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天地初めて發(はつ)す之(この)時、高天原成るに於いて神名は、
天之御中主神(高の下の天の訓は阿麻(あま)と云う。此れ下も效(なら)う。)。
次高御産巣日神。次神産巣日神。
※「髙御産巣日神」の「産」が、「国宝真福寺本」では、「座」に変わる。
此の三柱神者(は:短語)、獨り神(ひとりがみ)而(に)成りて、
並んで坐り隱れる身也。
高天原
読みの注記が書かれた場所が不思議です。
本来なら、「於髙天原【訓高下天云阿麻 下效此】成神名」とあるのが
正しいと思いますが、なぜか、天之御中主神の後に書かれています。
当然、古事記は後世に遺す「公文書」なので、
間違った場合、面倒でも書き直しがされていたと思われます。
ところが、著名な写本を確認しても同じになっているので、
間違いではないと思います。
意図があったと思いますが、なぜ、このような形式を採用したのか?
今となっては、情報も少なく、推測も出来ないのは残念です。
本題の「高天原」ですが、「天」を取れば、「高原」となります。
ただ、Wikiによれば定義は曖昧なようです。
高原(こうげん)とは、
Wiki
標高が高く、連続した広い平坦面を持つ地形である。
そこで疑問なのは、
「標高が高く」とはあるが、色々と調べても明確な基準がないようです。
「天」は、自分達「天(あま)一族」が居る場所の他にも、もしかしたら、
「天(てん)」に近い場所と言う意味も含まれているのではないか?と考えています。
もし、そうであるならば、近くに「天(てん)」に近い場所があったのか、
それとも、自分達の住んでいる場所がそうだったのかも知れません。
次に、南朝鮮と九州の高原を比較すると、
古代の人達がどのように思ったのか分かりませんが、
現代では、九州の方が「高原」に適していると思いました。
そこから考えても、「高天原」は九州ではないか?と推測しています。
このサイトでは、重要な情報が無い限り、「高天原」=「九州」と考えます。
ちなみに、一章の考察では、「高天原」=「雲仙普賢岳近域」としました。
過去のブログでは、候補地に「高千穂」や「高原町」を上げています。
「高原町」の地理を見ると、四国に近い東側の内陸にあり、
南朝鮮から移動して来た天之御中主神一行が、
わざわざ、内陸に移動するだろうか?と言う疑問が出て来ます。
また、「三国名勝図會」には、名称の理由が書かれているようで下記に引用します。
土俗傳へ云、當邑を高原と號するは高天原の略称なりと、
凡日向国内此辺は、神代の皇都に係り、今に都島都島は今の都城、
高城などといへる地名殘るも此が為にて、此地、都島と接し(後略)
「高天原」の略称とありますが、先程も書いた通り、疑問しかありません。
ですが、「高天原」の人数が多くなり発展すれば、
他の土地に村を作る様になると思います。
その時に、村名を故郷の「高天原」から付けると言うのは、十分にあり得ます。
実際に、札幌市白石区や伊達市など、
入植者の故郷から付けられている地名は存在しています。
参照11:町の歴史−高原町ホームページ
「高千穂」は、「高千穂峰」・「高千穂町」・「高千穂峡」があります。
「高原町」に「高千穂峰」が付属し、霧島市に近くにあり、
「高千穂町」にあるのが「高千穂峡」で、阿蘇市の近くにあります。
地図で見ると分かりますが、「高千穂峰」は九州南部、
「高千穂峡」は九州中央に存在し、距離が大きく離れています。
調べると、双方に伝承が残されているようですが、地名の由来に関しては、
参考になるような情報はありませんでした。
過去のブログでは、上記の様に考えていたわけですが、コラムの記事により、
最近では「日本海に近い地域」の五島列島や雲仙を考えています。
本家である「阿毎」は海洋族だと思うので、その一族の分家である「阿麻」もまた、
海洋を移動する手段を持っていたと思うからです。
一章では、「高天原」=「雲仙普賢岳近域」としましたが、
「古博多湾〜古有明海」の「江(河)」を利用すれば、
本家のいる南朝鮮との行き来も比較的簡単に出来ますし、
地理的にも合っているように思います。