最終更新日 2024/06/30

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 第三章 大國主神

故其大年神 娶神活須毘神之女 伊怒比賣 生子 大國御魂神 次韓神 次曾富理神 次白日神
次聖神 五神 又娶香用比賣此神名以音】生子 大香山戸臣神 次御年神 二柱
又娶天知迦流美豆比賣【訓天如天 亦自知下六字以音】生子 奧津日子神 次奧津比賣命 亦名
大戸比賣神 此者諸人以拜竈神者也 次大山(声注:上)咋神 亦名 山末之大主神 此神者
坐近淡海國之日枝山 亦坐葛野之松尾 用鳴鏑神者也 次庭津日神 次阿須波神【此神名以音】
次波比岐神【此神名以音】 次香山戸臣神 次羽山戸神 次庭高津日神 次大土神 亦名 土之御祖神
九神

上件大年神之子 自大國御魂神以下 大土神以前 幷十六神

羽山戸神 娶大氣都比賣【自氣下四字以音】神 生子 若山咋神 次若年神
次妹若沙那賣神【自沙下三字以音】 次彌豆麻岐神【自彌下四字音】
次夏高津日神 亦名 夏之賣神 次秋毘賣神 次久久年神【久久二字以音】
次久久紀若室葛根神【久久紀三字以音】

上件羽山之子以下 若室葛根以前 幷八神
解読

故、其の大年神、神活須毘神之女、伊怒比賣娶り生む子
大國御魂神、次韓神、次曾富理神、次白日神、次聖神 五神

又、香用比賣【此神名以音】娶り生む子、大香山戸臣神、次御年神 二柱

又、天知迦流美豆比賣【訓天如天 亦自知下六字以音】娶り生む子、
奧津日子神、次奧津比賣命、亦名 大戸比賣神、
此れ者(は:短語)諸(もろもろ)の人者(は:短語)竈(かまど)を以て神を拜(おが)む也

次、大山上咋神、亦名 山末之大主神
此の神者(は:短語)、近淡海國之日枝山に坐し、亦葛野之松尾に坐し、
鳴る鏑(かぶら)を用す者(は:短語)神也

次庭津日神、次阿須波神【此神名以音】 、次波比岐神【此神名以音】、
次香山戸臣神、次羽山戸神、次庭高津日神、次大土神、亦名 土之御祖神
九神

上件大年神之子 自大國御魂神以下 大土神以前 幷十六神

羽山戸神、大氣都比賣【自氣下四字以音】神娶り生む子、
若山咋神、次若年神、次妹若沙那賣神【自沙下三字以音】、次彌豆麻岐神【自彌下四字音】 、
次夏高津日神、亦名 夏之賣神、次秋毘賣神、次久久年神【久久二字以音】
次久久紀若室葛根神【久久紀三字以音】

上件羽山之子以下 若室葛根以前 幷八神

解説

01

大年神の子孫


大年神

「神社と神名」に入る前に、「故其大年神」の文について考察します。

第二章の最後に、「大國主神」の系譜の前に、
「八嶋士奴美神 又娶大山津見神之女 名神大市比賣 生子 大年神 次宇迦之御魂神」
と最初に、上記のように記載があります。

「大年神」は「八嶋士奴美神」と「神大市比賣」の子としてあります。

しかし、そうであるならば、わざわざ、第三章の最後の方に移動させずに、
第二章の最後に記載すれば良いと思います。

それに、「故其」の前の文として最適だと思います。

ところが、そうしなかった。

これにより、編纂者達は、「故其」の前の記事に目を通しつつも、
この場面に、挿入するべきと考えたのは、
「八嶋士奴美神 又娶大山津見神之女 名神大市比賣 生子 大年神 次宇迦之御魂神」
と似たような記事があったから、ここにしたのでは無いか?と考えています。

その記事に記載されていた「表記」から、色々と推測できたのですが、非常に残念です。

神社と神名

大年神

迩幣姫神社、大和神社、安福河伯神社、神代神社、阿須利神社(合祀)、津門神社(合祀)、
亀谷山八幡神社(合祀)、小野神社、賀茂神社(合祀)、大江神社(合祀)、貴船神社、
櫛色天蘿箇彦命神社(久代字庵の上に鎮座していた村社・大年神社祭神合祀)

大年命

久奈子神社(大年社祭神合祀)、苅田神社 境内 大神山神社

大年大神

櫛色天蘿箇彦命神社(参道案内板)、宅宮神社、御田神社

大年之大神

國村神社

大歳神

竹佐々夫江神社、三坂神社(合祀)、大穴持神社、石神山精神社、八野神社、
庭田神社 境内 五社五行神、城上神社 境内 大歳社、大飯彦命神社 境内 大歳神社、
津島神社 境内 市神社、住吉大社 境内 大歳神社、静間神社 および境内 大歳社

大歳大神

湊神社(姫路市)、三田天満神社、三田大歳神社、二之宮神社(神崎郡)

まとめ

大年神に関しては、古事記は「大年神」、日本書紀に記載がありません。

「舊事紀」に「大年神」が登場しますが、古事記とは内容が異なるので、
「舊事紀」の時に考察します。

大歳神はと言うと、「山城國風土記」に登場するようです。

これだけを見ると、「大年神」の祭神名が圧倒的に多いと思うかも知れませんが、
不思議なことに、「大歳神」を祭神とする神社も多いです。

今までは、日本書紀よりの表記が多かったわけですが、
この神名に関しては、「山城國風土記」と「古事記」の表記が、半々という感じになっています。

なぜ、「山城國風土記」の表記が、ここまで多いのでしょうか?

すごく謎です。

今後、人物辞典に掲載する時に、改めて考察したいと思います。

伊怒比賣の子

親に関して「神活須毘神之女」とあります。

この情報が「舊事紀」には、「先娶須沼比神ノ女 伊怒姫為妻生子五柱」となっています。

当然、「比賣」と「姫」で異なっているので、同一人物では無いですが、
「伊怒」の2文字には変化が無いので、無関係ではなく、強い繋がりがあるように思えます。

「須沼比神」関連の神社は「大和神社」で、
「神社覈録」に「大国魂神・大歳神・須沼比神」と記載されているようです。

また、「水無神社」には、「須沼比命」という人物が祀られているようです。

大國御魂神

神社を調べていると、「大国魂神」が掲載されている事がありますが、
関係については、不明です。

現在、同じ表記を使っている神社は「大和神社」、「大國玉神社」の2つです。

あと、「舊事紀」の「大國御魂神」の名の横に、「大己貴命ノ甥」とありますが、
いつの時代の事か?というのは不明です。

韓神

調べていると、参照168のサイトに面白い情報が載っていました。

「内侍所御神楽式には、韓神の事素盞嗚尊子也云々といへり、」(神社覈録)

これにより、いつの時代化は不明ですが、
「素盞嗚尊」の子に「韓神」という人物が存在したと思われます。

参照168:韓神社

曾富理神

有益な情報はありませんでした。

白日神

有益な情報はありませんでした。

聖神

有益な情報はありませんでした。

香用比賣の子

読み

「香用比賣」の読みは「此神名以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。

「香」:呉音:コウ(カゥ)、漢音:キョウ(キャゥ)

「用」:呉音:ユウ(表外)、漢音:ヨウ

「比」:呉音:ヒ、ビ(表外)、漢音:ヒ

「賣」:呉音:メ、漢音:バイ、慣用音:マイ

上記により、呉音「こうゆうひめ」、漢音「きょうようひばい」になりそうです。

舊事紀

「舊事紀」には、古事記の香用比賣とは違う表記「賀用姫」になっています。

表記は似ていますが、関係性については不明です。

香用比売の母は神魂命(かみむすひのみこと、神皇産霊尊)で、
父は高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)と考えられるが、
父は少彦名命(すくなひこなのみこと)と云う説もある。

上記は、参照169のサイトの記事ですが、「香用比売の母は神魂命」と言うのは、
出雲國風土記にある「神魂命御子支佐加比比賣命」が影響しているようですので、
これでは、証明した事にはならないです。

気になるのは、一部のサイトで「支佐加比比賣命」を「支佐加比売命」と記載している事です。

当然、出雲國風土記にある「支佐加比比賣命」が正しい表記なので、
「支佐加比売命」と混同するのは、大間違いです。

表記はしっかりしないとダメです。

また、「香用比売の父は高皇産霊尊」を調べましたが、情報はありませんでした。

歴史を題材にするのなら、可能な限り、情報元を記して欲しいと思います。

参照169:香用比売(かぐよひめ、かよひめ) - 古代史探訪

大香山戸臣神

神社に関しては、大江神社の合祀の祭神として、
「岡山県備前市の香登郷社 大内神社」の祭神として存在しています。

もしかすると、もう少し調べれば、祭神としている神社があるのかも知れません。

また、「舊事紀」には、「天香山戸神」とありますが、関係は不明です。

他に情報が無いか検索していたら、参照170のサイトを見つけました。

香山戸神は、大年神の御子にして、古事記に香山戸臣神と見えたる神、即ちこれなり、

大年神の香用比賣を娶りて生み給へる御子大香山戸臣神
(舊事本紀に大香山戸神と記せり)あり、
また天知迦流美豆比賣を娶りて生み給へる御子香山戸臣神
(舊事本紀に香山戸神と記せり)および羽山戸神おはしき、

さて本居宣長翁の説に、山戸は山なる民の居所(すみか)にて、いはゆる山里なり、
戸は借字にて處の意なり、

されば、この神は、山里を開きて、
民の居(すむ)べき處を成し給へる功徳(いさをし)ありけるにやあらむ、

香の意は、未だ思ひ得ず、もしくは稱名(たたへな)にて、これも光輝(かがや)く意か、
と見えたり、此の説に従ふべきなり[古事記、舊事本紀、古事記傳]

上記に「舊事本紀」の引用が載っていますが、残念ながら、
「大香山戸神」→「天香山戸神」と、現存する「舊事紀」には表記されています。

もしかして、「舊事本紀」の過去の写本では、「大香山戸神」と載っていたのでしょうか?

また、「大」を「天」に間違える事があるんでしょうか?

他にも、「香山戸神」は「香山戸臣神」を指すとありますが、
当時、資料として残っていたのでしょうか?

確かに、「臣」が抜けただけなので、
「香山戸神」は「香山戸臣神」の子孫と言えなくも無いですが、
「即ちこれなり」とある事から、系図などがあったと思われます。

ただ、考察したように、疑問点が多すぎます。

今後、情報が見つかれば、改めて考察したいと思います。

参照170:香山戸命(かがやまとのみこと)/日本の神々の話

御年神

御年神

相生神社、遠野郷八幡宮、小野神社、鵜甘神社、大和大國魂神社、櫛色天蘿箇彦命神社、
神神社 境内 田明神社、金刀比羅宮 境内 御年神社、宇奈岐日女神社 境内 御年神社、
早吸日女神社 境内 歳神社、稻代坐神社、大歳神社、大穴持御子神社

御年大神

御田神社

御歳神

香良洲神社、賀茂別雷神社 境内 賀茂山口神社、豊由氣神社 境内 大歳御祖社、
大歳神社、大和神社

上記により、「御年神」が大勢なのは、
「御歳神」が「古語拾遺」にしか載っていないからだと思います。

ただ、「古語拾遺」の「御歳神」が記載されている箇所は、一番最後なので、
ここから、時代考証するのは出来なさそうです。

天知迦流美豆比賣の子

読み

「訓天如天 亦自知下六字以音」と読みの注記があります。

「天」は「あま」と読み、「知迦流美豆比」の6文字は「音読み」指定となっていますが、
「賣」に関しては、何も指示がありません。

すごく不思議です。

「天」:「天(阿麻)の如く」→「あま」

「知」:呉音・漢音・唐音:チ

「迦」:呉音:キャ、ケ、漢音:カ、キャ

「流」:呉音:ル、漢音:リュウ(リウ)

「美」:呉音:ミ、漢音:ビ

「豆」:呉音:ズ(ヅ)、漢音:トウ

「比」:呉音 :ヒ、ビ(表外)、漢音:ヒ

上記により、呉音「ちけるみずひ」、漢音「ちかりゅうびとうひ」になりそうです。

表記

古事記では「天知迦流美豆比賣」、舊事紀では「天知迦流美豆姫」と表記されています。

神社は「日吉大社 境内 新物忌神社」に「天知迦流水姫神」の名があります。

「美豆」の「一字一音」から「水」の「一字二音」になっているので、
「古事記」と「舊事紀」よりも後の時代の人物だと言うことが分かります。

しかし、残念ながら、繋がりに関しては不明です。

他に情報が無いかと調べていると、参照171のサイトを見つけました。

大山咋命(おおやまくいのみこと)。

世に山王とも言われ、別名は山末之大神。山末とは山裾(山麓)を意味し、
大昔から比叡山に鎮座し、地主神と言われています。

建速素戔嗚命(たけはやすさのおのみこと)を御祖父とし、御父は大歳神、
御母は天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)です。

特に最後の「祖父」、「父」、「母」を「です」と断定していますが、
断定できるだけの情報が存在するのでしょうか?

また、この3人の表記がある書物が一致していない事も気になります。

参照171:日枝大神社の御由緒

奧津日子神

神社を調べると、「奥」と「興」を混同して、紹介しているサイトもあるようです。

しかし、大きく意味が異なります。

「屋根・家屋の象形と種を散りまく象形と区画された耕地の象形」
(「探・播」に通じ(「探・播」と同じ意味を持つようになって)、
「くわしく知る」の意味)と「両手」の象形から、
目がとどかず、手で詳しく知る事ができない事を意味し、
そこから、「おく」を意味する「奥」という漢字が成り立ちました。

OK辞典

参照172:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「奥/奧」という漢字

「4つの手」の象形(「4つの手で物をあげる」の意味)と
「上下2つの筒」の象形(同じ直径のつつが「あう・同じ」の意味)から、
力を合わせて物をあげる事を意味し、そこから、「おこす」、「始める」、
「よろこぶ」を意味する「興」という漢字が成り立ちました。

OK辞典

参照173:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「興」という漢字

まとめると、「奥」は「人の目が届かないような奥まった場所」で、
「興」は「みんなの力で、何かを始める」なので、基本、真逆だと感じます。

これらのことから、「奥(おく)」と「興(おき)」を後世に混同した結果、
現代まで至ったのだと思います。

そもそも、「奧津日子神」は系譜がありますが、
「興津彦神」に関しては、素性が不明となっています。

神社と神名
奧津日子神

葦神社(合祀)、荒神社(斐太後風土記)、賀茂御祖神社 境内 竈社、
天津神社 境内 土公神社

奧津日子命

皇足穂命神社諏訪社合殿 境内 子安荒神、嘉麻神社

奧津比古神

久麻久神社(合祀)、城端神明宮 境内 妙義神社、
金刀比羅宮 境内 火雷社(主祭神) 菅原神社(合祀)

奥津比古命

雨祈神社、彦佐須岐神社、神神社 境内 奥津比古神社(静岡県神社誌)、
榆山神社 境内 荒神社、伊豆山神社 境内 雷電社(合祀)、大倭物代主神社

奥都比古神

和田八幡宮 境内 愛宕神社(合祀)

奧津彦命

赤城神社(合祀)、佐久神社(豊岡市、合祀)、三宅神社(合祀)、多賀神社(長船町)、
健男霜凝日子神社 下宮(合祀)、賣布神社 境内 三玉神社、伊智布西神社 境内 三柱神社、
養父神社 境内 迦遅屋神社、杜内神社 境内 三柱神社、足鹿神社 境内 三柱神社

奧津彦神

山神社(合祀)、有庫神社、石神山精神社、西宮えびす神社 境内 庭津火神社、
日吉大社 境内 大宮竈殿社 二宮竈殿神社、金華山 黄金山神社 境内 金椿神社、
美保神社 境内 宮御前社(宮荒神社祭神合祀)、安仁神社 境内 荒神社

澳津彦神

日長神社 境内 琴平社

澳津彦命

夷針神社

上記の神社と神名を見ると、「奧津」と「興津」は同一の系統では無いと言えそうです。

また、「日子」、「比古」、「彦」と、西暦700の九州と近畿の政治切り替わり時期まで、
長く、血統なのかは不明ですが、存続してきた事は確かだと思います。

ただ、「奥都比古」は、系統から出たと考えることが可能ですが、
「澳津彦」に関しては、調べましたが、繋がりに関して不明です。

「澳」について調べると、意味と読みがちぐはぐです。

参照174のサイトには、意味として、
「①くま(隈)。水が奥深く入りこんだ所。「隈澳(ワイイク)」」、
「②おき。岸から遠く離れた水上。沖合。」、「③ふかい。」が記載されています。

「1」は、「澳」の漢字から見ても、「氵(さんずい)」と「奥」なので、
「水が奥深く入りこんだ所」との解釈は正しいと思います。

しかし、「2」では、「岸から遠く離れた水上」とありますが、
参照172のサイトにある、「奥」の「人の目が届かないような奥まった場所」には、
当てはまらないと考えています。

これは「沖」の事を指していると思われます。

そこで、「沖」と「澳」の違いを調べてみると、なぜか、同線上で考えているようで不思議でした。

そもそも、「沖」とは、「水の中」から来ている漢字であります。

「澳」は「「奥」に「水」が到達した」と解釈すれば、日常的に、「水の中」では無いと言えます。

「沖」は、「日常的に水の中」とも解釈できるので、どう考えても、一致しません。

結論として、どの時代かは不明ですが、
「おき」と「おく」がなぜか、「同じ」と考えられる様になってしまったのだと考えています。

でなければ、参照174のサイトの様にはならないと思います。

考えられる原因として、訛りや方言などがありそうです。

参照174:澳 | 漢字一字

奧津比賣命

「奧津比賣命 亦名大戸比賣神 此者諸人以拜竈神者也」と、
この名には一文の記載があります。

「此者諸人以拜竈神者也」の解読は、
「此れ者(は:短語)諸(もろもろ)の人者(は:短語)竈(かまど)を以て神を拜(おが)む也」
となりそうです。

これは、要約すると、「竈神」を「によって」「拝む」と解釈できそうです。

ただ、「奧津比賣命」の後にある一文をもって、「奧津日子神」と「奧津比賣命」が、
あたかも「竈(かまど)神」と考えられていますが、
「奧津比賣命」を指すとして良いのか疑問です。

例えば、「奧津比賣命は竈神也」とあれば、そうだと思いますが、上記の解読が正しいとすれば、
もしかすると、「竈(かまど)」で「火の神」を「拝む」だったのでは無いだろうか?

もし、現在に言う「竈(かまど)神」ならば、
「奧津比賣命」が國の人達の家に行って、火を付けるのでしょうか?

そんな事をしていたら、いつまで経っても、食事にありつけないでしょう。

この「神を拜(おが)む」ですが、「火事」にならないように、
「火の神」に対して「拝んでいた」という可能性もあります。

神社と神名
奧津比賣命

三宅神社(合祀)、雨祈神社、岡上神社、彦佐須岐神社、城端神明宮 境内 妙義神社、
神神社 境内 奥津比賣神社(静岡県神社誌)、皇足穂命神社諏訪社合殿 境内 子安荒神、
榆山神社 境内 荒神社、美保神社 境内 宮御前社(宮荒神社祭神合祀)、
伊豆山神社 境内 雷電社(合祀)、大倭物代主神社

奧津比賣神

久麻久神社(合祀)、荒神社(斐太後風土記)、賀茂御祖神社 境内 竈社、
金刀比羅宮 境内 火雷社、天津神社 境内 土公神社

奥都比売神

和田八幡宮 境内 愛宕神社(合祀)

奥津比女神

西宮えびす神社 境内 庭津火神社

奧津媛命

賣布神社 境内 三玉神社

奧津姫命

赤城神社(合祀)、健男霜凝日子神社 下宮(合祀)、多賀神社(長船町)、
伊智布西神社 境内 三柱神社、養父神社 境内 迦遅屋神社、杜内神社 境内 三柱神社、
足鹿神社 境内 三柱神社、宇倍神社 境内 国府神社、夷針神社

奧津姫神

山神社(合祀)、有庫神社、石神山精神社、小川八幡宮 境内社、安仁神社 境内 荒神社、
日吉大社 境内 大宮竈殿社 二宮竈殿神社、金華山 黄金山神社 境内 金椿神社

澳津姫神

日長神社 境内 琴平社

大戸比賣命

戸神社

この系統も最後まで存続したと言えます。

ただ、亦の名に「大戸比賣神」があるのが、「奧津日子神」との違いです。

「亦の名」とはありますが、
「大戸比賣神」の系統が「奧津比賣命」の名を継承した時期があったというだけです。

「大戸比賣命」の名もあるので、「大戸比賣神」の系統は、
「奧津比賣命」の継承組とは別に存在した可能性があります。

「大戸比賣神」に関して、簡単に調べてみましたが、有益な情報はありませんでした。

大山咋神

「大山咋神」の箇所には、多くの言葉が記載されています。

「大山(声注:上)咋神」は、「山」で語調が上がる事を指していますが、
これは、「大山(声注:上)津見神」と同じとなっています。

「亦名 山末之大主神」は、「山末之大主神」という人物が、
「大山咋神」を名乗ったことを指していますが、時代などの情報が見つかりません。

「此神者 坐近淡海國之日枝山 亦坐葛野之松尾 用鳴鏑神者也」は、
「此の神者(は:短語)、近淡海國之日枝山に坐し、亦葛野之松尾に坐し、」
までは問題ないと思われます。

問題は、「用鳴鏑神者也」で、「用」が「松尾」に付くのか、それとも違うのか判断できません。

もと「同」の異体字で、把手の付いた筒や桶の類を象る。

「おけ」を意味する漢語{桶 /*hloongʔ/}を表す字。

のち仮借して「つかう」を意味する漢語{用 /*longs/}に用いる。

この文字の形について、鐘の形、棒状のものを差し込んださま、木の枠の形、
木を組んだ柵の形、などと解釈する説があったが、いずれも誤った分析である。

Wiki

参照175:用 - ウィクショナリー日本語版

「甬鐘(ようしょう)という鐘の象形」で、
甬鐘は柄を持って持ち上げて使う事から、
「とりあげる」、「もちいる」を意味する
「用」という漢字が成り立ちました。OK辞典

参照176:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「用」という漢字

正しいのは?

上記のように、Wikiでは、「鐘の形」の説は間違っていると記載していますが、
参照176のサイトでは、「甬鐘(ようしょう)という鐘の象形」として紹介しています。

では、何が正しいのでしょうか?

もう少し、詳しく、字源について調べみると、参照177のサイトが見つかりました。

[字形] 象形

木を組んで作った柵の形。

〔説文〕三下に「施行すべきなり。卜に從ひ、中に從ふ」という。

字を卜と中とに分解し、卜して中(あた)るとき、それは施すべきものであるとするが、
卜文・金文の字形は木を編んだ木柵の形。

中に犠牲をおくので、犠牲とすることを「用ふ」という。

〔春秋経、僖十九年〕「人(ちゆひと)、子(そうし)を執へて之れを用ふ」とは、
その鼻を撲(う)って血を取り、牲血として用いる意で、古い用義法である。

卜辞の占兆の辞に「(こ)れを用ひよ」とあるのも、古くは用牲の意であろうが、
のち施行の意となったものと思われる。

金文の〔曾姫無壺(そうきぶじゆつこ)〕に「後嗣之れを甬(もち)ひよ」、
また〔左伝、隠元年〕「庸(もち)ふること無(なか)れ」のように甬(よう)・庸を用い、
みな通用の義。

木柵の用に、上から土を塗りこんだものが庸、
用にもつ所をつけたのが甬で桶の初文である。


[声系]

〔説文〕に用声として甬、また甬声・庸声の字を多く収める。

金文に甬を用の義に用い、庸にも用の訓がある。

以・用・庸は声義近く、通用することがある。

コトバンク

上記の文を読むと、「木を組んで作った柵の形」が正しいとあります。

結局、3つのサイトを取り上げましたが、三者三葉で、まとまっていません。

「もと「同」の異体字で、把手の付いた筒や桶の類を象る。」のWikiの文は、
別字の可能性があるようにも思えます。

ただ、現代の人間が正解を知ることは不可能なので、「用鳴鏑神者也」の用を、
「柵」として考えると、「鳴る鏑(かぶら)を用す者(は:短語)神也」という解釈が出来ます。

「「同」の異体字で、把手の付いた筒や桶の類を象る。」や
「甬鐘(ようしょう)という鐘の象形」と考えるよりは、
「用」=「柵」は強ち間違っていないように思います。

残念ながら、正解が何かは不明です。

参照177:用(漢字)とは? 意味や使い方

神社と神名
大山咋神

牛庭神社跡、岩瀬諏訪神社、城南宮、闇見神社(合祀)、富知六所浅間神社、佐波神社、
淡海國玉神社(西坂町北山王山鎮座 山神社 祭神合祀)、大神神社、八幡神社、
佐久奈度神社(合祀)、重蔵神社(末社・日吉神社祭神合祀)、廣田神社

大山咋命

神部神社、阿智神社、大胡神社、近戸神社、洲崎大神(合祀)、速川神社(合祀)、
大歳神社、高那彌神社、織田神社、能登神社(合祀)、御方神社(合祀)、神門神社、
別雷神社、丸子神社、坂城神社、守田神社、村檜神社、桑原神社、加茂神社

大山咋大神

貴船神社、横山神社 境内 二之宮、松尾神社(長和町)

大山咋尊

鵜甘神社(合祀)、大山咋神社(兵庫区)

山末之大主神

遠賀神社(合祀)

庭津日神

庭津日神

津島神社 境内 庭津日社、八大神社 境内 竈社、阿伎留神社 境内 庭津日神社

庭津彦神

北野天満宮 境内 竃社

「庭津彦神」については、載せてみましたが、関係があるのかは不明です。

阿須波神

読み

「阿須波神此神名以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。

「阿」:呉音・漢音:ア

「須」:呉音:ス、漢音:シュ(表外)、唐音:シ(表外)

「波」:呉音・漢音:ハ

上記により、呉音「あすは」、漢音「あしゅは」になりそうです。

神社と神名
阿須波神

足羽神社(大宮地之霊)、足次山神社、坐摩神社、賀茂別雷神社 境内 須波神社、
彌彦神社 境内 十柱神社、蠶養國神社 境内 鬼渡神社

阿須波之神

阿多由太神社

波比岐神

読み

「波比岐神此神名以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。

「波」:呉音・漢音:ハ

「比」:呉音:ヒ、ビ(表外)、漢音:ヒ

「岐」:呉音:ギ(表外)、漢音:キ

上記により、呉音「はひぎ」、漢音「はひき」になりそうです。

神社と神名
波比岐神

足羽神社(大宮地之霊)、足次山神社、彌彦神社 境内 十柱神社、疋野神社、
蠶養國神社 境内 鬼渡神社

波比祇神

坐摩神社、賀茂別雷神社 境内 須波神社

屋乃波比伎神

皇大神宮 内宮 境内 屋乃波比伎神

香山戸臣神

有益な情報はありませんでした。

羽山戸神

羽山戸神

津島神社 境内 多度社、羽山神社(都城市)、松尾大社 境外 衣手神社、
羽山神社(米沢市)、日吉神社(兵庫県)

庭高津日神

庭高津日神

牛庭神社跡、津島神社 境内 船付社、登彌神社 境内 荒神神社

庭高津日命

牛庭神社

大土神

「大土神 亦名 土之御祖神」と記載があるのみです。

神社と神名
大土命

赤城神社(合祀)、殖栗神社

大土御祖神

豊受大神宮 境内 土宮、美保神社 境内 宮御前社(宮荒神社祭神合祀)、大國玉神社

土之御祖神

國之御神社跡地

土御祖神

宇倍神社 境内 国府神社、伊奈冨神社 境内 豊御崎神社、住吉大社 境内 后土社、
大和大國魂神社、迩幣姫神社

土之御祖命

畠田神社

この「大土神」に関しては不思議です。

上記の「神社と神名」を見れば分かりますが、「亦名 土之御祖神」の系統がほとんどで、
正規の「大土神」を祀っている神社が少ないです。

もう少し、小さな神社等を探せば見つかるのかも知れませんが、
「大年神」の子の中で、異様な存在となっています。

また、今回は祭神名に入れませんでしたが、「土祖神」があります。

これに関しては、人物として存在するのか?という疑問があったので、外しました。

色々と考えてみると、「大土神」の後、子孫の「大土命」がほそぼそと継承されていたが、
「土之御祖神」の系統の人物の娘が「大土命」と結婚し、
後に、「大土神」の系統は、「土之御祖神」の系統に吸収されたのかも知れません。

情報も少ないので、今後、有益な情報を見つけた時に、改めて考察したいと思います。

まとめ

考察したように、「大年神」〜「大土神」までを見てきましたが、
人物像としては、ほとんど、情報が残っていないのが分かりました。

この情報が少ないのは、功績が少ないからなのか、
それとも、焼失等によるものなのか、気になります。

あと、最後に「上件大年神之子 自大國御魂神以下 大土神以前 幷十六神」とありますが、
数えてみると、実は17人います。

伊怒比賣の子:

大國御魂神、韓神、曾富理神、白日神、聖神→5人

香用比賣の子:

大香山戸臣神、御年神→2人

天知迦流美豆比賣の子:

奧津日子神、奧津比賣命、大山咋神、庭津日神、阿須波神、
波比岐神、香山戸臣神、羽山戸神、庭高津日神、大土神→10人

計17人

上記のように、簡単にまとめる事が出来ますが、
原文では、「天知迦流美豆比賣の子」は、「九神」と記載があります。

明らかに、一人多いのです。

単に計算違いなのか?というと、それも違って、
「上件羽山之子以下 若室葛根以前 幷八神」の文は、
次回の「羽山戸神」の子について記載しているのに、なぜか、「羽山之子」となっています。

古事記では、この様に、系譜とまとめが異なる事は、第一章から起こっています。

それは、なぜ、そうなってしまうのか?は、
第二・三章のまとめで、なんとなく、見えてきたので、その時に書きます。

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