是以(これをもって)、海神之教えを、其の鉤(かぎ)と與(ともに)、備える如くに言う
故、爾(なんじ)自(より)以後、稍(ようやく)貧しさ兪(しかり)
更(さらに)、起きて荒れて心迫來る
將(まさに)、之(これ)攻める時、鹽(しお)が盈(みちる)珠から出して、
而(すなわち)溺れるを令(うながす)
其の愁いを請う者(は:短語)、鹽(しお)が乾く珠而出して救う
此如(このごとくに)、惚(ほう)けるを令(うながし)苦しい之(これ)の時に、
稽首(けいしゅ)して白(もう)す
僕(やつがれ、使用人)者(は:短語)今自(より)以後、
汝の命之晝夜守護人而(に)仕奉(つかえたてまつる)と爲す
故、今、其の溺れた時之種種之態に至るを不絶仕奉(つかえたてまつる)也
是於(これにおいて)、 海神之女・豐玉毘賣命參る自(より)出て之(これ)白(もう)す
妾の已は妊(はらむ)身、今、產む時に臨み、
此の念、天神之御子、海原で生不可(いきるべきでない)
故、參り出て到る也
爾(なんじ)、卽(すなわち)、其の海邊(うみべ)の波限(なぎさ?)に於いて、
鵜の羽を以って葺草と爲す
產む殿を造り、是於(これにおいて)、其の產む殿の葺(ふき)未だ不合(あわず)
忍び御腹之(これ)急す
故、產む殿に入って坐す
爾(なんじ)、將(まさに)方(ただしく)產む之(これ)の時、其の日子言い白(もう)す
凡(すべて)の佗(他?)國人者(は:短語)、產む時に臨み、
本國之形を以って產み生かす
故、妾は今、本身を以って產むと爲す
妾の願見る勿(なかれ)
是於(これにおいて)、其の言う思い奇しい
其の方を伺い竊(ぬすみ)產む者(は:短語)、八尋和邇而(に)化け、
匍匐(ほふく)し蛇に委ねる
卽(すなわち)、驚き畏れ見て、而(すなわち)退遁(たいとん)す
爾(なんじ)豐玉毘賣命、其の伺い見る之(これ)の事を知り、
心を以って恥ずかしと爲す
乃(すなわ)ち、其の御子而(に)置生し白(もう)す
妾、恒(つねに)海道を通い往來を欲す
然し、吾の形を伺い見て、是(これ)之(これ)怍るは甚だしく
卽(すなわち)、塞海坂而(に)入り返る
是以(これをもって)、其の所で產む之(これ)御子の名を、
天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命と謂う
【訓波限云那藝佐 訓葺草云加夜】
然し後者(は:短語)、其の伺う情を恨むと雖(いえども)、戀(こい)心を不忍(しのばず)
因って、其の御子之緣を治めて養う
其の弟玉依毘賣而(に)附き、之(これ)歌を獻(たてまつる)
其の歌と曰く
阿加陀麻波 袁佐閇比迦禮杼 斯良多麻能 岐美何余曾比斯 多布斗久阿理祁理
あかだまは をさへひかれど しらたまの きみかよそひし たふとくありけり
爾(なんじ)其の比古遲【三字以音】の答え歌いて曰く
意岐都登理 加毛度久斯麻邇 和賀韋泥斯 伊毛波和須禮士 余能許登碁登邇
おきつとり かもどくしまに わがいねし いもはわすれじ よのことごとに
故、日子穗穗手見命者(は:短語)、高千穗宮に坐し、伍佰捌拾歲(580歳)、
御陵者(は:短語)、卽(すなわち)其の高千穗山之西に在る也
是(これ)、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 其姨(おば)玉依毘賣命を娶り、
生まれる御子名、五瀬命、次稻氷命、次御毛沼命、次若御毛沼命、亦名豐御毛沼命、
亦名神倭伊波禮毘古命 四柱
故、御毛沼命者(は:短語)波穗に跳び渡って常世國于(に)坐す
稻氷命者(は:短語)、妣(なきはは)の國而(に)入ると爲す
海原に坐す也
稻氷命ら三兄弟
日本書紀では、「稻飯命」と「彥稻飯命」で書かれていますが、
これも全く意味が違います。
「稻氷」の意味としては、「氷室」の様な場所に「稲」を保管していたと解釈できます。
しかし、「稻飯」では、単に「ご飯」の言い方を変えているだけになり、
「稻氷」の意味とイコールにはなりません。
また、ここでも「彦」が付いていますが、何があったのでしょうか。
ちなみに、「稻氷命」を祀っている神社は、簡単に調べた限りありませんでした。
185 右京 皇別 新良貴 彦波瀲武草葺不合尊男稲飯命之後也
是出於新良国。即為国主。稲飯命出於新羅国王者組合
「武草」となっていますが、ここには「鵜」が入ります。
なのに、この様に伏せ字になっているという事は、
別の漢字を使ったという事だと思います。
また、「日本書紀」では、「彥波瀲武鸕鷀草葺不合尊」とあり、「武」を使っていますが、
本来は「天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命」の様に「建」は入るので、
「古事記」と「日本書紀」の人物とは別人です。
子孫かどうかも、不明です。
「是出於新良国」では、「新良国」という表記を使っていますが、
「稲飯命出於新羅国王者組合」では、「新羅国」という表記を使っています。
これは、別の國だと思っています。
多分に「是出於新良国。即為国主。」と「稲飯命出於新羅国王者組合」は、
本来は別だったのを、「稻氷命」や「稲飯命」の表記を見て、
同じだと考えた結果だと考えています。
本当に同じなら、表記も同じになるはずです。
また、時代が異なる事も考えられます。
例えば、「是出於新良国。即為国主。」が紀元前660年頃、
「稲飯命出於新羅国王者組合」は、例えば西暦とかでは無いかと思っています。
読みについてですが、多くの人は「新羅」から「しらぎ」と読むと思いますが、
「新良」は「しんら」で、「新羅」も元々「しんら」だったのが、
後世になって変化して「しらぎ」になったのだと思います。
なぜなら、「新良」も「新羅」も、どの様に見ても「しらぎ」には見えないからです。
それに、「是出於新良国。即為国主。」の記事が紀元前57年以前であった場合、
「朝鮮新羅」は、存在していないと思うので、
やはり、「しらぎ」と読むのは間違いだと思います。
そもそも、「朝鮮新羅」は「三国史記」などで、ある程度の情報が存在しているので、
「新良」=「朝鮮新羅」と考えるのは、まだまだ早いと思います。
日本書紀では「三毛入野命」、「三毛野命」、「稚三毛野命」の
三種の表記を使っている様ですが、「御毛沼命」と通じていないのは驚きです。
多分に、日本書紀の表記は、古事記の後世の人物が、
少しずつ変化させた結果だと思います。
そうでなければ、「沼」=「入野」にはならないでしょう。
また、他のサイトで、「三毛入野命」を「みけぬのみこと」としていますが、
「入」を仮に「万葉仮名」にしたとしても「ぬ」にはなりません。
ちなみに「万葉仮名」の「入」は「り」です。
「鬼八伝説」で語られている
「三毛入野命」と「鵜目姫命」の夫婦が祀られている様です。
参照6のサイトには「鵜目姫」と書いていますが、
他のサイトでは「鵜目姫命」としていて、どちらが正しいのか不明です。
多くの人は「命」の有無は気にしないと思いますが、
現実には、「命」の地位にいるかどうかで変わってきます。
ただ、簡単に見た感じ、8割以上は「命」ありなので、本来はあったのでしょう。
参照7のサイトには、下記の様に書かれています。
宮崎県高千穂町の伝承では、三毛入野命は常世に渡ったのではなく、
兄弟たちからはぐれてしまったので、出発地の高千穂に帰還したとする。高千穂には「鬼八(きはち)」という悪神がいて、人々を苦しめていたので、
三毛入野命はこれを退治し高千穂の地を治めたと伝えている。三毛入野命は高千穂神社の祭神であり、
その妻子神とあわせて「十社大明神」と称されている。
また三毛入野命を祖先と伝える高千穂太郎の子孫とされる三田井親武について、
袴谷の三毛入野命の鬼八討伐の 由来を継ぐ小祀と
三田井親武の首塚を合祀した宮水神社が宮崎県日之影町にある。
此地に三田井家とて、神皇第五代鸕鶿草葺不合尊が
第三の御子三毛入野命より傳り五十二第に至て世子なきにより
豊後緒方の庄惟基の嫡子 を養ふて子となし高千穂太郎政次と稱し
其後七百三十餘年即ち天正十五年親武の代に至り
縣の高橋氏の爲○に亡ぼされたりといふ。
— 曽小川彦千代 1899.3、『日向都案内記』p89
まず、「御毛沼命」が「常世國」に行ったのであって、
本人ではない「三毛入野命」は無関係なので、
「高千穂」に帰還したとしても不思議では無いです。
そして、「三毛入野命」が「鬼八」を退治したのが、いつなのか?も問題です。
「高千穂」に帰還した「三毛入野命」が退治したのか、
それとも、だいぶ時間が空いてからなのか。
しかし、残念ながら、これらの文からは分かりません。
また、「神皇第五代鸕鶿草葺不合尊」ですが、「神皇」とはどこから出たのでしょうか?
「神皇正統記」という言葉はありますが、
実際に「神皇」という地位は存在していません。
そのため、「神皇第五代」というのも、怪しいと思わざるを得ません。
そもそも、証拠になり得るものがありません。
これにより、これらの文の信憑性が無い事になります。
参照6:三毛入野命
参照7:三毛入野命(Wiki)
「亦名豐御毛沼命、亦名神倭伊波禮毘古命」とあるので、
「若御毛沼命」が亡くなった後に、「豐御毛沼命」が「若御毛沼命」を継承し、
その後に「神倭伊波禮毘古命」が継承したと思われます。
「豐御毛沼命」は、最初の「若」と「豐」のみの差なので、
もしかすると、「若御毛沼命」の子の可能性があります。
父親の名称を子が継承しても不思議では無いです。
そうなると、「神倭伊波禮毘古命」は
「豐御毛沼命」の養子もしくは子の可能性もありそうです。
松江伊津岐神社
許波多神社、矢彦神社、鸕宮神社、
熊野速玉大社 境内 新宮神社(村社・渡御前社祭神合祀)
大神神社、吉備津彦神社
三宅神社(合祀)、春日大社 境内 三十八所神社、高千穂神社 境内 四皇子社、
神島神社
糸岡神社
津神社、三宅神社
大前神社(明治神社誌料)
大前神社
霧島神宮、佐佐牟志神社、宇奈岐日女神社
布都神社
玉置神社、知立神社、鵜戸神宮、東霧島神社、霧島東神社、多々神社、狹野神社、
宮崎神宮、白和瀬神社 境内 車松神社
駒形根神社 嶽宮、駒形根神社
三峯神社 境内 国常立神社
加畑賀茂神社 境内 鷺之森神社
「若御毛沼命」を祭神とする神社はなんとか見つけた感じで、
「神倭伊波禮毘古命」に関しては、1つの神社もありませんでした。
問題としては、例えば「神日本磐餘彦命」の様に、
「神倭伊波禮毘古命」の「伊波禮」が無い事です。
ほとんどが、「神倭磐余彦命」という風に「磐余」としています。
しかし、これは「伊波禮」からかけ離れた言葉になります。
「伊波禮」は「いはらい(呉音)」ですが、
「磐余」は「いわよ」、呉音なら「はんよ」となります。
なぜ、「伊波禮」=「磐余」となってしまったのか、非常に気になります。
どの様に考えても、イコールにはなりません。
「伊波」=「磐」は、問題なさそうですが、「禮」=「余」はどうにもなりません。
「禮」を仮に「万葉仮名」にしても「れ」なので、「余」の「よ」とはなりません。
すごく不可解です。
また、他にも「神日本磐餘彦火々出命」、「神日本磐余彦彦火火出命」、
「神日本磐余彦火火出見尊」の3つの名は、
なぜ、「彦火火出見」と思う様な名が後ろに付いているのでしょうか。
確かに、「日本書紀」では「神日本磐余彥天皇、諱彥火火出見」となっていますが、
「古事記」ではなっていません。
古事記では、第六章の最後の方で「日子穗穗手見命」が登場しますが、
それだけで、日本書紀の様には結びつきません。
もし、本当に、「日本書紀」の内容が正しいのならば、
「古事記」にも記載されているはずです。
そうなると、「神日本磐余彥」という当時の人物の諱が
「彥火火出見」だと言う事だと思います。