故爾(ゆえに)各(おのおの)天安河の中而(に)置いて、宇氣布(うけふ)の時、
天照大御神が先に度するを乞う。
建速須佐之男命、十拳劒を佩(お)びる所で三段而(に)折り、
奴那登母母由良邇(此の八字、音を以ってす。此れ下も效(なら)う。ぬなとももゆらに)
振って打ち、天之眞名井而(に)滌(あら)う。
佐賀美邇迦美(佐自(より)下六字、音を以ってす。
此れ下も效(なら)う。さがみにかみ)而(に)、
吹いて棄て、気を吹く狹霧(さぎり)で成る所の神の御名、多紀理毘賣命。
亦、御名を奧津嶋比賣命と謂う。
次に市寸嶋比賣命。亦の御名を狹依毘賣命と謂う。
次に多岐都比賣命。(此の神の名、音を以ってす。)
建速須佐之男命
原文:
建速須佐之男命所佩十拳劍 打折三段而 奴那登母母由良邇【此八字以音 下效此】
振滌天之眞名井而
解読:
建速須佐之男命、十拳劒を佩(お)びる所で三段而(に)折り打ち、
奴那登母母由良邇(此の八字、音を以ってす。此れ下も效(なら)う。
ぬなとももゆらに)振り、天之眞名井而(に)滌(あら)う。
第一章で一度だけ登場した「建速須佐之男命」が登場します。
今まで「速須佐之男命」としか無かったのが、
「建速須佐之男命」が登場したのには、意味がありそうです。
可能性がありそうなのは、前回までの「速須佐之男命」が、
「建速須佐之男命」の名を継承したという事です。
「速須佐之男命」の名がこの後の文にある事から、
既に、「速須佐之男命」の後継者も決定していると思われます。
前回は、まだ、「建速須佐之男命」の名を継承していなかった事を考えると、
「宇氣比」と「宇氣布」の間の時間に襲名したのでしょう。
そして、「建速須佐之男命」は本国にいて、重要な儀式以外には顔を出さないので、
実行部隊として「速須佐之男命」が存在するというのは当っているのかも知れません。
継承については、「能力」と「血統」がありますが、
「建速須佐之男命」の場合、名がほとんど登場しないので不明です。
運輸業が主体であれば、「寒冷化(弥生の小氷期)」によって、
大打撃を受けて、新しい収入源を探したでしょう。
それが、「鍛冶師」だったのでは?と考えています。
そうなると、「天照大御神」にお願いされて出向いたのは、
「天なる國」における「鍛冶師」の育成と解釈できます。
実際に、「高志之八俣遠呂智」から「都牟刈之大刀」を
「建速須佐之男命」もしくは「速須佐之男命」が作り上げています。
「高志之八俣遠呂智」については、色々と諸説ありますが、
「八俣遠呂智」の2つの名があるので、別物だと考えています。
そして、「切散其蛇者」と「切其中尾時」から、
「彗星の尾」を想像し、「都牟刈之大刀」は「隕鉄」から作ったと考えています。
この事については、該当の場面の時に、詳しく考察します。
もちろん、「建速須佐之男命」もしくは「速須佐之男命」ではなく、
腕の良い鍛冶師を雇ったと考えることも出来ますが、ありえそうだと思っています。
この家系については、まだ、続いていきますので、
その都度考察し、最後にまとめをしたいと思います。
「所佩十拳劍(十拳劒を佩(お)びる所)」とはどこでしょうか?
Wikiと参照9のサイトにある金文(西周)の形は一致していますが、
人偏と云われる上部がおかしいです。
文字は、甲骨文字等に後世に残すための重要書類です。
なので、くずし字ではなく、正式な形を書いているはずですが、
Wikiの「人」の漢字の字源の箇所にある形を見ると、
本当に「人偏」なのか?と疑問になります。
もちろん、重要度によっては、くずし字になるかも知れませんが、
「半円と縦棒」で「人」と判断できるものなのでしょうか。
試しに「人偏」を検索して、Wikiで簡単に調べてみると、
「付」の金文(西周)の形が同じでした。
1つあるという事は、他にもあるかも知れないと考えると、
やはり、「人偏」ではない可能性が高そうです。
「人偏」でないとすれば何か?については、
情報が少なく現在は知る事が出来ませんが、今後、解明できたらと思っています。
参照9: 字源查询-佩
「佩」の旁は「凧(たこ)」です。
多くのサイトでは、「風+巾」と書いていますが、
Wikiの「佩」ページにある金文(西周)の形を見ると分かりますが、
その様には解釈できません。
その後の「小篆(説文-漢)」になると、
確かに「風」の省略形の様に見えますが、原形ではありません。
金文(西周)の形では、上にはしごの様な形があり、
下には「巾」の形があります。
「はしごの様な形」が何か?が分かれば推測できますが、
現時点では分かりません。
これらにより、「人偏」+「凧」ではなく、別の形の可能性が高くなりました。
「十拳劒を佩(お)びる所」と考えると、
「十拳劒」が置かれている倉庫かも知れません。
ただ、その後の話で、「三段而(に)打ち折り」とあるので、
鍛冶場と解釈することも出来、最低でも作業が出来る広い場所だと思います。
「十拳劒を佩(お)びる所で三段而(に)折り打ち」は、
調べると、参照10のサイトの鍛錬の中に下記の文があります。
鋼は叩いて長方形に薄く延ばしたあと、
真ん中に切れ目を入れて、そこから折り返すことによって鍛えます。折り曲げる方法には、同一方向に折り曲げ続ける「一文字鍛え」と、
縦横交互に折り曲げていく「十文字鍛え」の2通りがあり、
どちらを採用するかは刀匠の選択次第です。
上記の「折り曲げて打つ」から、
「三段而(に)折り打ち」も鍛錬する時の状況を書いたと思われます。
「奴那登母母由良邇」という言葉も、関連性があると思いますが、
見ただけでは分からないので、詳しく考察して行きます。