最終更新日 2025/07/29

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 第六章 海佐知毘古と山佐知毘古

是以 備如海神之教言 與其鉤 故自爾以後 稍兪貧 更起荒心迫來 將攻之時 出鹽盈珠而令溺
其愁請者 出鹽乾珠而救 如此令惚苦之時 稽首白 僕者自今以後 爲汝命之晝夜守護人而仕奉
故至今 其溺時之種種之態 不絶仕奉也

於是 海神之女・豐玉毘賣命 自參出白之 妾已妊身 今臨產時 此念 天神之御子不可生海原
故參出到也 爾卽於其海邊波限 以鵜羽爲葺草 造產殿 於是 其產殿未葺合不 忍御腹之急
故入坐產殿 爾將方產之時 白其日子言 凡佗國人者 臨產時 以本國之形產生
故妾今以本身爲產 願勿見妾

於是思奇其言 竊伺其方產者 化八尋和邇而 匍匐委蛇 卽見驚畏而遁退 爾豐玉毘賣命
知其伺見之事 以爲心恥 乃生置其御子而白 妾恒通海道欲往來 然伺見吾形 是甚怍之
卽塞海坂而返入 是以 名其所產之御子謂天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命
【訓波限云那藝佐 訓葺草云加夜】

然後者 雖恨其伺情 不忍戀心 因治養其御子之緣 附其弟玉依毘賣而 獻歌之 其歌曰

阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理

爾其比古遲【三字以音】答歌曰

意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇

故日子穗穗手見命者 坐高千穗宮 伍佰捌拾歲 御陵者 卽在其高千穗山之西也

是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 娶其姨・玉依毘賣命 生御子名 五瀬命 次稻氷命
次御毛沼命 次若御毛沼命 亦名豐御毛沼命 亦名神倭伊波禮毘古命 四柱 故御毛沼命者
跳波穗渡坐于常世國 稻氷命者 爲妣國而入坐海原也
解読

是以(これをもって)、海神之教えを、其の鉤(かぎ)と與(ともに)、備える如くに言う

故、爾(なんじ)自(より)以後、稍(ようやく)貧しさ兪(しかり)

更(さらに)、起きて荒れて心迫來る

將(まさに)、之(これ)攻める時、鹽(しお)が盈(みちる)珠から出して、
而(すなわち)溺れるを令(うながす)

其の愁いを請う者(は:短語)、鹽(しお)が乾く珠而出して救う

此如(このごとくに)、惚(ほう)けるを令(うながし)苦しい之(これ)の時に、
稽首(けいしゅ)して白(もう)す

僕(やつがれ、使用人)者(は:短語)今自(より)以後、
汝の命之晝夜守護人而(に)仕奉(つかえたてまつる)と爲す

故、今、其の溺れた時之種種之態に至るを不絶仕奉(つかえたてまつる)也


是於(これにおいて)、 海神之女・豐玉毘賣命參る自(より)出て之(これ)白(もう)す

妾の已は妊(はらむ)身、今、產む時に臨み、
此の念、天神之御子、海原で生不可(いきるべきでない)

故、參り出て到る也

爾(なんじ)、卽(すなわち)、其の海邊(うみべ)の波限(なぎさ?)に於いて、
鵜の羽を以って葺草と爲す

產む殿を造り、是於(これにおいて)、其の產む殿の葺(ふき)未だ不合(あわず)
忍び御腹之(これ)急す

故、產む殿に入って坐す

爾(なんじ)、將(まさに)方(ただしく)產む之(これ)の時、其の日子言い白(もう)す

凡(すべて)の佗(他?)國人者(は:短語)、產む時に臨み、
本國之形を以って產み生かす

故、妾は今、本身を以って產むと爲す

妾の願見る勿(なかれ)


是於(これにおいて)、其の言う思い奇しい

其の方を伺い竊(ぬすみ)產む者(は:短語)、八尋和邇而(に)化け、
匍匐(ほふく)し蛇に委ねる

卽(すなわち)、驚き畏れ見て、而(すなわち)退遁(たいとん)す

爾(なんじ)豐玉毘賣命、其の伺い見る之(これ)の事を知り、
心を以って恥ずかしと爲す

乃(すなわ)ち、其の御子而(に)置生し白(もう)す

妾、恒(つねに)海道を通い往來を欲す

然し、吾の形を伺い見て、是(これ)之(これ)怍るは甚だしく

卽(すなわち)、塞海坂而(に)入り返る

是以(これをもって)、其の所で產む之(これ)御子の名を、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂う
【訓波限云那藝佐 訓葺草云加夜】


然し後者(は:短語)、其の伺う情を恨むと雖(いえども)、戀(こい)心を不忍(しのばず)

因って、其の御子之緣を治めて養う

其の弟玉依毘賣而(に)附き、之(これ)歌を獻(たてまつる)

其の歌と曰く

阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理

あかだまは をさへひかれど しらたまの きみかよそひし たふとくありけり

爾(なんじ)其の比古遲【三字以音】の答え歌いて曰く

意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇

おきつとり かもどくしまに わがいねし いもはわすれじ よのことごとに

故、日子穗穗手見命者(は:短語)、高千穗宮に坐し、伍佰捌拾歲(580歳)、
御陵者(は:短語)、卽(すなわち)其の高千穗山之西に在る也

是(これ)、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 其姨(おば)玉依毘賣命を娶り、
生まれる御子名、五瀬命、次稻氷命、次御毛沼命、次若御毛沼命、亦名豐御毛沼命、
亦名神倭伊波禮毘古命 四柱

故、御毛沼命者(は:短語)波穗に跳び渡って常世國于(に)坐す

稻氷命者(は:短語)、妣(なきはは)の國而(に)入ると爲す

海原に坐す也

解説

05

鵜葺草葺不合命親子


天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命

神社

○命系

鵜葺草葺不合命

師岡熊野神社、伊努神社、高野神社(高野本郷)

鵜草葺不合命

諸橋稲荷神社、宇波西神社

鵜茅草葺不合命

多久頭魂神社(神社由緒)、海神神社

鵜茅葺不合命

木嶋坐天照御魂神社、美作総社宮 境内 二宮高野神社

鵜萱葺不合命

加知彌神社

鵜鷀草葺不合命

佐羅早松神社

鸕鷀草葺不合命

木嶋坐天照御魂神社(葛野郡神社明細帳)、熊野速玉大社 境内 第九殿 子守宮

彦波瀲武鸕鷀草葺不合命

忌部神社

彦波狹武鵜草葺不合命

比賣神社

○尊系

天津日高彦波限建鵜葺草葺不合尊

宮浦宮

彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊

臼谷八幡宮、走田神社、高千穂神社、狹野神社、宇奈岐日女神社、
住吉神社(鴨居瀬174)、住吉神社(雞知字浜田原上ヒナタ1281)、
玉依神社、津神社、津之宮神社

彦波瀲武鵜草葺不合尊

白城神社

彦波限建鵜葺草葺不合尊

高野神社(二宮)

鵜葺草葺不合尊

霧島岑神社

鵜草葺不合尊

常神社(合祀)、糸岡神社、長岡神社、鵜甘神社、鵜川神社

鵜茅草葺不合尊

佐佐牟志神社

鵜茅葺不合尊

和多都美御子神社、宇閇神社

鵜萱葺不合尊

引宮神社、

鵜鵜草葺不合尊

大虫神社、鳥屋嶺神社、敷山神社

鵜鵜葺不合尊

石田神社

鸕鷀草葺不合尊

熊野那智大社 境内 第九殿 子守宮、宮崎神宮、霧島神宮、霧島東神社、莫越山神社、
若狭彦神社 境内 若宮社、知立神社

鸕鷀葺不合尊

熊野本宮旧社地 大斎原 境内 第八殿 子守宮、鵜戸神宮

葺不合尊

東霧島神社、大與比神社

まとめ

「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」という本来の表記の祭神はありませんでしたが、
面白い結果となりました。

全般的に、前半の「天津日高日子波限建」は省略されていて、
「鵜葺草葺不合命」の表記を変化させていく事になります。

変化させているのは、「鵜葺草」の「葺」で、これを「茅」や「萱」にしています。

しかし、「茅」や「萱」の読みは「かや」であり、「葺(ふ)き」ではありません。

多分、時代の経過で、「草」で「葺いて」いたのを、「茅葺き」に変更し、
「忘れ草」という「ユリ科の多年草」で葺く事を覚えたのでは無いか?と思います。

ただ、「鵜鷀草葺不合命」の様に「鵜鷀」を付けたり、
「鸕鷀」という言葉に置き換えるのは、疑問に思えます。

なぜなら、「鵜」という漢字があるので、
「鷀」や「鸕鷀(ろじ)」という別の漢字に置き換える必要性が無いと思うからです。

でも、良く調べると「鵜」、「鷀」、「鸕鷀」の意味が違うのが分かって来ました。

「鵜」:

「ほこ(矛)になめし皮を順序良くらせん形に巻きつけた形」の象形
(「順序」、「弟」、「従う」の意味)と「鳥」の象形から
人に従う鳥「ペリカン」を意味する「鵜」という漢字が成り立ちました。

OK辞典

「鷀」:

ウ科の鳥の総称

「鸕鷀」:

カツオドリ目ウ科ウ属の鳥の名。

全長80センチほど。

全身黒色。

くちばしの先はかぎ形に曲がる。

河川や湖沼に生息し、水中に潜って 魚を捕る。

カワウ。

別名、鷧イ。Phalacrocorax carbo 

▽中国ではカワウを鵜飼いに用いる。

典拠:『爾雅』釈鳥「鶿シ、鷧イ」
(郭璞の注に「即ち鸕鷀ロシなり。觜の頭曲がりて鉤の如し。魚を食ふ」)、
『史記』司馬相如伝「鵁・鸕群れて其の上に浮かぶ」 

上記の様に、元々「鵜」とは「ペリカン」を指す言葉だった様です。

また、「鷀」は「ウ科の鳥の総称」とありましたが、
「鸕鷀」としてなのか、「鷀」としてなのかは不明です。

「鸕鷀」としては、「カツオドリ目ウ科ウ属の鳥」という事なので、
「ペリカン目ペリカン科の鳥の総称」である「鵜」とは全く異なります。

そのため、同じ表記として使われるのは間違っていると思います。

参照4:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「鵜」という漢字

参照5:鳥の名の漢字(38)「鸕」

日子穗穗手見命

「日子穗穗手見命」は第五章の最後の
「次生子御名、火遠理命、亦名、天津日高日子穗穗手見命」に見えます。

ところが、「故日子穗穗手見命者 坐高千穗宮〜」の文以前には、登場していません。

これにより、やはり、「火遠理命」と「天津日高日子穗穗手見命」は別人であり、
昔から継承されてきた「火遠理命」という名を
「天津日高日子穗穗手見命」が継承したのだと思われます。

もしくは、「火遠理命」が「天津日高日子穗穗手見命」を名乗ったのでしょう。

その意味は不明です。

もし、本当に「亦名」だというのであれば、
現在必要としているのは「天津日高日子穗穗手見命」なので、
この名を使えば良いのです。

ところが、「天津日高日子穗穗手見命」の名は使わず、
「火遠理命」を使っているのを見れば、
「亦の名」というのは、違うというのは、すぐに分かります。

また、今回「天津日高」が省略されている事から考えて、
「天津日高日子穗穗手見命」が他に存在する可能性も考えられますが、真偽は不明です。

神社に関しては、第五章の「天津日高日子穗穗手見命」を参考にして下さい。

年齢

「伍佰捌拾歲(580歳)」と亡くなった時の年齢が書かれていますが、
当然、これは、一代での年齢では無いと思います。

紀元前1000年頃の寿命は、「約30歳」と言われています。

単純に割ると「19.333333333」になるので、約20代分の年齢という事になります。

「神倭伊波禮毘古命」の代と考えると「紀元前660年頃」なので、
「580年」足すと、「紀元前1240年」に「日子穗穗手見命」が生まれた事になります。

真偽に関しては、調べようがありません。

御陵

「御陵者 卽在其高千穗山之西也」とありますが、
「高千穗山之西」とは、どこの事を指しているのでしょうか?

「西」と言っても、範囲が広いと思います。

姨玉依毘賣命

「娶其姨・玉依毘賣命」とあり、「姨」が「おば」となっています。

「弟玉依毘賣」でも、普通の「玉依毘賣命」でもなく、「姨玉依毘賣命」です。

問題は、誰から見て「姨」なのかです。

「是天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 娶其姨・玉依毘賣命」の文からは、
「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の「姨(おば)」に見えます。

「姨」は「母の姉妹」や「妻の同母姉妹」らしいので、
「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の「母の姉妹」の可能性が高いように思えます。

そうなると、「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」は近親婚で、
子を産んだ事になりそうです。

五瀬命

神社

五瀬命

道相神社、高千穂神社 境内 四皇子社、安仁神社

彦五瀬命

健男霜凝日子神社 下宮、健男霜凝日子神社、鵜戸神宮 境内 皇子神社、竈山神社

彦五瀬尊

糸岡神社

まとめ

「彦五瀬命」と「彦五瀬尊」の「彦」はどこから来るのでしょうか?

本来は「五瀬命」であり、「彦」の元である「日子」はありません。

なので、継承されたとしても、「彦」は付かないと思います。

しかし、付いているという事は、「五瀬命」と「彦五瀬命」の間に、
「日子」が付く出来事があったのかも知れません。

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