最終更新日 2021/12/31

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倭國とは

解釈

07

魏志倭人伝

「三国志」魏書巻三十
烏丸鮮卑東夷伝 倭人条(いわゆる『魏志倭人伝』)

原文:

倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。舊百餘國、漢時有朝見者。
今使譯所通三十國。

解読:

倭人は帯方の東南の大海之中に在り、
山や島に依って国や邑(むら)と為す。

舊(ふる)くは百餘國あり、漢の時に朝見の者有り。

今、使譯(通訳)を通す所は三十國。

魏志倭人伝

これは、前漢書にある「樂浪海中有倭人、分爲百餘國、以歳時來獻見云」の
「分爲百餘國」に関連した内容と解釈する事が出来ます。

「帶方」は「樂浪」の南半分を分割して作られたようなので、
「樂浪」に置き換える事が出来ます。

時間が経過したことによって、
「分爲百餘國」が「今使譯所通三十國」に変化したようです。

「漢時有朝見者」は、「倭奴國」や「倭國」を指していると思われます。

あと、「宋史」の「日本」の記述で、「自後漢始朝貢」とあり、
「漢時有朝見者」の「漢」が後漢かは不明ですが、
「後漢」の場合、「今使譯所通三十國」の1つが「日本」だったと考える事が出来ます。

このように、考えていくと、今まで魏志倭人伝は列島の事と考えていましたが、
どうも、そうではなく、南朝鮮にて存続した「倭人」の事だと言えそうです。

卑彌呼

南朝鮮と考えると、
「卑彌呼」もまた、列島人ではなく、朝鮮半島組の倭人子孫となりそうです。

「卑彌呼」に関しては、今後、検証しますが、
三国志にも登場する遼東の 「公孫氏一族」の縁者との噂もありますので、
列島との関係は、あまり、望まない方が良いのかも知れません。

諸島群

また、「倭人在帶方東南大海之中」ですが、
参照10のサイトに面白い事が書かれていました。

また、やや余計なお節介かも知れませんが、
[島々]は中国語にも日本語にも縁の薄い複数形であり、
これでは、倭人の住み国土が、
まるで、フィリピンかインドネシアのような島嶼国家になってしまいます。

言葉の時代観のずれでしょうか。

古代中国の史書に書かれた「倭人」が「南朝鮮」に居たならば、
住んでいた場所が在るはずですが、なかなか、分かりませんでした。

しかし、「まるで、フィリピンかインドネシアのような島嶼国家に」から、
考えられる場所を見つけました。

朝鮮半島の南には多くの嶋があるので、倭人達はここで生活していたのでしょう。

それにしても、「島嶼国家」の何が悪いのでしょうか?

補足

韓在帶方之南 東西以海爲限 南與倭接 方可四千里

韓は帯方の南に在り。東西は海をもって限りとなし、
南は倭と接する。方4千里ばかり。

魏志韓伝

この魏志韓伝の「南は倭と接する」から推測を補足してくれそうです。

参照10:02a.帶方東南大海 - 最初の読み過ごし ちょっと補筆、改題

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