是於(これお)、天神の諸(もろもろ)の命(めい)を以て、
伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱神に詔(みことのり)す。
多陀用幣流(ただよえる?)之(この)國、
理(ことわり)を修め、是(これ)固めて成る。
天沼矛を賜り、而(なんじ)言依さし賜る也。
故、二柱神を天浮橋而(に)立たし(立の訓は多多志(たたし)と云う)、
其の沼矛を指の下に以て畫(えが)く者(は:短語)、
鹽許々袁々呂々邇(此の七字、音を以ってす。しおこおうろこおうろに?)
畫(えが)き、鳴し(鳴の訓は那志(なし)と云う)而(に)引き上げる時、
其の矛の末自(より)垂れ落ちて、
之(この)鹽(しお)を累(しき)りに積みて嶋に成り、
是(これ)淤能碁呂嶋(淤自(より)以下四字、音を以ってす。おのごろしま)という。
是於(これお)
「於是」から文章が始まりますが、違和感が無いでしょうか?
直前の文は、
上件 自國之常立神以下伊邪那美神以前 幷稱神世七代
上二柱獨神 各云一代 次雙十神 各合二神云一代也
となりますので、「是於(これお)」と書かれても、
何を指しているのか分かりません。
この事から、
本来、「是於(これお)」の前に別の文章が存在したと言えると考えています。
この「是於(これお)」の様な、記事の途中と思わせる場面が、
後々にも登場しますが、あえてその様にしたのか、
それとも、以前の情報が存在していなかったのか、現時点では不明です。
「天神の諸(もろもろ)の命(めい)を以て、」とありますが、
なぜ、「天神」の名が書かれていないのでしょう?
名を伏せなければ行けない人物だったのでしょうか?
それとも、「諸(もろもろ)の命」とあるので、頼みごとした人物が多すぎて
書けないから、「天神」とひとまとめにしたのでしょうか?
しかし、「於是」以前の文章に、現在の歴史を変える情報があった可能性を考えると、
現代で知る事が出来ないのは、非常に残念です。
「詔伊邪那岐命 伊邪那美命二柱神」と原文にはありますが、
二人の地位は「命」であって、まだ、「神」の地位に昇格していません。
なのに、なぜ、「二柱神」なのでしょうか?
この二人の先代?は、「次伊邪那岐神 次妹伊邪那美神」とあるように、
「神」の地位にいたと思われます。
しかし、「命」の地位は、「大御神ー大神ー神ー命」の序列では最後なので、
「柱」とするには違和感があります。
「大地を覆う木の象形」と
OK辞典
「火ともし台の皿の上で火が燃えている象形」
(静止している火から、「とどまる」の意味)」から動かない木、
「はしら」を意味する「柱」という漢字が成り立ちました。
上記から「動かない木」という意味がある漢字と分かります。
つまり、逆に考えると「動けない」とも解釈出来ます。
もう一つのもんだである、「神」ではないのに「二柱神」としているのは、
どの様に解釈するべきなんでしょうか?
可能性としては、最終の地位が「神」である先代から
名を継承して日が浅く、本来先代がするべき仕事を、
後継者である二人が引き継いだのではないかと推察しました。
もちろん、これが正しいかは分かりませんが、
地位が一致していない事からも、当たらずも遠からずではないかと思います。
上記の推察から、「二柱神」という呼称は、後継者の呼び名ではなく、
先代の呼び名で、先代である「伊邪那岐神」、「伊邪那美神」が、
急死した為に、対応が間に合わなかったと解釈しています。