是於(これお)之(これ)詔(みことのり)す
瀬の上者(は:短語)速瀬、瀬の下者(は:短語)弱瀬
而(なんじ)中瀬に於いて初めて堕ち、迦豆伎(?)滌(あら)う時而(に)
坐る所から神名八十禍津日神(禍の訓は摩賀と云う。此れ下も效(なら)う。)成る
次に大禍津日神
此の二神者(は:短語)其の穢れが繁る國の所に到る時
汚や垢(あか)而(に)因って成る所の神の者也
次に其の禍(わざわい)直す爲而(に)成る所の神名
神直毘神(毘の字は音を以ってす。此れ下も效(なら)う。)
次に大直毘神、次に伊豆能賣(并せて三神也。伊以下四字は音を以ってす。)
次に水底於(お)滌(あら)う時に成る所の神名底津綿津見神
次に底筒之男命
中於(お)滌(あら)う時に成る所の神名中津綿津見神
次に中筒之男命
水上於(お)滌(あら)う時に成る所の神名上津綿津見神(上の訓は宇閇と云う)
次に上筒之男命
此の三柱綿津見神者(は:短語)阿曇連等之祖神伊都久(いつく)神也
(伊以下三字は音を以ってす。此れ下も效(なら)う。)
故、阿曇連等者(は:短語)其の綿津見神之子
宇都志日金拆命之子孫也(宇都志の三字は、音を以ってす。)
神直毘神
原文:
次爲直其禍而所成神名 神直毘神【毘字以音 下效此】
次大直毘神 次伊豆能賣【并三神也伊以下四字以音】
解読:
次に其の禍(わざわい)直す爲而(に)成る所の神名
神直毘神(毘の字は音を以ってす。此れ下も效(なら)う。)
次に大直毘神、次に伊豆能賣(并せて三神也。伊以下四字は音を以ってす。)
上記の様に、原文には書かれているのですが、
やはり、気になるのは、「毘」の「音読み」についてです。
以前にも、
「次生石土毘古神訓石云伊波 亦毘古二字以音 下效此也」
「波邇夜須毘古神此神名以音 次波邇夜須毘賣神。此神名亦以音」
「謂豐宇氣毘賣神 自宇以下四字以音」
「次奧津那藝佐毘古神 自那以下五字以音 下效此」
の四箇所で、「毘」は「以音(音読み)」とあるのに、
「神直毘神【毘字以音 下效此】」と記載されているのは、どうしてなんでしょう?
一番近いのは、「次奧津那藝佐毘古神 自那以下五字以音 下效此」があり、
確かに、「毘」だけでは無いですが、普通であれば「音読み」が適用されていると
分かるはずです。
つまり、
此の二神者(は:短語)其の穢れが繁る國の所に到る時
汚や垢(あか)而(に)因って成る所の神の者也
と
次に其の禍(わざわい)直す爲而(に)成る所の神名
神直毘神(毘の字は音を以ってす。此れ下も效(なら)う。)
の間には、「毘」が「音読み」とは違う「訓み」が書かれていた事になります。
編纂した意図がなんであったのか、気になります。
「通気口」の象形と「人が二人並ぶ」象形(「並べて比べる」の意味だが、
ここでは、「頻」に通じ(「頻」と同じ意味を持つようになって)、
「しわを寄せる」の意味)から、しわのある通気口の形をした
人体の「へそ」を意味する「毘」という漢字が成り立ちました。また、「比」に通じ、「助ける」の意味も表すようになりました。
OK辞典
参照18のサイトには、「毘」の「田」を「通気口」と表記しています。
不自然に思ったので、検索して調べてみると、
「田」の箇所は、元々「囟」の漢字?だったようです。
参照19のサイトに「囟」の事が書かれています。
『囟(シン)』xìnは、小児の頭の真ん中を象(かたど)った象形文字です。
部首は『口・くち』、意味は『頭の真中』、『頭』、『細い』です。
囟(シン)の漢字自体を使うことはありません。
その省略形『田(シン・サイ・シ)』を細、思、鰓の部分として使います。
『説文解字』には、「頭の合わす、脳の蓋なり」とあります。
音読みは呉音・漢音ともに『シン』です。
訓読みは『ひよめき』です。
我が国では泉門(センモン)と呼ばれ、
乳児の頭の真中(×印)の骨のない部分、手で押すとへこむ部分です。
上記の様に、「田」と省略される前の「囟」は、
「通気口」ではなく、「乳児の頭の真中(×印)の骨のない部分」を指すようです。
参考にしたサイトなどがあったのかと、探しましたが分かりませんでした。
次に、「比」は、「比べる」などの普通の漢字のようです。
これをまとめて考えると、個人的には
「乳児の頭の真中(×印)の骨のない部分を手で支える」とイメージしました。
「比」には「助ける」の意味もあるので、大ハズレしてはいないと思います。
ただ、「人体のへそ」と書くサイトもあり、「毘」という漢字が作られた時期や思いが、
現代に残っていないように思えます。
確かに、「乳児の頭の真中(×印)の骨のない部分」を下に辿れば、
「へそ」に行くと思いますが、
「人が二人並ぶ」から成った「比」から読み取れるでしょうか?
もしかしたら、
「比」も「田(囟)」と同様に、最終形が「比」だったのかも知れません。
ちなみに、「梵語(ボンゴ)の音訳」に用いられてもいたようです。
参照19:漢字の覚え方 囟(田)
参照20:音符 「囟シ」 <ひよめき> と 「𡿺ノウ」 「脳ノウ」
警固神社(福岡市天神)、伊蘇乃佐只神社、直毘神社(三春町)
櫻井神社、鵜戸神宮 境内 九柱神社、野間神社 神門(今治市)、神部神社(甲州市)、
厳島神社、早吸日女神社、五泉八幡宮(合祀)、大縣神社 境内 解除社、木梨神社、
綾戸國中神社、大井神社(右京区、現在の祭神ではない)、六所神社(西脇市)、
警固神社(福岡市南区・早良区)
西寒多神社、宇津神社(呉市、合祀)
宇津神社(岩国市)
由加神社本宮
雛鶴神社(山梨県都留市)
上記の様に、本来の「神直毘神」よりも、日本書紀での表記「神直日神」が多く、
「神直毘神」の時代は、本拠地以外での活動をしていなかったのかも知れません。
もしくは、本来、「神直毘神」を使っていたが、日本書紀の普及により、
「神直日神」に書き換えた可能性も大いにあります。
この神名は、2つの神社に現存しているので、
「大神」に昇格した人物がいたかも知れません。
しかし、文献等で確認する事が出来なかったので、真偽は不明です。
この神名は、「毘」→「昆」と変化しています。
後世の子孫が使用したのか、それとも、文献等に存在したのか、
または、書き間違ったのか。
判断出来る材料がありません。
この神名には、なぜか、「天」が入っています。
一番考えられるのは、「日一族」だけでなく「天(あま)一族」とも関係を深めて、
「天」の一字を賜ったとする可能性です。
とは言え、「神直昆神」同様に判断材料が無いです。
延喜式祝詞にある「大殿祭」の箇所には「神直日命」と記載されています。
「神」でも良いはずが、「命」となっている事から、
「姓(かばね)」に変わる前の時代の人物の可能性があります。
「姓(かばね)」が制度として使われ始めたのが、3〜4世紀と思われるので、
「命」の様な古来の制度は、3世紀以前まで存続していたと思われます。
情報は、古いものほど残らないので、「大殿祭」が作成された時代では、
「神直日命」が残されていたと考える事も出来ると思います。
警固神社(福岡市天神)、伊蘇乃佐只神社、直毘神社(三春町)、伊久刀神社、
大原神社 境内 桜井神社、野間神社 神門(今治市)
早吸日女神社、出羽神社 三神合祭殿 境内 大直日神社、大山祇神社 摂社 祓殿神社、
鵜戸神宮 境内 九柱神社、神部神社(甲州市)、綾戸國中神社、石上神宮 境内 七座社、
櫻井神社、警固神社(福岡市南区・早良区)、大山祇神社 境外 御子宮神社、
五泉八幡宮(合祀)、厳島神社、六所神社(西脇市)
西寒多神社、宇津神社(呉市、合祀)
宇津神社(岩国市)
塩田天満宮 境内 痘瘡神社
雛鶴神社(山梨県都留市)
基本的に、日本書紀の表記を使っていますが、
「神直毘神」と「大直毘神」は一対として考えられているようです。
その為に、同じ神社が多いです。
ただ、同じ神社なのに、表記が異なる神社が2つあります。
この神社は、福岡市に存在する3つの内1つが「古事記表記」、
残り2つが「日本書紀表記」と異なっていて不思議です。
この神社も、「呉市」と「岩国市」で異なりますが、
「呉市」では、「八十禍津日大神」と「大神」を使用していたり、
「岩国市」でも、「毘」→「昆」と変わっていたりと、不思議です。
この人物の記録は、ほとんどありませんが、
調べていくと、欠片は少し、残されているようです。
多くの人は、「いずのめ」と読むと思います。
しかし、注記で「次伊豆能賣【并三神也伊以下四字以音】」とあり、
「以音」で「音読み」指定がされています。
「伊」:呉音・漢音:イ
「豆」:呉音:ズ(ヅ)、漢音:トウ
「能」:呉音:ノウ(ノゥ)、ノ、ナイ(表外)、
漢音:ドウ(ドゥ)(表外)、ダイ(表外)、慣用音:タイ(表外)
「賣」:呉音:メ、漢音:バイ、慣用音:マイ
上記により、呉音「いず(づ)のめ」、漢音「いとうどうばい」となりそうです。
検証の結果、呉音で読む限り、「いずのめ」で問題ないようです。
この2つの神社では、「伊豆能売神」と「神」を付けていますが、
本来の表記には「神」は付いていないので、真偽不明です。
加良比乃神社の表記は、
神社本庁の「全国神社祭祀祭礼総合調査(平成七年)」で
「伊豆能賣神」とあるので、「売」ではないと思います。
この神社の祭神は「伊豆之姫命」と言うらしいですが、
サイトによっては「伊豆能売神」と書いています。
そもそも、地位が「神」と「命」では違いますし、
証拠もなく、「伊豆能売神」=「伊豆之姫命」と考えるのは拙速です。
社伝によると仁徳天皇五十五年、上毛野田道将軍東征の折り、
海上安全を祈願し、無事伊寺水門鳥屋岬に到着したので、
此地に、港湾の神・伊豆能売神を鎮祭したという。
参照21のサイトにある、社伝の情報を上記に載せましたが、
まず、「伊豆能売神を鎮祭」をしたのなら、
「伊豆之姫命」という祭神名に変更されたのでしょう?
本当に社伝の通りであれば、何も、祭神名を変える必要は無かったと思います。
それに、「伊豆能売神」はいつから「港湾の神」になったのでしょうか?
古事記に一度しか登場せず、日本書紀にも登場していなく、
俗に「禍を直すため」の神直毘神と大直毘神の後に登場する伊豆能賣に
いつ、「港湾の神」という称号が生まれたのか、疑問にしかなりません。
これらから、この神社の社伝が正しいと仮定すると、
「港湾の神」と呼ばれた「伊豆能売神」は、
古事記に登場する「伊豆能賣」の子孫の可能性が大いにあります。
しかし、「伊豆能売神」=「伊豆之姫命」となるのは違うように思います。
なぜなら、「伊豆能賣」が「伊豆能比賣」など「姫」と読めるのであれば、
「伊豆能売神」の後世に、「姫」に変換されても不思議ではありません。
でも、現実には「伊豆能賣」は「賣」であり、
「比賣」や「毘賣」などの様に「姫」と読むのは難しいです。
そこで思うのは、「賣=女性」と考える土台には、「大御神」と「大神」の関係の様に、
「地位が下がると文字が減る」という考えがあるように思えます。
だから、古代には「ひめ」から「ひ」を取り、「め」だけで「女性」を表すという
認識があったのだと考えています。
その認識が後世になって、「比賣」や「毘賣」は古代の事となり、
理由を考えず、女性と思えば、新しい「姫」を使った可能性がありそうです。
時代で並べると、
伊豆能賣ー(中略)ー伊豆能売神ー(中略)ー伊豆之姫命
と言えそうですが、
やはり、「伊豆能売神」から「伊豆之姫命」へ変えた理由は不明です。
参照21:鳥屋神社 鳥屋崎神社 (石巻市)
この神社の祭神は「伊豆乃賣命」で、合祀されたと考えられます。
今回の表記は、「伊豆能売神」以降「伊豆之姫命」以前だと思っています。
「賣」が残っていて、「能」→「之」に変わっているだけなので、
時代は大きく離れていないと思われます。
ちなみに、「伊豆能売神」の「売」も、本来は「賣」だったが、
「新字」制定の際に「売」にしたのかも知れません。
伊豆能賣ー(中略)ー伊豆能売神ー(中略)ー伊豆乃賣命ー(中略)ー伊豆之姫命
今回の表記を加えると、上記の様になります。
この神社の近くには、水巻町があり、そこでも「伊豆神社」が存在し、
検索しても、多くは水巻町の方が出て来ます。
他に無いかと、調べていたら、この神社を見つけました。
詳しい情報は、参照22のサイトを見て貰うとして、
祭神名には「伊豆能賣神」と石に掘られています。
参照22のサイトには、「福岡県神社誌」上巻が貼られていて、下記の文が載っています。
祭神伊豆能賣神、伊豆昔は稜威と書けり、
此神は湊より海に入る地を守り玉ふ神徳あるが故に湊内に社あり、
上代此地海に瀕せるが故に祭れるなるべし、
或説には神直日神を祭ると云ふ。
「鳥屋崎神社」の「港湾の神」と類似しています。
ただ、「伊豆昔は稜威と書けり」の箇所が気になっていて、
「伊豆神社」と「伊豆能賣神」のどちらの「伊豆」を指しているのか不明です。
他にも、「福岡県遠賀郡遠賀町島津578」が、
上代には海が「瀕(せまる)する地」と書かれているので、地図で確認すると、
「遠賀川」下流で、日本海に近い地域だったので、移動していないと思われます。
参照22:伊豆能売の神とは何か?
「次伊立能賣神」と記載されています。
「立」が「豆」のくずし字なのかを調べましたが、判断できませんでした。
時代が進むと、「邪」に「悪い意味」を持つようになるなどの思考の変化がおきて、
先祖が使っていた漢字を避けるように感じます。
この表記ももしかしたら、その時代で「豆」を避けて、
代用として「立」を使用した事を否定出来ません。