最終更新日 2022/08/23

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 第一章天之御中主神から伊邪那岐命と伊邪那美命まで

天地初發之時 於髙天原成神名 天之御中主神【訓高下天云阿麻 下效此】
次髙御産巣日神 次神産巣日神 此三柱神者 並獨神成坐而隱身也
解読

天地初めて發(はつ)す之(この)時、高天原成るに於いて神名は、
天之御中主神(高の下の天の訓は阿麻(あま)と云う。此れ下も效(なら)う。)。
次高御産巣日神。次神産巣日神。

※「髙御産巣日神」の「産」が、「国宝真福寺本」では、「座」に変わる。

此の三柱神者(は:短語)、獨り神(ひとりがみ)而(に)成りて、
並んで坐り隱れる身也。

解説

13

番外編

前回で、「天之御中主神」・「高御産巣日神」・「神産巣日神」の
考察が終了しましたが、「天(あま)一族」から見た歴史です。

当然、「伊一族」などから見た歴史も存在していますが、
この時点で「日(日帝)子」一族はどの様にしていたのでしょう?

「天(あま)一族」は、新しい考察の様に「高天原」構築した時期は、
戦闘が多くあり、不安定なのが分かりました。

そこで、もしかすると、
「東夷傳俀國傳」にある、「俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。」は、
夜は「天(あま)一族」」、昼は「日(日帝)一族」が戦闘を分担したのが、
起源ではないか?と思う様になりました。

しかし、他の情報が皆無なので、検証する事が出来ず残念です。

東夷傳俀國傳

隋書の「東夷傳俀國傳」の原文と解読を下記に載せておきます。

開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌
遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言 俀王以天爲兄 
以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務
云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之

東夷傳俀國傳

開皇二十年、俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤、阿輩雞弥(おおきみ)と号(ごう)し、
使いを遣わして闕(みかど)に詣(まい)らしむ。

上、所司(しょし)をしてその風俗を問わしむ。

使者言う、俀王は天を以て兄と為し、日を以て弟と為す。

天未(いま)だ明けざる時に、出でて政(まつりごと)を聴くに跏趺(かふ)して坐す。

日出ずれば、すなわち理務を停(とど)めて、我が弟に委(ゆだ)ぬと云う。

高祖曰く、此れ太(はなはだ)義理なし。

是に於て訓(おし)えて之を改めしむ。

Wiki

これは、俀國の記事として掲載されている文です。

「俀國」は「倭國」の誤りとWikiにはありますが、
間違いではなくその時には、その漢字を使っていたのでしょう。

なにより、以前にも書きましたが、公文書で間違えるのは、隋國にとっても恥ですし、
他国には、付け入る隙を与えてしまいます。

天孫氏

「高天原」の推測地を探していて、九州だけでなく沖縄も調べていたら、
天(あま)なる國に関係するような記載を見つけました。

「天孫氏」と言う琉球最初の王統とされる氏族です。

参照34のサイトの「中山世鑑の内容」を読むと、
天帝・島の創造や男女の神と言うキーワードが記紀の神話に酷似しています。

関連性

天の最高神(アマミクまたはアマミキヨ)と書かれているのも
関連性がありそうです。

もちろん、今は点と点でしかありませんが、共通点もあります。

古事記では「天(あま)」としていますが、
中山世鑑の天の最高神(アマミクまたはアマミキヨ)にも「あま」が存在します。

あと、「天(あま)一族」の「天子思想」と「天孫氏」の「天帝思想」も、
ほぼ同じと考えても良いと思います。

この二点から考えても、「天(あま)一族」と「天孫氏」は
同じ様な考えを持つ人々と言えると思います。

大業元年

参照34のサイトには、気になる一文が、下記の様に書かれています。

東恩納寛惇によれば、始まりの乙丑の年は、
「流求」の名が歴史的に現れた大業元年(605年)と同じであるため、
これから取り入れたと考え、
また、滅亡した丙午の年は舜天が即位した1187年(淳煕14年)の前年にあたるとし、
すなわち1186年(淳煕 13年)を天孫氏が滅亡した年としたのではないかと述べている。

Wiki

「「流求」の名が歴史的に現れたのが大業元年(605年)」と言うのは、
すごく重要な情報になります。

この前年までに、冠位十二階(603年)、十七条憲法(604年)と
法令等の変更がされています。

そして、参照34のサイトには、下記の様にも書かれています。

天孫氏は人民に食事、住居、農業、塩や酢の製法を教え、また彼らは、
沖縄を「国頭(くにがみ)」・「中頭(なかがみ)」・「島尻(しまじり)」に区分、
さらに、間切や按司を設置したと記している。

Wiki

天孫氏には「食事、住居、農業、塩や酢の製法」を教えるだけの知識と技術があり、
「地域の区分」や「按司などの位階の設置」で、
階級制度を持っている事を考えると、
列島の「天(あま)一族」の分家と考えるほうが納得出来ます。

過去にブログで

他にも、「琉球」の漢字のつくりは「王へん?」で、
球(たま)が流れる→球=玉?→王が流れるとも
受け取れるのではないかと、漢字を見ていて気が付きました。

と書きましたが、権力争いに負けた人が、南西諸島に逃げ込んで、
再起を果たしたのが「天孫氏」とも推測出来ます。

他に、「天孫氏」歴代の王名が分からない問題は、
戦等で消失した可能性が高いとは思いますが、
「天(あま)一族」の分家と仮定すると、別な方面で見つかるかも知れません。

参照34:天孫氏 - Wikipedia

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