最終更新日 2025/07/01

※Social Postage Stamps

古事記 へようこそ Welcome to Japanese History

 第五章 邇邇藝命

爾天照大御神・高木神之命以 詔太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命 今平訖葦原中國之白
故隨言依賜降坐而知者 爾其太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命答白 僕者將降裝束之間 子生出
名天邇岐志國邇岐志【自邇至志以音】天津日高日子番能邇邇藝命 此子應降也 此御子者
御合高木神之女・萬幡豐秋津師比賣命 生子 天火明命 次日子番能邇邇藝命二柱也 是以隨白之
解読

爾(なんじ)天照大御神と高木神之命を以って、
太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命に詔(つ)げる

今、葦原中國が平(たいら)に訖(おわり)之(これ)白(もう)す

故、賜る言依に隨(したがい)知る而(に)者(は:短語)降りて坐す

爾(なんじ)、其の太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命に答えて白(もう)す

僕(やつがれ、使用人)者(は:短語)將(まさに)裝束之間に降りて、
天邇岐志國邇岐志【邇自(より)志に至るは音を以ってす】より子が生まれ出る

天津日高日子番能邇邇藝命

此の子は降るに應える也

此の御子者(は:短語)、高木神之女・萬幡豐秋津師比賣命と御合、生まれる子、天火明命、
次、日子番能邇邇藝命の二柱也

是(これ)を以って隨(したがい)て之(これ)白(もう)す

解説

02

天火明命


天火明命

神社
天火明命

伊勢寺神社(物部神社祭神合祀)、水無神社、尾針神社、美伊神社、絹巻神社、
南宮大社 境内 五宮・南大神社、熱田神宮 境内 孫若御子神社、真清田神社

天之火明命

陽夫多神社(合祀)

天照國照日子火明之神

久須斯神社

天照國照彦天火明命

鏡作坐天照御魂神社、朱智神社

天照國照彦天火明尊

伊勢天照御祖神社

天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊

天照玉命神社

彦火明命

籠神社

火明命

大歳神社(山城國乙訓郡 石作神社祭神合祀)、浅間神社(三島市)、周敷神社、
保内八幡神社 境内 周敷神社

火明尊

霧島東神社 境内社

尾張連

新撰姓氏録

553 大和国 神別 天孫 尾張連 連 天火明命子天香山命之後也

上記の様に、「尾張連」のみが、「新撰姓氏録」では「天火明命」と書いています。

他は「火明命」と書き、いつの時代の人物か不明です。

系図サイトを見ると、「天火明命」の妻が「天道日女命」という人物とあります。

しかし、Wikiでは、
「夫は、天火明命(あめのほあかりのみこと)。別名、饒速日命(にぎはやひのみこと)。」
とあり、本当に「天津日高日子番能邇邇藝命」の子なのか、疑問しかありません。

なぜなら、記紀では「饒速日命」=「天火明命」で無いからです。

もし、この話が本当であれば、必ず、記紀には載るはずです。

ところが、それらしい記事が無いという事は、
何世代か後の「天火明命」が「饒速日命」を継承する事になったのだと思います。

もしくは、逆に「饒速日命」が「天火明命」を継承したのかも知れません。

天香山命

それと、「天火明命」と「天道日女命」から誕生したのが、
Wikiには「天香語山命」とあり、「天香山命」と違います。

これは、「天香語山命」と「天香山命」とでは、
「天香語山命」の方が一字増えているので、
もしかすると、「天香語山命」が先代の可能性があると考えています。

今まで神社の祭神を見てきて、後世になるつれて、文字数が少なくなるので、
今回もそうかも知れません。

ですが、残念ながら情報がありません。

あと、「新撰姓氏録」でよく見る「火明命」ですが、
これは、「天火明命」の後世の人物と考えるのが良い気がします。

「天(あま)一族」の「天」が無くなっているので、なんらかの問題があり、
「天(あま)一族」から脱退したのだと思われます。

神社
天香山神

美深神社 摂社 山社神社、天香山神社、兵主神社、三所神社

天香山命

篠路神社、篠路神社 摂社 中沼神社、晩生内神社、日枝神社、伊夜彦神社(蓮田市)、
伊夜日子神社(新発田市)、神明宮(川岡)、伊夜日子神社(新潟市)、
彌彦神社 摂社 櫻井神社、彌彦神社 摂社 御神廟、伊夜日子神社(南魚沼郡)、辨戝社

香山命

尾張神社

天香山尊

弥彦神社(出雲崎町)

天香具山神

伊夜日子社

天香具山命

新篠津神社、伊夜日子神社、熊野神社(北蒲原郡、合祀)、寒澤神社、大崎神社、
大歳神社 摂社 白鹿神社、物部神社 摂社 伊夜彦神社

香具山命

養父神社

天加具山命

小塞神社

天乃香具山命

伊夜日子神社(蝶名林)

天之香具山命

白山神社、斐太神社

天隱山命

田村神社

天香久山命

巣守神社(吹谷)、巣守神社(栃堀)、巣守神社(北荷頃、合祀)、
伊夜比古神社(南安曇郡)、竹田神社、川上神社(合祀)

天乃香久山神

上川神社(近文神社祭神合祀)

天香語山大神

潮見ケ岡神社

天香語山命

船魂神社 摂社 弥彦神社、熊野神社(六郷町)、金鑄神社、伊夜比古神社(伊家ノ上)、
禰彦神社(居平甲)、伊夜比古神社(家廻)、禰彦神社(居平乙)、伊夜彦神社、
伊夜比古神社(河沼郡柳津町)、伊夜比古神社(勝負平)、御嶽神社、平作神社

香語山命

本庄神社

天香護山神

堀出神社 摂社 伊夜日子琴平神社合殿

天香護山命

稲荷神社(上原)、内野大神宮、伊夜日子神社(見附市)、伊夜日子神社(西之俣)、
伊夜彦神社(南魚沼郡)、伊夜彦神社(塩尻市)、四所神社(合祀)

天加護山命

六所神社

天香權山命

王子神社

天香兒山命

弥彦神社(家ノ腰)、弥彦神社(築地)、彌彦社(長岡市)

天之香兒命

弥彦神社

天香古山命

棚倉孫神社(別名 手栗彦命)

香具山姫大神

日吉神社

高倉下神

鹿島神宮 摂社 潮社

高倉下命

高倉神社(西津軽)、潮宮神社、諏訪見目神社、高座神社、神明宮(別所)、七所社、
守門神社(高倉109)、守門神社(高倉2168)、見目神社(裾野市)、相野谷神社、
熱田神宮 境外摂社 高座結御子(たかくらむすびみこ)神社、牛鼻神社

高倉下尊

高倉神社(東牟婁郡)

高倉自命

天寶神社

高倉目命

見目神社

武位起命

佐々牟志神社、椎根津彦神社(北海部郡)

天香山命系

この系統は、そのまま、正規の表記になります。

ただ、時代背景が分かるのは、今のところ、古事記に載っている記事しかありません。

日本書紀は、「天火明命兒天香山」とありますが、
「天香山」には「命」という地位が存在せず、
古事記の「天香山命」と同一人物かは疑わしいと思っています。

このため、時代が異なる「天香山命」の人達について、知る術がありません。

他に情報を調べていたら、
「天香山命とお妃熟穂屋姫命」と言う文字が見えて、詳しく調べてみました。

「熟穂屋姫命」は「一方の熟穂屋姫命は、彦火明命と佐手依姫命(市杵島姫命)との間に
生まれたと丹後籠神社の「勘注系図」には記されます。」と、参照2のサイトにあります。

この「彦火明命」の存在が大事です。

これが、日本書紀にある「天照國照彥火明命」を指すのか、
それとも、「彦火明命」を指すのかで大きく異なります。

「天照國照」が無い場合、「彦火明命」はだいぶ後の子孫と解釈できます。

しかし、残念ながら、「彦火明命」と「天香山命」を混同したりして、
情報収集は難しいです。

多分に「彦火明命」の子孫が「火明命」の可能性が高いと思っています。

本筋に戻すと、「天香山命と熟穂屋姫命」ですが、「熟穂屋姫命」としては、
確かに多くの場所で、夫妻だと書いています。

ですが、所々に 「天香語山命の妃は熟穂屋姫命」という記述もあり、
どちらが正しいかは判断できません。

参照2:天香山命御神廟 (彌彦神社 奥宮)

勘注系図

「勘注系図」についてですが、
「籠名神宮祝部丹波國造海部直等氏之本記」にある情報では、
「始祖彦火明命」は「正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊第三之御子」、
「母髙皇産霊神女栲幡千々姫命也」とあり、「佐手依姫命」に関しても、
「故爾彦火明神與佐手依姫命」とあるだけで、夫婦という記述はありません。

この系図の話を信用するならば、「彦火明命」が娶ったのは、
「大己貴神女天道日女命」で「佐手依姫命」ではありません。

この後に「爾火明命娶佐手依姫命、生穂屋姫命」とあります。

多分に、多くのサイトでは「彦火明命」と「火明命」を混同して考えているからこそ、
「彦火明命と佐手依姫命(市杵島姫命)」なんて誤情報が、出回っているのだと思われます。

しかも、「佐手依姫命(市杵島姫命)」と、
あたかも「佐手依姫命」の亦の名が「市杵島姫命」だと思わせていますが、
文章を読むと「天道日女命」の事を指している様に思えます。

「熟穂屋姫命」に関しても、「天香語山命娶穂屋姫命、生天村雲命」とあるだけで、
「熟穂屋姫命」とは無関係だと考えられます。

これらは「古代海部氏の系図(新板) 著金久与市」を見て書いています。

考察

「正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊」は、古事記の「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」、
日本書紀の「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊」から、
「押」の漢字が使われているのが異なります。

これにより、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」や「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊」とは、
同一人物では無いと言うのが分かります。

もちろん、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」と「正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊」も
同一人物ではありませんが、「押」という漢字を使う事で、主流から外れた事になります。

ただ、いつ頃の表記なのかは、情報がなく分かりません。

次に「天道日女命」は、多くのサイトで「天火明命の妻」とありますが、
これは、「彦火明命」が継承したから、その様に考えたのでしょう。

また、「大己貴神」の存在した時代を知る情報が無いので、
この父子の時代を知る事が出来ません。

次に「天村雲命」ですが、「先代旧事本紀」によると「邇芸速日命の天降りに随伴した
三十二人の防衛の一人。」に「天牟良雲命」が存在しています。

この場面は「邇邇芸命」の場面の様で、
「天津日高日子番能邇邇藝能命」の時代と考えると、
次代は「天津日高日子穗穗手見命」つまり「火遠理命」の時代です。

「山佐知毘古(やまさちびく)」と言われる「火遠理命」と同じ時代、
もしくは半分前の時代に「邇芸速日命」や「天牟良雲命」がいたと仮定できます。

そうすると、「天牟良雲命」の養子になったのが、「天香語山命娶穂屋姫命、生天村雲命」
であるという解釈も可能になり、血の継承ではなく、
能力による継承の可能性が高くなります。

しかし、この推論の情報が乏しく、根拠を出すのが難しいです。

ただ、「新撰姓氏録」にある
「442 右京 神別 天神 額田部宿祢 宿祢 明日名門命三世孫天村雲命之後也」ですが、
「3世紀-5世紀頃」に「宿禰」が成立したと言われているので、「明日名門命」は、
古い人物ではなく、「3世紀-5世紀頃」の期間に存在したと思われます。

これは、「天村雲命」という名が、長い間、継承してきた証拠だと思います。

新撰姓氏録

1129 摂津国 未定雑姓 嶋首 首 正哉吾勝々速日天押穂耳尊之後也

上記の様に、「正哉吾勝々速日天押穂耳尊」の後裔が「嶋首」らしいですが、
「正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊」とは「也」があるかどうかで変わります。

「勘注系図」には、確実に「也」が入っているわけですが、
もしかすると、「正哉吾勝々速日天押穂耳尊」の子孫が
「正哉吾勝勝也速日天押穂耳尊」なのかも知れません。

「嶋首」に関しては、全く情報がありませんでした。

天香具山命系

「天香具山神」、「天香具山命」、「香具山命」、「天加具山命」、「天乃香具山命」、
「天之香具山命」、「天香久山命」、「天乃香久山神」、「香具山姫大神」の九種類あります。

この系統は、「あまのかぐやま」となります。

「かぐやま」→「かくやま」と変化したのだと思われます。

ここで問題なのは、「天香山命」に、なぜ、一文字が追加されたのか?です。

何も問題がなければ、普通はありえないでしょう。

そうなると、想像としては、「天香具山命」などの一文字追加された人物達は、
「天香山命」の派生した一族の可能性があるように思えます。

また、「天香久山命」は「天香具山命」の子孫であるのは、問題が無いと思います。

「香具山姫大神」に関しては、調べても分かりませんでした。

天香語山命系

「天香語山大神」、「天香語山命」、「香語山命」、「天香護山神」、「天香護山命」、
「天加護山命」、「天香權山命」、「天香兒山命」、「天之香兒命」、「天香古山命」
の十種類があります。

この系統は、「あまのかごやま」となります。

「かごやま」→「かこやま」に変化したのだと思われます。

今、思いましたが、もしかすると、「天香具山命」の「具」は「器」を表していて、
「仕事や生活で用いる道具」を作る仕事をしていて、
「天香語山命」の「語」は「話」を表していて、
「しゃべる仕事」をしているのでは無いかと思いました。

そうなると、2つの系統は、「天香山命」の子孫、
もしくは、子の可能性があるように思います。

高倉下命系

「高倉下神」、「高倉下命」、「高倉下尊」、「高倉自命」、「高倉目命」の五種類あります。

この「高倉下命」は、「天香山命」と混同されていますが、Wikiによれば、
「神武天皇とその軍は東征中、熊野で熊または悪神の毒気により倒れた。しかし、
高倉下が剣をもたらすと覚醒したという」という話を載せています。

つまり、「神武天皇(仮)」の時代に生きているので、
「天香山命」との混同は難しいと思います。

理由としては、
父親である「天火明命」は、「天津日高日子番能邇邇藝命」と「萬幡豐秋津師比賣命」の
長子で「日子番能邇邇藝命」が次子となります。

「日子番能邇邇藝命」は「天津日子番能邇邇藝命」となり、
「天津日高日子番能邇邇藝能命」に最終的になります。

言い伝えでは「木花之佐久夜毘賣」と「天津日高日子番能邇邇藝能命」が、
結婚した事になっていますが、今回の考察により、それは違うとなりました。

しかし、仮に言い伝え通りになったとして、
次の代は「火照命」、「火須勢理命」、「火遠理命」の三人兄弟になり、
「天香山命」は、この三人といとこという事になります。

「神武天皇(仮)」は、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の後なので、
三人兄弟の二代後という事になります。

なので、「高倉下命」が存在していたと言われている「神武天皇(仮)」の頃には、
「天香山命」はすでに亡くなっているでしょう。

つまり、どの様に考えても、「高倉下命」と「天香山命」を混同しようが無いわけです。

もちろん、二代後でも「天香山命」を継承していれば、ありえますが、
現在では調べようがありません。

武位起命

「武位起命」は、「先代旧事本紀」では、
「彦火火出見尊」と「玉依姫命」の子と書くサイトもありますが、
実際に、その場面を見ると、どうも、違うようです。

原文:

是豐玉姫命聞其兒端正心 甚憐重欲復歸養於義不可 故遣女弟玉依姫命以来養者矣
即爲御生一兒 則武位起命矣

誕生彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不合尊

次武位起命大和國造等祖

彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不不合尊

天孫彦火々出見尊弟第三子 亦云火折尊也

母曰豐玉姫命海童之大女也

解読:

是(これ)豐玉姫命が、其兒は端正な心と聞く

甚だ、重く憐れみ復帰を欲し、義に於いて養う不可(べからず)

故、弟玉依姫命の女以来養う者(は:短語)矣(矢が当って止まり)遣わす

即ち、一人の兒が御生まれ、則(すなわち)、武位起命と矣(矢が当って止まる)

彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不合尊が誕生

次武位起命大和國造等祖

彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不不合尊

天孫彦火々出見尊弟第三子 亦火折尊と云う也

母豐玉姫命海童之大女と曰(い)う也

考察

上記の文が「先代旧事本紀」にある一部を抜粋したものです。

「是豐玉姫命聞其兒端正心 甚憐重欲復歸養於義不可 故遣女弟玉依姫命以来養者矣
即爲御生一兒 則武位起命矣」が初見だと思われます。

「其兒」が誰なのかの記述がなく、「女弟玉依姫命」とここでも「弟」を使っています。

また、「故遣女弟玉依姫命以来養者矣」には「養う」とあるので、
もしかすると、「武位起命」は養子なのでは無いか?と考えています。

この後は「彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不合尊が誕生」に続きますが、
漢字が異なり、「瀲」→「僉+殳」、「葺」→「艹+匚+コ+月」になっています。

色々と調べてみましたが、同じ漢字を表している様には思えません。

この次に現れるのが「武位起命」ですが、
これは「彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不合尊」の弟という事でしょうか。

それから、まだ続き、「彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不不合尊」が
書かれていて、「不」が一つ多いです。

この後の「天孫彦火々出見尊弟第三子 亦火折尊と云う也」が問題で、
「弟第三子」とはどういう事でしょうか。

「彦火々出見尊」は、古事記の「天津日高日子穗穗手見命」と同じ音ですが、
同一人物では無いでしょう。

それで、「彦火々出見尊」が「火遠理命」を継承したかは不明ですが、
継承したと考えても、「火遠理命」は三兄弟の末子なので、「弟」は存在していません。

日本書紀でも「彦火々出見尊」は、
「火遠理命」の子孫と思われる「火折尊」の亦の名として、
書かれているので、こちらでも「弟」は存在していません。

なぜ、存在していない「弟」を書いているのか、非常に不可解です。

「彦波(僉+殳)武鸕鷀草(艹+匚+コ+月)不合尊が誕生」の後の
「次武位起命大和國造等祖」ですが、もし、本当に
「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の「弟」であるならば、
なぜ、「記紀」には登場せずに、「先代旧事本紀」のみに登場しているのでしょうか?

これは、非常に大切な事です。

なぜなら、「天(あま)一族」の直系と考えられる
「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の「弟」ならば、
普通に考えて載っているべき名です。

先程、「故遣女弟玉依姫命以来養者矣」の場所で書きましたが、「養う」から「養子」で、
ある程度成長してから、「養子」になったので載せていない可能性があります。

それにしても、載せないのはありえないでしょう。

どの様な状況だったのかは、現状知る事が出来ないのが残念です。

その他

その他として、「倭宿禰命」に関して考察します。

「古代海部氏の系図(新板) 著金久与市」によれば、
「始祖彦火明命」の三世孫に「倭宿禰命」がいます。

そして、この本の69頁にある「倭宿禰命」の項目では、
父親を「天村雲命」と書いています。

これは「天香語山命娶穂屋姫命、生天村雲命」の「天村雲命」を指すのか、
それとも、別の時代の人物なのかの判断は難しいです。

ただ、「彦火明命」と「大己貴神女天道日女命」により
「天香語山命」が生まれているので、
「彦火明命ー天香語山命ー天村雲命ー倭宿禰命」という系譜になりそうです。

しかし、これについては、系図には載っていなくて、本には、
「始祖彦火明命」三世孫「倭宿禰命」と書いてあるだけです。

もし、「彦火明命ー天香語山命ー天村雲命ー倭宿禰命」の通りならば、
普通に書いていても不思議では無いのに、書いていないという事は、
時代等が違うのでは無いか?と考えています。

色々と調べていくと、「先代旧事本紀」のみに登場する「景行天皇」の場面で、
「倭宿禰命」が登場するようです。

「景行天皇」であれば存在が「4世紀前半〜中期」と言われているので、
「宿禰」を使ったとしても不思議では無いです。

さて、調べてもあまり存在した情報がありませんでしたが、
「古代海部氏の系図(新板) 著金久与市」の「倭宿禰命」の項目の中に、
「神日本磐余彦天皇の御宇」とあり、この時代に存在した可能性があります。

正式名は「神倭伊波禮毘古命」なので、
「神日本磐余彦天皇」がいつの時代の人間かは不明ですが、
仮に「神武天皇(仮)」だとすると、
「天村雲命」が「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の時代で、
「天香語山命」が「天津日高日子穗穗手見命」の時代、
「彦火明命」が「天津日高日子番能邇邇藝能命」の時代になりそうです。

今後も追求して行こうと思っています。

Copyright © 水晶光矢 All Rights Reserved.