次に国が稚(おさな)く脂(あぶら)が浮く如く而(に)
久羅下那洲多陀用幣琉(琉の字以上の十字は、音を以ってす。くらげなすただよえる)。
之(この)時、葦牙(あしかび)の如く萌え騰がり而(に)因って之(この)物、
宇摩志阿斯訶備比古遲神
(此の神の名、音を以ってす。うましあしかびひこじのかみ)の神名に成る。
次、天之常立神。(常の訓を登許(とこ)と云う。立の訓を多知(たち)と云う。)
此の二柱神、亦、獨り神(ひとりがみ)而(に)成りて坐り隱れる身也。
上の件(くだん)の五柱神者(は:短語)別天神。(わけあまかみ)
久羅下那洲多陀用幣琉
「以音」とあるので「音読み」指定となり、
「訓読み」が混じる事はありません。
「久」:呉音:ク、漢音:キュウ(キウ)
「羅」:呉音・漢音:ラ
「下」:呉音:ゲ、漢音:カ
「那」:呉音:ナ、漢音:ダ(表外)
「洲」:呉音:ス、漢音:シュウ(シウ)
「多」:呉音・漢音:タ
「陀」:呉音:ダ、漢音:タ、唐宋音:ト
「用」:呉音:ユウ(表外)、漢音:ヨウ
「幣」:呉音:ベイ、漢音:ヘイ
「琉」:呉音:ル、漢音:リュウ(リウ)
上記により、呉音「くらげなすただゆうべいる」、
漢音「きゅうらかだしゅうたたようへいりゅう」となりそうです。
検索すると読みを「くらげなすただよえる」と書くサイトが多いですが、
「用幣」は呉音と漢音で読んでも「よえ」の読みにはなりません。
古事記は主に「呉音」によって書かれているとも言われているので、
「用幣」→「ゆうべい」が正しいと思われます。
そこで、なぜ、「よえ(へ)」と読まれるようになったかを調べると、
やはり、「万葉仮名」の読みを利用しているようです。
何度も書きますが、「万葉仮名」は「音読み」ではありません。
「久」:
「病気で横たわる人の背後から灸をすえる」象形から、
OK辞典
灸の意味を表しましたが、
それが転じて(派生して・新しい意味が分かれ出て)、
「時間が長い」、「ひさしい」を意味する
「久」という漢字が成り立ちました。(久は灸の原字です。)
「羅」:
「網」の象形と
OK辞典
「より糸の象形と尾の短いずんぐりした小鳥と木の棒を手にした象形
(のちに省略)」(「鳥をつなぐ」、「一定の道筋につなぎ止める」の意味)から、
「鳥を捕える網」を意味する「羅」という漢字が成り立ちました。
「下」:
甲骨文(甲骨文字)では、
基準線の下に短い線を1本引く事で「した」を意味していました。それが変化し、現代の「下」という漢字が成り立ちました。
OK辞典
「那」:
「ほおひげが伸びて垂れた」象形(「しなやか」の意味)と
「特定の場所を示す文字と座り寛(くつろ)ぐ人の象形」(「村」の意味)から
「しなやかな村」、「美しい村」、「上品な村」を意味する
「那」という漢字が成り立ちました。(借りて(同じ読みの部分に当て字として使って)、
OK辞典
「なんぞ」等の意味も表すようになりました。)
「洲」:
「流れる水」の象形と「川の流れの中に囲まれた土地」の象形から、
OK辞典
「川・湖・海の底に土砂がたまって高くなり水面上に現れたもの」を
意味する「洲」という漢字が成り立ちました。
「多」:
「切った肉、または、半月」の象形から、
OK辞典
量が「おおい」を意味する「多」という漢字が成り立ちました。
「陀」:
「段のついた土の山」の象形と「蛇(へび)」の象形(「蛇」の意味)から
OK辞典
「蛇のように曲がりくねった険しい崖」を意味する
「陀」という漢字が成り立ちました。
「用」:
「甬鐘(ようしょう)という鐘の象形」で、
OK辞典
甬鐘は柄を持って持ち上げて使う事から、
「とりあげる」、「もちいる」を意味する「用」という漢字が成り立ちました。
「幣」:
「破れた衣服の象形とボクっという音を表す擬声語と右手の象形」
OK辞典
(「破れる」の意味だが、ここでは、「拝」に通じ
(「拝」と同じ意味を持つようになって)、「おがむ」の意味)と
「頭に巻く布きれにひもを付けて、帯にさしこむ」象形(「布きれ」の意味)から、
「神に拝み捧げる布」を意味する「幣」という漢字が成り立ちました。
「琉」:
「3つの玉を縦の紐で貫き通した」象形と
OK辞典
「子が羊水と共に急に生まれ出る」象形(「水の流れ」、「階級」の意味)から、
一流品の玉「琉璃(るり-青色の美しい宝石。七宝の1つ)」を意味する
「琉」という漢字が成り立ちました。
今までは「くらげなすただよえる」の情報でしか考えていませんでしたが、
漢字の成り立ちや意味を含めると、イメージが変わりそうです。
「久」:長い時間
「羅」:連なる
「下」:もと?、した?
「那」:美しい村
「洲」:中洲?
「多」:多い
「陀」:険しい崖
「用」:治める?
「幣」:神に拝み捧げる布
「琉」:琉璃
上記の様に考えると、下記の様な推察になります。
長い時間を連ねた美しい村の下には、中洲があり、
周りには険しい崖が多い為、近隣地域を治めていた。そこで、高天原は、自分達に属して貰う為に、
「神に拝み捧げる布」や「琉璃」を贈った。
「一族毎にバラバラに集落を作って生活していた。」事に嘆いていた高天原は、
この村?くに?を招き、現状を変えたいと思う気持ちがあった様に思えます。
これが後の「宇摩志阿斯訶備比古遲神」の一族なのかも知れません。
この一族によって、作物の収穫量が増加したのなら、
「遅く実る稲」が重要かも知れませんが、情報が無く正解を判断出来ません。
あと、「獨神と隱身」で考察した様に、
この一族も、本拠地などを守護する役目があった為、
「宇摩志阿斯訶備比古遲神」本人は動かずに、
家臣達に動いて貰ったとすれば、この記述も理解出来ます。
また、この一族は、「上件五柱神者 別天神」と原文にあるのは、
食料の採取や治療の技術を所有していて、
南朝鮮から「天(あま)一族」と一緒に移動し移住したとも解釈出来ます。