最終更新日 2021/12/31

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日本國とは

解釈

01

古代日本國

「日本」について考えます。

古事記では記載がありません。

日本書紀の初見は「廼生大日本(日本、此云耶麻騰。下皆效此)豐秋津洲」です。

他には、「至日本武皇子」、「日本國之三諸山」、
「神日本磐余彥火火出見天皇之后也」があります。

日本書紀によって、「日本」の読みが「耶麻騰(やまと)」と判明します。

古代中国の史書で「旧唐書」と「新唐書」が初見のようです。

「旧唐書」の成立が945年、「新唐書」の成立は1060年となっていて、
「日本」の名が登場するのが、「倭」と比べて遅いです。

それによって、以前までは、「南朝鮮(本家)」よりは、
「列島(分家)」側に存在していたのでは?と考えていました。

しかし、「天之御中主神の子孫」の「「新唐書日本伝」と「宋史」」で
改めて考察すると、
逆に「南朝鮮(本家)」側に存在していた可能性が高いように思えました。

もし、「日本」が古代中国と深く交流があれば、
「倭人」と同様の情報量になると思いますが、情報量の少なさから、
「日本」との交流がなく、伝聞でしか存在を知れなかったのでしょう。

伝聞というのは、「情報の正確性」は担保されていないので、
「倭」の様な体験談と、一緒にするべきではないと考えています。

それと、唐の時代には既に記紀が完成しているので、遣唐使で日本書紀を見せたり、
補足の話が掲載されていると考えると、「日本國」の記事で日本書紀と同じ記述は、
信用出来ないと考えています。

他に、「日本國」は本来「倭國」もしくは「倭奴國」だったが、
後に独立したから情報が少ない可能性ですが、真偽は不明です。

参照1:「日本」はいつ生まれたのか? 古事記にないのはなぜか? 国号の謎を追う

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