最終更新日 2022/08/23

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 第二章天照大御神と速須佐之男命

故於是速須佐之男命言 然者請天照大御神將罷 乃參上天時 山川悉動 國土皆震
爾天照大御神聞驚而詔 我那勢命之上來由者 必不善心 欲奪我國耳 即解御髮 纒御美豆羅而
乃於左右御美豆羅 亦於御𦆅 亦於左右御手 各纒持八尺勾璁之五百津之美須麻流之珠而
【自美至流四字以音 下效此】曾毘良邇者負 千入之靫【訓入云能理 下效此 自曾至邇者以音】
比良邇者 附五百入之靫 亦所取佩伊都【此二字以音】之竹鞆而 弓腹振立而 堅庭者
於向股蹈那豆美【三字以音】如沫雪蹶散而 伊都【二字以音】之男建【訓建云多祁夫】
蹈建而待問 何故上來 爾速須佐之男命答白 僕者無邪心 唯大御神之命以
問賜僕之哭伊佐知流之事 故白都良久【三字以音】僕欲往妣國以哭 爾大御神詔
汝者不可在此國而 神夜良比夜良比賜 故以爲請將罷往之状 參上耳無異心 爾天照大御神詔
然者汝心之清明何以知 於是速須佐之男命答白 各宇氣比而生子【自宇下三字以音 下效此】
解読

故、是於(これお)速須佐之男命言う。

然し、将に天照大御神請え者(ば:短語)罷(や)める。

乃ち、天(阿麻)に参り上げた時、悉く山川が動き、国土を皆、震わせる。

爾(なんじ)天照大御神而(に)聞いて驚き詔(みことのり)す。

我、那勢(なせ)の命の上(かみ)来る由(よし)者(は:短語)、
必ず不善(よくない)心、我が国奪うと耳に欲す。

即ち御髮を解き、御美豆羅(みづら)而(に)纒(まと)う。

乃ち、左右に於いて御美豆羅(みづら)、亦、御𦆅(かずら?)於(お)、
亦、左右の御手に於いて、各(おのおの)八尺(やさか)に勾(ま)がる璁(いし)之、
五百津(いおつ)之美須麻流之珠(美自(より)流に至る四字、音を以ってす。
此れ下も效(なら)う。みすまる)而(ひげ)を持ち、纏(まと)う。

曾毘良(そびら)邇(に)負う者(は:短語)、
千入(ちのり、入の訓は能理(のり)と云う。此れ下も效(なら)う。
曾自(より)邇者に至るは、音を以ってす。)之靫(ゆぎ)、
比良邇(ひらに)者(は:短語)、五百入(いおのり?)之靫(ゆぎ)を附ける。

亦、伊都(此の二字、音を以ってす。いつ、齋?)之竹の鞆(とも)を取り、
佩(お)びる所而(に)、而(なんじ)弓腹(ゆはら)を振り立つ。

庭堅く者(は:短語)那豆美(三字、音を以ってす。なづみ)於(お)向かう股で踏み、
沫雪(あわゆき)の如く而(に)散って蹶(たお)れる。

伊都(二字、音を以ってす。いつ、齋?)の男、
建(建の訓は多祁夫(たぎふ)と云う)踏み、建而(に)待ちを問う。

何故(なにゆえ)上がって来た。

爾(なんじ)速須佐之男命答て白(もう)す。

僕者(は:短語)邪な心は無く、唯(ただ)大御神の命(めい)を以て、
僕、伊佐知流(いさちる)で哭く之(この)事を賜い之(これ)を問う。

故、都良久(三字、音を以ってす。とらく)と白(もう)す。

僕、妣(なきはは)の国に哭くを以て往くを欲す。

爾(なんじ)大御神詔(みことのり)す。

汝者(は:短語)此の国而(に)在る不可(べきでない)。

神、夜良比夜良比(やらいひやらひ)賜る。

故、将に請ける為之(この)状(かたち)で往くのを、罷(や)めるを耳に参り上げ、
異なる心は無し。

爾(なんじ)天照大御神詔(みことのり)す。

然し、汝の心の明清(さや?)者(は:短語)何を以て知る。

是於(これお)速須佐之男命答て白(もう)す。

各(おのおの)宇氣比
(宇自(より)下三字、音を以ってす。此れ下も效(なら)う。うけひ)而(に)生む子。

解説

09

宇氣比の意味

原文:

爾天照大御神詔 然者汝心之清明何以知 於是速須佐之男命答白
各宇氣比而生子【自宇下三字以音 下效此】

解読:

爾(なんじ)天照大御神詔(みことのり)す。

然し、汝の心の明清(さや?)者(は:短語)何を以て知る。

是於(これお)速須佐之男命答て白(もう)す。

各(おのおの)宇氣比
(宇自(より)下三字、音を以ってす。此れ下も效(なら)う。うけひ)
而(に)生む子。

天照大御神

突然、「天照大御神」が脈絡なく登場します。

これにより、先程の文と、ここからの文の間には、他の文があり、
その関連した流れが無ければ、意味の分からない文章となります。

また、「汝の心」とはありますが、「速須佐之男命」の心ではなく、
話の流れ的に、海水が退いた事に対する言葉と考えています。

今でこそ、寒冷化だとか、温暖化などと言いますが、
紀元前1000年頃当時、自分達の周りの状況を知る為には、
大きな労力が必要になっていたと思うので、
なぜ、海水が退いたのか?について、分からなかったのだと思います。

清明

原文の「然者汝心之清明何以知」にある、「清明」とは何でしょうか?

普通に読めば「清く明らか」と受け取れますが、本当なのか?を考察します。

二十四節気

検索して調べると、「二十四節気の一つ」に「清明」という名があるようです。

参照60のサイトの「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「清明」の解説」では、
下記のように書いています。

二十四節気の一つ。

太陰太陽暦の3月節 (3月前半) のことで,
太陽の黄経が 15°に達した日 (太陽暦の4月5日か6日) に始り,
穀雨 (黄経 30°,4月 20日か 21日) の前日までの約 15日間であって,
その頃季節的にすがすがしい南東の風が吹くので,清明と名づけられた。

現行暦ではこの期間の第1日目をさす。

昔中国ではこれをさらに5日を一候とする
三候 (桐始華,田鼠化為じょ,虹始見) に区分した。

それは,桐の花が咲きはじめ,もぐら (田鼠) が家鳩 (じょ) に化け,
虹が見えはじめる時期の意味である。

ブリタニカ国際大百科事典

「清明」の前には、「汝心之(汝の心之)」とあるので、
季節とは関係無いと考えられます。

参照60:清明とは - コトバンク

「清」の漢字の甲骨文字や金文等を探しましたが、
見つける事が出来なかったので、「青」を分解して調べました。

Wikiでは、字源を下記の様に書いています。

「生」+「丼」(井戸水)で音もいずれのものとも同じ(藤堂)。

又は、「生」+「丹」(顔料のたまった井戸。cf.青丹あおに)。

Wiki

この考え方以外に見ませんでしたので、「生」の甲骨文字などを探すと、
Wikiの「生」のページに載っていました。

ところが不思議なことに、Wikiの「青」に載る金文(西周)と、
Wikiの「生」に載る金文(西周)の形が異なっています。

違う時代なら分からなくもないですが、同じ時代なのに形が異なるのは不自然です。

ここから考えると、「青」の上部は「生」という漢字では無い可能性が高そうです。

また、「青」の下部と言われた「丼」と「丹」ですが、
こちらも、Wikiの各ページにある形と比較すると、「丹」に近いですが、
同一と考えるには、形が異なります。

これらにより、「清」の漢字の意味も、
古代と現代では異なる可能性が十分にありますので、
「澄んだ」などの意味があったのかも疑問になって来ます。

ただ、これらは参考数が少ない為、今回の「清明」の意味を知る事が出来ませんでした。

「清」が、本来の意味とは違う可能性が出ましたので、
「明」の漢字も調べてみたいと思います。

「明」については、今まで、深堀して来ませんでしたが、
調べてみると「日」+「月」ではなく、「冏(けい・窓)」+「月」だそうです。

参照61と62のサイトにある、
「甲骨文字」と「篆文」・「小篆」を比較すると分かりますが、
「甲骨文字」が左右逆、「篆文」は「月」を表しているか不明、
「小篆」は月の形を継承となり、少々の違いではなく、大きく異なっています。

他にも、Wikiの「冏(けい)」の字源にある形は、
甲骨文字(殷)が「三本線」、金文(西周)が「四本線」なのに対して、
参照61と62のサイトでは、「四本線」ではなく、甲骨文字と同じの「三本線」です。

線の数が違うのは、違う漢字の可能性もあり、
精密な比較検証が必要だと思います。

参照61:漢字の成り立ち「明」

参照62:漢字「明」の成り立ちから、明らかになったもの。

宇氣比

検索すると、Wikiには下記のように書かれています。

うけい(うけひ)は、古代日本で行われた占いである。

宇気比、誓約、祈、誓などと書く。

Wiki

「占い」とするならば、例えば「多紀理毘賣命」が「速須佐之男命」の娘ではないと、
すぐに思い付きそうですが、色々なサイトを見ると、
「父親:速須佐之男命」、「母親:天照大御神」と書くサイトもあります。

この後の、「葦原中國」の場面では、「天照大御神之命以
豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 我御子正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國」
と書かれて、「我が御子」と記載があります。

しかし、「我所生子」とはありますが、「御子」という表現がありません。

これらは、後ほど詳しく考察して行きます。

では、「宇氣比」は何でしょうか?

読み

「自宇下三字以音」とあり、音読み指定になっています。

「宇」:呉音・漢音:ウ

「氣」:呉音:ケ、漢音:キ

「比」:呉音:ヒ、ビ(表外)、漢音:ヒ

上記により、呉音「うけひ(び)」、漢音「うきひ」となりそうです。

意味

「比」に関しては、「夜良比」の考察で、
「「匕(さじ)」という短刀の・様な物」が原意だと考えましたので、
今回は、「宇氣」について考察します。

「宇」の甲骨文字等が見つからなかったので、
「宀(うかんむり)」と「于」に分けて考えます。

参照63と64を見る限り、問題になりそうな箇所はありません。

ですが、「学」と「學」の甲骨文字が存在するのは、
別字の可能性がありそうですが、関係ないので、今回は考察しません。

あと、「宇」で検索した際に、参照65のサイトに金文の形を見つけましたが、
参照64のサイトの「學」の甲骨文字の形に似ています。

基本的に、「𠆢(ひとやね)」の様な形の終点の下に、縦棒を書いていますが、
参照65のサイトの「宀(うかんむり)」の形と、
参照64のサイトにある「學」の「宀(うかんむり)」の形が酷似しています。

そもそも、「介」の様に縦棒が「内側」にあるのがおかしいです。

参照64のサイトでは、数点の「宀(うかんむり)」の漢字を載せていますが、
「學」以外、同じ分類に入ります。

ただ、厳密に言えば、「宀(うかんむり)」の字源が、2〜3点存在するので、
本来は別の意味なのだと思いますが、資料も無いので追求はしません。

参照63:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「宀」という漢字

参照64:漢字考古学の道

参照65:

「于」の甲骨文字等を記載しているサイトがほとんどなく、
2つのサイトのみから推察します。

参照66のサイトでは、甲骨文字以降が載っていますが、
参照67のサイトにあるような「チ」の様な形にはなっていません。

「于」の縦棒が、「チ」の様に「左」ではなく「右」に曲がっています。

逆に参照65のサイトの「于」の形が、
参照66のサイトに載っている甲骨文字の形と似ています。

ただ、似てはいますが、最初の横棒が長いと言った違いがあります。

参照66:于 - ウィクショナリー日本語版

参照67:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「宇」という漢字

まとめ

この様に、字源を調べると、
本当に「宇」が本来の意味のまま、現代に伝わっているのか疑わしくなります。

しかし、残念ながら、本来の意味を知る術がありません。

「宇」のまとめとして、「于」の甲骨文字が、縦棒が右に曲がっているのは、
「持ち手」という解釈も出来ます。

「宀(うかんむり)」が「室内」と考えると、
「作業小屋」とも考える事が出来そうですが、後ほど、改めて考えます。

この漢字も調べると、色々と問題がありそうです。

まず、この漢字の字源や甲骨文字等の形が無かったりと確定していません。

なので、人によって解釈が異なりますが、
現在では「氣や汽の原字」説が主流です。

しかし、「气」には甲骨文字が存在するのに、
「氣」になると、紀元前4世紀以降の「簡牘文字」にある形以降しかありません。

ところが、不思議な事に、
現代において「気」は「氣」の新字体となるのですが、
「米」→「メ」になぜ、そうなったのでしょう?

別に「米」でも問題ないはずです。

その後も色々と調べて行くと、
参照68のサイトに、字源について別の見解が載っていました。

落合

甲骨文は橫劃を三つ竝べた形。

字を後代に空氣、雲氣の意に用ゐるので、その象形とする説が有力だが、
甲骨文にその用法はなく、字源は確實ではない。

甲骨文字では貢納物が至ることを意味する用法が多く、
物資を積み重ねたさまを抽象的に表した字とする説もある。

上記の見解の「物資を積み重ねたさま」で考えると、
「氣」とは、「米または穀物を積み重ねた」と解釈できます。

この文の後に、「於吹棄氣吹之狹霧所成神御名」と言う箇所があり、
「狹霧」に関連していると考えると、
「宇」が「室内」、「氣」は食料、「比」が「灯り」と解釈できます。

夜の海に向かって話をする儀式の後、朝霧が出てくるのを待つ
と言った状況だったのでは?と考えています。

ちなみに、「狭霧」の「狭」は「せまい」なので、
「局地的な霧」と置き換える事が出来るように思います。

「局地的な霧」を調べると、参照69のサイトに「盆地霧」というのがあり、
条件が揃えば発生するようで、秋から冬にかけて起きるようです。

これらは、今後改めて考察します。

参照68:气 - 漢字私註

参照69:異常気象を追う

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