天照大御神之命(めい)を以って、豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
我御子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之知る所の國と、
言う而(に)因って、天より賜り降りる也
於是(これを)、天忍穗耳命、天浮橋多多志(此三字以音)に於いて
之(これ)而(すなわち)詔(みことのり)す
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
那理(此二字以音、下效此)有り、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)する
而(すなわち)告げて、更に上に還るように、天照大神于(に)請う
不思議な冒頭
原文:
天照大御神之命以 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 我御子
正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國 言因賜而天降也 於是 天忍穗耳命
於天浮橋多多志【此三字以音】而詔之 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者
伊多久佐夜藝弖【此七字以音】有那理【此二字以音 下效此】告而 更還上 請于天照大神
解読:
天照大御神之命(めい)を以って、豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
我御子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之知る所の國と、
言う而(に)因って、天より賜り降りる也
於是(これを)、天忍穗耳命、天浮橋多多志(此三字以音)に於いて
之(これ)而(すなわち)詔(みことのり)す
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)と
那理(此二字以音、下效此)に有り而(すなわち)告げて、
更に上に還るように、天照大神于(に)請う
「天照大御神之命以」で、第四章は始まりますが、
第三章の最後は、「羽山戸神」の子8人についての記述で終わっています。
なのに、第四章の冒頭では、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」が、
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」に赴任する文から始まります。
なぜ、赴任する事になったのでしょうか?
理由なくして赴任する事は無いでしょうし、理由を隠したいのでしょうか?
第一章と第二章には、「葦原中國」という國名はありますが、
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」という國名は初めてです。
しかし、この章の一番最後の文が、
「故建御雷神 返參上 復奏言向和平葦原中國之狀」なので、
全く、この章も、話に一貫性が無く、噛み合っていないと言えそうです。
当然ですが、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」と「葦原中國」が違うのは、
書き分けている事からも分かります。
場所は、「葦原」とあるので、「葦原中國」の近くと思いますが、
古代九州において、「葦原」の分布によっては、離れているかも知れません。
第二章の「宇氣布」の場面で登場するのは「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」で、
今回の「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」と比較すると、「之」の有無になります。
時代は大きく異なり、「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」は、
第二章の始まりの近い場所ですので、今回の人物とは、
場合によっては、10世代離れているかも知れません。
ただ、時代特定は、極めて難しいので、推測としてです。
でも、「兄八嶋士奴美神」と「大國主神」では、5世代離れているので、
確実に5世代以上の差があります。
疑問もあり、第四章「天照大御神」の子である「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」が、
「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」を継承したのは、なぜなんでしょうか?
別に新しく名を作っても、問題無さそうなのにです。
もしかすると、「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」の血を継承したからなのでしょうか。
完全なる憶測
全く、情報も無いので、推測ではなく憶測になりますが、
「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」を「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」の
國王に就任させたのだから、「長男」ではないと考えています。
やはり「長男」は、既に「天照大御神」の後継者としての仕事を開始していれば、
他国の国王になると言うのは、無いだろうと思っています。
「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」を「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」の
國王に就任させた事から、やはり、無関係な人物を國王に就任させると言うのは、
なんとなくですが、考えづらいと思っています。
例えば、戦争に負けてなどの理由があれば、問題ないですが、
その様な場面が、第四章の前文にあれば良いですが、その場面がありません。
「天照大御神」側が勝ったのだから、普通に挿入していて問題ない場面なのに、
その部分を掲載していないという事は、友好関係なのだと思います。
だとすると、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」は、
第二章で登場した「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」の國というのは問題無さそうです。
長い間統治してきたけれど、この当時、子が存在していなく、
「正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命」の娘と「天照大御神」の間に、
子が誕生し、その事から、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」として継承させたのでは?
と考えています。
そうだと仮定すると、やはり、第二章の「宇氣布」の場面で登場したのは、
当時、新しく友好関係を築いたので、「天照大御神」側に与(くみ)したと考えられます。
当然、他の人物達も、当時、同じ様に、関係構築したからだと思います。
「天浮橋多多志」は、第一章の「故二柱神 立(訓立云多多志)天浮橋〜」で、
「立」=「多多志」としているのですが、
今回は「立」は関係なく、「多多志」だけが使われています。
しかも、「此三字以音」と注記があります。
これによって、「立」の意味では無いと言うのが分かります。
「多」:呉音・漢音:タ
「志」:呉音・漢音:シ
上記により、呉音・漢音共に「たたし」になりそうです。
Wikiを筆頭に、多くのサイトでは、「多」の字源を「「タ(肉)」を重ねる」としています。
しかし、調べてみると、どうも違うようです。
参照1のサイトにある形を見ると分かりますが、甲骨文字、金文で、
「多」とは逆向きの字形が存在しています。
これは、単純に「肉を重ねる」ではないのかも知れないと思い、
説文解字を見ると「緟也」とありました。
では、「緟」とは何か?と調べると、参照2のサイトに、
説文解字の箇所に「增益也」とありました。
ただ、「緟」は「糹(いとへん)」+「重」なのと、
背景が不明なので、「増益」というのは答えとしては微妙に感じました。
そこで、「緟」の字源を探すと、参照3のサイトが見つかったので、
字形を確認すると、「糹(いとへん)」+「重」とは思えないですし、
なにより、「糸」と「重」を1つずつ調べましたが、「緟」とは思えませんでした。
ここから、「緟」=「增益」とすると、「緟」=「糹(いとへん)」+「重」は、
「糸」を「重」ねて「紐」にしたとも解釈でき、当時、「紐」が少なく、
多くの場所で、売る事を望まれたので販売したら、大きな売上になったとも受け取れます。
ますが、「緟」という字形、時代背景等が一致したらの話なので、
当たっているかの、判断は出来ません。
ここで行き詰まったので、「タ」の肉を調べてみます。
参照1: 多: zi.tools
参照2: 緟_百 度百科
参照3: 緟的字源字形
肉
参照4のサイトにある、「肉」の字形を見ると、二番目の字形は、「タ」としても問題ないですが、
一番目の字形は、参照1のサイトにある、「多」の字形としては使われていません。
他のサイトにも、字形の変遷が記載されていないかを調べると、
参照5のサイトが見つかりました。
こちらには、「花東子卜辭」・「賓組」では「タ」ではなく、「A」を右に傾かせています。
注目すべきは、「圓體類子卜辭」の字形のみ「タ」の逆の字形となっています。
これは、参照1のサイトの「多」の字形にもあります。
この「タ」の逆の字形は、別の漢字だと思いますが、
現代において、意味を見つけるのは、非常に難しいです。
今後、字源辞典で、見つけた場合に考察しようと思います。
この様に、「タ」=「肉」は間違っていないと考えられます。
次に、どの様な「肉」なのか?ですが、参照4のサイトにありました。
原文:
初文本像肉块横放之形
中略
“肉”本义为指供食用的动物肉。
《说文》:“肉,胾肉。象形。
解読:
元のテキストは肉片を横に置いたような形でした
(中略)
「肉」の本来の意味は、食用の動物の肉を指します。
《说文》:“肉は胾肉象形。
百度百科
「胾肉」とは何か?と言うと、参照6のサイトに「大臠也」とあります。
「臠」は、「きりみ」と読みます。
「大臠」で、「大きなきりみ」と解釈できます。
しかし、参照7のサイトには、「胾」とは、「肉を細かく切るひき肉」とあります。
「大きなきりみ」=「ひき肉」と解釈する事は難しいのですが、
どちらが正しいのかの判断は出来ません。
「ひき肉」と「大きくカットしただけ」では、料理の質も変わりますし、
意味としても大きく異なります。
参照4: 肉 (汉语文字)_百度百科
参照5: 肉: zi.tools
参照6: 汉典“胾”字的基本解释
参照7: 胾 - 表意ひき肉。肉を細かく切るCJK (Zi3), Unicode番号
「志」を調べると、「志」と「意」は同じ意味の様に思いました。
参照8のサイトの「説文解字」の場所に「意也。从心㞢。㞢亦聲。」とあります。
そこで、「説文解字」の「意」を調べると、参照9のサイトに、
「志也。从心音。察言而知意也。」とあります。
意味としては、下記にまとめます。
志:
意也。从心㞢。㞢亦聲。
意也、心に従(从)う、亦聲(こえ)
意:
志也。从心音。察言而知意也。
志也、心の音に従(从)う、言を察して意を知る
「志」は、「心に従ったり、心の聲に従ったりする」、
「意」は、「心の音に従う、言を察して意を知る」でニュアンスは似ています。
字形も、参照8のサイトと参照9のサイトで比較すると、
「心」の上が異なるだけなので似ています。
しかし、「志」の上部を、「士」・「之」・「足」などと解釈し、
「行く」と考えている人が多くいるようです。
今回、改めて検索して調べましたが、「行く」を採用しています。
比較すると、「士」や「足」は似ていませんが、
「之」は「玉書侯馬盟書」の字形は、確かに一致しますので、
「志」を「之」+「心」か作られていると言っている人は、正しいのだと思います。
ところが、多くの人は「行く」と言っていますが、「之」は「行く」が原義なのでしょうか?
参照11のサイトには、「説文解字」の内容として、下記の様にあります。
原文:
《說文》:出也。象艸過屮。枝莖漸益大。有所之也。一者地也。
凡㞢之屬皆从㞢。解読:
出る也
艸(草の芽が出る)を過ごす象(かたち)
漸(ようや)く、枝・莖(みき・くき)大きく益(ふ)える※「艸」:Wikiには「草が並んで生えている形」、もしくは
「草の芽の出る様を象る」とあります。之(これ)有る所也
地者(は:短語)一也
凡(およ)そ、皆之(これ)従(从)いて屬(つく)
この他に、「字源」や「漢多」の項目がありますが、そこでは「往」の漢字を使っていますが、
「説文解字」では、その様な漢字は使っていません。
「之」の原義を「出」にしていますが、
内容を見ると、「春になって木が成長した事」についてだと思うので、
「出」は、「出発」ではなく、「芽が出る」の方では無いかと考えています。
参照8: 志: zi.tools
参照9: 意: zi.tools
参照10: 士: zi.tools
参照11: 之: zi.tools
参照12: 足: zi.tools
「多」の字源を考察した結果、「タ」であれば「肉」、
「タ」の逆の字形だと、追跡して深堀出来ません。
「志」の字源は、「之」+「心」が正しいのだと思いますが、
「之」=「行く」と考えて良いのか微妙です。
之の字源
考察では、参照11のサイトにある「説文解字」のみを書き出しましたが、
「字源」と「漢多」も「説文解字」と同じく、解読します。
《說文》:出也。象艸過屮。枝莖漸益大。有所之也。一者地也。
凡㞢之屬皆从㞢。解読:
出る也
艸(草の芽が出る)を過ごす象(かたち)
漸(ようや)く、枝・莖(みき・くき)大きく益(ふ)える※「艸」:Wikiには「草が並んで生えている形」、もしくは
「草の芽の出る様を象る」とあります。之(これ)有る所也
地者(は:短語)一也
凡(およ)そ、皆之(これ)従(从)いて屬(つく)
《字源》:会意 从止,从一(代表某地),止形向前,表示人离此地往他处而去
解読:
止めるに従(从)う。
一に従(从)う(場所を表す)
前を向いて止める形
此の离(獣の形の山の神)地、人、示し表して、他の処(处)而(に)往き去る
《漢多》: (楊樹達、徐中舒、季旭昇)
甲骨文從「止」從「一」,「止」象向外的人足,「一」象地,
指腳向前走,離開原地將有所往解読:
甲骨文の「止」に従い、「一」に従う
「止」の象(かたち)、人の足を外的に向ける
「一」の象(かたち)の地、脚を指して、前に向けて走る
將に開原の地離れる所に有り往く
Wikiなどでは、「之」は「いたる」、「ゆく」の意味としていますが、
上記で分かるように、疑問が出てきます。
まず、《字源》の「止めるに従(从)う。」や、《漢多》の甲骨文の「止」に従い、「一」に従うは、
参照11のサイトにある字形から考えると、後世から見た感想だと思います。
参照11のサイトにある字形を見てもらえれば分かりますが、
「金文西周中期」、「玉書侯馬盟書」は、確かに「止」に見えるかも知れませんが、
一番最初の字形と比較すると、単に書き方でその様に見えると考えられます。
「止」を意識したのは、「楚(戰國)簡帛仰天湖」の頃なので、
「之」の原義として、「止」を使うのは間違っていると思われます。
そうなると、「止」は、字源として使えないと考えると、
「説文解字」の、「象艸過屮。枝莖漸益大。」が本当の字源では無いかと考えています。
「一者地也(地者(は:短語)一也)」と解読しましたが、
「之」の字形は、「一」で表された「地」、その上から「芽」を出す生命と解釈が出来ます。
多多志
上記の様に、「之」は「芽が出る」が原義だとすると、「志」は、「心」に「芽が出る」になり、
「やりたい事を見つける」、もしくは、「見つけた」と解釈出来るように思います。
だとするならば、「多」を「肉」と仮定すると、「多多志」は、たくさんの「肉」を持ち、
「心」に「芽が出る」状況と、単純に思いますが、「志」は大丈夫として、
「多」=「肉」だと違和感があります。
「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」は、「天照大御神」の子であり、
國王になる家柄にあるわけです。
そうなると、食料(肉)などは、お付きの人などが持つと思うので、
当然、自分で持つことはしないでしょう。
あと、「於是(これを)、天忍穗耳命、天浮橋多多志(此三字以音)に於いて
之(これ)而(すなわち)詔(みことのり)す」で、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」ではなく、
「天忍穗耳命」と正式名を省略するのは、良いのでしょうか?
第五章の文を見ると、「詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 今平訖葦原中國之白
故隨言依賜降坐而知者 爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白〜」とあり、
こちらでは省略していません。
これは、「天照大御神」の子の「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」以外に、
「天忍穗耳命」と言う人物が存在していたとするならば、状況が変わってきます。
「天照大御神」の子で無ければ、付き人がいるかどうか不明なので、
自分で荷物を持って、移動する事があっても不思議では無いです。
ただ、誰の子なのかは不明です。
ちなみに、「天浮橋」は桟橋ではないかと考えています。
「於是 天忍穗耳命 於天浮橋多多志【此三字以音】而詔之」の文ですが、
「於是」が、「言因賜而天降也(言う而(に)因って、天より賜り降りる也)」と、
繋がっていない可能性があるように思えてきました。
「多多志」でも書きましたが、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」ではなく、
「天忍穗耳命」と省略していますし、「天より賜り降りる」が、既に、
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」に出発したのであれば、
「天浮橋」にいるのはおかしいです。
もちろん、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」と「天忍穗耳命」が同一人物であり、
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」に移動する前の場面という解釈も出来ます。
であれば、第五章冒頭では、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」とあるので、
第四章冒頭の「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」も省略せずに記載するべきでしょう。
なにより、「天(阿麻)家」の「皇(おう)」の系譜なので、
省略することが正しいのか疑問です。
そうなると、やはり、「天照大御神」の子ではないから、
「天忍穗耳命」と省略したと、解釈することも出来ます。
では、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」と「天忍穗耳命」は、同時代に存在したのでしょうか?
それとも、時代が異なっているのでしょうか?
「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」の後継者が「天忍穗耳命」で、
第五章冒頭の「太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」は、
「天照大御神」の子、もしくは、親類から選んで継承させたと考えています。
「太子」は、参照13のサイトの「精選版 日本国語大辞典」に、
「古代中国の天子や諸侯の世継ぎ。嫡男。」とあります。
「太」は「天子」を表すので、「太宰府」、「聖徳太子」は「天子」という最高位にいるわけです。
「聖徳太子」が「摂政」だったとありますが、そもそも、「天子」を名乗る家系が、
下のち地位につくのは、考えられないので、「摂政」になった人間がいたのは確かでも、
それは「聖徳太子」ではないです。
話を戻すと、「太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」は、
「天子」に就く事が決定していたから、「太子」を使ったのだと思います。
しかし、この当時の「天子」は誰かと言うと、「天照大御神」になります。
「天子」は、古代中国で、「天(天帝)の子」が地上を治めるという考えが有り、
それに伴って、国王や皇帝は、「天子」を名乗っていたようです。
「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」→「天忍穗耳命」→「太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」
が同一人物とするならば、やはり、「天忍穗耳命」も正式名を使うべきです。
また、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」に、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」を
赴任させたのは、「天子」としての予行練習だったのでしょうか?
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」は、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」が呼び戻されるのが、
既に決定している状況なので、新たに國王が必要となります。
その時に、「天忍穗耳命」の名を使ったのかも知れません。
とはいえ、「詔」を使う事が出来るので、地位としては高い人物だと思います。
参照13: 太 子(タイシ)とは? 意味や使い方