いじゃなぎの子孫 まとめ
過去のアメーバブログで公開した内容とは違う、
新しい情報も出て来たので、順番に入れ替えて時代を考察して行きます。
古事記に記述された継承名以降の順番を考えます。
1:
伊邪那岐大神ー伊邪那岐神ー伊邪那岐命
伊邪那伎大神ー伊邪那伎神ー伊邪那伎命
この2つは、古事記に記述されてもいるので一番最初になります。
2:
伊邪那岐之神ー伊邪那岐之命
「之」が入っているバージョンで真偽は不明ですが、
仮に存在した場合、大本の「伊邪那岐神」には「之」は入っていないので、
別の時代だと言えそうです。
3:
伊邪奈岐神ー伊邪奈岐命
「那」が「奈」に変化したバージョンです。
4:
伊射那伎
「邪」が「射」に変化したバージョンです。
5:
伊射奈岐大神ー伊射奈岐神ー伊射奈岐命
この時代には、「伊」と「岐」が残るのみです。
6:
伊射奈藝命
「藝」を使っているので、養子という考え方も出来るかも知れません。
7:
伊佐奈伎命、神伊佐奈伎
「鎮火祭」の祝詞に書かれている「神伊佐奈伎」は、
なぜ、最初に「神」が書かれているのか不思議です。
「出雲国風土記」にも「神湏佐乃乎命」という記述もあるので、
同じ様な時期の人物と考える事も出来そうです。
8:
伊差奈枳命
この時代は、「音の継承」はされているようですが、表記が大きく異なります。
9:
伊座那岐命
このバージョンは「邪」が「座」に変わっていますが、
元々の読みが「じゃ」なので、「ざ」としか読めない「座」を使っている事から、
時代として、西暦に大きく入っている可能性が高そうです。
10:
伊弉諾大神ー伊弉諾神ー伊弉諾命
伊弉那岐命、伊弉奈枳、伊邪諾命、伊弉姫命
この順番は不明ですが、日本書紀で採用された「伊弉諾尊」の「尊」を使用せず、
なぜか、「命」を利用しています。
また、「大神」や「伊弉奈枳」などのように「混同」している表記もあります。
存在したとすると、本家(南朝鮮)と分家(列島)が婚姻関係となり、
融合したのが原因と考える事が出来そうです。
11:
伊邪那岐尊、伊佐那岐尊、伊佐奈岐尊、伊弊諾尊、伊弉諾尊、伊奘諾
これらは、日本書紀で採用された「尊」を利用していますが、
前半3つの表記が古事記よりとなっています。
この時代考察で参考になりそうなのが、
「弥生の小氷期」と言われる「寒冷化」です。
「小氷期」で考察した結果、「紀元前900年頃」に明らかな寒さが来て、
「20年間」の「太陽活動停滞期」があったと歴史的に証明されています。
これにより、「速須佐之男命」が「八拳須」なるものが出来て困ったとする話を、
「建速須佐之男命」の領有する海原(現熊本県南部)まで寒冷化した話に、
置き換える事が可能になります。
つまり、「紀元前900年頃」〜「紀元前880年頃」であると特定出来ます。
この推察を土台にして考えると、古事記第一章の最後に登場する「伊邪那岐大神」は、
中間をとって「紀元前890年頃」の人物となります。
「1」と「2」の時代も、同じ時代と思われます。
「3」の時代から、
「伊邪(いじゃ)」→「伊射(いしゃ)」→「伊佐(いさ)」→「伊差(いさ)」→
「伊座(いざ)」と変化して行きます。
この時代が、一番のポイントになると思いますが、
調べても、大きな変化に類する出来事を探す事が出来ませんでした。
「諱(いみな)」の可能性もありそうですが、時代背景を調べても情報が無く、
古代中国は「西周・東周」時代の為に、戦乱に明け暮れていて、
調べても政策等について書かれていないので、別の国の影響かも知れません。
ただ、一点確実なのは、 「新撰姓氏録」にある
「1134 摂津国 未定雑姓 住道首 首 伊弉諾命男素戔嗚命之後也」の
「伊弉諾命」は紀元前の人間ではありません。
「住道首」の「首(おびと)」という「姓(かばね)」は、
五世紀前半の「允恭天皇(俗称)」が導入した「臣連制」の際に制定したと云われます。
これにより、「伊弉諾命男素戔嗚命」は「住道首」の始祖と言えるので、
2人は、最低でも「西暦4世紀頃」の人間と言えます。
「西暦4世紀頃」まで「伊弉諾命」や「素戔嗚命」が使われていてびっくりで、
最低でも「古事記系」と「日本書紀系」の二系統が存在していた事が分かります。
「住道首」の「姓(かばね)」を追跡調査しましたが、全くと言っていいほど、
痕跡が無く、びっくりしています。
ただ、「摂津國住吉郡住道郷」が存在したらしく、
「住道物部」を名乗っていたようです。
「住道首」の子孫なのかは不明ですし、「西暦4世紀頃」、
この土地に「住道郷」が存在していたのか?など疑問が残ります。
不明な事が多いですが、「未定雑姓」から、この一族の一端を垣間見えそうに思います。
「未定雑姓」は、参照5のサイトには、「系譜のよくわからない氏族」とありますが、
「新撰姓氏録」は「弘仁6年(815年)」の完成なので、記紀も見ているでしょう。
それなのに、「系譜のよくわからない氏族」となると、「伊弉諾命」と「素戔嗚命」は
列島での活動ではなく、本国(南朝鮮)で活動していたが、情勢が悪くなり、
列島に移住した為に、「系譜が分からない」のではないか?と考えています。
ここで疑問に思うのは、
「伊邪那岐」や「伊邪那伎」の子孫は、系譜が判明してそうなので、
「姓(かばね)」を普通に名乗っても良さそうですが出て来ません。
「断絶」や「改名」の可能性がありますが、情報が無いので追跡出来ませんでした。
神社の表記は「伊邪那美神を祀る神社と神名」で調査しましたが、
「いじゃなぎ(いざなぎ)」の例と同じ表記が多く、
異なっているのが最後の「み」の箇所になっています。
検索して他の書物の表記を調べましたが、参考例が極端に少なくっています。
その中で、「美濃国風土記」の逸文に「伊弉並尊」があり、
「いざなみ」を意識している事から、西暦に入ってからの人物かも知れません。
「鎮火祭」の祝詞では、「神伊佐奈伎」と一緒に「伊佐奈美乃命妹背」が
登場しますので、「いじゃなみ(いざなみ)」の家系も、
古事記系と日本書紀系の二系統あったと考えられます。