目次
次に成る神名、國之常立神(亦、常立の訓は上の如く)。次に豐雲野神。
此の二柱神、亦、獨り神(ひとりがみ)而(に)成りて坐り隱れる身也。
次に成る神名、宇比地邇神。次に妹須比智邇神。(此の二神の名は、音を以ってす。)
※次妹須比智邇(声注:去)神【此二神名以音】の「音」が、
「国宝真福寺本」では、「旁」に変わる。
次に角杙神。次に妹活杙神。(二柱)
次に意富斗能地神。次に妹大斗乃辨神。(此の二神の名は、亦、音を以ってす。)
次に淤母陀流神。次に妹阿夜訶志古泥神。(此の二神の名は、皆、音を以ってす。)
次に伊邪那岐神。次に妹伊邪那美神。(此の二神の名は、上の如く、亦、音を以ってす。)
※「伊邪那岐神」の「邪」が、「国宝真福寺本」では、抜けていて、
「妹伊邪那美神」の「邪」も「耶」に変わっている。今後も同様に置き換わる。
上の件、國之常立神自(より)以下、伊邪那美神以前を并(あわ)せて神世七代と称える。
上の二柱獨り神(ひとりがみ)で各一代と云う。
次に雙(ならぶ)十神、各二神合わせて一代と云う也。
伊邪那美神を祀る神社と神名
伊邪那岐神を祀る神社は下記の通りです。
「いじゃなぎ(いざなぎ)」の時は、「伊弉諾」だけでしたが、
「いじゃなみ(いざなみ)」では、「伊弉冉」、「伊弉册」、「伊弉冊」の
三種が使われていて、異なっています。
そこで、「いじゃなぎ(いざなぎ)」の時と同じく、漢字の意味を考えて行きますが、
「弉」は「伊弉諾」で調べたので、「冉」、「册」、「冊」を調べます。
「冉」:呉音:ネン(ネム)、漢音:ゼン(ゼム)、訓読み:あや-うい、万葉仮名:み
成り立ちを探しましたが、
全然、見つからずにいた時に、参照50のサイトを見つけました。
そのサイトでは、「死者の襟元に麻で編んだ紐「冉(ぜん)」を置く」とあります。
また、古代中国に関連した言葉なのかと考えて、検索すると、
参照50のサイトの「大魏(冉魏)」が出て来ました。
Wikiによると
冉魏(ぜんぎ、拼音:Rǎnwèi、350年 - 352年)は、
中国五胡十六国時代に漢族の冉閔によって建てられた国。
国号は大魏だが、魏を国号とする国は複数あるため、
冉閔の魏を冉魏と呼んで区別する。
あまりに早く滅亡したため、
「五胡十六国」の一つには含まれていない。
後趙政権が漢人を虐待したことへの反動として、
Wiki
漢民族至上主義に基づく国家を目指したため、
異民族の勢力圏にあった華北地方においてはその勢力基盤は
脆弱で、支配領域は鄴周辺のわずかな地域に限定された。
とあり、時代は「350年 - 352年」と記紀の時代からすれば遅いですが、
「冉族」は小さな勢力ではあったが、細々と繋いでいたのだと思います。
もしかすると、「伊弉冉尊」は「冉族」の先祖なのかも知れません。
ちなみに、漢字の意味は、参照51のサイトによると、
①しなやか。よわい。 ②進む。ゆっくりと行く。
とあります。
他に、情報が無いかと調べると、参照52のサイトが見つかりました。
『再(サイ)』zàiは、木組みや紐などを表す漢字を上下に書き、
線を足して再(ふたた)びを表す指示文字です。漢字の足し算で表すならば、
一+冉(木組みや組み紐)=再(再び組み直す。再び)です。漢字の部首は『冂・けいがまえ』、
漢字の意味は『再(ふたた)び』です。
上記は、「再」の成り立ちですが、「冉(木組みや組み紐)」としています。
もし、正しいのであれば、
「冊」の「竹簡」、「册」の「竹簡と竹簡を綴じた様子」と関連性が出て来ます。
参照50:冉魏
参照51:(ゼン) |漢字一字 | 漢字ペディア
参照52:漢字の覚え方 冓
「册」・「冊」:
呉音:シャク(表外)、漢音:サク、慣用音:サツ、訓読み:ふみ(表外)
「文字を書きつける為に、ひもで編んだふだ」の象形から、
OK辞典
「文書」、「書物」を意味する「冊」という漢字が成り立ちました。
綴じられた竹簡。
読み:「さく」
昔、中国で天子が后妃や諸侯を立てたり、
Wiki
封禄や爵位を授けるときに発する勅書。
上記の成り立ちは「冊」についてですが、
「册」について成り立ちを調べてみると、参照54のサイトが見つかりました。
『冊(サク・サツ)』cèは、
竹簡(チクカン)に書かれた古代の文書を表す象形文字です。竹簡と竹簡を綴(と)じた様子がよりわかる册という字体もあります。
漢字の部首は『冂・けいがまえ』、
漢字の意味は『文書』、『書物』、『ふだ』、『爵位を授ける』です。
上記に、「冊」は「竹簡」を指し、「册」は「竹簡と竹簡を綴じた様子」とあり、
つまり、「册」は「冊」の旧字では無いと言う事になります。
これにより、「伊弉册尊」と「伊弉冊尊」の職も異なる事になります。
「伊弉冊尊」:竹簡に文書を書く
「伊弉册尊」:竹簡を整理し、竹簡を綴じる
あと、神社の祭神表記としては「册が多いので、情報管理をしていた人、
もしくは、「竹簡本」の制作に関連する人が多かったのかも知れません。
参照53:漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「冊/册」という漢字
参照54:漢字の覚え方 冊
「伊弉諾」と同じく、
「いじゃなみ(いざなぎ)」表記の「伊弉冉」・「伊弉册」・「伊弉冊」を
調べて見ましたが、やはり、「冉」、「册」・「冊」の三字を「なみ」と読むのは、
無理があると判断せざるを得ない結果となりました。
「冉」はまだ、万葉仮名で「み」に分類されていますが、
「册」・「冊」は記載されていません。
意味は、全て関連性がありました。
「冉」:木組みや組み紐
「冊」:竹簡
「册」:竹簡と竹簡を綴じる
上記から、「冊」は編集者、「冉」は印刷?、「册」は製本のイメージがあります。
この事は、日本書紀編で検証してみたいと思います。
※「伊邪那岐神」と「伊邪那美神」の「子孫」に関しては、第一章最後に書きます。
「冉」の漢字の検索中に面白い記事を見つけたので、番外編として記して置きます。
参照55のサイトで、白川静字説抄「再」について書いてある、「コラム」の部分です。
最近、政治家が「○○再生」という言葉を口にすることが
多くなったように思う。現状の国や地方のありように対して不満を持ち、
在りし日への回帰を望む方が多いことを背景に、
それに応える形でこの言葉を口にする政治家が多くなったのだろう。ただ、果たしてこの言葉の意味を正しく理解している人が
どれだけいるだろうか。どうも、多くの方が「新生」と同義に捉えているように思えてならない。
「再生」と言いながら、実際に行っているのは現状を徹底的に
破壊した後に新しいものを作る行為であり、
それを「再生」と捉えている政治家が多いように思われる。ここでお断りしておくと、私は破壊と創造を否定しているのではない。
不要なものを壊し、新しいものを作るというのは
必要な行為であると思っている。だからといって字義を無視し、前述のような行為を
「再生」と表現することを黙認できないのである。「再」の字が持つ原義は組紐を折り返し編み続けていくことである。
国民が政治家に「再生」を望んでいるとすれば、
それは連綿たる時間の中で編み続けられたものを、
誤りがあれば根気よく繕い、後世に向けて折り返し折り返し
編み続けていく行為ではないだろうか。うまくいかないからといって癇癪をおこし、
全てを無かったことにしようとする子供のような行いを、
国民が政治家に求めている「再生」とは思いたくないものである。
いつ書かれた文章かは分かりませんが、現在の与党国会議員の行動に
的を得ているように思います。(文章的におかしいかも知れませんが。)
「再び生まれる」と「新しく生まれる」は、似て非なるものです。
また、一番面白いのは、
うまくいかないからといって癇癪をおこし、
全てを無かったことにしようとする子供のような行い
の部分で、現在進行系で誰かが行っています。
どこの元首相と現首相とは言いませんが。
参照55:白川静字説抄