最終更新日 2024/06/30

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 第二章 天照大御神と速須佐之男命

第二章のまとめ

解説

02

出雲


到着したのは?

「故所避追而 降出雲國之肥河上在鳥髮地」の文を見て、
知っている人は、「速須佐之男命」が到着した場所と思うでしょう。

しかし、段々と無関係だと思うようになりました。

一番の理由が、前文で、
「大氣都比賣」と「大宜津比賣神」で、表記が異なっている点です。

理由

「種種作具而進時 速須佐之男命立伺其態 爲穢汚而奉進」の後に、
「乃殺其大宜津比賣神」と続くわけですが、解読すると、下記のようになります。

原文:

爾大氣都比賣 自鼻口及尻 種種味物取出而 種種作具而進時 速須佐之男命
伺其態 爲穢汚而奉進 乃殺其大宜津比賣神 故所殺神於身生物者

解読:

爾(なんじ)大氣都比賣、鼻口及び尻自(より)、
種種(くさぐさ)而(に)味の物取り出し種種(くさぐさ)而(に)具を作り進める時、
速須佐之男命、其の態(さま)立って伺い穢れの為而(に)進んで汚れて奉る

乃ち其の大宜津比賣神が殺すが、故、神者(は:短語)殺した身の所から物を生む

「速須佐之男命」が、「穢れの為而(に)進んで汚れて奉る」事が、
「大宜津比賣神」を「殺す」事なんでしょうか?

それと、同じ文において、「大氣都比賣」とあるのに、
「大宜津比賣神」とあるのは、「乃ち」の前後で話が異なっているからだと思われます。

もし、同じ文であれば、「大宜津比賣神」ではなく、「大氣都比賣」と書くべきです。

そのため、「故所避追而 降出雲國之肥河上在鳥髮地」文により、
「出雲國」に到着したのは、「速須佐之男命」と断定するのは間違っていると考えています。

「此時箸從其河流下(此の時、其の河の下流の箸に従う)」ですが、
なぜ、「橋」ではなく、「箸」なのでしょうか?

本文で考察した結果、「箸」=「竹を焼いて、焚き火をしていた」となりました。

「故所避追而 降出雲國之肥河上在鳥髮地 此時箸從其河流下」を、
この仮説を考慮して、場面を考えると、
「「出雲國之肥河上在鳥髮地」に降りた一行は、
下流に「焚き火」をしている場所を見つけて、冷えた体を温めようと移動する。」
という解釈が出来ます。

また、「於是須佐之男命 以爲人有其河上而 尋覓上往者」の文により、
「出雲國之肥河上在鳥髮地」は、
人の往来がある「港」みたいな場所だったとも解釈できます。

「港」としての機能があったのかは不明ですが、
「老夫と老女」が歩いている事から、そこそこ開拓されていたと思われます。

ちなみに、先程は「「焚き火」をしている場所を見つけて」としましたが、
状況によっては、自分達でつけた可能性もありそうです。

ただ、「港」に近い場所だとすると、
近場に「焚き火」で暖をとれる場所があったとしても、不思議ではないです。

「「焚き火」の場所まで移動して暖をとった」と仮定すると、
寒い時期である「秋〜冬」の可能性がありそうです。

他にも、「出雲國之肥河上在鳥髮地」は、寒い期間でも運航していたとも解釈出来ます。

須佐之男命

これらのように、「出雲」の話を考えた時に、
「須佐之男命」が、情報収集していたと考えられる行動をしていたのでしょうか?

冒頭に書いたように、「出雲國之肥河上在鳥髮地」に降りたのは、
「速須佐之男命」の一行と考えるのは違うと思います。

だとすると、「速須佐之男命」は「出雲國之肥河上在鳥髮地」を、
「管理・運営」していたという解釈が出来ます。

その場合、なんらかの問題があり、行き交う人達に情報収集していたとも受け取れます。

当然、情報収集するのは、部下の役目だと思うので、
「速須佐之男命」の部下が、「須佐之男命」だという考えも出来ます。

鳥髮地

「出雲國之肥河上在鳥髮地」に降りたとありますが、
「船」は、「どこにでも簡単に」停泊できる物ではありません。

古事記では、「小型」の「舟」ではなく、「大型」の「船」を使用しているので、
この場面でも、「出雲國之肥河上在鳥髮地」に来たのは、「大型の船」だと思われます。

「須佐之男命」の行動について、「以爲人有其河上而 尋覓上往者
(其の河の上而(に)有る、人の為を以て、上を往く者へ尋ねて覓(もと)める )」
と記載があります。

ちなみに、「尋覓上往者」を「上を往く者へ尋ねて覓(もと)める」としましたが、
「上に往き、尋ねて者(は:短語)覓(もと)める」という解釈もできます。

「上」と「上に行く途中」で、少々異なりますが、
範囲として「上中下」の地域を管理運営していたと考えれば、問題はなさそうです。

「上を往く者へ尋ねて覓(もと)める」から、「肥河の上流」で、
「問題」が発生し、「須佐之男命」が「情報収集」をしていると考えられます。

そして、「肥河の上に在る」のが「鳥髮地」ですが、
この「上」を今まで、「上流」と考えていましたが、まとめで改めて考えると、
「上」とは、「高い場所」から見ての「上(地図では前)」、
つまり、「河の下流」ではないか?と思うようになりました。

「高天原皆暗、葦原中國悉闇」の文は、
「出雲國之肥河上在鳥髮地」の上流であり、「天照大御神」が引きこもったり、
「儀式」をしたりと大変な状態だったので、
そこから、「鳥髮地」に避難してきたという解釈が出来そうです。

そうなると、「鳥髮地」には「多くの船や人」が行き交うだけの許容量を持っている、
「港」としての機能があるように思えます。

「鳥髮地」を地名としか認識していませんでしたが、
「港」の名が「鳥髮地」なのでは?と推測しています。

あと、「故所避追而(故、追う所を避けて)」は、「速須佐之男命」を指すのではなく、
「上流からの避難民」が、「命からがら逃げ延びた状況」を指しているかも知れません。

「鳥髮地」の運営をしている「速須佐之男命」からすれば、
ある日を境に、多くの人が、「上流」から来たので、何があったのか?と思い、
情報収集していた場面という解釈も出来そうです。

高志之八俣遠呂智

「高志之八俣遠呂智」を本文では、
「1つの隕石が、8個に分裂した」事を指すと考察しました。

改めて調べると、参照11のPDFが見つかり、重要な点を下記に書きます。

1913 年から 2013 年までの100 年間に隕石の落下は地球
全体で 605 回確認されています。

これより 1 年に落下する隕石の数は年平均6 回となります。

(中略)

実際に地球に落下する隕石の総数を推計すると、
陸地と海洋の面積比は 3対 7なので、陸地に 605 回落ちているとすれば、
地球全体では 100 年間に 2000 回落下していることになります。

上記により、「隕石」とは、毎年、大きさは異なりますが落下しているようです。

これは、現代の情報ではありますが、太古に当てはめても不都合は無いと考えています。

「高志之八俣遠呂智」を「隕石」と考えても、問題なさそうです。

「隕石落下」は、毎年、あったとしても、「自然災害」とは行かなかったとしても、
「8個に分裂する隕石」は、それなりの大きさがあったと思います。

ただ、「八俣遠呂智」だけであれば、「隕鉄」採取の為に願ったで終わりですが、
最初に「高志之」がある事により、状況が変わります。

参照11:隕石落下のリスク評価 ―100 年間の落下隕石―

高志

多分に、「高志之」とは「「高志」という地名の場所の方角」を指すとは思いますが、
その「高志」とは、どこなのか?については、不明です。

この場所が分かれば、第二章の地理を想像できます。

「高志」=「越地方」と考える人も多いですが、
それは、「後世の人」が推測した事で、真偽は不明です。

都牟刈之大刀

「船」の話がありますが、「八俣遠呂智」が「隕石」を指すのならば、
「海上」に落ちようとする「隕石」を確保しようとして動いていたとも解釈できます。

また、この話は、「高志之八俣遠呂智」ではな、「八俣遠呂智」の話なので、
自分たちの方へ落ちてきた「隕石」について書いた記事の可能性があります。

総括

ここまで、第二章の範囲の重要な点を、改めて書きました。

第二章の範囲を改めて見て、「高天原」・「葦原中國」・「出雲」の3つの地域が、
繋がっていた可能性が高いように思えました。

その前提となるのは、「故所避追而 降出雲國之肥河上在鳥髮地」の文です。

「天照大御神」が「引きこもった」のが「上流」で、
そこから、「避難民」が命からがら逃げてきたと仮定した考えです。

例えば、「阿蘇」=「高天原」、「熊本市大津町・西原村近域」=「葦原中國」、
「JR川尻近域〜有明海」=「出雲」と仮定すれば、ありえない話では無いと思います。

傍証となりそうなのが、「第四章」の範囲において、
「葦原中國」が8件、「出雲」が2件と同じ範囲で登場します。

これらは、「葦原中國」と「出雲」が距離的に近いからでは無いでしょうか。

これが、「出雲(現島根県)」と考えると、「葦原中國」を取り戻すために、
「出雲」に応援要請しても、距離が遠いために、スムーズに作戦が行えないように思います。

地理的な情報を知る記事があれば良いのですが、なさそうなのは残念です。

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