爾(なんじ)、天兒屋命・布刀玉命・天宇受賣命・伊斯許理度賣命・玉祖命、
幷(あ)わせて五伴緖、支加而(に)矣(矢が当たって止まり)天より降る也
是於(これにおいて)、其の遠岐斯【此三字以音】を賜り副えて、
亦、常世思金神・手力男神・天石門別神而(に)者(は:短語)
八尺勾璁・鏡・及び草那藝劒を詔(つ)げる
此之鏡者(は:短語)、專(もっぱら)我の御魂と爲す
而(すなわち)吾の前で拜(おが)むが如く、伊都岐奉(たてまつる)
次に思金神者(は:短語)、政(まつりごと)を事前に取り持つと爲す
此の二柱神者(は:短語)、佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】を祭りて拜(おが)む
次に、登由宇氣神、此れ者(は:短語)、外宮に坐す之(これ)者(は:短語)度相神也
次に、天石戸別神、亦の名を櫛石窻神と謂う、亦の名を豐石窻神と謂う
此の神者(は:短語)御門之神也
次に手力男神者(は:短語) 佐那那縣に坐す也
故、其の天兒屋命者(は:短語)、中臣連等之祖、布刀玉命者(は:短語)、忌部首等之祖、
天宇受賣命者(は:短語)、猨女君等之祖、伊斯許理度賣命者(は:短語)作鏡連等之祖、
玉祖命者(は:短語)、玉祖連等之祖
五伴緖
日本書紀では「石凝姥命」としていますが、なぜ、その様に変化したのか謎です。
参照29のサイトには、下記のようにあります。
『延喜式神名帳』にある鏡作麻気神社、鏡作伊多神社については
同じく社伝に「左座麻気神者天糠戸ノ命大山祇之子也、
此ノ神鋳作日之御像鏡、今伊勢崇秘大神也、右座伊多神者、石凝姥命、
天糠戸命之子也、比ノ神モ鋳作日象之鏡、今紀伊之国日前神是也」とみえる。
上記にある様に書くと、「大山祇ー天糠戸ノ命ー石凝姥命(伊多神)」となります。
ここで問題なのは、「大山祇」と「天糠戸ノ命」の存在した年代が不明な点です。
「大山祇」の存在した年代が分からなくても、
「天糠戸ノ命」の存在した年代の参考にできる情報があればよかったですが、
結局、どちらの情報も無いので、調べようがありません。
ただ、「大山祇」は「命」などの地位が無いので、西暦以降、
「天糠戸ノ命」も「ノ」とあり、西暦以降と考える事は出来そうです。
参照29:鏡作伊多神社(宮古)
古事記の「伊斯許理度賣命」が正しい表記ですが、今回の神社の表記で、
日本書紀の「石凝姥命」になる前の状況がなんとなく分かりました。
「伊斯許理度賣命」ー「石許利止賣命」ー「石凝度賣命」ー「石凝留命」ー「石凝姥命」
上記の様な流れで、変化したと思われます。
ただ、「伊斯」=「石」、「許理」=「凝」、「度賣」=「姥」の過程については、
疑問があります。
多分、のちの一族が、「石」に関連した仕事、
例えば、「石が凝り固まった場所に住んで、合図を出していたなど」が考えられます。
それにしても、「度賣」=「姥」に関しては、不思議でしかありません。
これが「賣」であれば、「姥」としても良いでしょうが、「度賣」では違います。
第二章で「伊斯許理度賣命」が登場していて、
そこでは「自伊下六字以音」という注記が付いていますが、今回はありません。
もし、同じ読みだった場合、「此れ下も效(なら)う。」を付けるべきですが、
今回の範囲では、無いので、同じ読みかどうかは不明となります。
名の意味として、第二章の前回では、下記のように書きました。
「伊」:聖職者、長
「斯」:「切り分ける」
「許」:「他人の願いなどを聞き入れる」
「理」:「磨(みが)く」
「度」:「測量する」、「計算する」
「賣」:歩いて売る
以前にも書きましたが、「「鏡」の受注生産」を商売としていた可能性が高いです。
とはいえ、日本書紀の表記である「石凝姥命」では、全く異なった意味になります。
非常に不思議です。
「此三字以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。
「遠」:呉音:オン、漢音:エン
「岐」:呉音:ギ、漢音:キ
「斯」:呉音・漢音:シ、唐音:ス
上記により、呉音「おんぎし」、漢音「えんぎし」となりそうです。
「賜り副えて」だとすると、「遠岐斯」は物だと思いますが、何を指すのか分かりません。
「手力男神」とありますが、第二章にある「天手力男神」は「天」がありますが、
今回はありません。
なので、別の系統の可能性もありますが、情報が少なく良く分かりません。
ちなみに、「佐那那縣」を「徳島県佐那河内村」や「三重県多気郡多気町佐那神社」と
解釈しているサイトがありますが、根拠が乏しいので、真偽は不明です。
また、「徳島県佐那河内村」は、参照30のサイトに
「後一条天皇の時代、1021年~1024年に誕生した」とあり、
これが本当であれば、紀元前660年以前の古事記の時代とは合いませんので、
完全に異なるとなります。
第二章にある「天手力男神」の中の「天石門別命」の場所でも書いているように、
「天石門別命」=「天手力男神」というのは違うと思います。
ただ、いつの時代かは不明ですが、「天手力男神」という人物が、
「天石門別命」を名乗った可能性はあります。
残念ながら、時代を調べても分かりませんでした。
石倉比古神社
大祭天石門彦神社
石門別神社(岡山市北区奥田)、石門別神社(北区大供表町)
御上神社 境内 若宮神社
天乃石立神社
土佐国風土記
参照31のサイトに「土佐国風土記」逸文に、
「土左の郡。朝倉の郷あり。郷の中に社あり。神のみ名は天津羽羽の神なり。
天石帆別の神、天石門別の神のみ子なり」とあります。
これは、色々と調べていくと、「天石門別安國玉主天神社」に対してではなく、
「朝倉神社」の祭神である「天津羽羽神」に対しての記述の様です。
ですが、「天石門別神ー天石帆別神」という系譜は分かりましたが、
「天津羽羽神」も「天石門別神」の子だと言いたいのでしょうか?
参照31:『無量寺文書』における斉明天皇「土佐ノ國朝倉」行幸 別役 ...
明治神社誌料
「此神は太玉命の子高皇産霊神の孫なり、
土佐郡朝倉村縣社朝倉神社祭神、天津羽々神の父とす」とページの最後の方にあります。
「此の神」とは、「天石門別安國玉主天神社」の祭神である
「天手力男命」を指すのでしょうか。
しかし、そうなると、「高皇産霊神ー太玉命ー天手力男命ー天津羽々神」となります。
ところが、「天手力男命」に、この様な関係があったとする記事はありません。
「斎部氏家牒」では、「天手力男命」は「天思兼命」の子としています。
そうなると「天手力男命」ではなく「天石門別神」なのでしょうか。
そうだとしたら、なぜ、「天石門別神」ではなく「天手力男命」を
祭神にしているのでしょうか?
もしかしたら、「高皇産霊神ー太玉命ー天手力男命ー天津羽々神」という時代が、
存在したかも知れませんが、時代を特定できる情報が無いので、調べられません。
疑問は絶えません。
参照32:天石門別安国玉主天神社
「自佐至能以音」と注記があるので「音読み」指定となります。
「佐」:呉音・漢音:サ
「久」:呉音:ク、漢音:キュウ(キウ)
「斯」:呉音・漢音:シ、唐音:ス
「侶」:呉音:ロ、漢音:リョ
「伊」:呉音・漢音:イ
「須」:呉音:ス、漢音:シュ、唐音:シ
「受」:呉音:ズ、漢音:シュウ(シウ)、慣用音:ジュ
「能」:呉音:ノウ (ノゥ)、ノ、ナイ、漢音:ドウ(ドゥ)、ダイ、慣用音:タイ
上記により、呉音「さくくしろいすずの」、
漢音「さきゅうきゅうしりょいしゅしゅうどう」となりそうです。
「登由宇氣神」と「豊受姫神」が同じと考えているサイトが多いですが、
なぜ、「姫」が付いているのでしょうか。
「登由宇氣神」を変換したのならば「姫」は無いはずです。
そもそも、「音読み」指定ではないので、「宇氣」を「うけ」と読む必要もありません。
神社の祭神名から色々と考えたいと思います。
「登由宇氣系」と「豊宇氣系」の神社を洗い出します。
登由宇気神社(熊谷市村岡)
鸕宮神社(合祀)
久麻久神社(合祀、西尾市八ツ面町)
高崎神社
久麻久神社(合祀、西尾市熊味町)
江島神社 境内 稲荷社
廣瀬大社
樽岸稲荷神社(寿都郡)、宗形神社(合祀)、畠田神社
寿都神社、津島神社 境内 外宮
石田神社舊跡
唐松神社、進雄神社(合祀)、調神社
厳島神社、豊岡上天神社
上記の様に、「登由宇氣系」と「豊宇氣系」を書き出しました。
「登由宇氣」→「豊宇氣」とするのは、まだ、「とゆ」→「とよ」に変換されただけで、
十分にありえると考えています。
しかし、なぜ、「豊宇氣」→「豐受」に変化させる必要があったのか疑問です。
別に変化させずに「豊宇氣」でも、全然問題無かったと思います。
まとめで、もう少し、踏み込んで行こうと思います。
これは、「天石門別神」とは異なり、「天石戸別神」とあり、「戸」の神と考えられます。
しかし、「亦の名を櫛石窻神と謂う、亦の名を豐石窻神と謂う」は、
「天石戸別神」の名を継承したと考えています。
多分に、過去の書類に、その様な記述があったのだと思います。
また、この二人は、古語拾遺にある「天太玉命」の子である
「豊磐間戸命」と「櫛磐間戸命」の子孫の事だと思います。
○豊磐間戸命
新田神社 境内 門守、野間神社 神門、天戸八坂神社
天乃石立神社、盈岡神社 境内 若宮社、総社神社、伊太祁曽神社 参道、八木神社 守門
美保神社 随身
厳島神社
盈岡神社 境内 若宮社(平成祭データ)
加紫久利神社 境内 神門神社、厳島神社 境内 門客神社
鹿児島神宮 境内 御門神社
天岩戸神社
大江神社(合祀)
賀茂別雷神社 境内 棚尾社
石座神社 境内 荒波婆岐社
山邊八代姫命神社(合祀)
天太玉命神社
○櫛磐間戸命
新田神社 境内 門守、野間神社 神門、天戸八坂神社
総社神社、伊太祁曽神社 参道、八木神社 守門
美保神社 随身
加紫久利神社 境内 神門神社、厳島神社 境内 門客神社
鹿児島神宮 境内 御門神社
天岩戸神社
八剱神社、大江神社(合祀)
天乃石立神社
賀茂別雷神社 境内 棚尾社
天太玉命神社、右内神社
厳島神社
石座神社 境内 荒波婆岐社
上記のように、「戸」、「門」、「窗」、「窓」の4つが存在しています。
これらは、仕事によって、分けられて、
そのままずっと変わらずにいたのだと思われます。
他に、「櫛」は「奇」を使っている表記がありますが、
これは、当時としては、流行っていない方法を用いたのだと思われます。
それで「奇」になったのでしょう。