目次
是を以って、高御產巢日神・天照大御神、亦、諸神等に問う
葦原中國之所に遣わした天菩比神が久しく、不復奏(ふくそうせず)
亦、何(いず)れ之神を使わすが吉
爾(なんじ)、思金神答えて白(もう)す
天津國玉神之子 天若日子遣わす可(べ)き
故爾(ゆえに) 、天之麻迦古弓【自麻下三字以音】・天之波波【此二字以音】矢賜るを以って、
天若日子、而(すなわち)遣わす
於是(これを)、天若日子、其國に到り降りる
卽(すなわ)ち、大國主神之女 下照比賣娶る
亦、其國を慮(おもんぱか)りて獲る
八年于(に)至り、不復奏(ふくそうせず)
故爾(ゆえに)、天照大御神・高御產巢日神、亦、問諸神等に問う
天若日子、久しく不復奏(ふくそうせず)
又、曷(いず)れの神を遣わすを以って、天若日子之淹留所の由を問う
於是(これを)、諸神及思金神、答えて白(もう)す
雉名鳴女を遣わす可(べ)き
之(これ)詔(みことのり)する時、汝、天若日子者(は:短語)行った狀(様子)を問う
汝、葦原中國に使わす所以者(は:短語)、
其の國之荒振神等之和(やわらぎ)者(は:短語)趣(すみや)かに言う也
何(いず)れ、八年于(に)至り不復奏(ふくそうせず)
派遣
原文:
亦使何神之吉
解読:
亦、何(いず)れ之神を使わすが吉
「何」を「いずれ」と読ませるのは、今までもあったんですが、少々、気になったので深堀します。
参照86のサイトにある「説文解字」には、「儋也。」とあります。
「儋」は、参照87のサイトには、「二人用肩扛(二人で肩に担ぐ)」や、
参照88のサイトでは、「「儋」は2石」とあります。
これは、「石」は、「古代中国で容量をはかる単位」であり、
「人がかつぐことのできる程度の量の意」だとあります。
さて、ここで疑問です。
参照86のサイトにある「何」の「商甲骨文𠂤組」の字形を見ると、
確かに「担いでいる」と解釈できる字形になっています。
なので、「何」=「儋」と言うのは、一定の説得力があります。
しかし、現代で使っている意味として、「担ぐ」や「担う」といった使い方はしていません。
それに、「いずれ」から遠ざかっています。
そこで、色々と調べると、参照89のサイトにある事が下記になります。
物を担いだ人を象ったもの(甲骨文字の形を参照)。
周代に形声文字「人」+音符「可 /*KAJ/」として再解釈された。
「になう」「かつぐ」を意味する漢語{荷 /*gaajʔ/}を表す字。
のち仮借して疑問詞の{何 /*ɡaaj/}に用いる。
Wiki
ここで、気になるのが「仮借」という言葉で、下記にまとめます。
仮借:
漢字の六書りくしょの一。音はあるが当てるべき漢字のない語に対して、
同音の既成の漢字を意味に関係なく転用するもの。食物を盛る高い脚の付いた器の意の「豆」の字を、
穀物の「まめ」の意に用いる類。六書:
漢字の構成ならびに使用に関する6原則。
《周礼(しゆらい)》《漢書》芸文志,《説文解字》等にその名が見える。
この様に、「何」の本来の意味は、「荷(担ぐ、担う)」だったが、
「周礼」で「疑問詞」として使用したので、
それを見た人達が、本来の意味とは違う、無関係な使用したというのが結果の様です。
「西周」の時代であれば、古事記の情報源の時代と合うので、
「周礼」を見て、利用したと考えられます。
参照86: 何: zi.tools
参照87: 儋的解释|儋的意思|汉典 “儋”字的基本解释
参照88: 儋 石(タンセキ)とは? 意味や使い方
参照89: 何 - ウィクショナリー日本語版
「亦使何神之吉」の解読を、「亦、何(いず)れ之神を使わすが吉」とした場合、
今まで、「遣」を使っていたのに、なぜか、ここでは「使」を使っています。
意味が異なるのは、知っているからこそ、この様に書き分けたと思います。
遣
参照90のサイトにある「説文解字」には、「縱也」とあったので、
「縱」を見ると「緩也」とあり、「緩」には、「繛也」とあり、「繛」には「素+爰」とありました。
「遣」の意味が「縱」というのは、すごくびっくりしました。
「縱」の意味を調べると、Wikiに「縦とは、糸をゆるめる」とありました。
Wikiには続きがあり、「のち仮借して「たて」を意味する漢語」になったとあり、
多分に、「遣」の意味が、「軍隊」なので、「縦社会」と考えると、間違って無さそうです。
色々なサイトを見ましたが、「遣」=「軍隊を派遣」は、共通認識だと思いました。
ただ、「辶(しんにょう)」は、「甲骨文字」段階では、存在しないので、
原意が「軍隊」かは、微妙です。
また、「甲骨文字」や「金文」が本当に「又(手)」なのかも、
字形を見ると、微妙と思ってしまいます。
この辺りは、字源辞典で、もう少し、深堀したいと思います。
参照90: 遣: zi.tools
使
参照91のサイトに、字形が載っていますが、「甲骨文字」や「西周の金文」が無く、
「楚(戰國)簡帛上博」から始まっています。
参照92のサイトでは、「史」について、下記の様に書いています。
史官を象徴するある種の道具を手に持ったさまを象る
Wiki
(具体的な由来は明らかではなく、さまざまな説があるが定説はない)。
「書記」を意味する漢語{史 /*srəʔ/}を表す字。もと「吏」「事」と同一字。
上記のように書いていますので、「諸説」が多いのだろうと思います。
そうとなると、「もと「吏」「事」と同一字。」も怪しくなり、
「同じに見えた」、もしくは、「字源が異なるが、字形が同じだった」のどちらかになりそうです。
漢字の字形は、「線一本」、「点1つ」を製作者が、色々と考えて作った字形だと思うので、
基本的に、「字形が同じ」になることはあっても、字形を作った経緯などが異なると思います。
「史」の字源が不詳だと言う事は、「吏」の字源も不詳の可能性があります。
参照91のサイトにある「説文解字」には、「令也」とあります。
参照93のサイトでは、「亼(逆さまの口)」+「卩(人の跪く姿)」、
逆さまの口がひざまずいた人に話す、お告げを聞くこと。」が「令」の字源とあります。
ここからも、「命令されて、目的地に移動して、行動する」のが「使」だと思われます。
参照91: 使: zi.tools
参照92: 史 - ウィクショナリー日本語版
参照93: 令 - ウィクショナリー日本語版
この様に、考察しました。
本題の「亦、何(いず)れ之神を使わすが吉」ですが、
もしかしたら、「使うが吉」なのかもと思いましたが、
「天菩比神」は「遣」なので、「使」ではなく、「遣」で良いはずです。
しかし、「遣」ではなく、「使」を使っているのは、少々違和感があります。
そこで、「神」について調べると、色々と異なっていました。
参照94のサイトにある「西周金文西周早期」の字形を見ると、「示」があるように思いますが、
参照95のサイトにある「商金文商」の字形は、「下向きの吹き出し」の様な形に見えます。
これは、場合によっては、「神」の字形ではない可能性があります。
Wikiには、「示」の字源を「先祖の神主(位牌)を象る。」とあり、
今まで考えてきた「生贄(動物)の台」とは、違う字源が出てきました。
でも、この「位牌」を「下向きの吹き出し」の様な形に表したと言われれば、
違和感はありません。
とは言え、多分に、「示」を表しているで問題は無いはずです。
問題は、「申」の字形です。
参照96のサイトにある「西周金文西周早期」の字形と、
参照94のサイトにある「西周金文西周早期」の字形を比較すると、
似て非なるものの印象になります。
なにより、同じ時代で比較しても、異なっているのは、違和感しかありません。
これが単に、書いた人の個人差なのか、それとも、別の字形なのかは、真偽不明です。
多分に解決できませんが、字源辞典で考察します。
参照94: 神: zi.tools
参照95: 示: zi.tools
参照96: 申: zi.tools