最終更新日 2025/03/05

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 古史古伝契丹古伝〜契丹族の伝承〜

契丹族の伝承

解説

01

辰沄繾翅報

契丹古伝では、「辰沄繾翅報」という名を良く目にします。

第三章では、「辰沄繾翅報 其義猶言東大國皇也」ともあり、
「東大國皇」という称号らしきものがみえます。

また、第二章でも「日祖名阿乃沄翅報云」とあり、「辰沄繾翅報」と関連がありそうです。

それで、「辰沄繾翅報」の読み方は、当然、「契丹語」で読まれるわけですが、
「契丹語」については、良く分かりません。

「契丹語」と「辰」で検索すると、
「AI による概要」では「契丹語で「辰」を意味する文字は「luu」です。
これは、中国語の「龍」が古代ウイグル語に借用され、
さらに契丹語に導入されたと考えられています。」とあります。

もし、これが正しければ「辰」=「luu」となり、「辰」の読みは「ルー」になります。

他の文字も合わせて調べたけど、結局、判明したのは「辰」のみでした。

あと、「契丹古伝」の研究サイトでは、「辰沄繾翅報」を「シウクシフ」なんて読みをしていますが、
これには、根拠はなく、なぜ、その様に読んでいるのか疑問です。

第四十三章〜第四十五章までにも「辰沄繾翅報」の名が存在している事から考えて、
もしかすると、「辰沄繾翅報」は、契丹族の別系統かも知れません。

契丹語と契丹文字

「契丹語」は参照1のサイトには、下記のように書いています。

モンゴル諸語に近いと考えられているが、その一方で現在のモンゴル諸語から
再構されるモンゴル祖語との違いも大きいため、
ユハ・ヤンフネンは「側モ ンゴル語」(Para- Mongolic) のひとつに位置づけている

二種類の契丹文字(契丹大字と契丹小字)で書かれた諸墓誌から知られている

この「二種類の契丹文字」である
「契丹大字」は「表意文字」、「契丹小字」は「表音文字」のようです。

あと「契丹古伝」は、参照2のサイトによると、
「契丹語の音を漢字で記録したもので、日本の万葉集と同一の様式をとっています。」
とあります。

「音」だけという事は「辰沄繾翅報」も「音」だけだと思いますが、
「辰」が「ルー」であれば、「シウクシフ」の「シ」という読みである可能性が低いので、
たぶん違うだろうと考えています。

ただ、どうしても、「音」だけというのは、おかしく、最初から最後まで、
「意味」もしっかりとしていると、解読して思いました。

例えば、「維鑑能象」を「音」のみであれば、何を指しているか不明です。

「鑑(かん)がみる象(かたち)能(よ)く維(たも)つ」と解読することで、
意味が存在します。

もし、「音」のみであれば、もっと簡単な漢字を使えば良かったと思いますが、
現実には、そうではなく、難しい漢字も多くあります。

その事から考えると、参照2のサイトにある「音」のみを漢字表記したと言うのは、
やはり、違うと思います。

参照1:契丹語

参照2:【契丹古伝】古代日本について書かれた満州の古文書【ヤマト記】

一族

第二章:「日祖名阿乃沄翅報云」

第三章:「日孫名阿珉 美辰沄繾翅報順瑳檀彌固」

第四章:「辰沄繾稱族竝爲 辰沄固朗稱民爲〜中略〜亦謂辰沄繾翅報」

第五章:「或云神祖名圖己曳乃訶斗 號辰沄須瑳珂〜中略〜
   聿肇有辰沄氏 居於鞅綏之陽 載還有辰沄氏〜中略〜
   別嗣神統顯于東冥者爲阿辰沄須氏 其後寧羲氏著名五原諸族之間」

第七章:「一曰秋洲 讀做阿其氏末」

第二十一章:「費彌國氏洲鑑賛曰」

第三十七章:「有辰沄謨率氏 本與東表阿斯牟須氏爲一 辰沄謨率氏有子
      伯之裔爲日馬辰沄氏 叔之裔爲干靈辰沄氏〜中略〜
      其最顯者爲安冕辰沄氏 本出東表牟須氏 與殷爲姻
      讓國於賁彌辰沄氏 賁彌氏立未日〜中略〜
      淮委氏沃委氏竝列藩嶺東爲」

第三十八章の「縉耘伊逗氏曰 縉耘刀漫氏 伊逗氏者殷密矩王孫所入而繼
      〜中略〜中微兒孫或爲刀漫氏所鞠育」

「辰沄繾翅報」の一族と思われるのは、上記の様になります。

ただ、上記を見て分かるように、「二〜五」、「三十七〜三十八」と分かれています。

この中間には、それらしい名はありません。

第三章

「辰沄繾翅報」の名が登場するのは、第三章ですが、「日孫名」の後の
「阿珉」が正しいのか、「阿珉美」が正しいのか不明です。

また、「阿珉美辰沄繾翅報」と読むのかについても不明です。

これらを調べても、客観的にみた情報が皆無なためです。

「契丹古伝」の事を書いたサイトには「阿珉美」を「あめみ」と書いていますが、
「珉」の読みは「ビン」なので、「め」にはなりません。

それに、「珉」は「万葉仮名」にも存在していないので、
単なる想像でしか無いと思われます。

第四章

第四章の「亦謂辰沄繾翅報」については、違和感しかありません。

この「亦」が何から来るのでしょうか。

この文の前には「韃珂洛尊皇(洛(つらなる)尊皇の韃(革装備)の珂(馬を借りる))」
がありますが、「亦謂辰沄繾翅報」に繋がるようには思えません。

ありそうなのが、「辰沄繾稱族竝爲 辰沄固朗稱民爲」に対してですが、
「辰沄固」が「辰沄繾」と同じ意味を持っているのであれば、
「辰沄固」が「辰沄繾翅報」となるのは違うと思います。

もちろん、子がいなかったから、「辰沄固」に「辰沄繾翅報」を継がせたのならば、
話は分かりますが、「韃珂洛尊皇」の文からは、その様にはみえません。

第五章

「或云神祖名圖己曳乃訶斗 號辰沄須瑳珂」という文を見ると、
「辰沄繾翅報」は、本名ではなく、號(呼び名)だと分かります。

第二章で「日祖名阿乃沄翅報云」とあるので、
「日祖」と「神祖」が存在したのだと分かります。

また、一族として「聿肇有辰沄氏」、「載還有辰沄氏」、「阿辰沄須氏」、「寧羲氏」
の四氏の名が載っています。

第七章

「一曰秋洲 讀做阿其氏末」は「一に曰く、秋洲、阿其氏末に倣って讀む 」と解読できますが、
「秋洲」は、日本列島を指しそうですが、記紀には「秋洲」は登場しません。

第二十一章

「費彌國氏洲鑑賛曰(費彌國氏、洲鑑を賛えて曰く)」とあり、
「費彌國氏」が登場します。

「洲鑑」が何かは、調べても見つかりませんでしたが、
「賛えて」という事から、「歴史書」の可能性もあるように思います。

「費彌國氏」ですが、「費」が「ひ」、「彌」が「み」だから、
「費彌」=「ひみ」=「卑彌」とする人がいますが、
「卑彌」は単なる想像でしかありません。

そもそも、どこにも書いていないのに、なぜ、この様な想像をするのでしょうか。

これは、「契丹語と契丹文字」でも書きましたが、
「契丹古伝」は「音」のみを継承と思っている人が、
「費彌」=「ひみ」=「卑彌」なんて、想像をしているのだろうと考えています。

「音」は同じでも、漢字が異なる以上、当然、意味が異なります。

なにより、「費」と「卑」では、意味が大きく異なります。

第三十七章

第三十七章では、「辰沄謨率氏」 、「東表阿斯牟須氏」、「辰沄謨率氏」、「日馬辰沄氏」、
「干靈辰沄氏」、「安冕辰沄氏」 、「東表牟須氏」、「賁彌辰沄氏」 、「賁彌氏」、「淮委氏」、
「沃委氏」が登場します。

「淮委氏」、「沃委氏」については、「辰沄繾翅報」の関係一族かは不明です。

「神祖之後 有辰沄謨率氏」とあるので、
第五章にある「神祖名圖己曳乃訶斗 號辰沄須瑳珂」の「神祖」の事だと思います。

問題は、「後」とはありますが、「何代の後」と言った詳しい情報がありません。

ただ、「神祖之後」とある事から、「五〜十世代」の後では無いか?と解釈しています。

次に「伯之裔爲日馬辰沄氏 叔之裔爲干靈辰沄氏」とあり、
「伯」と「叔」の後裔と思われますが、この二つが何を指しているのかは不明です。

あと「東表阿斯牟須氏」と「東表牟須氏」に共通する「東表」ですが、
調べると「北谷町字北谷東表原502番地」近域に、
「東表原遺跡(貝塚時代前4期から5期など)」が存在するようです。

朝鮮半島から南下すれば、沖縄に到着するので、
「東表」の一族が到着していても不思議では無いと思います。

ちなみに、「賁彌辰沄氏」も「賁彌」が「ひみ」と読むので、
安直に「卑彌」と書いているサイトもあるようですが、当然ですが、同じでは無いです。

たぶんに「日馬辰沄氏」も「馬」ではなく「彌」であれば、「ひみ」だからと言うのでしょう。

「倭人」との関係を言うのであれば、それ相応の根拠を持ってくるべきです。

第三十八章

「縉耘伊逗氏」、「縉耘刀漫氏」 、「伊逗氏」、「刀漫氏」が登場しますが、
調べても、他の書には載っていないので、詳細が不明です。

まとめ

この様に「一族」と思われるのを見ていくと、多くの支族があるようですが、
日本の歴史書の様に、誰の子孫などの情報が皆無に等しいです。

「日祖」、「日孫」、「神祖」、「神子」、「神孫」などの表記がありますが、
特定の人物名がなく、どれを指しているのか分からない事が多くあります。

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