最終更新日 2022/08/23

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 第一章天之御中主神から伊邪那岐命と伊邪那美命まで

天地初發之時 於髙天原成神名 天之御中主神【訓高下天云阿麻 下效此】
次髙御産巣日神 次神産巣日神 此三柱神者 並獨神成坐而隱身也
解読

天地初めて發(はつ)す之(この)時、高天原成るに於いて神名は、
天之御中主神(高の下の天の訓は阿麻(あま)と云う。此れ下も效(なら)う。)。
次高御産巣日神。次神産巣日神。

※「髙御産巣日神」の「産」が、「国宝真福寺本」では、「座」に変わる。

此の三柱神者(は:短語)、獨り神(ひとりがみ)而(に)成りて、
並んで坐り隱れる身也。

解説

09

高御産巣日神の子孫 前編

天之御中主神とは違い、古代中国史書に登場しないので、
新撰姓氏録以降の情報が中心となります。

新撰姓氏録

374 左京  神別 天神 大伴宿祢   宿祢 高皇産霊尊五世孫天押日命之後也
375 左京  神別 天神 佐伯宿祢   宿祢 大伴宿祢同祖
                       道臣命七世孫室屋大連公之後也
376 左京  神別 天神 大伴連     連 道臣命十世孫佐弖彦之後也
377 左京  神別 天神 榎本連     連 同上
378 左京  神別 天神 神松造     造 道臣命八世孫金村大連公之後也
379 左京  神別 天神 日奉連     連 高魂命之後也
385 左京  神別 天神 小山連     連 高御魂命子櫛玉命之後也
386 左京  神別 天神 畝尾連     連 天辞代命子国辞代命之後也
387 左京  神別 天神 久米直     直 高御魂命八世孫味耳命之後也
398 左京  神別 天神 弓削宿祢   宿祢 高魂命孫天日鷲翔矢命之後也
437 右京  神別 天神 佐伯造     造 天雷神孫天押人命之後也
438 右京  神別 天神 大伴大田宿祢 宿祢 高魂命六世孫天押日命之後也
439 右京  神別 天神 佐伯日奉造   造 天押日命十一世孫談連之後也
440 右京  神別 天神 高志連     連 高魂命九世孫日臣命之後也
441 右京  神別 天神 高志壬生連   連 日臣命七世孫室屋大連之後也
447 右京  神別 天神 斎部宿祢   宿祢 高皇産霊尊子天太玉命之後也
448 右京  神別 天神 玉祖宿祢   宿祢 高御牟須比乃命十三世孫
                       大荒木命之後也
449 右京  神別 天神 忌玉作       高魂命孫天明玉命之後也
455 右京  神別 天神 伊與部       高媚牟須比命三世孫
                       天辞代主命之後也
538 大和国 神別 天神 葛木忌寸   忌寸 高御魂命五世孫剣根命之後也
539 大和国 神別 天神 門部連     連 牟須比命児安牟須比命之後也
542 大和国 神別 天神 高志連     連 天押日命十一世孫
                       大伴室屋大連公之後也
543 大和国 神別 天神 仲丸子       日臣命九世孫金村大連之後也
548 大和国 神別 天神 飛鳥直     直 天事代主命之後也
570 大和国 神別 地祇 長柄首     首 天乃八重事代主神之後也
587 摂津国 神別 天神 小山連     連 高魂命子櫛玉命之後也
626 河内国 神別 天神 弓削宿祢   宿祢 天高御魂乃命孫
                       天毘和志可気流夜命之後也
627 河内国 神別 天神 玉祖宿祢   宿祢 天高魂神十三世孫建荒木命之後也
628 河内国 神別 天神 林宿祢    宿祢 大伴宿祢同祖
                       室屋大連公男御物宿祢之後也
629 河内国 神別 天神 家内連     連 高魂命五世孫天忍日命之後也
630 河内国 神別 天神 佐伯首     首 天押日命十一世孫
                       大伴室屋大連公之後也
631 河内国 神別 天神 葛木直     直 高魂命五世孫剣根命之後也
632 河内国 神別 天神 役直      直 高御魂尊孫天神立命之後也
633 河内国 神別 天神 恩智神主      高魂命児伊久魂命之後也
706 和泉国 神別 天神 大伴山前連   連 大伴宿祢同祖 日臣命之後也
722 和泉国 神別 天神 荒田直     直 高魂命五世孫剣根命之後也
1087 右京  未定雑姓  大辛        天押立命四世孫剣根命之後也
1112 大和国 未定雑姓  波多祝       高弥牟須比命孫治身之後也
1130 摂津国 未定雑姓  葛城直     直 天神立命之後也

上記が「新撰姓氏録」に掲載されている、
「高御産巣日神の子孫」と云われているリストです。

異なった人名があるので、整理しますが、名が同じだからと、
必ずしも同一人物ではないので、基本的には別人として扱います。

※上記の画像は、世代の参考にする為に作りました。

参照16:『新撰姓氏録』氏族一覧2(第二帙/神別)

高皇産霊尊

「高皇産霊尊」に関与する箇所を、抜き出して系図化して見ました。

日本書紀

日本書紀の流れを追って行きます。

初見は、「一書」の一文内に現れますが、本文ではないので、カウントしません。

次に、大己貴神と少彥名命の場面で現れますが、
古事記同様に初期三人組の一人とすると、あまりにも、期間が空いています。

世代参考画像で数えると、「14世代」離れているので、
「高皇産霊尊」の名が継承されて来た事が分かると思います。

その後は、精力的に動いていたようで、登場頻度が上がります。

その中で、天照大神の子、正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊が
高皇産靈尊之女𣑥幡千千姬を娶り、天津彥彥火瓊瓊杵尊を生みます。

娘の話がなくなるに連れて、高皇産靈尊は退場します。

このように見て行くと、日本書紀の「高皇産霊尊」は娘が関与した場面以外は、
ほぼ登場せず、薄い存在に見えてしまいます。

ただ、この当時の高皇産霊尊は能力が高かったのだと思われます。

だからこそ、天照大神は高皇産霊尊を敵に回したくないと考えて、
自分の後継者と結婚させたのだと考えられます。

あと、高皇産霊尊の子と思われている太玉命ですが、
「新撰姓氏録」では、「高皇産霊尊子天太玉命」と記載されます。

ところが、日本書紀で「太玉命」、古事記で「布刀玉命」と書き登場しますが、
「高皇産霊尊」や「高御產巢日神」の子とする記載がありません。

その事から、「新撰姓氏録」は記紀とは違う時代の情報と考えられます。

「新撰姓氏録」で「天太玉命」とあるので、日本書紀の太玉命と関係はありそうです。

推測ですが、日本書紀の太玉命が後に、高皇産霊尊の名を継承したのかも知れません。

度会氏

度会氏の系図は、下記のようになっています。(関係箇所を抜粋)

「天之御中主神の子孫」の「尊がない」でも書きま したが、
「豊受太神宮禰宜補任次第」では、「國常立尊」の子「天八下命」とあり、
「天八下尊=天八下命」と仮定すると、
「天之御中主神」ではなく、「國常立尊」になり、世代が下がります。

「高皇産霊尊」は、「建速須佐之男命」の一代後となりますので、
「𣑥幡千千姬」の父親にするには、まだ、早いので、数代継承されたと考えられます。

どうやら、「高皇産霊尊」の名は、襲名での継承ではなく、
後継者選抜があったのではないか?と推測しています。

「神皇産霊尊」の名も同様だった可能性が高そうです。

参照25:度会家-公卿類別譜(公家の歴史)

大伴氏

上は、参照26のサイトに記載された続群書類従の大伴氏系図、
中は、参照27の論文(PDF)内に記載された系図、
下が、参考28のサイトに記載されていた系図となります。

続群書類従は確認しようと思いましたが、
ネットから画像で見れないようなので今後にします。

まず、続群書類従の系図が正しいとすると、大伴・度会・中臣氏等の先祖は同じとなり、
「豊受太神宮禰宜補任次第」で、天御中主尊継承後の國常立尊まで遡れます。

ただ、参照27の論文によると、続群書類従には四種あるらしく、一種が大伴金村を
三世孫ではなく二世孫と記し、四種が「武持ー此間三世中絶ー室屋」と記載されます。

あと、下の系図は、後に「道臣命」検証で使う
「冨士浅間神社伴姓古屋氏の家譜」に似ています。

大伴氏が、天御中主尊継承後の國常立尊まで遡れるとするならば、
本国で活動していたが、後に列島に重きを置いたと考える事も出来ます。

参照26:信濃大門箚記 大伴神社考

参照27:関西大学本『伴氏系図』と伴蒿蹊 - CiNii 論文

参照28:大伴氏考

古語拾遺

古語拾遺を見ると、天太玉命の子に見慣れない名があります。

他の参照系図でもありますが、記紀で登場する順番が異なるのに、
兄弟姉妹とするのは正しいのだろうかと、いつも考えてしまいます。

なんにせよ、現代の自分が、正しい古代の系図を知る事は出来ないので、
推測するしか方法は無いわけですが、「音の継承」ではないかと最近思い始めました。

例えば、「天太玉命」を例に出すと、「日本書紀」考でも書きましたが、
古事記で布刀玉命、日本書紀で太玉命で登場しますが、親表記がありません。

そこで、「音の継承」で考えると、

「布刀玉命」は本来、一般の部下でしか無かったのが、
上司である高御產巢日神により、重要ポストを与えられる。

その後、時代の経過により、「タカミムスヒ」の血が
「布刀玉命」家に入り、最終的に「フトダマ」家の女性が、
「タカミムスヒ」に嫁ぎ、次世代を産み、
「タカミムスヒ」の子と考えられるようになった。

この様に考えると、記紀で親表記が無いのも、
「タカミムスヒ」の子と現代に残るのも納得出来ます。

また、数世代の「フトダマ」は、「布刀玉命」から表記を少しずつ変化させたが、
必ず、「フトダマ」と読めるようにしていたはずです。

それこそが、「音の継承」による「正統」の証明書だと考えられます。

このWebサイト制作の為に、情報収集していると、読みは同じなのに、
漢字表記が違う名が多い事に、いつも、不思議に思っていました。

「音の継承」で考えれば、同じ一族で、正統なる直系と考える事が、
出来るのではないかと思っています。

豊受皇太神宮御鎮坐本紀

「豊受皇太神宮御鎮坐本紀」は情報収集している中で見つけました。

高皇産霊神の親が「天御中主神」を継承していたとするならば、
今まで、書いて来た通り、「天御中主神」の神名は世襲か選抜かは分かりませんが、
継承され続けていた傍証の一つになると考えています。

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