佐知毘古
「佐知毘古」は「此四字以音 下效此」とあるので、
「さちびこ」ではなく、「さちびく」になります。
なので、日本書紀風に書いているサイトでは「海幸彦と山幸彦」としていますが、
これは、嘘で、「毘古」=「びく」なので、「毘古」=「彦」にはなりません。
第六章で一番、ポイントになる場所です。
意味ですが、本文でも書いている様に、「毘古」=「びく」=「魚籠」だと思っています。
「海佐知毘古(さちびく)」は「魚籠」で良いですが、
「山佐知毘古(さちびく)」は「魚」とは無縁だと思うので、
「山菜籠」を指すと思います。
原文:
故火照命者 爲海佐知毘古【此四字以音 下效此】而取鰭廣物・鰭狹物 火遠理命者
爲山佐知毘古而 取毛麤物・毛柔物
解読:
故、火照命者(は:短語)海佐知毘古【此四字以音 下效此】と爲す
而(すなわち)、鰭廣物と鰭狹物を取る
火遠理命者(は:短語)、山佐知毘古と爲す
而(すなわち)毛麤物と毛柔物を取る
一番最初の「故」ですが、前文が、
「次生子御名 火遠理命 亦名 天津日高日子穗穗手見命」なので、
「故」に繋がる様な場面では無いです。
「故とは」、参照1のサイトには下記の様に書いています。
①ふるい。むかしの。「故事」「故実」類古
②もと。もともと。もとから知っている。「故郷」「縁故」
③特別なこと。できごと。わざわい。「故障」「事故」
④ことさらに。わざわざ。「故意」「故買」
⑤死ぬ。死んだ。「故人」「物故」
⑥ゆえ。わけ。「何故」
この場面の「故」は、六番目の「わけ」の事を指していると思います。
しかし、子の名を紹介している場面が前文なので、
今回の場面での「わけ」を話すというのは、繋がりません。
なので、第五章と第六章の間に、別の話が書かれていたと考えられます。
では、なぜ、その部分を省いたのでしょうか?
「火照命」に通じるのだから、書いたとしても問題が無いはずです。
ここで考えられるのは、その省いた場面に、
「火照命」ら三人兄弟の両親の名があったからと考えられます。
そうでなければ、省いたら、話が繋がらないのは、すぐに分かるでしょう。
もちろん、これらは、推測でしかありませんが、可能性としてはありそうです。
参照1:故 | 漢字一字
「すなわち」と「而」で検索すると、
「AI による概要」では、下記の様に書いていました。
「すなわち」は、主に以下の意味で使われます。
「つまり」「言い換えると」:
前の文の内容を別の言葉で説明する際に使われます。例:「彼は学者である、すなわち、知識が豊富だ」
「そこで」「そういうわけで」:
前の文を受けて、結論や次の行動を示す際に使われます。
例:「雨が降ってきた、すなわち、傘を持っていく必要がある」
「ただちに」「すぐに」:
時間的な即時性を表す場合に使われます。
古語辞典によると、古文辞書では、「即ち」や「則ち」と書かれることもあります。
例:「彼は走って、すなわち、逃げ出した」
他の「すなわち」のサイトを見ましたが、「AI による概要」が分かりやすかったので、
こちらを使って考えます。
今回の場合、「而(すなわち)、鰭廣物と鰭狹物を取る」と
「而(すなわち)毛麤物と毛柔物を取る」が対象なので、
「「そこで」「そういうわけで」」があっている様に思えます。
ただ、「そこで鰭廣物と鰭狹物を取る」や「そこで毛麤物と毛柔物を取る」とした場合、
その経緯があるはずですが、全く書かれていません。
他のパターンにした場合でも、なぜ、「鰭廣物と鰭狹物」や「毛麤物と毛柔物」を
取らなければ行けないのか?の理由がありません。
そのため、この対象の文自体に繋がりがなく、
別の文から持ってきたのでは?と考える事になります。
なので、「火照命」=「海佐知毘古」と「火遠理命」=「山佐知毘古」との話についても、
理由が書かれていないので、繋がらないと言えます。
そもそも、なぜ、この様に簡単に見破れる事を書いたのか、疑問になります。
古事記編纂者達の前には、多くの情報源となる文書があったと思いますが、
他に書く事が無いのか、確認しなかったのでしょうか。
「三度雖乞 不許」を「三度と雖(いえども)乞うを不許(ゆるさず)」
と解読しましたが、一度目と二度目についての記述がありません。
前文は「爾火遠理命 謂其兄火照命 各相易佐知欲用」で、解読は、
「爾(なんじ)火遠理命、
其の兄火照命と各(おのおの)相に佐知を易く欲して用いると謂う」となります。
もし、仮に「爾火遠理命 謂其兄火照命」と「各相易佐知欲用 三度雖乞 不許」が、
別だった時の解読は、「爾(なんじ)火遠理命、其の兄火照命に謂う」、
「各(おのおの)相に佐知を易く欲して用いて、
三度と雖(いえども)乞うを不許(ゆるさず)」となります。
しかし、これだと、「各相易佐知欲用」と「三度雖乞 不許」で話が噛み合っていません。
なので、最初の「爾(なんじ)火遠理命、
其の兄火照命と各(おのおの)相に佐知を易く欲して用いると謂う」
が合っているのだと思います。
そうなると、なおさら、「三度」の間に何があったのか、気になります。
さて、この後ですが、
「然遂纔得相易(然し、遂に纔(わずかに)得易しと相(たすける)」とあり、
最初、「得相易」を「相に得易し」と考えましたが、
「相」に「たすける」という読みがあるようで、
上記の様に「得易しと相(たすける)」としました。
こうすると、誰かが「助けた」と解釈出来ますが、誰を指しているのかは不明です。
ただ、「纔(わずかに)」とあるので、もし、助けた人がいたのならば、
いやいや頼まれたので、仕方なく助けたという解釈も出来そうです。
とはいえ、最低でも二通りの解釈があるので、どちらが正しいかは分かりません。
「爾火遠理命 以海佐知釣魚 都不得一魚」を、
「爾(なんじ)火遠理命、海佐知を以って魚釣りし 、都一つの魚も不得(えず)」と
解読しましたが、「海佐知を以って」が気になります。
これは、「海佐知」=「釣りの餌」と考える事が出来ますが、
「都不得一魚」の「都一つの魚も不得(えず)」」とはどういう事でしょうか?
この「都」が、どれだけの規模なのかなどの、詳しい情報が無いので、分かりません。
しかし、もし、本当に「都一つ分」だとすると、
最低でも2万人とか3万人はいたと思うので、
さすがに、一人で人数分の魚を釣るのは、無理があります。
この時、どの様な状況だったのでしょうか。
「亦其鉤失海 於是 其兄火照命 乞其鉤曰」を、
「亦、其の海で失った鉤(かぎ)、是於(これにおいて)、
其の兄火照命は其の鉤(かぎ)を乞うて曰く」と解読しましたが、
いつ、「鉤(かぎ)」を失ったのでしょうか?
この前文は
「爾(なんじ)火遠理命、海佐知を以って魚釣りし 、都一つの魚も不得(えず)」で、
「鉤(かぎ)」を失う話ではありません。
なので、この間の話も、間に別の話が存在していたと思います。
そこには、どの海で「鉤(かぎ)」を失ったのかの、
詳しい状況が書かれていると思います。
なぜ、それを書かなかったのでしょうか。
そもそも、「鉤(かぎ)」を失う話が全く無かったのに、
突然、現れればおかしいと思うでしょう。
原文:
山佐知母 己之佐知佐知 海佐知母 己之佐知佐知 今各謂返佐知
之時【佐知二字以音】其弟火遠理命答曰
解読:
山佐知の母 己之佐知佐知 海佐知の母 己之佐知佐知
今、各(おのおの)佐知を返すと謂う之(これ)の時【佐知二字以音】
其の弟火遠理命答えて曰く
「山佐知母」と「海佐知母」の名が同じ「己之佐知佐知」とはどういう事なのでしょう。
つまりは、「山佐知」と「海佐知」は兄弟と考えられます。
しかし、ここに「火照命」と「火遠理命」の名が無いという事は、
「山佐知」と「海佐知」自体が、
「火照命」と「火遠理命」を指す言葉では無かったのだと思います。
もう一つ、疑問として、なぜ、「山佐知」から何でしょうか?
これは、「山佐知」が長男だからなのでしょうか?
もし、「山佐知」が長男、もしくは、「海佐知」よりも上だと考えると、
「火照命」と「火遠理命」の関係は「火照命」が長男で、「火遠理命」が三男なので、
イコールにはなりません。
そうなると、「火照命」と「火遠理命」、「山佐知」と「海佐知」が、
イコールにならないと言う事は、別の話が関係していると考えられます。
たぶんに、「火照命」が「海佐知」を、
「火遠理命」が「山佐知」を継承したと思われます。
では、なぜ、同じ関係で「兄と兄」、「弟と弟」で継承しなかったのか?
という疑問もありますが、それらを知る情報が無いので、知る事が出来ません。
あと、「【佐知二字以音】」とありますが、
第六章の一番最初に佐知毘古「【此四字以音 下效此】」とあり、
わざわざ、書く必要があるようには思えません。
わざわざ、その様に書いたと言う事は、「各相易佐知欲用」、「以海佐知釣魚」、
もしくは、削除した文に「佐知」を別の読みとして使っていた証拠かも知れません。
「汝鉤者 釣魚不得一魚 遂失海」を、
「汝の鉤(かぎ)者(は:短語)、魚釣で一つの魚も不得(えず)」と「遂に海で失う」と
解読しました。
すでに「亦其鉤失海」の場面で、「鉤(かぎ)」は失っているのに、
この場面の「鉤(かぎ)」は何でしょうか?
そして、先程の
「爾(なんじ)火遠理命、海佐知を以って魚釣りし 、都一つの魚も不得(えず)」と
最後の「釣魚不得一魚」は「魚釣で一つの魚も不得(えず)」で酷似しています。
この場面で一番の疑問が、「汝(なんじ)」が誰を指すのかです。
「其弟火遠理命答曰」の次が「汝」なので、普通に考えれば「火照命」です。
ですが、「火照命」と言うのであれば、そのまま書けば良いはずです。
実際に、「都一つの魚も不得(えず)」の方では、「火遠理命」と名があります。
なぜ書けないのか?
多分に、この「汝」は「火照命」ら三人兄弟を指しているのではなく、
先程の「母」にもある「海佐知」の事を指しているのではないか?と思っています。
もし、そうである場合、「火照命」、「火遠理命」、「山佐知」、「海佐知」の4名が、
存在していた可能性があるのではないか?と考えています。
そもそも、「鉤(かぎ)」は「火照命」と「海佐知」が使っていたと思います。
この文の前で「火照命」の「鉤(かぎ)」を失くしているので、
今回は「海佐知」の「鉤(かぎ)」なのかも知れません。
原文:
其弟火遠理命答曰 汝鉤者 釣魚不得一魚 遂失海 然其兄強乞徵 故其弟 破御佩之十拳劒
作五百鉤 雖償不取 亦作一千鉤 雖償不受 云 猶欲得其正本鉤
解読:
其の弟火遠理命答えて曰く
汝の鉤(かぎ)者(は:短語)、魚釣で一つの魚も不得(えず)
遂に海で失う
然し、其の兄が強く徵(しるし)を乞う
故、其の弟、破御佩之十拳劒で作った五百の鉤(かぎ)
と雖(いえども)償(つぐない)不取(とらず)
亦、一千の鉤(かぎ)を作る償(つぐない)と雖(いえども)不受(うけず)と云う
猶(なお)、其の正しい本の鉤(かぎ)を得るを欲す
「然し、其の兄が強く徵(しるし)を乞う」からですが、
「其の弟火遠理命」とあるので、
「火照命」の事を「其の兄」と書いていると考える人が多いでしょう。
しかし、であれば、
「其の兄火照命と各(おのおの)〜」や「其の兄火照命は〜」の様に、
普通に「其の兄火照命」と書けば良いだけです。
ところが、そうなっていないという事は、「火照命」では無いと解釈できます。
三人兄弟の残りは「火須勢理命」ですが、これでも書かない理由にはなりません。
つまり、書けない「兄」がいるという解釈をすると、
弟も「火遠理命」を指していない可能性がありそうです。
「故、其の弟、破御佩之十拳劒で作った五百の鉤(かぎ)
と雖(いえども)償(つぐない)不取(とらず)」と解読した場合、
「償(つぐない)不取(とらず)」とはおかしいと思います。
「償いを受け取る」のは、被害にあった「火照命」や「海佐知」なので、
「其の弟」が受け取るかどうかを決める事はありえないです。
それに「破御佩之十拳劒」で作ったと書いていますが、
その剣を鍛冶の窯に入れて、鉄にして、
「鉤(かぎ)」を作ったとしても「500」になるのか疑問です。
多分、多くの剣を鉄にしたのだと思います。
そして、本題の「弟」ですが、先程の「其の兄とは?」でも書きましたが、
やはり、この「弟」は「火遠理命」ではない可能性が高いように思えます。
なにより、名を書かないのはおかしいでしょう。
多分に、その文の前には、「其の」に値する名があったのだと思います。
この後の、「其の兄」と「其の弟」は、
「火照命」と「火遠理命」とは無関係として考えます。
「何虛空津日高之泣患所由 答言」を
「何、虛空津日高で之(これ)泣き患(わずら)う所由(ゆえん)を答えて言う」
と解読しました。
前文でも、「於是其弟 泣患居海邊之時 鹽椎神來 問曰」とあり、
同じく「泣患」とあります。
しかし、その理由は書かれていません。
前文の一つ前が
「猶欲得其正本鉤(猶(なお)、其の正しい本の鉤(かぎ)を得るを欲す)」
なので、これが「泣き患う」理由とは思えません。
つまりは、前文の前の文と前文は、繋がった話ではなく、別の話となりそうです。
「泣患」についてはある程度分かりましたが、「虛空津日高」とは何でしょうか?
検索すると、「虛空津日高」を「そらつひこ」とか、
意味不明な事を書いているサイトが多くありました。
どの様に考えたら、そうなるんでしょうか。
「日本書紀」には「虛空彥」とはありますが、
「虛空津日高」とイコールになると、なぜ、そう思うのか疑問です。
「太子の称なり」と書くサイトもありましたが、
それであれば、「太子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」が一番に付与されるべきですが、
実際には、その様になっていません。
そもそも、「虛空」=「そら」なのかも、判明していません。
「虛空」を調べると、「仏教言葉」という面が強い様ですが、
参照2のサイトには下記の様に書いています。
○デジタル大辞泉 「虚空」の意味・読み・例文・類語
①[名]
1 何もない空間。大空。「虚空に消える」「虚空にのぼる」
2 仏語。何も妨げるものがなく、すべてのものの存在する場所としての空間。
②[名・形動ナリ]
1 事実にもとづかないこと。また、そのさま。架空。
「―仮設の人物」〈逍遥・小説神髄〉
2 とりとめがないこと。また、そのさま。漠然。
「―なることを申す者かな」〈幸若・夜討曽我〉
3 思慮分別がないさま。むやみ。やたら。
「―におやぢが煮え返る」〈浮・禁短気・三〉
○改訂新版 世界大百科事典 「虚空」の意味・わかりやすい解説
サンスクリットのアーカーシャākāśaの漢訳で,
一般に大空,空間,間隙などを意味するが,
古来インド哲学では万物が存在する空間,あるいは世界を構成する要素,
実体として重要な概念の一つである。地・水・火・風の〈四大〉に虚空を加えて五元素ともいわれ,
これに五感(香・味・色・触・声)を関連づけるサーンキヤ学派や
バイシェーシカ学派の思想のもとでは虚空が聴覚と結びつき,
音声は虚空の属性とされた(西洋哲学の〈エーテル〉の概念に相当)。仏教では〈六界〉の一つ(空界)とする一方,
実在論的な部派では不生不滅の常住な存在(無為法)に高めた。広大無辺,永遠,清浄,無障礙(むしようげ)などのあり方を備えていることから,
しばしば絶対者,超越,真理の概念と結びつけられる。→虚空蔵(こくうぞう)
これらを見ると、どちらかと言うと、当時の紀元前1000年頃であれば、
「サンスクリット語」の影響が強かったと思うので、
「サンスクリット語」で解釈した方が良い気がします。
上記にある「音声は虚空の属性とされた」から「虛空津」とは、
「津(港)」の音を聞き取り、異変を察知する職業と考える事ができるように思います。
なので、それらは下の地位の人間よりも、高位の人間が対応していたのかも知れません。
「日高」は、「天津日高日子番能邇邇藝命」→「天津日高日子番能邇邇藝能命」へと
引き継がれましたが、第六章では現時点で登場していません。
そのため、「虛空津日高」という地位が存在していたという解釈は出来ますが、
「火照命」や「火遠理命」の事を指すのか、それとも、他の人を指すのか、
その事についての記述が無いので分かりません。
ですが、もし、「火照命」らが関係しているのであれば、普通に書くと思います。
「虛空津日高」という地位を保持していると、後世に思わせるためです。
でも、その様な事が書かれていないという事は、
「天津日高」とは違う系統の一族の可能性があるように思えます。
「天津日高」と「虛空津日高」が、共存していたと解釈する事も可能ですが、
「山佐知」や「海佐知」の関係者かも知れません。
「鹽椎神來 問曰」、「爾鹽椎神云」と「鹽椎神」が登場しますが、誰でしょうか?
「鹽」の新字が「塩」と言われますが、「土偏」がなぜあるのか?などの理由から、
「別字衝突」だろうと推測しています。
参照3のサイトに、
「景祐6年(1039年)丁度らによって作られた勅撰の韻書」の「集韻」にある、
「鹽」の「異体字」を載せています。
この中の3つの内の最後に、「塩」の原型と思われる字形が存在します。
多分に意味が異なるのだろうと思います。
真ん中の2つ目は、単に、「皿」に「鹽」を置いただけだと思います。
これに「土偏」が付いたのが「塩」の原型ですが、
これは、土が付いたまま「皿」に載せたという解釈も出来ます。
ただ、参照3のサイトに「おそらく、「鹽」はあまりにも書くのが面倒なので、
図の一番下のような省略形が生まれ、
それがさらに省略されて「塩」となったのでしょう。」
とありますが、一番最初に「土偏」が無いのを、おかしいと思わないのも不思議です。
過去の字形から考えるために、
参照4のサイトを見ると、どこにも「土偏」は付いていません。
「塩」で調べると、参照5のサイトにあるように、ほとんど情報がありません。
「䀋」にしても同じです。
つまり、昔から「鹽」という漢字以外に無かったのだと思います。
その派生系として、「䀋」が生まれて、後に「塩」へと変化したのだと思います。
もし、同一の漢字であれば、必ず、いろいろな字形が混じると思いますが、
参照4のサイトを見ると、「鹽」としか読めません。
ちなみに、他の面白い字形は無いかと参照4のサイトの最後の方にある字形を見ると、
「篆書」の箇所に「土偏?」に「皿」の字形がありますが、
「塩」と関係あるのでしょうか?
「簡帛」では、「鹽」の「臣」が省略されたバージョン、「行書」で初めて「明 董其昌」が
「塩」と書いていますが、「明」なのでほとんど証拠にはなりません。
参照3:「塩」は海水から作るのに、どうして「土へん」が付いているのですか?
参照4:鹽: zi.tools
参照5:塩: zi.tools
参照3のサイトの「集韻」の字形では「異体字」と書いています。
「異体字」とは、参照6のサイトによると、下記のように分類されるようです。
日本大百科全書(ニッポニカ) 「異体字」の意味・わかりやすい解説
漢字の字体のうち標準字体以外のもの。
異体文字、別体字、変体字ともいう。
広義の用法では、漢字とともに通常の字体と異なる仮名(変体仮名)をも
異体字とよぶことがあるが、通常は漢字のみをさす。異体字の分類は諸家によりかならずしも一定しないが、
(1)略字(字画を省略したもの。暦・歴→厂、幅→巾など)、
(2)合字(2字を合成したもの。麻+呂→麿、菩+薩→など)、
(3)分字(1字を2字に分割したもの。米→八木など)、
(4)古字(古文ともいう。篆(てん)書以前の古体字。
礼のように常用漢字に採用されているものもある)、
(5)俗字(世間に通用している正式でない字体。曜→など)、
(6)譌(か)字(誤字と認められるもの)などが考えられる。
これを見るに、意味を考えずに、
「字体」が似ている物を「異体字」としている様に感じます。
しかし、やはり、「漢字」はどの様な字形であっても、「意味」が存在するので、
それを無視するというのは、違うと思います。
それで、参照3のサイトにあるのは「異体字」なので、やはり、意味が異なると思います。
なので、正式には「鹽」だけど、派生的に「䀋」が作られて、
ここから「塩」という漢字に収束したのだと思います。
なにより、「鹽」、「䀋」、「塩」らが、「しお」を意味しているとなっているから、
混同しているのだと思われます。
「椎」ですが、参照7によると、「ブナ科シイノキ属の植物の総称」や、
「普及版 字通 「椎」の読み・字形・画数・意味」にある「字形」のところを見ると、
原義は「槌」の様に、「叩いたりする事」の様です。
参照7:椎(ツイ)とは?意味や使い方
字形を見ると、「隹」の部分が少し異なるのが分かりました。
参照8のサイトの後半にある「Gallery 字形」の「甲骨文賓組」を見ると、
左側が線の数が「4本」であるのに、右側は「3本」になっています。
実際に参照9のサイトにある「隹(ふるとり)」の「Gallery 字形」を見ると、
右から左に流れる「彡」の様な形には、
参照8のサイトにある「甲骨文賓組」の左側の様な形は存在していません。
「隹」に似た漢字を探しましたが、見つかりませんでした。
それらから考えて、もしかしたら、最初は「隹」では無かった可能性があります。
他の事例として、参照10のサイトにある「甲骨文」を見ると、
参照8の様に、線が「右から左に流れる」形式は、10個ほどありますが、
線が参照8の様な4本の形はありません。
ほとんどの形は、「左から右に流れる」か「真下に流れる」かのどちらかで、
参照8の様に「右から左に流れる」形式は少数になります。
あと、参照8のサイトには、「甲骨文字」までは載っていますが、
「金文」については載っていません。
「木」も「隹(ふるとり)」も普通に、「金文」以上の字形が存在するのに、
2つの漢字を合わせた「椎」では、「甲骨文字」の後、「楚(戰國)簡帛曾侯乙墓」の間が、
見つかっていません。
これは非常に不思議です。
「楚」までは、「甲骨文字」を使っていたのでしょうか?
「隹(ふるとり)」の形が変化している事は、知っていたと思うので、
「金文」が見つかっていないだけかも知れませんが、
現時点で見つかっていないのはおかしいのではないか?とも思っています。
参照8:椎: zi.tools
参照9:隹: zi.tools
意味としては、最初にあるように、原義は「槌」の様に、「叩いたりする事」の様です。
ただ、他の意味で、興味深いのは、参照8のサイトにある
「古重量单位 1.八铢 2.十二两 3.六铢」で、
どうやら、古代の重さの単位としても使われていた様です。
では、「鹽椎」を考えて行くと、
最初は、「鹽」を撃ち砕く事を仕事にしていた人なのかと、思っていましたが、
この「重さの単位」が出てきて、
もしかすると、「鹽」の重さを量る人なのかもと思いました。
確かに、「鹽」を砕くのは仕事としてあったと思いますが、
それは、下級の下がやっていたのだろうと推測しました。
なにより、「鹽椎神」と神の地位にいる人が、その様な事はしないと思うので、
「鹽」の重さを管理していた人物と考えれば、納得できます。
他に参照8のサイトには、
「铜半熟」や「古县(県)名 在今山东省文登市西」もあり、気になりますが、
「铜半熟」は「銅」を溶かす時の事だと思いますが、良く分かりません。