故爾(ゆえに)各(おのおの)天安河の中而(に)置いて、宇氣布(うけふ)の時、
天照大御神が先に度するを乞う。
建速須佐之男命、十拳劒を佩(お)びる所で三段而(に)折り、
奴那登母母由良邇(此の八字、音を以ってす。此れ下も效(なら)う。ぬなとももゆらに)
振って打ち、天之眞名井而(に)滌(あら)う。
佐賀美邇迦美(佐自(より)下六字、音を以ってす。
此れ下も效(なら)う。さがみにかみ)而(に)、
吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る所の神の御名、多紀理毘賣命。
亦、御名を奧津嶋比賣命と謂う。
次に市寸嶋比賣命。亦、御名を狹依毘賣命と謂う。
次に多岐都比賣命。(此の神の名、音を以ってす。)
市寸嶋比賣命
「市」:呉音:ジ(表外)、漢音:シ、訓読み:いち
「寸」:呉音:スン、漢音:ソン(表外)、訓読み:みじか(表外)
「嶋」:呉音・漢音:トウ(タウ)、訓読み:しま
「比」:呉音:ヒ、ビ(表外)、漢音:ヒ
「賣」:呉音:メ、漢音:バイ、慣用音:マイ
上記により、呉音「じすんとうひめ」、漢音「しそんとうひばい」となりそうです。
検索すると、「市寸嶋(古事記)」、「市杵嶋(日本書紀)」の読みを、
「いちきしま」としていますが、「寸」・「杵」には「き」という読みはありません。
「寸」・「杵」を「き」としているのは、「万葉仮名」になります。
「万葉仮名」の始まりが不明なので、判断が難しいですが、
本来は「いちきしま」ではない可能性も大いにありそうです。
ただ、検索すると
「漢字の音(おん)、または、 訓(くん)をかりて、和語を書き表す表記法」とあり、
「万葉仮名」は漢字の字源や意味とは無関係となります。
しかし、「杵(きね)」なら「き」を利用したとなりますが、
「寸」では、「き」とするに値する箇所がありません。
ここから考えて、最低でも「市寸嶋(古事記)」の読みは、
「いちきしま」では無いと言えると考えています。
また他に、「声注 上」とあり、
違う読みをしていた傍証ではないかと考えています。
Wikiなどの字源を掲載しているサイトは、
金文(西周)を基礎として考えています。
しかし、参照33のサイトの様に、
「甲骨文字」を掲載しているサイトがあります。
Wikiの「小篆(説文、漢)」と、参照33のサイトにある「甲骨文」を比べると、
形が継承されたと考えられます。
ところが、Wikiの金文(西周)と比較すると、
なぜ、同じ形と考える事が出来るのか不思議です。
ただ、参照33のサイトにある、
「市字象形文字,市字的字形演变(市の字の象形文字、市の字の変遷)」
の項目では、「巾」→「市」になったと受け取れる画像が並びます。
どれが正しいのか、判別が難しくなります。
今後、字源辞典でまとめたいと思います。
意味については、元々「巾(ぬのきれ)」を取り扱う店が現れて、
後に「多くの人が集まる場所」などとして使用されるようになったと考えます。
参照33: 市 - 字源查询
Wikiでは触れていませんが、
この形は「脈拍をはかる」事から来ているようです。
それが、後に「長さの単位」に変化したと考えられます。
次に、「市寸」の意味を考えます。
「市」が「市場」など「多くの人が集まる場所」、「寸」が「長さを測る」と考えると、
「市寸嶋比賣命」という人物は、「測量」の知識があり、技術力も高いために、
担当者に任命されたと解釈できます。
最低でも、「阿麻(天)家」には、「測量」に関して、
長けていた人間が居なかったので、外部から呼んだと考えられます。
「市寸嶋比賣命」は、上記の考察から、
「測る」事に長けていたと考えられます。
また、「嶋」の漢字を使っているので、
「市(地域)」から「嶋(全域)」までを担当していたと思われます。
「亦御名謂狹依毘賣命」と記載され、
「市寸嶋比賣命」の仕事と関連性があるようです。
多くの人は、「市寸嶋比賣命」と「狹依毘賣命」を、
同一人物と考えていると思いますが、違うと考えています。
「多紀理毘賣命」の箇所では書きませんでしたが、
なぜ、「亦の名」としたのでしょうか?
問題がなければ「別名」でも良かったはずで、
こちらの方が後世の人も理解できるでしょう。
その事から、「亦」の漢字に大きな意味があり、
最低でも、古事記が編纂された時代には、継承されていた。
しかし、時代が進むうちに、「亦」の本来の意味が忘れ去られた。
この様な、流れがあったのではないか?と思っています。
「狹」:挟む
「依」:空間を区切る
と解釈すると、「市寸嶋」の「市(地域)」から「嶋(全域)」と異なります。
「市寸嶋」を知事に例えると、「狹依」は市町村長だと考えています。
上記の通りだとすると、同一人物ではなく、
「狹依毘賣命」は、「市寸嶋比賣命」の補佐の可能性が高いと思います。