目次
左の御美豆良(みづら)、八尺(やさか)に勾(ま)がる璁(いし)之、
五百津(いおつ)之美須麻流珠の而(ひげ)を纏(まと)う所で、
天照大御神、速須佐之男命に乞うを度す。
奴那登母母由良邇(ぬなとももゆらに)振り、天之眞名井而(に)滌(あら)う。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。
亦、右の御美豆羅(みづら)の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、天之菩卑能命。(菩自(より)下三字、音を以ってす。)
亦、御𦆅(かずら?)の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、天津日子根命。
又、左の御手の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、活津日子根命。
亦、右の御手の珠而(に)、纏(まと)う所で乞うを度す。
佐賀美邇迦美(さがみにかみ)而(に)、吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る
所の神の御名、熊野久須毘命。(久自(より)下三字、音を以ってす。)
天之菩卑能命を祀る神社と神名
若宮神社(横須賀)、八王子神社(明智町)、茅渟神社、川併神社(久居元町)、
尾鷲神社、土師神社(土師町)、馬瀬神社、酒井神社(徳居町、合祀)、賀多神社、
宇氣比社(肥田町)、宇爾櫻神社、蘭宇氣白神社、津田神社(井内林、合祀)、坂社、
山辺神宮、鳥墓神社、大神山神社 境内 朝宮神社
老津神社、千王神社(栗真町屋)、粥見神社、古濱神社、阿曽神社(阿曽浦)、
有間野神社、佐伯神社(神西沖町、合祀)
八王子神社(春野町)、相生神社(多気郡)、丹生都比賣神社(八王寺神社祭神合祀)
八柱神社(横尾)
高天神社(掛川市)
木造神社
八王子神社(磐田市)
深江神社(深谷部)
八王子神社(袋井市)
吉田神社(八王子町)、八雲神社(赤部)
亀戸天神社、彌牟居神社(合祀)
牛嶋神社、摂社若宮牛島神社、八柱神社(鵺代)、多為神社、川併神社(須賀瀬町)、
八幡宮(日原町)、都波奈彌神社、松尾八王子神社
佐久多神社
伊勢寺神社(岩内町・深長町・殿村町の八柱神社祭神合祀)
彌榮神社(東大阪市)、八雲神社(一色)
福徳神社、大戸里神社、御嶽神社(小曾木)、金山天神社、廣峯神社、西郡天神社、
八幡宮(津和野町中曽野)、彌栄神社(津和野町後田)、八坂神社(貞光町)、
川添神社、弥栄神社(津和野町稲成丁)、石津太神社、船待神社、八尾天満宮、
西外城田神社
須原大社
御劔神社(八尾市)、都波只知上神社(合祀)
中山神社 境内 天神宮
今回の調査により、「天之菩卑能命」を初代とする「菩」組、
「天之穂日命」を筆頭とする「穂」組に分かれている事が分かりました。
また、「菩」組内でも、「天之菩卑能命」の「卑」家、
「天之菩比能命」の「比」家、「天之菩日命」の「日」家が
存在していた可能性がありそうです。
ただ、他にも「天之菩毘能命」、「天之菩昆能命」、「天之苔昆能命」があり、
「毘」家、「昆」家も存在してたとも解釈できそうです。
基本となる表記で、初代と考えられます。
神社を調べていて、考えていたよりも多くの神社が使用していると感じました。
「天穂日命」の表記に置き換わっていると思っていましたが、
もしかすると、「菩」組と「穂」組は別の一族かも知れません。
「卑」家の役割は、「たる」に入った商品の検品が主だと考えています。
この表記は、この後の場面で、下記のように記載があります。
原文:
故、此後所生五柱子之中、天菩比命之子、建比良鳥命
もちろん、「天之菩卑能命」=「天菩比命」ではありません。
古事記編纂作業の際、現代人と同じく、読みが同じと考えたと思われ、
「五柱」という表現をしたのかも知れません。
また、神社に「天之菩比能命」という表記が残されているので、
「天菩比命」は「天之菩比能命」よりも後の存在と言えると思います。
そうなると、「天之菩卑能命」と「天之菩比能命」は同時期に存在し、
「天之菩卑能命」をリーダーとした集団に属していたとも解釈できます。
次に、この「比」家の役割ですが、
「比」とありますが、「匕(さじ)」が2つではないかと考えています。
「匕(さじ)」とは、「さじ状の小刀」を指すので、
「たる」に検品で合格した商品に対して、印を付ける役割と推測しています。
この表記は、古事記にも日本書紀にも登場しません。
多分に「天之菩日能命」を名乗っていた人物がいたと思いますが、
神社の表記には残されていないようです。
この「日」家は、「日」とあるので、
草花の乾燥を主な役割にしていたと思われます。
水分が残っていれば、腐ってしまうでしょうから、
重要な役目だったと思います。
この一族に関しては、出雲に移動した後については、
多くの情報がありますが、「天穂日命」以前については不明です。
「天之菩日命」の一族から派生したのか、
それとも、全く別な一族が、役割を継承しただけなのか分かりません。
ただ、「天之菩日命」の一族が、「稲」の「天日干し」に仕事を求めたとしても、
常時あるわけではないので、収入源にするには違和感があります。
そうだとするなら、「穂」=「稲穂」ではない可能性がありそうです。
「比」の例のように、違う形をしていたが、「穂」の漢字に似ていたので、
本来の形が失われたとも言えるからです。
「穂」について調べると、
参考になる情報が、参照12のサイトにありました。
①「ほ」
ア:「穀物の茎の実のつく部分」(例:穂先)
イ:「ほのような形をしたもの。ともしび(ともした火)などを言う」
(例:一穂(いっすい)のともし火)ウ:「槍・筆など、とがっている物の先の部分」
エ:「接ぎ木・挿し木に使う芽のついた小枝」
OK辞典
注目したのは、4番目の「接ぎ木・挿し木に使う芽のついた小枝」です。
つまりは、「繁殖」させるわけですが、
「穂日」とは、「繁殖で増やした草花」を収穫し、
「天日干し」をする役割の集団と言えるように思えます。
「天穂日命」が「出雲」へ派遣されたのも、
この技術力を買われたからではないかとも思います。
古代出雲は、資源が豊富とネットにはあり、
「天(あま)なる國」と「古代出雲」の橋渡し役だったのかも知れません。