最終更新日 2025/07/01

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古事記 へようこそ Welcome to Japanese History

 第五章 邇邇藝命

第五章のまとめ

解説

02

五伴緖2


此の二柱神

「此の二柱神者(は:短語)、佐久久斯侶伊須受能宮【自佐至能以音】
を祭りて拜(おが)む」という文があります。

その前文が
「次に思金神者(は:短語)、政(まつりごと)を事前に取り持つと爲す」で、
「思金神」のみしか居ないのに、なぜか、「二柱神」とあります。

これは、本来はもう一人存在していたのでは無いか?と思っています。

そうでなければ、「二柱神」とは書かないでしょう。

残りに一人に関しては、情報が無いので不明です。

登由宇氣神

「登由宇氣神」が、なぜか、「豊受姫神」へと変化しています。

この名には「音を以ってす」という様に、「音読み」指定とはなっていません。

なので、「宇氣」は「うけ」でも「うき」でも問題無いと思います。

ところが、「うき」ではなく「うけ」を選んでいます。

そこで、古事記において、「宇氣」がどの様に使われているのか確認しました。

第一章「次和久產巢日神、此神之子、謂豐宇氣毘賣神〜【自天鳥船至豐宇氣毘賣神】」、
第二章「各宇氣比而生子【自宇以下三字以音 下效此】」、「宇氣布時」、
第五章「次登由宇氣神」、「宇氣比弖【自宇下四字以音】貢進」、
第九章「故科曙立王令宇氣比白【宇氣比三字以音】」、第十一章「爲宇氣比獦也」
という結果になりました。

第一章の事は、後に書くとして、「宇氣」に関しては「宇氣布時」、「次登由宇氣神」、
「爲宇氣比獦也」以外は「音読み」指定が基本となります。

第十一章「爲宇氣比獦也」は、第九章が引きずっていると思うので、
削除しても良いと思います。

「宇氣布時」の考察では、「うけふ」としましたが、「音読み」指定ではないので、
もしかしたら、「うきふ」だったのかも知れません。

ただ、「宇氣比」の読みに関しては問題がありそうです。

第二章では「各宇氣比而生子【自宇以下三字以音 下效此】」として、
「宇氣比が「音読み」指定で此れ下も效(なら)う。」としています。

ところが、第五章の「宇氣比弖【自宇下四字以音】」と
第九章の「宇氣比白【宇氣比三字以音】」の2つにより、
「宇氣比三字以音」と書くのは矛盾しています。

そもそも、第二章で「此れ下も效(なら)う。」と書いているので、
改めて「宇氣比三字以音」とする必要はありません。

つまり、この期間に、「此れ下も效(なら)う。」を解除して、
違う読みをしていたという事だと思います。

「音読み」指定ならば「うけひ」となりますが、
多分に「うきひ」と読む事があったのでしょう。

だから、第五章や第九章の様に書かなければダメだったのだと思います。

神社

「豊受系」の神社を取り出すと下記になります。

ちなみに、「豊受姫神」や「豊受姫大神」などの、見つかる頻度の高い表記は省きます。

豊受気比売大神

海南神社(三崎)

豊受毘賣神

新川皇大神社、石峰稲荷明神、礒神社、丸山神社(中津川市)、長井神社(合祀)、
大間々神明宮、母智丘神社

豊受毘賣命

坂田神明宮 境内 岡神社

豊受比賣大神

於岩稲荷田宮神社、豊姫神社(上高野)、於岩稲荷田宮神社、川尻総社神社 境内 神明宮

豊受比賣神

依遅神社、麻續神社、杉山神社(南太田)、高椅神社、別海神社、三嶋大社 境内 酒神社

豊受比賣命

北見冨士神社、利尻廣嶽神社、注連懸稲荷神社、売豆紀神社(合祀)、稲宮神社、
小物忌神社(三之宮)、北見富士神社

豊受比咩命

下染屋稲荷神社、御笏神社 境内 稲荷神社

豊受比女神

西宮えびす神社 境内 神明神社

豊受媛大神

豊岬稲荷神社

豊受媛神

浜竹天祖神社、純子神社、伊豆山神社(本宮)、登由宇気神社(熊谷市)

豊受媛命

豊受大神(杉久保)、多度神社(合祀)

豊受津姫命

三柱神社(上飯田町)

宇賀豊受姫命

木宮稲荷神社

屋船豊請姫神

大師稲荷神社

宇気比売神

徳王稲荷社

まとめ

上記の様に、「豐受系」を書き出しましたが、
「豐受姫神」までの変遷の流れが分かってきます。

第五章の「登由宇氣神」で「豊宇氣系」の神社は調べています。

ここで、第一章の
「次和久產巢日神、此神之子、謂豐宇氣毘賣神〜【自天鳥船至豐宇氣毘賣神】」
使います。

最近まで、この存在は忘れていましたが、この表記がある事で、
当時の状況を、少し知る事ができると思っています。

まず、正式な表記が「登由宇氣神」で、「毘賣」などの地位は付与されていません。

ところが、第五章の「登由宇氣神」にある神社の祭神名には、
「登由宇気比売命」と「比売」が付与されています。

これは、「比賣」だけでなく、「毘賣」などの地位も存在した可能性があります。

実際に、「豊宇氣系」、「豐受系」双方で、「毘賣」などの地位が確認されています。

次に、「毘賣」、「毘咩」、「比賣」、「比咩」、「比女」、「媛」と「ひめ」
と読める漢字がありますが、今までは、「毘咩」が無かったので、
良く分かりませんでしたが、「毘賣」、「毘咩」で「毘系」、「比賣」、「比咩」、
「比女」が「比系」だったのでは無いか?と考えています。

「毘系」ももしかしたら、「毘女」も存在するのかも知れませんが、
今まで見た事がありません。

ここまでの「ひめ」が揃うと言う事は、「毘賣」の様な「一字一音」は、
紀元前660年以前から存在していて、「媛」などの「一字二音」は後に導入され、
紀元前660年以後から使われ始めたのではと思っています。

実際に、古事記では「神武天皇(仮)」以降に「媛女」と5件あります。

それ以前には、一件も存在していません。

次に、「和久產巢日神」の子の「豐宇氣毘賣神」は、
「登由宇氣神」よりもだいぶ前に登場しています。

なので、「登由宇氣神」→「豐受姫神」になったわけではないと思われます。

偶然、第五章で「登由宇氣神」が登場したので、多くのサイトは、
無関係な「登由宇氣神」と「豐宇氣毘賣神」を繋げただけの気がします。

そのため、「豐宇氣毘賣神」は「音読み」指定なので、「とようけ」と読めますし、
後世の人物が「豐受姫神」を名乗ったとしても、不思議では無いです。

「登由宇氣神」は「音読み」指定ではないので、
「うけ」ではなく「うき」かも知れません。

しかし、「豐宇氣毘賣神」は、「音読み」指定で読むので「とようけ」となり、
「豐受姫神」に引き継がれる「音の継承」も出来ました。

多分に同じ「宇氣」なので、多くの人が引っ張られた結果、
無関係なのに繋げられてしまったというのが、真相の様な気がします。

ウカノメ
宇賀能賣神

岩木山神社

宇賀之売命

品川神社

豊宇迦能売神

櫻田神社

豊宇賀能賣命

伊奈冨神社(合祀)、奈具神社

豊宇賀能咩命

賣布神社(木津)

豊受賀能咩命

志布比神社

若宇加能賣神

廣瀬大社

若宇迦能売命

廣瀬神社(狭山市)

若宇加能売命

廣瀬大社

若宇迦比売命

八幡香取神社、中央神社

まとめ2

参照6のサイトでは、なぜか、「登由宇気神」を「豊受神」だけでなく、
「豊宇可乃売神」や「豊宇加能売命」などと混同しています。

どう考えたら「豊宇可乃売神」や「豊宇加能売命」と
「登由宇気神」が同一になるんでしょうか。

これは、「豐宇氣毘賣神」の「豊宇」が同じだからという意味でしょうか?

しかし、「豐宇氣」が同じでなければ、意味が無いでしょう。

また、「うか」だけでなく、「うが」、「とようか」、「とようが」などがありますが、
当然、全てが関係あるかは不明です。

参照6:登由宇気神

天石門別神と天石戸別神

「天石戸別神」は
「次に、天石戸別神、亦の名を櫛石窻神と謂う、亦の名を豐石窻神と謂う」
で登場しています。

天石門別神

「天石門別神」は「是於(これにおいて)、其の遠岐斯【此三字以音】を賜り副えて、
亦、常世思金神・手力男神・天石門別神而(に)者(は:短語)
八尺勾璁・鏡・及び草那藝劒を詔(つ)げる」で登場しています。

門に関する仕事だと思われます。

第五章「天石門別神」で神社を上げていますが、
探すと「天石門別豐玉比賣神社」の「天石門別豐玉比賣」を見つけました。

他に、神社名で「天津石門別神社」、「天石門別八倉比売神社」、「天石門別保布羅神社」、
「天石門別安国玉主天神社」と言った名がありました。

そして、これは、本文にもありますが、「天石門別安国玉主天神社」には、
家系に関する記事があります。

下に再掲します。

天石門別安國玉主天神社 高知県高岡郡越知町黒瀬1566

土佐国風土記

参照31のサイトに
「土佐国風土記」逸文に、「土左の郡。朝倉の郷あり。郷の中に社あり。
神のみ名は天津羽羽の神なり。天石帆別の神、天石門別の神のみ子なり」とある。

これは、色々と調べていくと、「天石門別安國玉主天神社」に対してではなく、
「朝倉神社」の祭神である「天津羽羽神」に対しての記述の様です。

ですが、「天石門別神ー天石帆別神」という系譜は分かりましたが、
「天津羽羽神」も「天石門別神」の子だと言いたいのでしょうか?

参照31:『無量寺文書』における斉明天皇「土佐ノ國朝倉」行幸 別役 ...

明治神社誌料

「此神は太玉命の子高皇産霊神の孫なり、
土佐郡朝倉村縣社朝倉神社祭神、天津羽々神の父とす」とページの最後の方にあります。

「此の神」とは、「天石門別安國玉主天神社」の祭神である
「天手力男命」を指すのだろうか。

しかし、そうなると、「高皇産霊神ー太玉命ー天手力男命ー天津羽々神」となります。

ところが、「天手力男命」に、この様な関係があったとする記事はありません。

「斎部氏家牒」では、「天手力男命」は「天思兼命」の子としています。

そうなると「天手力男命」ではなく「天石門別神」なのでしょうか。

そうだとしたら、なぜ、「天石門別神」ではなく「天手力男命」
を祭神にしているのでしょうか?

もしかしたら、「高皇産霊神ー太玉命ー天手力男命ー天津羽々神」という時代が、
存在したかも知れませんが、時代を特定できる情報が無いので、調べられません。

疑問は絶えません。

参照32:天石門別安国玉主天神社

考察

土佐国風土記

「天石帆別の神、天石門別の神のみ子なり」とありますので、
「天石門別神ー天石帆別神」と解釈できます。

しかし、「朝倉神社」の祭神を「天津羽羽神」としているのに、
「天石帆別神」と書いていますが、ここには、「亦の名」とはありません。

つまり、この記事を書いた人は、
「天津羽羽神」=「天石帆別神」と考えていたのでしょうが、
確証が無いので、「神のみ名は天津羽羽の神なり。天石帆別の神」という
書き方をしたのだと思われます。

もし、確証があるのならば、
「天津羽羽神」=「天石帆別神」と書いてもおかしくは無いです。

ただ、多くのサイトで、当たり前の様に「天津羽羽神」=「天石帆別神」
と考えていますが、違うかもとは考えないのでしょうか。

天津羽羽神

「天津羽羽神」ですが、「古事記」にも「日本書紀」にも登場しません。

なので、人物像については不明ですが、
調べていると、神社に面白い話が残っているようです。

阿波々神社 静岡県掛川市初馬5419

祭神は「阿波比売命」ですが、参照7のサイトには、
「御祭神 阿波比売命(天津羽羽神)天石戸別命の御子で八重事代主命の后神」と
由緒書には書かれています。

ここで分かるのは、「阿波比売命」が「天津羽羽神」を継承した事と、
「天石戸別命の御子」が「八重事代主命」だと言う事です。

これが本当だとすると、「天石戸別命」と「八重事代主命」が「神」の地位でないので、
いろいろな地域に出向く事ができるようになった、
紀元前4世紀頃の人物かも知れません。

とは言っても、「天石戸別命」と「八重事代主命」が継承名だと思うので、
重要な情報が見つかりません。

「阿波比売命」について調べましたが、情報がないので、良く分かりませんが、
「天津羽羽神」という名籍を継承したと考えると、女性にしては知恵があり、
仕事をするのにも差し支えなかったのでしょう。

参照7:阿波々神社

明治神社誌料

「此神は太玉命の子高皇産霊神の孫なり、
土佐郡朝倉村縣社朝倉神社祭神、天津羽々神の父とす」の文は、
「土佐国風土記」の文が基本となっている様です。

この通りに系図にすると、「高皇産霊神ー太玉命ー天手力男命ー天津羽々神」になります。

しかし、「天手力男命」=「天石門別神」の図式ですが、
軽く調べた限り、根拠はありませんでした。

ありそうな根拠として、参照8のサイトの「古屋家家譜」にある
「天石門別安国玉主命 一名大刀辛雄命」で、
「大刀辛雄命」=「天手力男命」とするサイトも多かったです。

そもそも、「天石門別安国玉主命」=「天石門別神」とはなりません。

なので、「天手力男命」=「天石門別神」も成り立ちません。

なぜ、この様な図式が成り立ったのか疑問です。

他のサイトでは「太玉命」を「天太玉命」としたりして混同している例も多く、
その混同した結果から、意味の無い図式が出来上がったのかも知れません。

参照8:大伴系の系譜『古屋家家譜』について | 久米の子の部屋

天石戸別神

古語拾遺にある「天太玉命」の子である「豊磐間戸命」と「櫛磐間戸命」を
「天石戸別神」としていますが、単に、
この二人の継承者達が「天石戸別神」を名乗っただけだと思います。

先程の「阿波々神社」では、
「天石戸別命」と「八重事代主命」の親子関係があるのは分かりましたが、
年代等の詳しい情報がなく、時代測定するのが難しいです。

他に、なにか情報探しましたが、見つかりませんでした。

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