最終更新日 2022/08/23

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 第二章 天照大御神と速須佐之男命

故於是天照大御神見畏 開天石屋戸而 刺許母理【此三字以音】坐也 爾高天原皆暗
葦原中國悉闇 因此而常夜往 於是萬神之聲者狹蝿那須【此二字以音】皆滿萬妖悉發
是以八百萬神於 天安之河原 神集集而【訓集云都度比】高御産巣日神之子 思金神令思
【訓金云加尼】而 集常世長鳴鳥 令鳴而 取天安河之河上之天堅石 取天金山之鐵而
求鍛人天津麻羅而【麻羅二字以音】科伊斯許理度賣命【自伊下六字以音】令作鏡 科玉祖命
令作八尺勾之五百津之御須麻流之珠而 召天兒屋命 布刀玉命【布刀二字以音 下效此】而
内拔天香山之眞男鹿之肩拔而 取天香山之天之波波迦【此三字以音 木名】而令 占合麻迦那波而【自麻下四字以音】天香山之五百津眞賢木矣 根許士爾許士而【自許下五字以音】於上枝
取著八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉 於中枝取繋八尺鏡【訓八尺云八阿多】
於下枝取垂白丹寸手青丹寸手而【訓垂云志殿】此種種物者 布刀玉命布刀御幣登取持而
天兒屋命布刀詔戸言祷白而 天手力男神 隱立戸掖而 天宇受賣命 手次繋天香山之天之日影而
爲𦆅天之眞拆而 手草結天香山之小竹葉而【訓小竹云佐佐】 於天之石屋戸伏汙氣
【此二字以音】而蹈登杼呂許志【此五字以音】爲神懸而 掛出胸乳 裳緖忍垂於番登也
爾高天原動而 八百萬神共咲
解読

故、是於(これお)天照大御神見て畏れる

天石屋の戸を開く而(に)刺し、許母理(此の三字、音を以ってす)て坐し也

爾(なんじ)高天原皆暗く、葦原中國悉く闇、此れ而(に)因って常に夜を往く

是於(これお)萬神の聲者(は:短語)狭く蠅の那須(此の二字、音を以ってす)
萬の妖(あやかし)皆 悉く満ちて發(はな)つ

※「皆滿萬妖悉發」の文には「皆」が無い写本もある

是を以て八百萬神於(お)天安之河原而(に)集わせ
集った(集の訓は都度比と云う)神

高御產巢日神之子思金神(金の訓は加尼と云う)

令(うなが)し思う而(に)常世長鳴に集う鳥而(に)鳴くを令(うなが)し
天安河之河上之天堅石を取る

天金山之鐵(くろがね)取り、
而(すなわち)鍛える人を天津麻羅(麻羅二字、音を以ってす)而(に)求める

伊斯許理度賣命(伊自(より)下六字、音を以ってす)に鏡を作るを科し令(うなが)す

玉祖命而(に)八尺勾璁之五百津之御須麻流之珠作りを科して令(うなが)す

天兒屋命と布刀玉命(布刀二字、音を以ってす。 此れ下も效(なら)う。)を召して、
天香山之眞男鹿之肩を抜くの而(に)内から抜く

天香山之天之波波迦(此の三字、音を以ってす 木名)取り而(に)令(うなが)し
而(すなわち)麻迦那波(麻自(より)下四字、音を以ってす)と
天香山之五百津眞賢木(まさかき)合わせて占う

而(すなわち)、根を許士爾許士(許自(より)下五字、音を以ってす)
枝の上から八尺勾璁之五百津之御須麻流之玉於(お)取り著(あらわ)し
枝の中から八尺鏡(八尺の訓は八阿多と云う)於(お)取り繋ぎ
枝の下から垂(垂の訓は志殿と云う)、白丹寸手、青丹寸手於(お)而(すなわち)取る

此の種種(くさぐさ)なる物者(は:短語)
布刀玉命而(に)布刀御幣を取りて持ち登る

天兒屋命、布刀詔(みことのり)し、戸に禱(いの)ると言い白(もう)す

而(すなわち)天手力男神、戸の掖(わき)而(に)隠れ立つ

天宇受賣命、天香山之天之日影而(に)次いで手を繋ぎ
天之眞の𦆅(かずら?)を折る為而(に)
天香山之小竹(小竹の訓は佐佐と云う)葉を手草而(に)結んで
天之石屋の戸於(お)汙氣(此の二字、音を以ってす)て伏せる

而(すなわち)、神懸(かみがかり)の為而(に)登杼呂許志(此の五字、音を以ってす)
を踏み、胸の乳を出して掛け、裳(もすそ)の緖に垂(しでん)忍ばせて登る番也

爾(なんじ)高天原の動き而(に)八百萬神と共に咲く

解説

05

天兒屋命と布刀玉命


天香山之眞男鹿

原文:

召天兒屋命 布刀玉命【布刀二字以音 下效此】而 内拔天香山之眞男鹿之肩拔而

解読:

天兒屋命と布刀玉命(布刀二字、音を以ってす。 此れ下も效(なら)う。)を召して、
天香山之眞男鹿之肩を抜くの而(に)内から抜く

天香山之眞男鹿之肩

「天香山」は「天(あま)なる國」にある山と解釈できますが、
「眞男鹿」とは何を指すのでしょうか?

「眞」の字源をWikiで調べると下記のようにあります。

声符「𠂈」+義符「貝」からなる形声字「𧴦」に、
さらに声符「丁」と飾符「八」を追加した形声字。

「𧴦」字の本義は{珍、めずらしい}で、仮借により{まこと}を表すようになった。

従来は「匕+鼎」からなる{煮}の象形字と混同されていた。

会意。元は「眞」で「匕」(さじ)+「鼎」で容器にものを満たすこと(藤堂)。

「匕」(死体)+「県」(首を逆さづりにしたもの)で行き倒れの死体、
これを埋葬し霊力を得ることから「まこと」の意を得た(白川)。

Wiki

3つの説が掲載されていますが、
今回に限っては「「𧴦」字の本義は{珍、めずらしい}」が適していると思われます。

これによって、「眞男鹿」とは「珍しい男鹿」と変換できます。

「肩」に関しては、調べると「鹿占」というのがあり、
「鹿の肩の骨」を焼いて、割れ目の形によって吉凶を判断する様です。

多分に「珍しい男鹿」を捕まえたので、良い結果が出ると思い、
この鹿の肩の骨を使ったのではないか?と考えられます。

天兒屋命

「天児屋根命」と混同しがちですが別人です。

「兒」は「子供」、「屋」は「家屋」とすると、
現在の保育園や幼稚園のような施設を運営していたとも解釈できます。

神社

「天児屋根命」は存在しますが、「天兒屋命」は存在していないようです。

「天兒屋命」は今回が、初登場なので、「天児屋根命」の先祖と思われますが、
「天児屋根命」以外の情報がほとんど無く、調べるのが難しくなっています。

新撰姓氏録

左京  神別 天神 藤原朝臣  朝臣 出自津速魂命三世孫天児屋命也
左京  神別 天神 大中臣朝臣 朝臣 藤原朝臣同祖
左京  神別 天神 伊香連    連 大中臣同祖 天児屋命七世孫臣知人命之後也
左京  神別 天神 中臣宮処連  連 大中臣同祖
左京  神別 天神 中臣方岳連  連 大中臣同祖
左京  神別 天神 中臣志斐連  連 天児屋命十一世孫雷大臣命男弟子之後也
左京  神別 天神 殖栗連    連 大中臣同祖
左京  神別 天神 中臣大家連  連 大中臣同氏
右京  神別 天神 壱伎直    直 天児屋命九世孫雷大臣之後也
和泉国 神別 天神 宮処朝臣  朝臣 大中臣朝臣同祖 天児屋命之後也
和泉国 神別 天神 狭山連    連 同上
和泉国 神別 天神 和太連    連 同上
和泉国 神別 天神 志斐連    連 同上
和泉国 神別 天神 蜂田連    連 同上
和泉国 神別 天神 殿来連    連 同上
和泉国 神別 天神 大鳥連    連 同上
和泉国 神別 天神 中臣部      同上
和泉国 神別 天神 民直     直 同上
和泉国 神別 天神 評連     連 同上
和泉国 神別 天神 畝尾連    連 同上
和泉国 神別 天神 中臣表連   連 同上

上記の10個の姓氏が天児屋命の子孫ですが、
「天兒屋命」=「天児屋命」とはなりません。

「藤原朝臣」の「朝臣」は、
「684年」の「八色の姓」によって制定された「姓(かばね)」なので、
「天児屋命」=「684年」頃の人物となり、「津速魂命」は「平均寿命(30歳)」で
単純計算すると、「594年」頃の人物となります。

しかし、「天児屋命」が1人とは限りません。

なぜなら、この場面で「天兒屋命」の表記が存在しているからです。

ただ、「十一世孫」などの情報により、
西暦以降に継承した歴代「天児屋命」の子孫なのは確定ですが、
血統については不明です。

世襲継承なのか、能力継承なのか不明だからです。

ちなみに、「河内国神別」の「菅生朝臣」に
「津速魂命二世孫天児屋根命之後也」とあり、
「天児屋根命」の子が「天児屋命」と解釈することが出来ます。

歴代の「天児屋根命」については、今後考察します。

系図に関しては、「天児屋根命」考察時にまとめたいと思います。

伊香連

「天児屋命七世孫臣知人命之後也」とありますが、
「臣知人命」なる人物の時代考察が難しいです。

調べてみると、「近江国風土記逸文」に「余呉湖の羽衣伝説」なる話があるようです。

その中に「意美志留」という人物名が登場します。

原文:

男二女二 兄名意美志留 弟名那志登美 女伊是理比咩 次名奈是理比賣
此伊香連等之先祖是也

後 母卽捜天羽衣 着而昇天 伊香刀美 獨守空床 唫詠不斷

解読:

男二たり、女二たりなり。兄の名は意美志留(おみしる)、
弟(おと)の名は那志登美(なしとみ)、女(むすめ)は伊是理比咩(いぜりひめ)、
次の名は奈是理比賣(なぜりひめ)、此は伊香連(いかごのむらじ)等が先祖、是なり。

後に母(いろは)、すなわち天の羽衣を捜し取り、着て天に昇りき。伊香刀美、
独り空しき床を守りて、唫詠(ながめ〈吟詠[2]〉)すること断(や)まざりき[3]。

上記は、参照14のサイトにある文章の一部を抽出したものですが、
「臣知人命」の読みが「おみしる」なのでしょうか?

「臣知人命」=「おみしる」ならば、「人」の漢字はなぜ入っているのでしょうか?

多分に「臣知人命之後」とある事から、
「臣知人命」の子孫が「意美志留」だと考えられます。

「意美志留」は無名だったので、
著名人(天児屋命)の血を引く「臣知人命」が先祖に選ばれた可能性がありそうです。

参照14: 近江国風土記 - Wikipedia

壱伎直

「天児屋命九世孫雷大臣之後也」とあります。

参照15のサイトには系図が載っているのですが、世代数が合いません。

「天児屋命」の「九世孫」は、「子」から数えて「9代目」を指すのですが、
「国摩大鹿島命」が「9代目」であり、「雷大臣」はその2代後となります。

これにより、「天児屋命九世孫雷大臣」とは言えません。

次に「直(あたい)」の「姓(かばね)」は、
「6世紀半ば頃」には成立していたのでは?とWikiにはあります。

もう少し、古い時期(4世紀頃)から存在していたと仮定しても、
「雷大臣」は4世紀〜6世紀半ば頃に存在した人物と考えられます。

参照15: 社家の姓氏-秦氏/伊岐氏-

布刀玉命

「布刀二字以音 下效此」と注記があり、「音読み」指定となります。

「布」:呉音:フ、漢音:ホ

「刀」:呉音:ト、トウ、漢音:トウ(タウ)、唐音:トウ(タウ)

「玉」:呉音:ゴク(表外)、漢音:ギョク、訓読み:たま、表外:だん、おう

上記により、呉音「ふとごく」、漢音「ほとうぎょく」になりそうです。

意味

「布」:ぬの

「刀」:「小舟」

「玉」:「きわめて大切に思う貴重な物」

上記のように考えた場合、「布」を「小舟」に詰めて売り歩いたと考えられます。

この時代、「寒冷化(弥生の小氷期)」なので、「布」を多く使って、
暖かくする必要があったと思います。

入手先を持っていたために、このような名になったのだと思われます。

参照16: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「刀」という漢字

参照17: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「玉/⺩」という漢字

神社

布刀玉命

喜多浦八幡神社

天布刀玉命

佐備神社(河内国式内社目録に記載、現天太玉命表記)、
倭文神社 境内 杉森神社

天之太玉命

鎌田神明宮

天太玉命

千早神社、堀川戎神社、大原神社(君津市)、安房洲神社、下立松原神社、
小池安房神社、橘新宮神社、蚊屋島神社(合祀)

天太玉神

比都佐神社(日野町)

太玉之命

日開神社

太玉命

宗像大社(辺津宮) 境内 宮田若宮神社、天降神社(福岡県田川郡、社号石碑記載)、
小美谷神社(丹原町)、戸島神社(倉敷市)、皷神社(合祀)

太玉神

若宮神社(八幡浜市)

太玉尊

興福寺官務帳に記載
「太玉神、在高市郡忌部、供僧號蓮光寺、社司一人神人三人、祭所忌部連遠祖太玉尊」

春日神社(福岡県春日市) 境内 若宮社

天太玉尊

忌部神社(山崎、忌部山)、許斐神社(飯塚市幸袋)、撃鼓神社、
都波只知上神社(合祀)

布刀玉命

古事記の表記です。

類するのに「天布刀玉命」があります。

「河内国式内社目録」の「佐備神社」の項に「天布刀玉命」の名があるようなので、
存在したことは確かだと思いますが、時代が分かりません。

神社を調べていて、9割が「太玉」系という結果は、
「天太玉命」に吸収されたのと、
「布刀玉命」があまり表舞台に出て来なかったのもあるような気がします。

天太玉命

古語拾遺の表記です。

派生の表記に「天之太玉命」、「天太玉神」があります。

掲載神社数は少なくしていますが、「天太玉命」を祭神とする神社は多いです。

上記のように、「古語拾遺」、「新撰姓氏録」、「先代旧事本紀」に
親が記載されています。

「古語拾遺」で「天富命」を「天太玉命」の孫とするサイトが多いですが、
原文を確認すると、「太玉命之孫」とあります。

「天太玉命」=「太玉命」と「古語拾遺」では認識しているようですが、
時代考証がなされていないので、信憑性が薄い気がします。

高皇産霊神の子に「天太玉命」を書いたすぐ下には「太玉命」とあります。

なぜ、イコールとしたらおかしいのか?は簡単で、
「天太玉命」は「天(あま)一族」の「太玉命」であり、
「天」が無いのは、違う一族、もしくは本家と考えられるからです。

また、「豊磐間戸命」「櫛磐間戸命」についても「太玉命之子」とあり、
「天太玉命」とは書いていないので、違う世代だと思われます。

時代考証

時代を知る上で確定に近いのが「天富命」となります。

この人物は、「神武天皇(俗称)」の時代とあるので、
「太玉命」は「天津日高日子穗穗手見命」の時代の人物となります。

他の人物は、状況確認しながら考える必要があります。

天比理刀咩命

「天富命」の祖母と云われ、「太玉命」の妻と云われている人物です。

「延喜式神名帳」には「天比理乃咩命」とあり、Wikiでは誤字としていますが、
普通に考えれば、この人物の子孫と考えれます。

この名も、血統・能力のどちらかは不明ですが、
代々受け継がれていたと思われます。

天比理刀咩命

安房神社

天比理刀賣命

洲崎大神(横浜市神奈川区)

天比理乃咩命

洲宮神社、品川神社、洲崎神社

神比理能賣命

忌部神社(忌部山)

天比乃理咩命

天太玉命神社(五郡神社記に「第二殿 天富命・天比乃理咩命」と記載)

大比乃理咩命

延喜式神名帳に記載(詳細は後ほど)

関連記事


延喜式神名帳:

安房郡后神天比理乃咩命神社

續日本後紀20:

承和九年十月壬戌
安房國无位安房大神第一后神天比理刀咩命神従五位下

文徳實録四:

仁壽二年八月丙辰 安房國大比理刀咩命神特加 従三位

三代實録二:

貞觀元年正月廿七日甲申
安房國従三位勲八等天比乃理刀咩命神正三位

安房忌部家系(下立松原祠宮蔵):

此時、大刀自天比理刀咩神、著 飯長姫命 誨云
白波來寄於 可怜小濱 、可 吾宮地 告之矣。

故、天止美命祖神之隨 誨之
立神社 而令 鎮座 、使 飯長姫命並奉齋 給矣。

故、奉 洲神 、亦稱 洲宮 。所 以洲埼坐 也。

亦、安房大神與 此神 、毎秋並 備御舟 而、於 海原 神遊 給矣。

故、其御舟往會地名 相濱 矣。

洲崎神社由緒書:

洲崎神社、安房郡洲崎村御手洗山鎮座。

祭神天比理刀咩命。

相殿天太玉命、天富命

神社要録二十三:

后神天比理乃咩命神社。后神は岐佐岐賀美と訓むべし。

祭神明かなり。安房郡洲之宮に在す。

地名記:

今、二宮洲埼明神と稱す。

上記の内容は、参照18のPDFから関連記事のみを書き起こしました。

この資料を見る限り、神社に残っていない表記もあります。

「天比理乃咩命」、「天比理刀咩命」、「大比理刀咩命」、「天比乃理刀咩命」、
「大刀自天比理刀咩神」と名が登場しますが、
「天比理乃咩命」以外検索しても情報が見つかりません。

参照18: 大共比比乃理

飯長姫命

「飯長姫命」という人物は、時代を知る上で、重要な位置にいるようです。

調べると「天富命」の娘「飯長姫命」と見つかります。

ところが、「安房忌部本系帳」の「忌部岡島家系」には
「天富命」の項目に「飯長姫命」とあるのに対し、
子の名には「飯長比賣命」と記載があり一致しません。

また、「由布津主命」という「天日鷲命」の孫と、
「天冨命」の女「飯長姫命」が結婚し、
生まれたのが「堅田主命」という記事があります。

ここでも、「飯長比賣命」ではなく「飯長姫命」の表記を使っています。

そもそも、同一人物であれば表記が異なるのはおかしいので、
情報を混同して書いていると思われます。

多分に時代が異なるのだと思いますが、情報がありません。

古事記では「比賣」、日本書紀では「姫」なので、
「飯長比賣命」の子孫が「飯長姫命」だとすると、
「由布津主命」もその時代の人物なのだと思います。

また気になるのが、「天富命」と「天冨命」を書き分けている事です。

「天富命」の子孫が「天冨命」とすれば、やはり、時代が異なると言えます。

他の情報として、「安房忌部本系帳」の「齋部宿禰本系帳」では、
「高皇産霊神ー天太玉命ー天櫛耳命ー天富命ー飯長媛命」とあり、
「比賣」でも「姫」でもなく「媛」と記載しています。

「ひめ」の表記の変遷としては、「比賣」→「媛」→「姫」と考えています。

情報が少ないので、もう少し、情報収集してから系図化します。

太玉命

日本書紀の表記です。

派生の表記として「太玉之命」、「太玉神」、「太玉尊」があります。

この家系は、「天(あま)一族」ではありません。

そして、情報も無いので、詳細が不明です。

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