最終更新日 2021/12/31

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倭國とは

解釈

08

宋書

原文:

詔除武使持節 都督倭新羅任那加羅秦韓慕韓六國諸軍事
安東大將軍 倭王

解読:

時の順帝は、上表に応え、詔を以て武を、使持節、
都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍とした。

宋書

倭の五王の武の記事です。

Wikiの倭の五王のページでは、下記の文章があり、こちらに賛同します。

一方、倭王の朝貢に関する記述が『記紀』に見られないことや、
ヤマト王権の大王が讃・珍・済・興・武などといった一字の中国風の名を
名乗ったという記録が存在しないこと、
『古事記』に掲載さ れた干支と倭の五王の年代に一部齟齬が見られることなどから
「倭の五王」はヤマト王権とは別の国の王とする説も江戸時代から存在した。

特に九州の首長であるとする説は根強く、
古くは本居宣長が熊襲による僭称を唱えていたほか、
戦後も古田武彦が九州王朝説を唱えて一時期は学術誌に掲載されることもあった。

Wiki

「倭王の朝貢に関する記述が『記紀』に見られないこと」は、やはり、不自然で、
倭王が列島で活動していたのなら、記紀に一部でも記載があっても良いはずです。

「『古事記』に掲載された干支と倭の五王の年代に一部齟齬が見られる」からも、
倭王=歴代天皇と考えるのは、難しいと考えています。

とはいえ、列島と南朝鮮の人物や歴史は、複雑に絡み合っているようなので、
一筋縄では解決出来ないと思います

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