婢と玉器と璵
「爾海神之女 豐玉毘賣之從婢 持玉器將酌水之時 於井有光」とあり、解読は、
「爾(なんじ)海神之女豐玉毘賣之從婢(じゅうひ)、玉器を持ち、
將(まさに)水を酌む之(これ)の時、井に於いて光有る」となります。
この文は、先の「其の香木」の次の文ですが、関連している状況とは考えられません。
また、この文で一番、気になるのが「從婢」です。
「婢」を調べると、参照29のサイトには、「女の召使い」と書いています。
参照29:婢(ヒ)とは?意味や使い方
婢
参照29のサイトにも、原義について書いていますが、
参照30のサイトにある「説文解字」とは少し異なります。
「説文」前の、「声符は(卑)(ひ)。に卑賤の意があり、俾使(ひし)の意がある。
そのような女を婢という」というのは、
参照30のサイトの、どの辞書を見てもありません。
どこを参照にしたのでしょうか?
「説文解字」には「女之卑者也。从女从卑,卑亦聲。」とあります。
次は「卑」を確認すると、少々異なっている様です。
参照30:婢: zi.tools
卑
参照31のサイトの「説文解字」には「賤也。執事也。从𠂇、甲」とあります。
「執事」と「賤」が同一なのはどうしてでしょうか?
ただ、参照31のサイトにある他の「字源」や「漢多」ではその様には書いていません。
下記に書きます。
《字源》:会意 从又持甲,又为手之象,甲为带柄器械状,合此二构件盖会持械做事意。
此正卑之初文与本字,持械做事为下等人所为,卑贱
《漢多》:金文從「又」從◎,象手持有柄工具之形,疑為卑者、僕人所用
略說: 金文從「又」從◎,象手持有柄工具之形,疑為卑者、僕人所用(季旭昇)。
「又」象手。全字象手持工具幹活,本義是卑賤。
56 字
詳解: 金文從「又」從◎,象手持有柄工具之形,疑為卑者、僕人所用(季旭昇)。「卑」字或從「𠂇」(象左手形)或從「又」(象右手形),本無分別,以從「𠂇」為多數,
疑古時左卑右尊,從「𠂇」表示卑賤。甲骨文用義不詳,金文讀作「俾」,表示使。國差𦉜:「卑旨卑瀞」,意指使美使好(陳新)。
又表示順從,中山王鼎:「克順克卑」。《說文》:「賤也。執事也。从𠂇甲。」段玉裁注:「古者尊又而卑𠂇,故從𠂇在甲下。」
196 字相關漢字: 又,𠂇,俾
《漢語變調構詞考辨》:作「低,不高」讀平聲,引申為「地位低下」讀去聲
《ABC上古漢語詞源詞典》認為:卑:地位低;埤:低窪的地方;庳:兩旁高中間低的房屋;婢:婢女;四者同源。有可能與「嬖」的「寵幸」義同詞族
《漢語同源詞大典》:洦:小水;陌:田間小路;卑:卑鄙,小。本組字皆有「小」義。
本組字讀音相近,該書認為是一組同源字。
上記で分かる様に、「字源」と「漢多」は、「持ち手のある柄工具之形」というのは、
少々異なりますが、大枠では一致しています。
また、「漢多」の「疑為卑者、僕人所用」ですが、解読すると
「僕(やつがれ、使用人)」の人が所用する卑者(は:短語)疑うと爲す」となります。
つまりは、今の様に、「身分が低い」というのには「疑い」があると書いています。
これは「季旭昇」という人物が、その様に解釈した様です。
「字源」、「漢多」にある「甲」ですが、
参照32のサイトにある形を見ると、違うように感じます。
参照31と参照32のサイトにある「商甲骨文賓組」を比較すれば分かるとおり、
この時期の「甲」は「十」であって、「甲」の形にはなっていません。
ところが、そこを無視して、
参照31のサイトの「説文解字」では「甲」を採用しています。
もし、これが、「甲」で無かったら、意味が変化すると思います。
もう少し、深堀して、参照31のサイトにある「甲骨文」ですが、拡大してみると、
「田」の下に2つの「口」を足して、6個にしています。
ところが、金文になると、「田」の下に「┣」や「┫」が存在しています。
これは、「甲骨文」と「金文」が、別の漢字なのでは?という疑問が出ます。
似ていれば良かったですが、2つの形は、全く似ていないので、
別字なのでは?と思っています。
この様に、もし、「甲骨文字」が正しいとした場合、「甲」ではないので、
別字の可能性が高そうです。
正しいのが「金文」とした場合でも、「甲骨文字」の形は似ていないので、
別字衝突だと思います。
字形を確認すると、参照31のサイトでは、
「西周金文西周中期」〜「春秋金文春秋」が同じ形として書かれています。
ですが「春秋玉書侯馬盟書」以降は、「甲」+「又」の形を書いています。
多分に、参照31のサイト内には、2つの漢字が存在している可能性があるので、
もう少し、詳しく精査したほうが良いように思えます。
参照31:卑: zi.tools
参照32:甲: zi.tools
「字形」で色々と考察しましたが、他のサイトに書いてある字源を書きます。
「取っ手のある丸い酒だるに手をかけている」象形から、
OK辞典
日常用の「たる」の意味から、転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、
「(祭器に比べ)いやしい」を意味する「卑」という漢字が成り立ちました。
こちらの説の、
「取っ手のある丸い酒だるに手をかけている」と「たる」は分かりますが、
「(祭器に比べ)いやしい」と結びつくのかの詳細がありません。
そもそも、「祭器に比べ」とありますが、「祭器」は祀る際の大切な「器」です。
なので、「祭器」以外は、必然的に「いやしい」となっていしまいます。
「いやしい」は、いつからかは不明ですが、最下位クラスの人とかの意味が強いです。
では、「祭器」で無いから、「最下位クラス」なのでしょうか?
それは違うでしょう。
つまり、比較する段階があったはずですが、その段階が抜けています。
参照34:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「卑/卑」という漢字
象形だが何を象ったものかは不明。柄付きの酒器、槌、柄の付いた工具、竹籠など
多数の説があるがいずれも憶測の域を出ず、定説はない。仮借して「ひくい」を意味する漢語{卑 /*pe/}に用いる。
Wiki
「何を象ったものかは不明」というのは、「字形」で考察しましたが、
二種類、もしくは以上の形が、「卑」という漢字に使われている事からだと思います。
例えば、「卑」の「甲骨文字」とされる「口が6個ある田の様な形」と、
「金文」の「田」の下に「┣」や「┫」がある形という、全く似ていないのが問題です。
普通の字形は、共通点があり、ある程度の納得感がありますが、
残念ながら、「卑」にはありません。
さて、さらに問題なのが、何の形なのか?も分かっていないのに、
なぜ「ひくい」を意味するとなるのだろうか?
ただ、この問いは、「卑」の字形すべてを詳細に分析し直さないと、
答えは出てこないと思います。
参照35:卑 - ウィクショナリー日本語版
上記のまでに考察した様に、
なぜ、「ひくい」になったのか?についての考察がされていません。
そこで、初心に戻り、参照31のサイトにある考察を考えていこうと思います。
参照31のサイトを見ると、他の識者は、異例もありますが、
「手に持つ工具」などと考えています。
ところが、「説文解字」だけ「賤也。執事也」としています。
「賎」ですが、参照36のサイトを見ると、
「説文解字」には「賈(売買)少也」とあります。
確かに、お金を少ししか持っていない人は「買う」のを控えますが、
でも、参照37のサイトには、「う(る)、か(う)」と両方あります。
この場合、お金があるかどうかは関係なく、
「売買」をするつもりがあるのかで決まります。
他に、参照38のサイトにある「詳細字義」を見ると、
感覚的に、「ひくい」と「お金」の2つの意味があるように思えます。
そして、「賎」というのは、「貝」+「戔」で成り立っていて、この「戔」ですが、
「AI による概要」では、下記の様に書きます。
漢字「戔」は、会意文字で、向かい合った「戈(ほこ)」が交わる様子を表し、
「そこなう」「こわす」という意味を表します。また、小さいも の、少ないものを意味することもあります。
会意文字:
「戔」は、2つの「戈」が交わる形から成り立っています。
この形は、武器で何かを傷つけたり、小さくしたりする様子を表し、
そこから「そこなう」「こわす」という意味が派生しました。
小さい、少ない:
「戔」は、もともと「そこなう」という意味から転じて、小さく削られた状態、
つまり「小さい」「少ない」という意味も持つようになりました。
上記の様に考えると、
「貝」を「粉々にする」や「貝」を「小さくする」という解釈が出来ます。
そうなると、「差別」や「いやしい」などの話は、
これらの原義から波及した事になりそうです。
「卑」の意味に「賎」を使っているのは、すでにこの話が行き届いていたのでしょう。
では「婢」と考えると、「貝」を「粉々にする」や「貝」を「小さくする」
という一番低い地位のする仕事をしていた
という解釈も出来ますが、情報が少なく、判断は難しいです。
とはいえ、「海神之女豐玉毘賣之從婢」の場合、
「貝」を「粉々にする」や「貝」を「小さくする」事が必要なのか?が気になります。
現時点では、これ以上は分からなそうです。
参照36:賎: zi.tools
参照37:漢字「賈」の部首・画数・読み方・意味など
「玉器」を調べると、参照39のサイトには、下記の様に書いています。
玉器は中国において早く長江(揚子江)下流の新石器時代後期の
良渚文化(前3千年紀中ごろ~前2千年紀初め)で
高度に発達していることが最近明らかになった。装身具に腕輪(図(1)),いわゆる玦状(けつじよう)耳飾,
弓なりの首飾や小玉(こだま)(図(2)),垂飾,かんざし等がある。後世,瑞玉(ずいぎよく)と呼ばれた玉器,すなわち王が臣下に領土を安堵し,
あるいは何かの任務を命ずる際にしるしとして貸与し,
また貴族間の贈物に使われた象徴的な玉器も多く作られている。玉製の斧,璧(へき),琮(そう)(図(5))がそれである。
玉製の斧は後にも長く作られ(図(4)),前3世紀ころまで伝統が続き,
前1千年紀末の古典中で琬圭(えんけい)と呼ばれるにいたる。璧は当時天体をかたどったと推測すべきふしがあり,
琮は四隅に天神を表した人面を刻む。璧は後2世紀ころまで(図(3)),琮は前3世紀ころまで使われつづけることになる。
この時期に死者の腹と背に璧を,周囲に璧や琮を副葬した墓が発見され,
魔よけや死体の保存のために,
この種の玉器を副葬するという後2世紀までたどられる風習が,
この時代にまでさかのぼることが知られている。この時期に特徴的な玉器としては,他に太陽神をかたどる逆梯形板状の玉器がある。
良渚文化と並行期の華北の竜山文化に巴形の玉器があるが,
前2千年紀後半には大型化し,
前10世紀ころまで瑞玉として使われている。これは後に圭璧(けいへき)(図(6))と呼ばれたものと考えられ,
天文観測用の璇璣(せんき)に当てる説は誤りである。
前2千年紀中ごろには瑞玉の発達が頂点に達する。穀物の穂摘み用の石庖丁や,
田畑を耕起する骨製の鋤先を原形とした玉器(図(7))が多い。従来前11世紀より下ると考えられていた類である。
長さ30cm内外の大型品も普通で,ときに長さ数十cmに及ぶものもある。
厚さ数mmのこの手の玉器が2枚におろされている例も珍しくない。
割符的な使用法を示すものと考えられる。
これらの玉器が瑞玉としての機能を現実的に果たしたのは,
この時期に盛んとなった地方首長の征服・統合の過程においてであったと考えられる。この式の玉器は前14世紀に青銅製の祭祀・饗宴用の飲食器が
発達するとともに衰える。国家機構の中で果たしていた役割が青銅器に移ったからである。
石庖丁形のものは前11世紀ころに終末期に達し(図(8)),
骨製の鋤先をかたどったものは前5世紀の秦にわずかに残存する。この時期に特徴的な玉器としては,ほかに断面がT字形の環(かん)があり,
この玉器は前2千年紀後期にもとづく。
前14世紀~前10世紀ころ,
すなわち殷王朝後期から西周前期にかけての時期には,
自然の動物や想像上の動物をかたどった小型の装身具,
護符,愛玩品が多く作られた(図(9)~(13))。身体細部や装飾を,両側から彫り残した紐状の凸線で表現するところに特色がある。
この時期には玉製の容器も現れ,刀の柄など器物の部分を玉で作ることも行われた。
祭礼で酒を注ぐ勺にすげる玉製の柄も多く(図(14)),
前9世紀にはこれが大型化して瑞玉として扱われ,
前1千年紀末の古典中で大圭(たいけい)(図(16))と呼ばれている。この時期には青銅のソケットに玉製の刃をはめた矛,斧,戈(か)が現れ,
また玉製の戈も多い(図(15))。玉製の戈は形が単純化されながら長く作られつづけ,
前1千年紀末ころには琰圭(えんけい)(図(17))と呼ばれ,
前2~後2世紀にも圭として知られていた。前11世紀に始まる周王朝に特徴的な型式の戈をかたどった玉器は,
後にも引き継がれてゆく。図(18)は前5世紀初めまで下る例で,瑞玉をかたどった玉片に一族郎党で行った
盟(ちか)いの文句を朱書し,犠牲の家畜と共に地中に埋めたものがあり,
この形の玉器は前1千年紀末の古典中で璋(しよう)と呼ばれている。
前10~前9世紀の交,すなわち西周中期は社会慣行,
宗教観念の顕著な変革期に当たるが,それに対応して出現した瑞玉として,
勺の柄に取り付ける玉がある。前1千年紀末の古典中で祼圭(かんけい)(図(19))と呼ばれるものである。
前10~前8世紀には前の時期に多かった動物形の玉器の製作は衰える。
しかし想像上の動物をかたどったものは,この時期の様式をもって作られつづけ,
緩い傾斜をもってする片彫の技法(図(19),(20))に特徴がある。
前7~前5世紀,すなわち春秋時代にはコンマ形ないしそれから変化した
円い粒々(図(21))を刻み出した文様の幾何学的な形の装身具が好まれた。佩玉(はいぎよく)と呼ばれる。
これには新石器時代以来の弓なりの玉器(璜(こう)。図(21)-a),
幅の広い環状の玉(環。図(21)-b),幅の狭い環状の玉(瑗(えん)。図(22)),
C字形やS字形等に身体をくねらせた竜形の玉などのほか多くの種類があり,
それらは紐でつるして組み合わせて使用された。組合せの方式には後世の学者が考えたような決まった方式はなかった。
上記の類と並んで前4世紀に始まって前2世紀ころまで,別の技法の玉器が作られる。
表面を平滑に仕上げ,細い刻線で細部を刻み,細かい透し彫を併用するものであり,
中国古代玉器製作技巧の頂点をなす(図(23))。この時期には革バンドの留金が男性のおしゃれのポイントの一つであったが,
それを玉で作ったものも多い(図(27))。また弓を引くときに親指にはめて弦を引っ掛ける道具である抉(けつ)を
玉製の装身具にしたものが現れる。図(24)は実用品の原形を残すが,図(25)は完全に装飾品化している。
これが玦である。紐の結び目を解く道具である觽(けい)の玉製品は
前2千年紀からあるが,図(26)はその装飾品化したものである。これらは玉製の印や青銅の鈴などといっしょに腰に佩用された。
後1~6世紀には図(21)のような装身具の玉を,
また家屋や調度の装飾にも使用した。前4~前3世紀ころには瑞玉や佩玉をかたどった小玉片を縫いつけた裂地を
死者にかぶせる風が起こった(図(28))。駔圭(そけい),駔璋(そしよう)などと呼ばれる。
これから発達したのが前2世紀ころの貴族が埋葬に使った玉衣で,
小さい玉板を金や銀の針金でとじて死体を完全に包むようにしたものである。
上記で重要なのが、
「コンマ形ないしそれから変化した円い粒々」という「佩玉」の説明です。
「円い粒々」という事は、砕いているからだと思うので、先程の「卑」のまとめにある
「貝」を「粉々にする」や「貝」を「小さくする」に通じる様に思えます。
もし、「貝」の様な形をした「玉石」を「小さく」していたとするならば、
話的には合います。
「婢乃酌む水を入れる玉器を進んで貢ぐ」や
「婢と離(いえども)璵(美玉)を不得(えず)」
から、「海神之女豐玉毘賣之從婢」かは不明ですが、「玉器」を持てる「婢」がいたのは、
確実なのでは無いか?と思っています。
参照39:玉器(ギョッキ)とは? 意味や使い方
「益我王而甚貴 故其人乞水 故奉水者 不飮水」とあり、解読は、
「益(ますます)我の王而(に)甚だ貴故、其の人、水を乞う」と
「故 水を奉(たてまつる)者(は:短語)水を不飮(のまず)」となります。
この場面は、「我の王」という人物が「水を乞う」が、
「水を奉(たてまつる)」ために「水を不飮(のまず)」となります。
問題は、「水を奉(たてまつる)」ために「水を不飮(のまず)」で、
これは本末転倒だと思います。
もちろん、前後の場面が、同じかどうかは不明ですが、
人間は、食べ物を食べなくても、水を飲んでいれば行きていけます。
しかし、「水を奉(たてまつる)」から「水が飲めない」のは、意味がありません。
この「水を奉(たてまつる)」人物は、この文からは、一定の期間ではなく、
一生涯ずっとと解釈できます。
これでは、この役目をする人物は、いなかったのでは無いか?と思います。
ちょこちょこと現れる「璵」ですが、「玉(ぎょく)」を指すらしいです。
「玉(ぎょく)」は「美しい石」を指しています。
なので、「璵(美玉)」としているんですが、話が合わない場面もあります。
一つずつ見ていきます。
「爾不飮水 解御頸之璵 含口 唾入其玉器」の解読は、
「爾(なんじ)水を不飮(のまず)、御頸(くび)之璵(美玉)を解く」と
「其の玉器を口に含み唾(つば)を入れる」になります。
「御頸(くび)之璵(美玉)を解く」事と、
「其の玉器」が同じ場面なのかは分かりません。
ですが、話の流れ的に、無関係だと思います。
もし、関係があったとしても、
「御頸(くび)之璵(美玉)」と「玉器」の両法が存在したのだと思います。
「於是其璵著器 婢不得離璵 故璵任著 以進豐玉毘賣命」の解読は、
「是於(これにおいて)、其の璵(美玉)の器を著(あらわ)し、
婢と離(いえども)璵(美玉)を不得(えず)」と
「故、璵(美玉)の任を著(あらわ)すを以って豐玉毘賣命は進む」です。
これは、前の続きです。
まず、なぜ、「玉器」とせずに「璵(美玉)の器」のとしたのでしょう。
普通に「玉器」という単語は登場しているので問題ないはずです。
という事は、「玉」ではダメで、「璵(美玉)」でないとダメなんだと思いますが、
「璵(美玉)」が、どの様な物なのか、良く分からないので判断が難しいです。
ここで一つ、参考になりそうなのが、参照41のサイトです。
参照40のサイトの「璵」の「説文解字」は「璵璠也」とあり、
参照41のサイトの「璠」の「説文解字」は「璵璠。魯之寶玉」とあります。
「璵」の参照40のサイトには無くて、「璠」の参照41のサイトにあるという事は、
「璵璠」=「魯之寶玉」ではなく、
本来は「璠」=「魯之寶玉」なのでは無いか?と考えています。
もし、両法に意味があるのならば、両方に書いてもおかしくないですが、
実際は片方にしか書いていません。
では、「魯之寶玉」とは何か?を検索すると、「「璠(ふぁん)」という美玉を指し」と
「AI による概要」にはあります。
やはり、想像した通りだった様です。
この場面において、「璵」だけしか無く、「璠」が無いので、
「魯之寶玉」の事を指していないという事になりそうです。
参照40:璵: zi.tools
参照41:璠: zi.tools
「爾見其璵 問婢曰」の解読は、
「爾(なんじ)、其の璵(美玉)見て、婢に問いて曰く」です。
ここでは「婢」に問いています。
次の文ですが「若人有門外哉 答曰」で解読は
「若人、門外有る哉答えて曰く」と続きます。
文の内容が繋がっている様には思えません。
最初の文の「其の璵(美玉)見て」とは、
もしかすると、元々「婢」が持っていた物ではないか?と考えています。
そして、次の文の「若人」とは誰を指しているのでしょうか?
「唾入此璵 是不得離故」の解読は、「此の璵(美玉)に唾を入れる」と
「是(これ)、故に離れるを不得(えず)」になります。
「璵」は「美玉」と言われているので、「唾」を入れる事は無理です。
という事は、「唾が入った器」に入れるという事でしょうか。
その場合、何を考えて、こんな意味不明な事をしているのか気になります。
次の文は、繋がった文なのか判断できません。
「璵(美玉)に唾を入れる」最中に離れられないと考えると、こちらも意味不明です。
この様に、「璵」が登場する場面を書き出しましたが、
全体的に、文が繋がっていない印象を受けます。
特に、「唾入此璵 是不得離故」は、
なぜ、「璵」である「美玉」に「唾」を入れなければならないのか?
理由も書いていません。
4つの内3つは、納得できる面もあり、問題は無いと思います。
文が繋がらないという事を除いても、各々の文は問題ないでしょう。