最終更新日 2024/06/30

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 第二章 天照大御神と速須佐之男命

第二章のまとめ

解説

01

問題点


「故」で前後が繋がらないのは記事は、下記の通りです。

第一章では、24個中多くて2個程です。

第二章では、26個中多くて4個程です。

第三章では、34個中多くて9個程です。

「多くて」としたのは、現代では繋がらない様に見えて、繋がっていたのかも知れないからです。

深堀すれば、数は変化すると思いますが、今回はこの数を使いたいと思います。

意味

この「故」ですが、参照のサイト順に、下記の通りになっています。

「攴」+音符「古 /*KA/」。

「原因」「理由」を意味する漢語{故 /*kaaʔs/}を表す字。

Wiki

「固いかぶと」の象形(「固くて古い」の意味)と
「ボクッという音を表す擬声語と右手の象形」(「強制する」の意味)から、
古く固くしてしまう事を意味し、そこから、「死ぬ」、「わざわい」等を意味し、
また、「古(コ)」に通じ(同じ読みを持つ
「古」と同じ意味を持つようになって)、「ふるい」の意味、「固(コ)」に通じ、
「以前から」を意味する「故」という漢字が成り立ちました。

OK辞典

古+攴(ぼく)。

古は祝を収める器((さい))の上に、聖器としての干(たて)を加え、
その呪能を永く守る意。ゆえに古久の意がある。

それに攴を加えるのは、その呪能をことさらに害しようとするものであるから、
字は故意・事故を原義とする。

そのことが原因をなすので事由の意となる。

金文の〔大盂鼎(だいうてい)〕に「古(ゆゑ)に天、臨して子(いつくし)む」とあり、
古を故の意に用いる。

また〔小盂鼎〕に「厥(そ)の故(こと)を(と)ふ」とは事由の意。

〔周礼、天官、宮正〕「國に故(こと)り」とは、事故・禍殃のあることをいう。

コトバンク

「故」とは、「前」の記事があり、
「故」を挟んで、「後」の記事に繋ぐ為に必要な漢字だと思います。

つまり、「故」の前にあった記事が無いのはありえないと考えます。

しかし、冒頭に見て分かる通り、第一章では、繋がりのない「故」は少なかったのに、
なぜか、第二章、第三章と時代を経るごとに、多くなっています。

原因を探るには、編纂者達の心情を知ることが必要ですが、
現代において、遠い過去の人物の環境を知ることは不可能です。

これ以上、遡れないのは非常に残念です。

参照8:故 - ウィクショナリー日本語版

参照9:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「故」という漢字

参照10:故(漢字)とは? 意味や使い方

漢字の意味の解釈

次に問題が、漢字の意味を、どの様に解釈するかで色々と記事の印象が変わります。

例えば、
「然者請天照大御神將罷(然し、将に天照大御神請え者(ば:短語)罷(や)める。)」
のように、本来の意味からは「罷」は「罷(や)める。」と解釈できます。

しかし、本文で書いたように、文として気になったので調べたら、
「帰る」の意味があることが分かりました。

そうなると、「「天照大御神」が求めれば帰る」という文が成り立ちます。

これらは、解釈する人によって、取捨選択で大きく変わります。

なので、これらを気を付けて、解釈するようにすれば、
本文で書いたように、多くの歴史サイトで記載された内容とは、異なる様になります。

第二章の最初の方で出て来る、
「爾天照大御神聞驚而詔 我那勢命之上來由者 必不善心 欲奪我國耳」では、あたかも、
「速須佐之男命」が「天照大御神」の領土に侵攻するように思われがちです。

ところが「爾天照大御神聞驚而詔」を
「爾(なんじ)天照大御神而(に)聞いて驚き詔(みことのり)す。」と解読すると、
「爾(なんじ)」=「速須佐之男命」とすれば、緊急事態になったので、
「「天照大御神」が求めれば帰る」という文と繋がる事になります。

もちろん、これを間違っていると思う方もいると思いますが、
解釈によっては、どの様な解釈もできると言うことです。

表記違いの解釈

人物名の表記違いもそうですが、例えば、「宇氣比」と「宇氣布」です。

確かに似た漢字を使用していますが、「宇氣比」には
各宇氣比而生子【自宇下三字以音 下效此】という注記の記載があります。

「宇氣布」には、注記の記載がありません。

そもそも、文としての繋がりが無いと考えています。

「於是速須佐之男命答白 各宇氣比而生子【自宇下三字以音 下效此】」が
「宇氣比」の記事ですが、「各宇氣比而生子」で止まっています。

「宇氣比」を行い「生子」によって、「〇〇の様に解釈しよう」と記事があれば、
理解できますが、現実には、そうではなく、「生子」で記事は終わっています。

次の文は「故爾各中置天安河而 宇氣布時」であり、
「宇氣比」がなぜか、「宇氣布」に切り替わっています。

それに、「宇氣比」の説明が無いので不明ですが、
「宇氣布」は「天安河」で行うとなっています。

多くの人は、これらを同じ様な事として認識しているように、
検索して、色々なサイトを見て思いました。

「各宇氣比而生子」「故爾各中置天安河而 宇氣布時」と話が繋がるでしょうか?

この様な時も、漢字という良いヒントがあるのだから、
字源をたどって、何を意味するのか、詳細に調査するべき記事です。

なにより、「生子」とあるからと言って、
「天照大御神」や「速須佐之男命」の子と考えるのは非現実です。

「神名」を与えられる年齢というと、一番早くて、15歳頃だと思われるので、
結果が出るのを、15年以上も待っているのでしょうか?

それは無いと思っています。

「〜欲奪我國耳」の文の後に「於是速須佐之男命答白〜」があるわけですが、
本当に、元々、一つの文だったのでしょうか?

第三章の「継ぎ接ぎ」の文から考えると、
この2つの文には関連性がない可能性が高いように思います。

風評被害

「速須佐之男命」に対する風評被害についてです。

「勝佐備を溝に埋める」、「屎麻理を散らしていた」、「忌服屋」の3つの話は、
「速須佐之男命」が行ったと多くの人が、認識していると思います。

しかし、本当にそうでしょうか?

勝佐備を溝に埋める

「勝佐備を溝に埋める」は、
「我所生之子得手弱女 因此言者 自我勝云而」の後に続く文が、
「於勝佐備 離天照大御神之營田之阿 埋其溝」です。

良く考えてみると分かりますが、「我勝」と「勝佐備」は何の関係があるのでしょうか?

「速須佐之男命」が行った話なのか、疑問となります。

屎麻理を散らす

2つ目として、「亦其於聞看大嘗之殿 屎麻理散」の文がありますが、
「速須佐之男命」の名の記載はありませんが、関係があるのでしょうか?

「看る」という漢字が示しているのは、「見守っていた」もしくは「見張っていた」です。

つまり、「大嘗之殿」の敷地に「屎麻理」を散らす作業は、
見守りがいる環境下で行われたと言えます。

その後の文に「我那勢之命爲如(我、那勢(なせ)之命の為の如く)」があり、
この「我」が「天照大御神」であると仮定するならば、
「那勢之命」の為に行った作業と解釈することが出来ます。

そもそも、「屎麻理」を散らす行為は悪いことではなく、
「開墾地に使うための「施肥」作り」には必要な行いです。

忌服屋

次に最後の「忌服屋」の話ですが、ここでも「速須佐之男命」の名は登場しません。

それに、「逆剥天斑馬剥而 所墮入時 天服織女見驚而 於梭衝陰上而死」が
問題となる場面ですが、解読すると下記のようになります。

「斑馬(まだらなうま)を剥く而(に)は天を逆さに剥ぎ、堕(くず)れる所に入る時、
而(すなわち)天服織女、梭(ひ)於(お)
陰上(陰上の訓は富登と云う)而(に)衝き死ぬを見て驚く 」

この様な解釈も出来ます。

これであれば、「天服織女」が「死んでいる」わけではありません。

ただ、情報不足で不明な点があります。

まとめ

これらのように、解釈を変えれば、イメージが大きく変わるので、
史書をいかに、「不自然な箇所を減らすか」で、歴史研究者の質に影響あります。

天照大御神の引きこもり

「天照大御神」が人や動物の死ぬ所をみて、畏れるのか?という疑問があります。

なぜなら、戦いでもあれば、死者は色々な場所にいたりします。

なので、「畏れる」というのは、違うと思いました。

では、「一番畏れるのは?」となると、簡単に想像できるのが「天変地異」となります。

そうなると、「斑馬」=「クレーター」という解釈もできるのでは?と考えています。

「斑」は、多くの「隕石」が「斑模様」のように落ちてきた事で、
「馬」は、「暴れ馬」の様な感じに、当時の人達が思ってしまうほど、
「激しく降り注いだ」のではないか?と思っています。

この様な状況になれば、「天(阿麻)家」が、自分たちの上にいると考えている、
「天帝」に願うのも分かります。

葦原中國悉闇

「天照大御神の引きこもり」の後に、何があったかと言うと「葦原中國悉闇」です。

「葦原中國」は、第一章の段階で「〜於葦原中國所有宇都志伎〜」と登場していますので、
「高天原」とは別に「葦原中國」が存在していた事が分かります。

この場面でも、「爾高天原皆暗 葦原中國悉闇 因此而常夜往」と記載があります。

注目すべきは、「高天原」はもちろん、「葦原中國」も範囲に入っていることです。

この文により、「高天原」と「葦原中國」は、近い位置に存在していたと思われます。

では、この広範囲を暗闇にした正体を考察します。

火山

「火山の噴火」と考えると、噴煙などの影響で「暗闇」にはなりますが、
山頂などの近隣から「マグマ」が流れたり、「火砕流」の可能性もあり、
「儀式」をしている余裕があるだろうか?

それと、当時の人達にとって、恐れ慄(おのの)く時に、
通常とは違う「儀式」を行うだろうか?と考えると、違うような気がします。

なぜなら、「火山の噴火」というのは、普通に起こる確率が高いからです。

例えば、「西之島」の噴火は度々起こっています。

隕石

「隕石」による噴煙などの影響により、「暗闇」になることもあるでしょう。

しかし、「常夜」というからには、1日や2日ではなく、長期間だと思われます。

「爾高天原動而 八百萬神共咲」を、「暗闇」からの開放だと考えると、
「隕石」のみだと弱い気がします。

そこで、本文では、「隕石落下による火山噴火誘発」と考えました。

何が正しいかは、不明ですが、個人的にはこちらではないか?と考えています。

まとめ

「高天原及葦原中國自得照明(高天原及び葦原中國自ら照らす明るさを得る)」の
「自ら照らす明るさを」は、たぶんに、「高天原及葦原中國」を見上げた時に、
今までは、噴煙などで「太陽」を隠していたけど、やっと、それらが晴れて
「太陽」が見えるようになった事を指していると思われます。

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