故爾(ゆえに)鳴女、天自(より)降りて到りて、天若日子之門湯津楓上而(に)居る
天神之詔(みことのり)の命の如く、委曲(くわしく?)言う
爾(なんじ)天佐具賣【此三字以音】此の鳥の言うを聞く
而(すなわち)、天若日子が語りて言う
此の鳥者(は:短語)、 其の甚だ鳴る音惡(にく)む
故に、射殺す可(べ)きと進んで云う
卽(すなわ)ち、天若日子、天神の所で賜った天之波士弓・天之加久矢を持ち、其の雉を射殺す
爾(なんじ)其の矢、雉の胸自(より)通り、而(すなわち)逆に上に射る
天安河之河原に坐す天照大御神・高木神之御所まで逮(およ)ぶ
是(これ)、高木神者(は:短語) 高御產巢日神之別名
故、高木神が其の矢を取りて見れ者(ば:短語)、其の矢羽に血著しく
於是(これを)、高木神之(これ)告げる
此の矢者(は:短語)、天若日子が賜った所之矢
卽(すなわ)ち、諸神等に示して詔(みことのり)す
天若日子、或い者(は:短語)命(めい?)に不誤(あやまらず)射ったと爲す
惡(にく)む神之矢之(これ)至れ者(ば:短語)、天若日子に不中(あたらず)、
或るい者(は:短語)邪心有り
天若日子、此の矢に於いて、麻賀禮【此三字以音】と云う
湯津楓
原文:
故爾鳴女 自天降到 居天若日子之門湯津楓上而 言委曲如天神之詔命
爾天佐具賣【此三字以音】聞此鳥言而 語天若日子言
解読:
故爾(ゆえに)鳴女、天自(より)降りて到りて、天若日子之門湯津楓上而(に)居る
天神之詔(みことのり)の命の如く、委曲(くわしく?)言う
爾(なんじ)天佐具賣【此三字以音】此の鳥の言うを聞く而(に)、天若日子が言うて語る
「故爾(ゆえに)鳴女」とあるので、前文からの繋がっていると考えている人が多いと思います。
しかし、「可遣雉名鳴女(雉名鳴女を遣わす可(べ)き)」とはありますが、
「天菩比神」と「天若日子」は、「遣わした」と解釈できる文があります。
ですが、「鳴女」には、「遣わした」と解釈できる文がありません。
これにより、「何至于八年不復奏」と「故爾鳴女」の間には、繋がりが無いと言えます。
「自天降到(天自(より)降りて到りて)」が、「故爾鳴女」と繋がる文だとすると、
「鳴女」という人物が、「天(あま)なる國」から移動して、
「目的地」ではない「場所」にたどり着いたのは、本当なのだと思われます。
ただ、「目的地」がどこなのか、それと、到着した場所がどこなのか気になります。
もしかしたら、「目的地」や「到着先」が書かれた文があって、それを削除したのであれば、
「葦原中國」や「其の國」とは無関係の場所という解釈が出来ます。
真偽不明です。
「湯津楓」には注釈が無く、普通に読んでい良いのか分かりません。
「湯」は「温泉」や「銭湯」、「津」は「港」、「楓」は「楓の木」と考えられます。
「楓」は、もしかすると、「紅葉している楓」では無いか?と考えています。
そうだとすると、この文の時期が「秋」の可能性が出てきます。
ところが、「湯津楓」を検索すると、「楓」を「カツラ」と書くサイトがありました。
「楓」がなぜ、「カツラ」になるのか、すごく不思議です。
色々と検索してみると、「湯津楓」=「香木」として「カツラ」と読ませています。
古事記の文から、どの様に解釈したらそうなるのか疑問です。
もし、「楓」が「カツラ」を指すのならば、注記を書くでしょう。
しかも、検索して見たサイトには、「自分がその様に思った理由」がありません。
そこで、漢字の字源から「楓」を考察します。
参照185のサイトにある「説文解字」を見ると、
「木也。厚葉弱枝。善榣。一名(聶+木(下)、聶+木(下))。從木。風聲」とあります。
「説文解字」によると、「楓」とは「厚葉弱枝」の木とあります。
「厚葉」も「弱枝」も、どちらも探せばあると思いますが、この情報だけでは、特定できません。
ただ、「一名(聶+木(下)、聶+木(下))」は、「聶」が「ささやく」とすると、
「木」の上で「聶(ささやく)」になるので、「風で葉が揺れて、聶(ささや)きに聞こえた」
と解釈できます。
「説文解字」には、「聶+木(下)」が2つあるので、
周りでも同じ様な状況になっていたと考えられます。
「説文解字」の文から、上記のように考察できますが、「常緑樹」なのか、
「常に風が弱い場所」なのか、などの疑問が出てきます。
そして、なにより、情報量が少な過ぎで、当時の「楓」がどの様な木だったのか、
推測するのも難しいです。
参照185: 楓: zi.tools
あと、「楓」を「カツラ」と書いているサイトの件ですが、
「楓」が「厚葉弱枝」であるのならば、明らかに異なるでしょう。
もちろん、「カツラ」の木も、「成長」するまでの間は「枝」が弱いと思いますが、
「成長」すれば、「弱枝」とは言えません。
「厚葉」も、「カツラ」の葉を見ても、的を得ているとは思えません。
もちろん、「厚葉弱枝」の木を「カツラ」と呼んでいた可能性もありますが、
現代において、その様な情報が無く、真偽不明です。
各書
「楓」を「カツラ」とする根源が、色々と調べているうちに分かってきました。
古事記「海幸彦と山幸彦」の章にある、「有湯津香木」の後に「訓香木云加都良、木。」
新撰字鏡:楓 香樹なり、加豆良(かつら)
→確認できず(参照187のサイト、P42〜47、槭・楓)和名抄:楓 兼名苑云楓 一名欇
(風(木偏+其(上部分)+衣(下部分))、二音、和名、乎加豆良)
爾雅云有脂(?、匕ではなく上?)而香謂之楓
参照186のサイトの「古辞書の訓」にある「新撰字鏡」、「和名類聚鈔」、を確認しました。
「楓・槭」の漢字が見つかりませんでした。
ここでは、「説文解字」の「聶+木(下)」ではなく「欇」とあります。
「欇」は、参照190のサイトによると、「マメ科のつる性常緑樹。ハッショウマメ。」
とありますが、情報は見つかりませんでした。
「乎加豆良」ですが、この配置では「楓」=「乎加豆良」と考えるのは違います。
例えば、「楓 兼名苑云楓 和名 乎加豆良」であれば、イコールになりますが、
内容から考えて、「風(木偏+其(上部分)+衣(下部分))」=「乎加豆良」なのだと思います。
「木偏+其(上部分)+衣(下部分))」は、拡大して、なんとなくでは分かりますが、
何を指すのかなどの情報がありません。
普通であれば、「木」と「風」を書けば良いだけです。
なのに、無関係な漢字を入れたのが、すごく不思議です。
あと、「爾雅云有脂(?、匕ではなく上?)而香謂之楓」ですが、「脂」の漢字がおかしいです。
「匕」と書くだけなのに、途切れているのでしょう?
内容ですが、「雅に脂が香る」は、「メープルシロップ」を指しているようにも思えます。
だとすると、「楓」と「桂」を混同していたのではなく、きちんと分けていたとも解釈できます。
ちなみに、「桂」ですが、「計寑 二音 和名 女加豆良」とあるので、
「計寑」が「女加豆良」なのだと思います。
そもそも、「二音(二字)」とあるので、「楓」と「桂」は該当しません。
他に「和漢三才図会」を取り上げている人がいましたが、
参照191のサイトを見て分かるように、「欇欇」の下に続いているので、
「乎加豆良」は「楓」に対してでは無い事だと解釈出来そうです。
参照186: 楓 とは? 意味や使い方
参照187: 新 撰字鏡 - 国書データベース - 国文学研究資料館
参照188: 和 名類聚鈔 - 国書データベース - 国文学研究資料館
参照189: 類 聚名義抄 - 国書データベース - 国文学研究資料館
参照190: 漢字「欇」の 部首・画数・読み方・意味など
参照191: 和 漢三才圖會 - 国書データベース - 国文学研究資料館
この様に、過去の資料等で色々と考察しました。
その結果、「楓」を「カツラ」と読むのは間違っていると解釈できます。
なので、「湯津楓」も「カエデ」として考えています。
ただ、後で思ったのですが、「津」は「港」以外の意味では無いか?と思いました。
いつもは、「港」と考えていますが、参照192のサイトには「しみでる」や「あふれる」があるので、
「湯津」で「温泉地」という解釈も可能だと思っています。
「和名類聚鈔」の「一名欇」の後に、
「風(木偏+其(上部分)+衣(下部分))、二音、和名、乎加豆良」とあります。
「和漢三才図会」も同じ様に、「欇欇」の続きの意味で、
一段下げて「乎加豆良」と書かれています。
「新撰字鏡」では、確認できませんでしたが、参照186のサイトにあった、
「楓 香樹なり、加豆良(かつら)」も、他に言葉があったのではないか?と考えています。
参照192: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒ 「津」という漢字
「乎加豆良」と「女加豆良」
「和名類聚鈔」にある「乎加豆良」ですが、「男加豆良」と解釈すると、
「桂」の「計寑 二音 和名 女加豆良」と合わせると、
「品種改良」、もしくは、「栽培」に関する状況をイメージできます。
「計寑」の「寑」が「ねかす」なので「計画して寝かす」と解釈できます。
それは、「桂」の「種」を播いて、成長するまで寝かせる事を指すように思えます。
そして、「楓」の「種」は、「くるくる回りながら落ちる」ので、
漢字にすると「風(木偏+其(上部分)+衣(下部分))」になったのだと思います。
「乎加豆良」と「女加豆良」から分かるように、「女加豆良」が土台となり、
その上に「乎加豆良」があるとイメージできます。
これらから、最初は「品種改良」かな?と考えていたんですが、
色々と考えていくと、もしかして、「挿し木」では無いか?と思い始めました。
今回の場合、「桂」の土台に、「楓」を成長させて強くするという意味があるように思えます。
多分、風が強い場所だったり、環境によって、この様な方法を使っていたのかも知れません。
楓と槭
参照185のサイトにある「字義」には、「金缕梅科」とあり、調べると「マンサク科」と出てきます。
「槭」は、参照193のサイトの「字義」に「槭树科」とあり、調べると「カエデ科」と出てきます。
この様に、「かえで」と両方読みますが、内容が異なります。
参照193: 槭: zi.tools
「居天若日子之門湯津楓上而 言委曲如天神之詔命」を解読すると、
「天若日子之門湯津楓上而(に)居る天神之詔(みことのり)の命の如く、委曲(くわしく?)言う 」
になりそうですが、これだと、「天若日子」が居るかどうかは不明です。
「天神之詔(みことのり)の命の如く」から、
「天若日子之門湯津楓上」とは違う場所にいる「人物」が報告していると解釈もできます。
「門湯津楓上」は「天若日子」の所有物なのは分かりますが、
「天神」が宿泊する程の関係があるのならば、「天若日子」の情報を知らないはずが無いです。
また、この場所がどこにあるのかについて、ヒントになりそうな情報がありません。
なので、「天(あま)なる國」、「高天原」、「葦原中國」では無いと考えています。