故、是於(これお)速須佐之男命言う。
然し、将に天照大御神請え者(ば:短語)罷(や)める。
乃ち、天(阿麻)に参り上げた時、悉く山川が動き、国土を皆、震わせる。
爾(なんじ)天照大御神而(に)聞いて驚き詔(みことのり)す。
我、那勢(なせ)の命の上(かみ)来る由(よし)者(は:短語)、
必ず不善(よくない)心、我が国奪うと耳に欲す。
即ち、御髮而(に)纒(まと)った御美豆羅(みづら)を解く。
乃ち、左右に於いて御美豆羅(みづら)、亦、御𦆅(かずら?)於(お)、
亦、左右の御手に於いて、各(おのおの)八尺(やさか)に勾(ま)がる璁(いし)之、
五百津(いおつ)之美須麻流之珠(美自(より)流に至る四字、音を以ってす。
此れ下も效(なら)う。みすまる)而(ひげ)を持ち、纏(まと)う。
曾毘良(そびら)邇(に)負う者(は:短語)、
千入(ちのり、入の訓は能理(のり)と云う。此れ下も效(なら)う。
曾自(より)邇者に至るは、音を以ってす。)之靫(ゆぎ)、
比良邇(ひらに)者(は:短語)、五百入(いおのり?)之靫(ゆぎ)を附ける。
亦、伊都(此の二字、音を以ってす。いつ、齋?)之竹の鞆(とも)を取り、
佩(お)びる所而(に)、而(なんじ)弓腹(ゆはら)を振り立つ。
庭堅く者(は:短語)那豆美(三字、音を以ってす。なづみ)於(お)向かう股で踏み、
沫雪(あわゆき)の如く而(に)散って蹶(たお)れる。
伊都(二字、音を以ってす。いつ、齋?)の男、
建(建の訓は多祁夫(たぎふ)と云う)踏み、建而(に)待ちを問う。
何故(なにゆえ)上がって来た。
爾(なんじ)速須佐之男命答て白(もう)す。
僕者(は:短語)邪な心は無く、唯(ただ)大御神の命(めい)を以て、
僕、伊佐知流(いさちる)で哭く之(この)事を賜い之(これ)を問う。
故、都良久(三字、音を以ってす。とらく)と白(もう)す。
僕、妣(なきはは)の国に哭くを以て往くを欲す。
爾(なんじ)大御神詔(みことのり)す。
汝者(は:短語)此の国而(に)在る不可(べきでない)。
神、夜良比夜良比(やらいひやらひ)賜る。
故、将に請ける為之(この)状(かたち)で往くのを、罷(や)めるを耳に参り上げ、
異なる心は無し。
爾(なんじ)天照大御神詔(みことのり)す。
然し、汝の心の明清(さや?)者(は:短語)何を以て知る。
是於(これお)速須佐之男命答て白(もう)す。
各(おのおの)宇氣比
(宇自(より)下三字、音を以ってす。此れ下も效(なら)う。うけひ)而(に)生む子。
天照大御神と速須佐之男命の会話
ここから第二章に入って行きます。
そして、一番最初から、「故」と言う、前文と繋がらない文面となっています。
原文:
故於是速須佐之男命言 然者請天照大御神將罷 乃參上天時 山川悉動 國土皆震
爾天照大御神聞驚而詔 我那勢命之上來由者 必不善心 欲奪我國耳
解読:
故、是於(これお)速須佐之男命言う。
然し、将に天照大御神請え者(ば:短語)罷(や)める。
乃ち、天(阿麻)に参り上げた時、悉く山川が動き、國土を皆、震わせる。
爾(なんじ)天照大御神而(に)聞いて驚き詔(みことのり)す。
我、那勢(なせ)の命の上(かみ)来る由(よし)者(は:短語)、
必ず不善(よくない)心、我が國奪うと耳に欲す。
「故」の前文は「故 其伊邪那岐大神者 坐淡海之多賀也」なので、
何に対してなのか?と考えてしまいます。
また、「伊邪那岐大神」と「速須佐之男命」の会話が繋がっているのなら、
理解出来ますが、相手は「天照大御神」ですので、
前文と「故」の間には、別の文が存在し、繋がりが無いと考える方が納得出来ます。
なぜ、そうなのかは、情報が無いので不明です。
もう一点、前文と「故」の間の時間の問題です。
それによっては、一章の「天照大御神」と、二章の「天照大御神」は、
別人であり、世代も異なる事になります。
個人的には、「故」の前が、完全に無くなっているので、
先代の「子」もしくは「孫」と考えても良いと考えています。
原文:
然者請天照大御神將罷
解読:
然し、将に天照大御神請え者(ば:短語)罷(や)める。
「然し、将に天照大御神請え者(ば:短語)罷(や)める。」とは、
「天照大御神」と「速須佐之男命」の間に、
最低でも、なんらかの契約の様な事があったように思います。
ところが、「罷(や)める」の意味について書かれていません。
「請え者(ば:短語)罷(や)める。」=「求めれば中止する」とすると、
「天照大御神」と「速須佐之男命」の間で、
連動する作業をしていた場合、片方が進みすぎてはダメなので、
進んでいる方は、一時止める必要が出て来ます。
そこで、次の文には、「乃(すなわ)ち」とあるので、
ヒントになり得るか?と思いましたが、
微妙に噛み合っていないように感じます。
仮に「天照大御神」が求めたとしても、
「速須佐之男命」がわざわざ、「天(あま)なる國」に行くのは違う気がします。
それに、「速須佐之男命」が仕えているのは、「建速須佐之男命」ですので、
実働部隊の隊長が「速須佐之男命」としても、
個人的な要求でなければ、「建速須佐之男命」を通す必要がある様に思えます。
でも、実際に「建速須佐之男命」の名は出て来ません。
色々と調べた結果、
「罷」には、参照1のサイトに、意味として「帰る」があるのを見つけました。
「然者請天照大御神將罷 乃參上天時 山川悉動 國土皆震」の文が、
時間軸が同じと考えると、もしかしたら、「罷める」=「止める」ではなく、
「罷」=「帰る」なのではないか?と考えるようになりました。
その場合、出張をして来て、「天照大御神」に国内の移動の許可を取り、
「天(あま)なる國」のある場所で、なんらかの作業をしていたと推測できます。
そうであるなら、「「天照大御神」が求めれば帰る」という表現もおかしくありません。
最低でも、「速須佐之男命」の國では採取出来ない物を、
「天(あま)なる國」に取りに来たのだと思いますが、
状況が書かれた文が無い為、知る事は出来無さそうです。
もしくは、「天照大御神」に頼まれて、作業を行いに来たのかも知れません。
原文:
乃參上天時 山川悉動 國土皆震
解読:
乃ち、天(阿麻)に参り上げた時、悉く山川が動き、國土を皆、震わせる。
この文は、「天照大御神」が「速須佐之男命」に「罷(帰って)」来て欲しいと、
求めた後の話となっています。
つまり、「天照大御神」が「天(あま)なる國」に異変が起きたので、
話を聞きたいと思ったと考えられます。
では、山や川が動くとは、どの様な現象なんでしょう?
一番考えられるのは、「土砂崩れ」です。
調べると、「土砂崩れ」の中に「山崩れ」というのがありましたので、
この事かと考えています。
土砂崩れが起きれば、近くの川に土砂が流れ込み、
水がうねると思うので、「山川悉動」はこの事を指している様に思えます。
次に「國土皆震(國土を皆、震わせる。)」ですが、
やはり、「地震」の様に思えます。
不思議に思うのは、紀元前1000年当時、「地震」という言葉が無かったのでしょうか?
調べると、参照2のPDFが見つかりました。
そこには、下記の様に書かれているようです。
夏の発帝7年、泰山震(ふる)う
竹書紀年
原文を探しましたが、見つけられませんでしたが、
「地震」を「震(ふる)う」と表記しているので、
「國土皆震」も同じく、「地震」を指していると考えて良いと思います。
ちなみに、「乃參上天時(乃ち、天(阿麻)に参り上げた時)」の「天」は、
第一章の「天之御中主神訓高下天 云阿麻 下效此」の文により、
「天=阿麻」となり、どの様な場面でも使うと定めています。
なので、この場面においても、「天」=「てん」ではなく、
「天」=「阿麻」となります。
参照2:中国古代人の地震との戦い
原文:
爾天照大御神聞驚而詔 我那勢命之上來由者 必不善心 欲奪我國耳
解読:
爾(なんじ)天照大御神而(に)聞いて驚き詔(みことのり)す。
我、那勢(なせ)の命の上(かみ)来る由(よし)者(は:短語)、
必ず不善(よくない)心、我が國奪うと耳に欲す。
「天照大御神」の求めに応じて、作業場所から帰って来た「速須佐之男命」なのですが、
「天照大御神」から話を聞いて驚きます。
その時の話が、「乃參上天時 山川悉動 國土皆震」なのだと思いますが、
それだと、「乃參上天時(乃ち、天(阿麻)に参り上げた時)」は、
誰の事を指しているのでしょうか?
「速須佐之男命」が、「「天(阿麻:あま)」に帰って来る時」という意味ならば、
「速須佐之男命」が経験した事なので、驚く事は無いでしょう。
もしかして、「天照大御神」から聞いた話は、別の話なのでしょうか?
であれば、「我那勢命之上來由者 必不善心 欲奪我國耳」の意味も、
異なって来ると思います。
「我那勢命之上來由者 必不善心 欲奪我國耳」は、
「天照大御神」に話を聞いた後の言葉なので、「天照大御神」の言葉では無いです。
ネット検索すると、「天照大御神」の言葉と考えている人がいるようですが、
先程も書いたように、「天照大御神」に聞いた事に対しての返答なので、
「天照大御神」であるはずが無いと考えます。
現代風に、砕けた会話にすると、以下の様になるかも知れません。
「天照大御神」:
「この様に、色々と國中に異変が起きているので、
速須佐之男命さんの國でも気を付けた方が良いですよ。」「速須佐之男命」:
「なんと!そんな事が起きているとは。
この現象は、私の國にとっても悪しき物です。
他に情報はありませんか?」
「速須佐之男命」の言葉と考えると、
「我が国奪う」は「八拳須」の事を指していると思われます。
第一章で考察しましたが、
「八拳須」とは、「八つ」の「拳」が入る程の「須(ひげ)」で、
干潮時には顔を出す「海中(水中)の道」を指すとしました。
当然、寒冷化によって、「海中(水中)の道」がどんどんと陸地化すると、
船を使う生活をしている人であれば、「国を奪う」という表現もおかしくありません。
そして、「那勢(なせ)の命の上(かみ)来る由(よし)」は、
「速須佐之男命」がいる國の領地は、
「天照大御神」の場所よりも南にあると考えられるので、
上から「寒冷化」の本番が来る事を指していると思います。