最終更新日 2024/06/30

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 第三章 大國主神

故此大國主神 娶坐胸形奧津宮神多紀理毘賣命 生子 阿遲二字以音鉏高日子根神
次妹高比賣命 亦名下光比賣命 此之阿遲鉏高日子根神者 今謂迦毛大御神者也 大國主神
亦娶神屋楯比賣命 生子 事代主神 亦娶八嶋牟遲能神自牟下三字以音之女鳥耳神 生子
鳥鳴海神訓鳴云那留 此神 娶日名照額田毘道男伊許知邇神田下毘 又自伊下至邇 皆以音生子
國忍富神 此神 娶葦那陀迦神自那下三字以音亦名八河江比賣 生子 速甕之多氣佐波夜遲奴美神
自多下八字以音 此神 娶天之甕主神之女前玉比賣 生子 甕主日子神 此神 娶淤加美神之女
比那良志毘賣此神名以音生子 多比理岐志麻流美神 此神名以音 此神
娶比比羅木之其花麻豆美神木上三字 花下三字以音之女活玉前玉比賣神 生子 美呂浪神
美呂二字以音 此神娶敷山主神之女青沼馬沼押比賣 生子 布忍富鳥鳴海神 此神 娶若盡女神
生子 天日腹大科度美神 度美二字以音 此神 娶天狹霧神之女遠津待根神 生子
遠津山岬多良斯神

右件自八嶋士奴美神以下 遠津山岬帶神以前 稱十七世神
解読

故、此の大國主神、胸形奧津宮坐神、多紀理毘賣命娶り生む子
阿遲【二字以音】鉏高日子根神

次、妹高比賣命 亦名下光比賣命

此之(この?これの?)阿遲鉏高日子根神者(は:短語)、今者(は:短語)迦毛大御神謂う也

大國主神、亦、神屋楯比賣命娶り生む子 事代主神

亦、八嶋牟遲能神【自牟下三字以音】之女、鳥耳神娶り生む子 鳥鳴海神【訓鳴云那留】

此の神、日名照額田毘道男伊許知邇神【田下毘 又自伊下至邇 皆以音】娶り生む子 國忍富神

此の神、葦那陀迦神【自那下三字以音】亦名八河江比賣娶り生む子
速甕之多氣佐波夜遲奴美神【自多下八字以音】

此の神、天之甕主神之女、前玉比賣娶り生む子 甕主日子神

此の神、淤加美神之女比那良志毘賣【此神名以音】娶り生む子
多比理岐志麻流美神【此神名以音】

此の神、比比羅木之其花麻豆美神【木上三字、花下三字以音】之女、
活玉前玉比賣神娶り生む子 美呂浪神【美呂二字以音】

此の神、敷山主神之女、青沼馬沼押比賣娶り生む子 布忍富鳥鳴海神

此の神、若盡女神娶り生む子 天日腹大科度美神【度美二字以音】

此の神、天狹霧神之女、遠津待根神娶り生む子 遠津山岬多良斯神

右件、自八嶋士奴美神以下 遠津山岬帶神以前 稱十七世神

解説

01

大國主神の子孫 1


多紀理毘賣命の子

「大國主神 娶坐胸形奧津宮神多紀理毘賣命」とあり、
「宇氣比」の場面に登場する「多紀理毘賣命」と同一人物と思う人もいると思いますが、
「速須佐之男命」の六世孫が「大國主神」なので、
簡単に考えても、「胸形奧津宮神多紀理毘賣命」は六代の空白期間があります。

なので、同一人物では無いです。

阿遲鉏高日子根神
読み

読みの注記に「阿遲二字以音」とあるので、「音読み」指定となります。

阿:呉音・漢音:あ

遲:呉音:じ(ぢ)、漢音:ち

鉏:音読み:しょ、そ、訓読み:すき?

髙:呉音・漢音:こう(かう)、訓読み:たか

日:呉音:にち、にっ、漢音:じつ、訓読み:ひ、か

子:呉音・漢音:し、唐音:ス、訓読み:こ、ね

根:呉音・漢音:こん、宋音:げん(表外)、訓読み:ね

上記により、「阿遲」は呉音「あじ(ぢ)」、漢音「あち」となりそうです。

意味

意味を考えようとすると、「鉏」の漢字に問題が出て来ます。

それは、読みの箇所にも書きましたが、
「鉏」にサイトによって、訓読みの有無が変化していて、正解を判断するのは難しいです。

「魚を切る道具」なぜ、この様な事になったのか?については、
「鉏」と「鋤」を混同しているように思えます。

「鉏」の字源を探すと、参照133のサイトが見つかり、
「説文解字」の箇所を見ると「立薅所用也。从金且聲。士魚切」とあります。

どれが正しいかは不明ですが「鉏」は「魚を切る道具」とも考えられます。

「鉏」と「鋤」は別の漢字として扱った方が良いかも知れません。

そして、子孫もしくは、後継者の子孫の名を見ると、「志貴」、「素企」、「須岐」という
漢字を使っているので、「鉏」の読みは「すき」で正しいですが、
「魚を切る道具」とも考えられるので、用途が異なっても読みが同じだったのかも知れません。

現在でも、「下記」、「牡蠣」、「柿」という風に「かき」の読み一つとっても異なるので、
当然、古代の人達も、同じ様に使っていた可能性があります。

参照133:鉏的意思|汉典“鉏”字的基本 解释

全体

読みは「あじ(ぢ)すきたかひこね」だと思われます。

「鉏」の箇所にも書きましたが、
「魚を切る道具」の意味として作られたのが「鉏」であるなら、
「良い場所に座り、まったりした時間を過ごし、その間に釣りなどをしていた」と
解釈することが出来そうです。

神社と神名

阿遲須枳高日子根命

三澤神社、阿利神社

阿遅須枳高日子命

斐代神社

阿遅須枳高彦根命

阿利神社

阿遲須伎高日子根命

阿須伎神社(出雲國出雲郡 同社阿遲湏伎神社 祭神合祀)

阿遅鋤高日子根神

殖田神社

阿遅鋤高日子根命

大須伎神社

阿遅志貴高日子根神

天王山祖霊神社、近津神社(高野高野)、近津神社(関岡飯野)

阿遅志貴高彦根命

都我利神社

味須岐高毘古禰神

大神神社 境内 梨本神社

味鉏高彦根之命

石都々古和氣神社

味鋤高彦根神

土佐神社

味鋤高彦根命

仁壁神社、依名古神社

味鋤高根彦命

松尾八王子神社 境内 高根社

味耜高日子根命

鴨神社(玉野市)

味耜高彦根神

久多美神社、忌部神社、住吉神社 境外社 下照姫神社

味耜高彦根命

逢瀬神社、二荒山神社 中宮祠、二荒山神社、荒船神社 里宮、倭文神社、波波伎神社、
貴船神社 境内 吸葛社、二荒山神社・別宮本宮神社、都都古別神社(大字八槻)、
都都古別神社(大字棚倉)、高鴨神社、高彦根神社

阿須伎神社 島根県出雲市大社町遙堪1473

参134

祭神として「阿遲須伎高日子根命」

また、合祀された「出雲國出雲郡 同社阿遲湏伎神社 阿遲須伎高日子根命」と
平成祭データでも、同じ神名を使っています。

ところが、参照134のサイトにある「神社名鑑」の神名は表記が異なり、
「阿遅須枳高日子根命」と載っています。

当然、「伎」と「枳」では意味が異なるので、別人と考えられます。

「神社名鑑」は、「枳」の表記をどこから、見つけたのか気になります。

参照134:阿須伎神社

参135

あと、参照135のサイトに載る表記が「阿遲須伎高日古根命」とあり、
「子」が「古」に変化しています。

この表記は、上記の神社と神名にもありません。

サイト内を見ると、「社頭掲示」に載っているとありますが、検索して探すと、
二枚ある祭神紹介の掲示板には、「阿遲須伎高日子根命」とあり、
「阿遲須伎高日古根命」はどこから見つけてきたのでしょうか?

もしかすると、血統が分かる情報があったかも知れませんので、大いに気になります。

参照135:阿須伎神社

参136

このサイト、祭神が一致していません。

由緒の箇所に「祭神の阿遲須伎高日古根命」とありますが、
祭神の場所には「味耜高彦根神」とあり異なっています。

なぜ、そうなるか疑問です。

参照136:阿須伎神社(阿式社)

まとめ

上記の様に、考察してきましたが、「阿遲須伎高日子根命」、
「阿遅須枳高日子根命」、「阿遲須伎高日古根命」の3つの表記がありました。

出雲風土記では「阿遅須枳高日子命」があるようなので、
「阿遲須伎高日子根命」は理解できます。

しかし、「阿遲須伎高日古根命」に関しては、検索しても重要な情報が皆無です。

色々と調べると、播磨風土記では、「阿遅須伎高日古尼命神」の表記があるようなので、
「阿遲須伎高日古根命」は関連性があると思います。

なにより、「阿遅須伎高日古」までは一致しているので、
一族である可能性が高いと思われます。

倭文神社 鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内754

「味耜高彦根命」が祭神として祀られていますが、
参照137のサイトの一番下に「平成祭データ」が載っています。

ここでは「味耜高高彦命」とありますが、打ち間違いでしょうか?

もし、社伝等に情報が載っていたのであれば、見てみたいです。

あと、「平成祭データ」の中に、「社伝によれば。大国主命の娘下照姫命」とあります。

これは、西暦に入ってからの情報の可能性が高そうです。

古事記では、基本的に「一字一音」になっていますが、
日本書紀は、基本的に「一字二音」になっています。

「下照姫命」は「姫」で「一字二音」ですし、親子の地位が「命」止まりです。

それは、古代の地位システムが使われなくなる過渡期と仮定すると、
新しい地位システムである「姓(かばね)」の影響だと思われます。

「姓(かばね)」は三世紀頃〜四世紀頃に基本案が出来たと考えているので、
西暦1〜2世紀頃の人物と解釈する事が出来ます。

参照137:倭文神社

高鴨神社 奈良県御所市大字鴨神

祭神として「味耜高彦根命」が祀られています。

ところが「神社辞典」では「味鋤高彦根命」と異なるので、
本来の祭神が異なっていた可能性があります。

そして、出所不明な表記が下記の文です。

主祭神は、味耜高彦根命(高鴨阿治須岐宅比古神)。
他の三座には、異説もあるが、
現在は妹神の下照姫命、妹婿の天稚彦命、母神の田心姫命を祀っている。
他の説として、阿治須岐速雄命・夷守比売命・天八重事代主命など。

味耜高彦根命は大己貴命の御子神で、迦毛大神とも称される神。
『出雲国造神賀詞』に、大穴持命の子・阿遅須伎高孫根命を「葛城」に、
事代主命を宇奈堤に、賀夜奈流美命を飛鳥へと、
それぞれの神奈備において天皇の守護神としたとある。

上記のように「高鴨阿治須岐宅比古神」が登場し、
「大穴持命の子・阿遅須伎高孫根命」と別表記がありますが、別人です。

「阿遅須伎高孫根命」に関しては、「出雲国造神賀詞」に載っているようなので、
「出雲国造神賀詞」の考察の時に、改めて考えます。

「高鴨阿治須岐宅比古神」ですが、「神社辞典」の中に、表記が異なりますが、
「「延喜式」に記載の「高鴨阿治須岐託彦根命神社四座」」とあります。

神社の名であり、第四章に登場する「阿治志貴高日子根神」の、
「阿治」が一致していますので、第四章で改めて考察します。

ちなみに、「高鴨阿治須岐宅比古神」と「高鴨阿治須岐託彦根命」は、
表記と地位が異なりますので、同一人物ではありません。

この表記に関連して、検索していると、参照139のサイトに、
「「日本三代実録」貞観元年正月27日甲申条(859)」に、
「従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神」とありました。

「高鴨阿治須岐宅比古神」と似ていますが、「尼」が付いています。

もし、存在していたとすると、明らかに関係者だと思われます。

ただ、参照140のサイトでは、
「「三代実録」の859年の神階の記録には、高鴨阿治須岐宅彦根命」と書いています。

「従二位勲八等高鴨阿治須岐宅比古尼神」で検索すると、
「高鴨阿治須岐宅彦根命」ではなく、「高鴨阿治須岐宅比古尼神」と
簡単に見て、書いているサイトばかりでした。

参照140のサイトの「高鴨阿治須岐宅彦根命」は、
どこに載っていたのでしょうか?

参照138:高鴨神社

参照139:高鴨阿治須岐託彦根命神社

参照140:高鴨神社(たかかもじんじゃ、上鴨社:御所市大字鴨神)

都我利神社 島根県出雲市東林木町672

参照141のサイトに、ひとつだけ、今まで登場しなかった表記があります。

式内社調査報告

寶永二年 (一七〇五)の「神社書出帳控」を見ると、
ここに「楯縫 郡東林木村都我利神社、神名帳在出雲郡都我利神社此社也。
一八王子大名神、味耜高彦根尊」

上記を見ると分かりますが、「味耜高彦根尊」が登場します。

今までの神名調査では、ほとんど現れていましたが、今回が初めてです。

ただ、この文では、時代考証として使える情報が少なく残念です。

参照141:都我利神社

阿利神社 島根県出雲市塩冶町1686

参照142のサイトには「阿遅須枳高彦根命」とありますが、
案内板には「阿遅須枳高日子根命」とあり、異なっています。

現時点で「阿遅須枳高彦根命」の表記は、阿利神社にのみ載っていますが、
参照142のサイトの管理人は、どの本に書いていたのを見つけたのでしょうか?

参照142:阿利神社

総括

考察してみて、16種類の表記が存在した様なので、
色々な場所に出張する事が多い一族だったのかも知れません。

今回、集めた表記以外にも他の書物にも、掲載されているようです。

今回の情報でも、色々な事が分かりました。

「阿遲鉏高日子根神」が初代ですが、「阿遲」→「味」へと変化したようです。

しかし、表記の変化から考えると、変化した後は「神」という地位になれていません。

これは、時代が「神」などの地位に対する考えが変わったのだと思われます。

要因は、大陸に存在する身近な「古代中国」、
それと、何世代も東に移動してきた「古代ヨーロッパ」の人々。

これらの人から、政治などを学び、変化をしてきたのだと思います。

なので、時代が進めば、「神」以上の地位は無くなり、西暦に入り、
「神」の地位も消滅し、「命」が残ったと思っています。

最終的に、「大宝」に入り、古き地位は全て消滅し、
新しき地位である「姓(かばね)」に統一されたのだろうと考えています。

そこから考えると、「神」がある表記は紀元前の人物だと思われます。

今回調査した表記では、「阿遅鋤高日子根神」、「阿遅志貴高日子根神」、
「味須岐高毘古禰神」、「味耜高彦根神」の4つが該当します。

「阿遅鋤高日子根神」と「阿遅志貴高日子根神」は、
「鉏(すき)」→「鋤(すき)」→「志貴(しき)」と考えるには難しいと思います。

「須枳」、「須伎」、「須岐」、「耜」と全て「すき」と読むことが可能ですが、
「志貴」は「しき」になります。

ここから考えると、「鉏」が大元ですが、「すき」継承派、「しき」派と、
時期がいつかは不明ですが、分かれたのでは?と考えています。

しかし、「志貴(しき)」の一族は、名があまり残っていないので、
断絶したのか、功績が少なかったのか。

ただ、派生した時期が不明なのは確かですが、
「阿遅鋤高日子根神」と「阿遅志貴高日子根神」は、双方「日子根」を持っているので、
同時期に存在はしていない事は確かだと思います。

意味としては、「日子」は「天子」が「天の子」であるならば、
「日子」は「太陽の子」に置き換える事が出来ます。

「天子」は夜、「日子」が昼間をそれぞれ、政治などを担当していたのだと思われます。

「根」は、たぶん、トップである証では無いかと考えています。

なので、同時期であるという事は、「二頭政治」を行っているのに等しいと思います。

今後、人物辞典で情報をまとめて、考察しようと思います。

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