故(ゆえ)、其の菟、大穴牟遅神に白(もう)す
「此の八十神者(は)必ず八上比賣を不得(えず)。
帒を負(おう)とは雖(いえども)汝が之(これ)命(めい)を獲(え)る。」
是於(これお)八上比賣答えて、八十神に言わく
「吾(あれ)者(は:短語)、汝(なんじ)等(ら)之(の)言うこと不聞(きかず)
將(まさ)に大穴牟遲神へ嫁ぐ」
故爾(ゆえに)、八十神忿(いか)り、大穴牟遲神と共而(に)議(はかり)殺すを欲す
伯岐国手間山の本(もと)に至りて云わく
「此の山に赤き猪在り、故、和禮(われ)と共に下に追い汝(なんじ)者(は:短語)待って取れ。
若(も)し不待(またず)に取れ者(ば:短語)將(まさ)に必ず殺せ」
汝(なんじ)而(に)伝える。
火を以って焼き、大石を猪而(に)似せて轉(ころ)がし落とす
爾(なんじ)下に追って取る時、即ち其の石の所に於いて、著(あらわ)而(に)焼かれて死す
爾(なんじ)其の御祖命哭き患い、而(すなわ)ち天于(に)參(まい)り上(のぼ)る
神産巣日之命請けた時、乃(すなわ)ち、
𧏛貝比賣と與(ともに)蛤貝比賣遣わし活かした作りを令(うながす)
爾(なんじ)𧏛貝比賣は岐佐宜(きさぎ?)を集め、而(すなわち)蛤貝比賣が承(う)けて待つ
母乳汁塗れ者(ば:短語)、麗(うるわ)しい壯夫(袁等古(をとこ))に成る
而(なんじ)出て遊びに行く
是於(これお)八十神見て、且(か)つ山而(に)率(ひき)いて入り大樹を切り伏せて欺き、即ち其の氷目矢を打ち離れて、而(すなわち)拷(う)ち殺す也(なり)
爾(なんじ)亦(また)其の御祖命者(は:短語)哭(な)き乍(なが)ら求め見て得る
即ち其の木、取り而(に)出て活かすために拆(さく)
其の子告げて言う
「汝(なんじ)、此の間(ま)に有る者(は:短語)遂に八十神滅す所爲(なり)」※「汝者有此間者」と「者」が入る一書もある。
「乃(すなわ)ち木國之大屋毘古神之御所於(お)違(そむ)き遣わす
爾(なんじ)八十神追い覓(もと)める而(に)臻(いた)り
矢を刺し乞(こ)う時、木の俣自(より)漏(も)れ、而(すなわち)逃げて云う
「須佐能男命の坐(ざ)す所之根堅州國に参り向かう可(べ)き
必ず其の大神、議(はかる)也」
八十神と山
原文:
於是八十神見 且欺率入山而 切伏大樹 茹矢 打立其木 令入其中 即打離其氷目矢而 拷殺也
爾亦其御祖命哭乍求者得見 即拆其木而取出活 告其子言 汝有此間者 遂爲八十神所滅
解読:
是於(これお)八十神見て、且(か)つ山而(に)率(ひき)いて入り大樹を切り伏せて欺き、
矢を茹(ゆで)り、其の木に打ち立て其の中に入る事を令(うながす)
即ち其の氷目矢を打ち離れて、而(すなわち)拷(う)ち殺す也(なり)
爾(なんじ)亦(また)其の御祖命者(は:短語)哭(な)き乍(なが)ら求め見て得る
即ち其の木、取り而(に)出て活かすために拆(さく)
其の子告げて言う
「汝(なんじ)、此の間(ま)に有る者(は:短語)遂に八十神滅す所爲(なり)」
「且欺率入山而」にある「且つ」と「欺く」に違和感がありますので考察します。
「且(か)つ山而(に)率(ひき)いて入り大樹を切り伏せて欺き、」と解読しましたが、
「於是八十神見(是於(これお)八十神見て)」の前文とは噛み合っているようには見えません。
参照44のサイトによると、「且つ」の定義は下記のように書いています。
1 (「…かつ…」または「かつ…かつ…」の形で)二つの行為や事柄が
並行して行われることを表す。一方では。「―飲み、―歌う」
2 ちょっと。わずかに。
「陸奥 (みちのく) の安積 (あさか) の沼の花がつみ―見る人に恋ひやわたらむ」
〈古今・恋四〉
3 そのそばから。すぐに。
「駒の跡 (あと) は―降る雪に埋もれて遅るる人や道まどふらむ」〈千載・冬〉
[接]ある事柄に他の事柄が加わることを表す。そのうえ。
それに加えて。「講演はおもしろく―有意義だった」 goo辞典
多くの場合、「並行」している状態をイメージすると思います。
今回の場合、「於是八十神見(是於(これお)八十神見て)」から始まっているので、
「山に入り大樹を切り倒した集団」のトップが「八十神」を見てから、山に入ったと思われます。
「八十神」に大樹の伐採を依頼されたが、入山できる状況ではなかったから、
待っていたと考えられます。
この場面と、「赤い猪」の話が時系列で繋がっていた場合、
「赤い猪」が山を荒らしていたので、大樹の伐採の許可を出せなかった。
しかし、「大穴牟遲神」と協力して、「赤い猪」を倒したので、
やっと、「大樹の伐採」の仕事を行ったという解釈が出来ます。
この場面で不思議なのが、「欺」の漢字が入っていることです。
そこで調べてみると、参照45のサイトに下記のように書いています。
「農具:箕(み)」の象形(「農具:箕・方形をして整っている」の意味だが、
OK辞典
ここでは「期(キ)」に通じ(同じ読みを持つ「期」と同じ意味を持つようになって)、
「まつ(末)」の意味)と「人が口を開けている」象形から、期待したものが、
最終的に得られなくて、あいた口がふさがらない事を意味し、
そこから、「あざむく」を意味する「欺」という漢字が成り立ちました。
上記から「欺く」とは、「あいた口がふさがらない事」が原義の様です。
そうなると、「大樹を切り伏せて欺き」だとすると、「大樹」を切り倒した後に、
「木に大きな穴を開けた」事を「欺」の漢字で表したと言えそうです。
参照44: 且 つ(かつ)の意味・使い方をわかりやすく解説 - 国語辞書
参照45: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒ 「欺」という漢字
「茹矢」とはどの様なことなのでしょうか?
「茹矢 打立其木 令入其中」の解読を、
「矢を茹(ゆで)り、其の木に打ち立て其の中に入るを令(うながす)」とした場合、
「茹でた矢」を切った大樹に打ち付けた後に、開けた大きな穴に入る事を促されたと
解釈できますが、なぜ、「矢」を「茹でた」のでしょうか?
「茹でる」は今でこそ、調理方法の一つですが、
「茹」の漢字の字源を調べてみると、どうも、違っているようです。
参照46のサイトには、下記のように書いています。
「茹」の動詞での本来の意味は"たべる"だとされます。
漢代成立の漢字字典であり日本でも律令制の大学寮で用いられた『爾雅』にも
「茹」は「啜」の同義語として載っているので、大学寮で教育を受けた役人のタマゴたちも
"たべる"という意味を知っていたと思われます。なお、くさかんむりの字ですが用例は草食限定ではなく、
仏典に「茹菜」という文言もあるものの、儒家経典の『礼記』では
「飲其血、茹其毛=まだ火を使えない頃の人類が肉を生で食べる様子」
というかなり血なまぐさいイメージで使われています。
しかし、説文解字では、参照47のサイトと参照48のサイトにあるように、
「たべる」という意味では無い様です。
参照49のサイトには、もう少し詳しくあり、「たべる」の意味になったのは、
「説文解字」より後の時代とも解釈できます。
飼養牛馬。《說文解字.艸部》:「茹,飼馬也。」
《玉篇.艸部》:「茹,飲牛也。」
說文解字:飤馬也。从艸如聲。人庶切
說文解字注:(茹)飤馬也。从艸。如聲。人庶切。五部。
《說文解字》
人庶切飤馬也。从艸如聲。《說文解字繫傳》
而住反飤馬也。從艸如聲。 [臣鍇曰:「飤,餧也。」]《說文解字注》
人庶切飤馬也。从艸。如聲。 [人庶切。五部。]
“茹”,形聲字。艸(艹)表意,篆書形體像草,
表示草飼料;如表聲,如有及義,表示用飼料喂牛馬。隸書、楷書的字形均繼承篆文而來,只是形體稍作變化。
“茹”字的本義有兩種觀點,一種觀點認為“茹”的本義是指用飼料喂牛馬。
如《説文解字》:“飼馬也。從艸如聲。”後引申為吃、吞嚥之義。
如《詩·大雅·烝民》:“柔則茹之,剛則吐之。
”另一種觀點則是認為“茹”的本義是指吃。
如《禮記·禮運》:“飲其血,茹其毛。” [3] [7-10]
翻訳:
「ルー」、声のキャラクター。。 ?? (??)表意文字、??草のような形、草の餌を示します。
音が表示されている場合は、必要に応じて、牛の馬に餌を与えることを意味します。。本の所属と文字形式はすべてテキストから継承されますが、形式は少し変わります。。
「ru」という単語の本来の意味については2つの見方があります。.
1つの見方は、「ru」の元の意味は、牛の馬に餌を与えることを意味するというものです。。
「?? Word Synthesis」など:「飼料馬も。。から??
音。。「それから、食べることと飲み込むことの意味として引用してください。。
「詩ダヤ??人」など:「Ju Shi Ruhe、 ⁇ 吐したばかり。。
「別の見方は、「ru」の元の意味は食事を指すということです。。
「儀式化と礼儀」など:「血を飲み、毛むくじゃらしてください。。"。[3]。 [7-10]。
これらのように、「茹」とは「馬や牛の飼葉」を指す漢字だったと思われます。
では、本題に戻って、「矢を茹でる」とは何かを考えて行きます。
最初、「たべる」という見解を見たときに、「矢」と書いているけど、
本当は「釘」みたいな物で、口に咥えていたのかと考えました。
しかし、それ以前は「飼葉」の意味が強いように感じたので、
葉を煮て、矢に染み込ませるようにして、まだ生きている害虫のいる穴に、
矢を差し込んだと解釈できます。
参照46: 「茹 でる」のナゾ
参照47: 茹 - 教育部異體字字典
参照48: 汉典“茹”字的基本解释
参照49: 茹
参照50: 茹_百度 百科
「即打離其氷目矢而 拷殺也」を
「即ち其の氷目矢を打ち離れて、而(すなわち)拷(う)ち殺す也(なり)」と解読しましたが、
「氷目矢」とは何でしょうか?
「氷目矢」の前は、普通に解釈するなら、「大樹を伐採し中に入った」だけです。
どこにも、「氷目矢」に関する情報が書かれていません。
これにより、別の場面と考えたほうが良いと思います。
「氷目矢」ですが、調べていると、参照49のサイトには、
「木を割るとき、その割れ目にはさむ楔(くさび)として用いた補助用具か」とあります。
参照51のサイトの情報が正しいとすると、楔を打つのに離れては無理なので、
「打離」は楔を打ってから離れた事になります。
しかし、次の「而(すなわち)拷(う)ち殺す也(なり)」は矛盾しています。
「拷」は簡単に言えば「手を使った行動」です。
つまり、楔を打った後に「離れた」のに、「拷」という「手を使った行動」をして「殺した」のです。
「而」は「而(すなわち)」としましたが、
正しいとすると、「而」の前後で話としておかしい感じになります。
「殺」は「収穫する」という意味にも変換できますが、話としてイメージできません。
参照51: 氷 目矢(ひめや)とは? 意味や使い方
「拷」の字源を調べてみました。
見て欲しいのは、参照52のサイトに載っている「拷」の字源についてです。
現在、「拷」は「手偏」ですが、「説文解字」や「拷 字源字形」を見ると、
「手偏」と考えるのは難しいです。
「手偏」の「手」は、参照53のサイトに載っているので、比較すれば分かります。
「手偏」でなければ何か?となりますが、「丂」になります。
参照54のサイトにある字形を比較すれば、簡単に分かります。
ただ、参照52のサイトは、「拷」と「攷」の関係性について書かれていないので疑問が残ります。
そこで、原点に戻り、参照55のサイトにある意味でイメージしました。
すると、「拷」=「奪い」、「殺」=「収穫する」から、どれだけの可能性があるかは不明ですが、
「拷殺」で「奪い取って自分の物にする」という意味があるのではないか?と考えました。
参照52: 汉典“拷”字的基本解释
参照53: 手
参照54: 丂
参照55: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒ 「拷」という漢字
「爾亦其御祖命哭乍求者得見」で、「御祖命」がまた、登場しますが、
たまに登場するだけなので、当然、前回の「即打離其氷目矢而 拷殺也」と関連性はありません。
今回は、「其の御祖命者(は:短語)哭(な)き乍(なが)ら求め見て得る」と解読すると、
「哭(な)き乍(なが)ら」も「求める」物があったようですが、何を指すのか不明です。
「其の」とありますし、「爾亦」と明らかに、この場面の前には、
重要な情報が記載された文章があったと思われます。
「御祖命」についてですが、「神」ではなく「命」の地位なのと、
「誰の御祖なのか?」の情報が皆無なのを考えると、
著名人の家系ではない可能性が高そうです。
著名人の家系であれば、「神產巢日御祖命」という風に、分けて記載されますが、
今回のように「御祖命」だけであれば、「誰の御祖命」か?が分からなければ、
複数回登場する「御祖命」を同一人物と考えることは出来ません。
元々は記載されていたが、情報を保存していた素材の劣化により、
後世に残らなかったのかも知れません。
「即拆其木而取出活 告其子言 汝有此間者 遂爲八十神所滅」の中には、
「其木」、「其子」と本来、前提の情報が無ければ判断できない場面になっています。
当然、元々は記載されていたのでしょうが、現在、知ることが出来ません。
例えば、「大石」と書いていても、「其の石」と書くだけでは、同一と判断するのは無理です。
なので、「遂爲八十神所滅」とは書いていますが、「同じ時代」などの重要な情報が無いので、
そもそも、「八十神」という名が、「1人のみの名」なのか、それとも、現代の芸能一家のように、
継承されている名なのか、判断するのは非常に難しいです。
今回の場面までに「八十神」の名は「10回」登場しています。
時代や場所が分からない以上、継承方法が「血統」や「技術」かは不明ですが、
代替わりしていても、なんら、不思議ではありません。