最終更新日 2024/11/12

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 第四章 葦原中國の平定

於是天照大御神詔之 亦遣曷神者吉 爾思金神及諸神白之 坐天安河河上之天石屋
名伊都之尾羽張神 是可遣【伊都二字以音】若亦非此神者 其神之子 建御雷之男神 此應遣
且其天尾羽張神者 逆塞上天安河之水而 塞道居故 他神不得行 故 別遣天迦久神可問
故爾使天迦久神 問天尾羽張神之時 答白 恐之 仕奉 然於此道者 僕子 建御雷神可遣 乃貢進
爾天鳥船神 副建御雷神而遣

是以 此二神降到出雲國伊那佐之小濱而【伊那佐三字以音】 拔十掬劒 逆刺立于浪穗
趺坐其劒前 問其大國主神言 天照大御神・高木神之命以問使之 汝之宇志波祁流【此五字以音】
葦原中國者 我御子之所知國 言依賜 故 汝心奈何 爾答白之 僕者不得白 我子八重言代主神
是可白 然 爲鳥遊取魚而往御大之前 未還來 故爾 遣天鳥船神 徵來八重事代主神而 問賜之時
語其父大神言 恐之 此國者 立奉天神之御子 卽蹈傾其船而 天逆手矣 於青柴垣打成而隱也
訓柴云布斯
解読

於是(これを)天照大御神之(これ)詔(みことのり)す

亦、曷(いず)れの神を遣わす者(は:短語)吉

爾(なんじ)思金神及諸神に之(これ)白(もう)す

天安河河上之天石屋に坐す名を伊都之尾羽張神
是可遣わせる可(べ)き【伊都二字以音】

若し、亦、此神非ず者(ば:短語)、其の神之子、建御雷之男神、此れに遣わせに應(あた)る

且つ、其の、天尾羽張神者(は:短語) 、天安河之水を上に逆さに塞ぎ

而(すなわち)、道を塞いで居る故、他の神が不得行(いくをえず)

故、別遣天迦久神を別に遣わせる可(べ)きと問う

故爾(ゆえに)天迦久神を使い、天尾羽張神を問う時之答えて白(もう)す

之(これ)恐れながら、奉りて仕える

然し、此の道に於いて者(は:短語)、僕(やつがれ、使用人)の子
建御雷神を遣わす可(べ)き、乃(すなわ)ち進んで貢ぐ

爾(なんじ)天鳥船神に建御雷神を副えて、而(すなわち)遣わす。

是を以って、此の二神、出雲國伊那佐之小濱【伊那佐三字以音】而(に)到りて降りる

十掬劒を拔いて、浪穂于(に)逆さに立てて刺す

其の劒の前に趺(あし)にて坐る

其の大國主神に問て言う

天照大御神・高木神之命を以って之(これ)使わし問う

汝之宇志波祁流【此五字以音】、葦原中國者(は:短語)、我御子之所知國で言依る賜る

故、汝の心奈何(いかん)

爾(なんじ)之(これ)答えて白(もう)す

僕(やつがれ、使用人)者(は:短語)白(もう)し不得(えず)

我子、八重言代主神、是(これ)白(もう)す可(べ)き

然し、鳥のために遊ばさせて魚を取る

而(すなわち)往御大之前に未だ還って来ず

故爾(ゆえに)天鳥船神を遣わし、八重事代主神が徴(しるし)来る

而(すなわち)、問賜之時に問う

其の父大神が語りて言う

之(これ)恐れながら、此國者(は:短語)、天神之御子を立て奉る(たてまつる)

卽(すなわ)ち、其の船蹈(ふみ)傾く

而(すなわち)、天逆手矣に於いて青柴(訓柴云布斯垣)を打ち成して、而(すなわち)隠す也

解説

01

複雑化した文1


於是(これを)

「於是(これを)天照大御神之(これ)詔(みことのり)す」からスタートしていますが、
前文が「此歌者、夷振也。」なので、今回の「於是(これを)」も、前文とは無関係となります。

「天若日子」の件以後、誰かをどこかに派遣していないので、
なにか、問題が起きたようです。

天安河河上之天石屋

「天安河」の河上に「天石屋」という場所を作って、
伊都之尾羽張神という人物が住んでいた様です。

【伊都二字以音】と注記があるので、「音読み」指定となります。

読み

「伊」:呉音・漢音:イ

「都」:呉音:ツ、漢音:ト

上記により、呉音「いつ」、漢音「いと」となりそうです。

意味

意味としては「伊都」という土地の人間というのが、良さそうです。

伊都之尾羽張神

この名は、第一章の範囲で
「故所斬之刀名 謂天之尾羽張 亦名謂伊都之尾羽張【伊都二字以音】」
とありますが、第四章では、同じ名を使って人物になっています。

なので、これと混同して、「伊都之尾羽張神」と「天尾羽張神」が同じと思ってはダメです。

また、【伊都二字以音】を同じ意味で使う事を考えれば「下效此」を書くべきと思います。

ところが、そうはせず、同じ意味の文を書いたということは、
「いつ」ではなく「いと」の意味で使っていた証拠だと思っています。

悪行?

「且つ、其の、天尾羽張神者(は:短語) 、天安河之水を上に逆さに塞ぎ
而(すなわち)、道を塞いで居る故、他の神が不得行(いけず)」と、
「伊都之尾羽張神」が悪い人物の様に書いて言いますが、「天尾羽張神」なので違います。

「天尾羽張神」についての言及がないので分かりませんが、
「伊都之尾羽張神」と「天尾羽張神」の間に、繋がりがある様には見えません。

単に、「尾羽張」が一致しているだけです。

「天安河之水を上に逆さに塞ぎ」は、「ポンプ」の様な物を作ったのかと思いましたが、
この情報だけでは、良く分かりません。

神社
伊都之尾羽張神

寳登山神社 境内 石上神社、麻生野神社(摂末社祭神)

伊都之尾羽張命

斐伊神社

稜威尾羽張神

耀窟神社

稜威雄走神

鹿島天足和氣神社(鹿嶋伊都乃比氣神社祭神)、佐肆布都神社

まとめ

「稜威尾羽張神」は、「伊都(いつ)」を「稜威」に改めていますが、
本当に「稜威」が「いつ」と読むのか、疑問に思っています。

また、「稜威」に改めたのは、「伊都之尾羽張神」が使われなくなった後世だと思いますが、
時代の特定はできそうもありません。

天尾羽張神

こちらは「天(あま)」を冠しているので、「伊都之尾羽張神」とは別人なのがすぐに分かります。

第一章で「故所斬之刀名 謂天之尾羽張 亦名謂伊都之尾羽張」と重なっていますが、
第四章の方は人物です。

なので、これと混同して、「伊都之尾羽張神」と「天尾羽張神」が同じと思ってはダメです。

神社
天尾羽張神

天安川神社

天尾羽張命

磯部神社

天之尾羽張神

葛城天剣神社、石上神社(伝)

建御雷之男神と建御雷神

「建御雷之男神」は、「其神之子」とあるように、「伊都之尾羽張神」の子の可能性が高いです。

「建御雷神」は、「然し、此の道に於いて者(は:短語)、僕(やつがれ、使用人)の子
建御雷神を遣わす可(べ)き、乃(すなわ)ち進んで貢ぐ」とあり、
こちらは「天尾羽張神」の僕(やつがれ、使用人)の子の可能性が高いです。

「爾(なんじ)天鳥船神に建御雷神を副えて、而(すなわち)遣わす。」とあるように、
「建御雷神」は、天鳥船神が操る船の副官として、出雲へと移動します。

ちなみに、第一章の「斬其子迦具土神之頸」の場面で、
「建御雷之男神」が既に登場しています。

「建御雷之男神」は、代々継承されてきた職なのでしょう。

神社

建御雷之男神

建御雷之男神

鹿島玉川神社、二宮神社(神戸市)、大橋春日神社、官舎神社、鹿島神社(和久寺)

建御雷男神

伊奈冨神社 境内 豊御崎神社

建御雷男命

刀那神社

武御雷之男神

隠津島神社

武甕槌男神

大神社 境内 春日神社

武甕槌男命

護國八幡宮 境内 春日社、加蘇山神社

健御雷之男命

阿彌神社

建御雷神

建御賀豆智神

春日神社(大田区)

建御賀豆智命

大原野神社、二宮赤城神社、西院春日神社、革嶋春日神社

健御賀豆智命

穴太神社、大原神社

健御賀豆知命

吉田神社(吉田神楽岡町)

健御雷命

荒井神社、祝園神社

健甕槌命

鹿嶋神社(新川郡)

建御雷神

宇倍神社 境内 国府神社、彌美神社、佐志武神社、因佐神社

建御雷命

大国恵比須神社(合祀)、桙衝神社、前橋東照宮、鷹野神社(合祀)

建御雷之神

佐志能神社

建見雷神

春日神社(太子町)

建甕槌神

春日神社(泉佐野市)、隼神社 境内 隼神社

建甕槌命

高砂天祖神社、春日神社(上新庄)、加志波良比古神社(合祀)

甕槌命

春日神社(津田元町)

武御賀豆智命

春日神社(あわら市)

武御加豆智命

豊鹿嶋神社

武甕槌大神

亀有香取神社

武甕槌神

鹿嶋神社(品川区)、中井御霊神社、盬竃神社、亀戸香取神社、中島惣社、鹿島神宮、
春日神社(杉生千ヶ谷)、鷹野神社、春日神社(鯖江市)、鹿嶋神社(いわき市)、
巨椋神社、

武甕槌命

袖ヶ崎神社、池袋御嶽神社、御穂鹿嶋神社、大宮前春日神社、多武峯内藤神社、
奥戸天祖神社、平井春日神社、西小松川天祖神社、野上春日神社、藤倉春日神社、
助松神社、春日神社(茄子作)、枚岡神社、都留彌神社(鹿島神社合祀祭神)

武甕槌

楡山神社 境内 荒神社

武甕鎚神

許波多神社 境内 春日神社

武甕櫃命

日下春日神社

武甕推命

春日神社(池之端町)

武甕槌尊

白山神社(大日町)、二宮神社(柏原市)、子松神社

武御雷神

大牟田神社

武雷神

富都神社、高越神社、大原神社 境内 春日神社

武甕雷命

札次神社、大溝神社

武雷命

大生部兵主神社

まとめ
建御雷之男神

「建」族、「武」族、「健」族に分かれます。

「建御雷之男神」と第一章から登場するので、基本は「建」族が本流だと思います。

また、「武」は2つに分類されます。

「武御雷之男神」の「雷」系と、「武甕槌男神」の「甕槌」系です。

「甕槌」系は、日本書紀に書かれる系統の為、初代神武天皇(仮)の頃だと思われます。

これは、後に、改めて調べてみようと思います。

それから、「建御雷之男神」の神社は、少ないですが、多分に「日本書紀」によって、
「武甕槌神」が正しいと考えた人達が、変更した可能性もありそうです。

建御雷神

こちらも「建」族、「武」族、「健」族に分かれます。

「武」族が圧倒的に多いのは、「日本書紀」により「武甕槌神」が正しいと考えた人達が、
変更した可能性もありそうです。

しかし、「武甕槌神」は「日本書紀」での話であって、
「古事記」では「建御雷神」が正しい表記となっています。

注目すべきは、「建御雷神」の以前の名と思われる「建御賀豆智神」が発見できたのは、
非常に重要だと思っています。

「建御雷神」は突如、現れましたが、
実は「建御賀豆智神」から代々継承された名だと言う事が分かります。

ただ、「建御賀豆智神」を仮に万葉仮名を使っても、「ごが(か)づ(つ)ち」となり、
「いかず(づ)ち」にはなりません。

また、「御」は、「建御雷神」に入っているので省くと「賀豆智」=「雷」となります。

一応、「がづち」で調べましたが、ありませんでした。

派生

最初、「建御賀豆智神」から派生したと思っていましたが、
「武御賀豆智命」と「健御賀豆智命」が存在するので、
「建御賀豆智神」の子に「武御賀豆智命」と「健御賀豆智命」の名を与えたのかも知れません。

「武甕鎚神」の名は、「金偏」の「槌」なので、後世に漢字を変える時に変更したのでしょう。

ただ、「武甕櫃命」や「武甕推命」の「槌」を変更した後の字は、
「槌」からだいぶ離れているようにも思えます。

出雲國伊那佐之小濱

ここまで、出雲に来るに至った経緯などについては、一切の情報がありません。

多分に、「於是(これを)天照大御神之(これ)詔(みことのり)す」の前文にでも、
書かれていたのかも知れません。

「十掬劒を拔いて、浪穂于(に)逆さに立てて刺す
其の劒の前に趺(あし)にて坐る
其の大國主神に問て言う
天照大御神・高木神之命を以って之(これ)使わし問う」とありますが、
「其の大國主神」とは、誰を指すのでしょうか?

当代の「大國主神」は一人のはずなので、「其の」と言うからには、
複数名存在していた可能性も疑われます。

そして問うた話が不可解です。

「汝之宇志波祁流【此五字以音】、葦原中國者(は:短語)、我御子之所知國で言依る賜る」
とありますが、ここは「出雲國伊那佐之小濱」なので、「葦原中國」では無いです。

「出雲國」まで来て、「葦原中國」の話をするのは、非常に不可解です。

宇志波祁流

「此五字以音」と注記あるので、「音読み」指定となります。

読み

「宇」:呉音・漢音:ウ

「志」:呉音・漢音:シ

「波」:呉音・漢音:ハ

「祁」:呉音:ギ、漢音:キ

「流」:呉音:ル、漢音:リュウ(リウ)

上記により、呉音「うしはぎる」、漢音「うしはきりゅう」になりそうです。

意味

主語が何かで、意味が変化してしまいそうな言葉です。

八重言代主神

「我子、八重言代主神」とあり、「大國主神」の子の様に書かれていますが、
言及する言葉が存在しません。

そして、次の文では、
「故爾(ゆえに)天鳥船神を遣わし、八重事代主神が徴(しるし)来る」
とあり、「八重事代主神」と漢字が異なります。

当然、この2人は別人であるわけですが、
「八重事代主神」が誰なのか?については書かれていません。

また、「其の父大神が語りて言う」が、
「八重言代主神」なのか、「八重事代主神」なのかはっきりしませんし、
「大神」は登場していません。

この様に、登場人物が多いけれど、全てが中途半端になっている印象です。

神社
事代主大神

大利神社、野田恵美須神社、阿遅速雄神社 境内 相殿社、長野神社 境内 恵比須社、
福島天満宮、大和神社 境内 事代主神社

事代主神

大宮神社(合祀)、中島惣社、鴨都波神社 境内 恵比須神社、石前神社 境内 蛭子神社、
四方神社(合祀)、額神社、甘楽町秋畑 稲含神社、諏訪神社(湖西市、合祀)、守田神社、
脇子八幡宮(漁業守護の神として泊浦に祀られていた神社を合祀)、清水神社(合祀)

事代主命

大森神社、忠岡神社、揖取神社(阪南市)、須佐之男命神社 (摂津市)、阿麻美許曽神社、
高龗神社 境内 脇浜戎大社(脇浜・近木崎の戎社祭神)、今宮戎神社、敷津松之宮、
春日神社 境内 濱出神社、田島神社(生野区)、志紀長吉神社、今宮戎神社

事代主之命

師岡熊野神社、太平山神社 境内 福神社

事代主神命

植木神社

事代主尊

浜宮神社、都波只知上神社(合祀)、出雲大神宮 境内 笑殿社、
黄金山神社 境内 恵比寿尊像

厳事代主神

事代主神社、長田神社

八重事代主神

機物神社、飯豊神社、登彌神社 境内 比良田神社、宇伎多神社、加畑賀茂神社

八重事代主命

石津太神社(合祀)、石津神社(石津町)、矢作神社(合祀、長柄神社祭神)、陶荒田神社、
尾崎神社(阪南市)、前橋八幡宮 境内 美保大國神社、生島足島神社 境内 諏訪社、
王日神社 境内 西宮神社、那閉神社、軽野神社、佐々神社、波波伎神社

八重言代主神

言代主神社、黄金山神社 境内 濱神社

言代主神

荒雄川神社、奥津比咩神社 境内 恵比須神社

言代主命

小川神社(上水内郡)、子松神社(合祀)、長瀬神社

辞代主神

石上神宮 境内 七座社

積羽八重事代主大神

多鳩神社

積羽八重事代主神

金刀比羅宮 境内 事知神社、浅殿神社

積羽八重事代主命

来待神社、佐波神社、宇久須神社、多爾夜神社、哆胡神社、伊那上神社、舟寄神社、
多鳩神社

積羽八重言代主神

斐太神社

積羽八重言代主命

進雄神社(合祀)

鴨事代主命

三島鴨神社(高槻市)

鴨八重事代主神

河俣神社

鴨都八重事代主命

鴨都波神社

都味波八重事代主命

鴨都波神社(古記)

都味歯八重事代主神

高知坐神社

鴨都波神社 奈良県御所市宮前町513

古記には「都味波八重事代主命」とあるが、現在は「積羽八重事代主命」となっています。

軽野神社 静岡県伊豆市松ヶ瀬字神田鍵取免79

「八重事代主命」を祭神と書く一方で、「事代主命」と社頭掲示板などでは書かれていて、
どちらが正しいのか、判断が難しいです。

まとめ

「事代主神」と言っても、色々な種類があります。

第三章「事代主神」でも考察しています。

1:付与されない

1つ目が、何も付与されていない「事代主神」の一族です。

「事代主大神」、「事代主神」、「事代主命」、「事代主之命」、「事代主神命」、「事代主尊」、
「厳事代主神」の7種類が見つかっています。

事代主大神

「事代主大神」は、最初、単に「大神」で統一させるために作られたのかなと思いましたが、
「徵來八重事代主神而、問賜之時、語其父大神言」の文にある「其父大神」は、
もしかしたら、「事代主大神」を指すのでは無いのか?と考えました。

事代主之命

「事代主之命」は、「事代主命」の存在した時代よりも後世に、
「の」を付ける文化?が持ち込まれた時に作った可能性が高いです。

「事代主神」などの人名を見れば分かりますが、普通に「之」は入りません。

事代主神命

「事代主神命」は、後世に作られた物かも知れません。

そもそも、「神」と「命」は同時に付けられなくて、片方のみしか付けられません。

事代主尊

「事代主尊」の「尊」は、日本書紀に登場する地位です。

別の地域で活動していたが、九州に移動してきて、各地に散らばった子孫だと思います。

2:八重

2つ目として、「八重」を冠する一族です。

「八重事代主神」、「八重事代主命」、「八重言代主神」の3種類が見つかっています。

また、「言代主神」、「言代主命」、「辞代主神」の関係がありそうな3種類が見つかっています。

この「八重」を冠する一族と、付与されていない一族との関係は不明です。

「大國主神」と「多紀理毘賣命」の子の中に「事代主神」がいる事を考えると、
別の一族の可能性もあります。

ただ、「八重」は、「大きく見せる」というイメージがあるので、
付与されていない一族から、分派した可能性があります。

それは、仕事に特化させるためかも知れません。

例えば、「八重事代主神」は書く担当で、「八重言代主神」は話す担当という風にです。

言代主神

あと、「言代主神」、「言代主命」がありますが、「八重言代主神」が一種類しかありません。

ここから、もしかすると、「言代主神」は元々、別の一族が担っていたけれど、
担当する人物がいなかったので、付与されていない一族が吸収し、
自分たちの子孫に職に付かせたという可能性も出てきます。

辞代主神

「辞」は「ことば」の意味もあるので、「言代主神」の一族だと思いますが、
なぜ、漢字を変えたのかについては、推測も難しいです。

3:積羽

3つ目としては、「積羽」を冠する一族です。

「積羽八重事代主大神」、「積羽八重事代主神」、「積羽八重事代主命」、
「積羽八重言代主神」、「積羽八重言代主命」の5種類が見つかっています。

「八重」の上に更に「積羽」を冠するのは、どの様な意味があるのでしょうか。

「積羽八重事代主大神」は、微妙ですが、「事代主神」と「言代主神」が
バランスよくあるので、長い間、利用されてきたのかも知れません。

4:鴨

4つ目としては、「鴨」を冠する一族です。

「鴨事代主命」、「鴨八重事代主神」、「鴨都八重事代主命」の3種類が見つかっています。

「鴨」と言うと、「阿遲志貴高日子根神」などの名をイメージしますが、
なにか関係があるのでしょうか?

「鴨」を冠する一族は、「阿遲鉏高日子根神」の子孫?から養子に迎えたとも解釈できますが、
情報が無く、不明です。

5:都味波と都味歯

「都味波八重事代主命」、「都味歯八重事代主神」の2種類ですが、
「波」と「歯」は、お互いに「は」と読むことも出来るので、関係があるように思えます。

子?

御嶋石部神社 新潟県柏崎市北条304-1

「祭神は久斯比賀多命」は、事代主命の御子神で、石辺公の祖神。と云われている様です。

「大物主命子久斯比賀多命之後也」 と
「新撰姓氏録」の「526 山城国 神別 地祇 石辺公」にはあります。

ところが、「417 左京 神別 地祇 石辺公
大国主[古記一云。大物主。]命男久斯比賀多命之後也」とあり重複しています。

ここで整理すると、「大国主命」が「大物主」を名乗ったのか、
それとも、「大物主命」が「大国主命」を名乗ったかの二択ですが、
これだけでは判断できません。

また、「大物主」と「命」とも「神」とも書いていないので、
これは西暦4世紀頃の可能性もあります。

そうなると「大物主命子久斯比賀多命」が古い情報の可能性が高くなり、
この「久斯比賀多命」の数代後に「久斯比賀多命」を名乗ったと解釈できます。

であるとすると、「事代主命」の時代が不明ですが、
「久斯比賀多命」を名乗っても、何も不思議ではない事になります。

妻?

御笏神社 東京都三宅村大字神着

祭神である「佐伎多麻比咩命」が、「事代主命の后」と案内板で書かれているが、
調べても情報が出てきません。

「三宅記」の三番目の后を「佐伎多麻比咩命」にし、八王子出産も
「佐伎多麻比咩命」がしたとする話もあるようですが、少し、無理矢理感があります。

他に、三宅島の富賀神社では、
事代主命の妻が伊古奈比咩命で、子が阿米都和気命とある。

「比咩」を使っているので、紀元前の可能性がありますが、真偽不明です。

椎取神社 東京都三宅村神着

この神社では、祭神の「志理太宜命」は、
佐伎多麻此咩命の第八子と社頭掲示板に書かれている様です。

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