある「辰」の字形を見ると、
参照69にある「振」の「甲骨文字」の字形と雲泥の差だと分かります。
「雲泥の差」ではなく、「別字」ではないか?と考えてしまいます。
という事は、「振」は「辰」ではなく、「辰」の様な字形に変化したと考えることが出来そうです。
そうなると、「辰」を調べても、「振」の意味を見つける事が困難になります。
「振」の字形に、「金文」〜「隸書」までが見つからないのは、
その様な理由があったのかも知れません。
参照70: 辰: zi.tools
字形からは、本来の意味が読み取れなかったので、
「振」と「辰」の意味から、考察していきます。
参照68のサイトにある「振」の意味として、
「説文解字」に「舉救之也(之(これ)救い舉げる)」とあります。
「擧」の意味としては、参照71のサイトにある「説文解字」には、
「對舉也」とありますが、答えになっていません。
なので、字義を見ると、一番最初に「双手向上托物」とあり、
「双(ふたつ)の手にある托(受け皿)の物を上に向ける」と解釈できます。
参照71: 舉: zi.tools
「救」ですが、「救助」の意味かと、ずっと、思っていましたが、
参照72のサイトにある「説文解字」を見ると「止也」とあり、「助ける」とは違います。
字義を見ても、一番最初に「禁止;阻止」があります。
「止」だったのが、なぜ、「助」になったのか、疑問になったので調べると、
参照73のサイトに答えがありました。
「广雅(広雅)」には「救,助也。」とあり、ここから始まったのだろうと思われます。
「广雅(広雅)」は、参照74のサイトによると、
「三国時代の魏の張揖(ちょうゆう)によって編纂された辞典」の様です。
「『爾雅』の増補版にあたる。とも書かれているけど、
なぜ、「止」→「助」へと変更された理由については不明です。
「广雅(広雅)」の完成年が「227年頃」で、
「説文解字」の完成年が「121年」という話なので、「一世紀以上」の差があることになります。
参照72: 救: zi.tools
参照73: 救的解释|救的意思|汉典 “救”字的基本解释
参照74: 広 雅
「舉救」のまとめですが、
「舉」が「双(ふたつ)の手にある托(受け皿)の物を上に向ける」で、
「救」が「止」なので、単純に考えて、「舉」が高位の人物に渡すのを、
「救」で止めるになりそうです。
この様に考えると、「辰」の「震」とは関係ないと解釈できます。
荒
「荒」は、参照75のサイトを見ると、「暴れる」というイメージはありません。
他のサイトを見ても、「暴れる」という事を書いているところは、少ないと感じました。
なぜ、「感情」に関する言葉と思われるようになったのかについては、
調べても分かりませんでした。
「荒」の意味は、「耕していない土地」、もしくは、「未開拓地」となりそうです。
参照75: 荒: zi.tools
この様に考えた場合、「道速振荒振國神」を考察するのに、「振」が重要だと思います。
上記の「振」では、「双(ふたつ)の手にある托(受け皿)の物を上に向ける」を
「止める」と解釈しましたが、色々なパターンを考えても繋がりません。
そこで、字義を見ると「救助」、「救済」、「持ち上げる」などが記載されています。
「荒」が「整備されていない土地」なので、「振」に「救助」や「救済」の意味があるのならば、
「荒れ地」を「整備」すると解釈できます。
「道速」は、最初、「馬」の事だと考えていましたが、「荒」が「整備されていない土地」なので、
多分に、「水路」の意味があると考えています。
こちらの「振」は、「荒振」とは異なり、「荒れ地」に「水路」から水を送っても、
無駄にしかならないので、「水路」の「水」を「止める」ではないかと解釈しています。
これらの考察が正しいとすると、「道速振荒振國神」とは、
「荒れ地整備班」を指すのではないか?と考えています。
「道速振荒振國神」の文の前文と合わせて、解釈が正しいのかを考察します。
原文:
爾高御產巢日神・天照大御神之命以 於天安河之河原 神集八百萬神集 而思金神令思而詔
此葦原中國者 我御子之所知國 言依所賜之國也 故以爲於此國道速振荒振國神等之多在
解読:
爾(なんじ)高御產巢日神と天照大御神之命を以って、天安河之河原に於いて神集めを、
八百萬神が集め、而(すなわち)思金神の思いを令(うながし)而(すなわち)詔(みことのり)す
此葦原中國者(は:短語)、我御子之知る所の國、言依る所で賜った之(この)國也
故、此の國に於いて道速振荒振國神等之多く在るを以って爲す
解読を見ると、「八百萬神」が「神」を集める話、「思金神」に話すことを促す話の2つは、
最初、繋がっていると考えていましたが、「神集め」した後の話や、
「思金神」が話すことになった理由が省略されている様に思えます。
その次の、「葦原中國」の文も、第一章〜第三章までの内容には、
「誰」が賜ったという話が、存在していないので、
繋がった話と考えるのは、違うように感じています。
そして、今回の話ですが、「故」で始まっていますが、
「葦原中國」の文は、単に「葦原中國」を賜ったという事を話しているだけなので、
「故」に繋がる「理由」が存在しているようには思えません。
第四章の冒頭が「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」であり、
「伊多久佐夜藝弖」などにも「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」があり、
時期が同じかは不明ですが、状況としては繋がっていると考えて問題がありません。
ところが、無関係な「葦原中國」が出てくるのは、不思議でしかありません。
最初から、「葦原中國」に問題が起きたから、問題を解決するために、
現地に行ったけど、報告がないというのなら、話が繋がっているので問題は無いです。
しかし、関係がありそうな「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」の赴任先は、
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」なので、「葦原中國」が出る必要が無いです。
だから、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」の話と、
「葦原中國」の話を完全に、「違う話です」と、その様に編纂すべきだったと思います。
あと、「道速振荒振國神等」は、「故」があるので、「葦原中國」の事を指しているかは不明です。
もし、繋がった話なら、「故」を付けずに「以爲於此國」から始めるべきであると思います。
そうであれば、「此の國」が「葦原中國」の可能性があります。