最終更新日 2024/06/30

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 第三章 大國主神

第三章のまとめ

解説

03

大國主神の系譜


大國主神の先祖

第三章のまとめは、単純に重要な点を書くのではなく、
「系譜」や「系図」を穴埋めしながら考察していきますが、まずは、重要な点のまとめをします。

基本形

第三章の時系列を考える際に、基本形となるのが上記の系図です。

第二章〜第三章の系譜を、簡略しました。

櫛名田比賣

親に関しては、「高志之八俣遠呂智」の話の中で、
「故其老夫答言 僕者國神 大山上津見神之子焉 僕名謂足名椎 妻名謂手名椎
女名謂櫛名田比賣」とありますが、「女の名」とはありますが、「娘の名」となっていません。

「女の名」であるので、「足名椎」と「手名椎」の娘では無いという解釈も出来ます。

また、「於是喚其足名椎神 告言 汝者 任我宮之首 且負名號稻田宮主須賀之八耳神と、
「足名椎」→「足名椎神」と、「神」の地位にいます。

「八嶋士奴美神」の母の「櫛名田比賣」と、
「高志之八俣遠呂智」の話の中の「櫛名田比賣」では、時系列としては異なっていると言えます。

なので、必ずしも、上記の2つの「櫛名田比賣」が同一人物とすることは出来ません。

古事記の第二章の範囲では、
「同一人物」なのか、「別人」なのかを判断できる情報はありません。

八嶋士奴美神

母と言われている「櫛名田比賣」ですが、改めて考えると、
「母」ではない可能性もありそうです。

原文では「其櫛名田比賣以 久美度邇起而 所生神名 謂八嶋士奴美神」とあり、
本来「生子」で良いはずなのが、「所生神名」とあります。

「所生神名」は、「〜の所で、神名が生まれる」なので、
「櫛名田比賣」が「神の名」を「命名」したけど、「子」として「産んでいない」
とも解釈することは可能です。

なぜ、この様な記事になったのか、現代において知ることは出来ませんが謎です。

次に「八嶋士奴美神 又娶大山津見神之女 名神大市比賣 生子 大年神 次宇迦之御魂神」
の記事を見ると、「又」とあるので、「神大市比賣」以外に結婚していたと思われます。

子が、資料に無かったから掲載しなかったのか不明ですが、不自然です。

2人

原文を見ると分かりますが、「八嶋士奴美神」と「兄八嶋士奴美神」の2人が存在します。

もちろん、同一人物ではなく、別人ですが、この2人に何があったのでしょうか?

ここで、興味深いのは、「八嶋士奴美神」の後に「兄八嶋士奴美神」の系譜がきます。

「兄」とは、「八嶋士奴美神」よりも「年上」を指します。

これだけでは、「実の兄弟」なのかの判断は出来ません。

確実に言えるのは、「八嶋士奴美神」になんらかの大きな問題(死去)が発生し、
空位にすることが出来ずに、「兄八嶋士奴美神」がその場所に入ったと思われることです。

「兄八嶋士奴美神」には、別の名があったのに、それを消してまで、
「八嶋士奴美神」を継承する必要があったのだと思います。

それは、仕事として、誰でもできるのではなく、人を選ぶ仕事をしていたと解釈できます。

これにより、「大國主神」の先祖は、「兄八嶋士奴美神」ということもあり、
「大國主神」という地位になれたのは、なんらかの関係がありそうです。

不自然

第三章のまとめに入りますが、本文でも書きましたが、「継ぎ接ぎだらけの章」です。

なので、一つの文として解釈すると、大変なことになります。

舞台

第三章の舞台となる場所ですが、「出雲」と断定できません。

なぜなら、冒頭から「故」を使っているので、「兄八嶋士奴美神」系統の「大國主神」なのか、
別の系統なのかの判断が出来ません。

また、単純に考えて、「兄八嶋士奴美神」と「大國主神」の世代差は「5世代」であり、
「兄八嶋士奴美神」の子であれば、継承して「出雲」に住んでいても不思議ではないですが、
「5世代」だと、「自然災害」などにより、先祖の土地から離れている可能性があります。

他にも、「兄八嶋士奴美神」が、「櫛名田比賣」が生んだ子なのか、
古事記の記事には、判断できる情報がありません。

古事記の編纂者達は、なぜ、あからさまに奇しい文にしたのか、疑問が残ります。

故の前の記事

「出雲」に関しては、断定できる情報が、この範囲において、存在しないので不明ですが、
「故 此大國主神之兄弟 八十神坐 然皆國者 避於大國主神」の前の記事について、
考えていきたいと思います。

編纂者達は、大前提として、「兄八嶋士奴美神」の子孫の「大國主神」を土台としています。

だからこそ、「亦の名」にある人名を、色々な、当時、現存した資料から抽出したのでしょう。

そうだとすると、「故 此大國主神之兄弟」の前に、
「速須佐之男命」、「兄八嶋士奴美神」、「大國主神」の系統の話以外が存在した場合、
そのまま、話を記載すれば、読んだ後世の人々は、必ず、疑問になるはずです。

なので、第二章と第三章の間には、
「大國主神」と「大國主神之兄弟八十神」の初期の話があり、消したことを考えると、
「兄八嶋士奴美神」の系統とは別系統だと考えられます。

もし、同じ系統であれば、わざわざ、消す必要がありません。

もちろん、当時の現存した資料が、
「故 此大國主神之兄弟 八十神坐 然皆國者 避於大國主神」
しか無かった可能性も、十分に考えることが出来ます。

大國主神に関する表記変遷

登場人物も文の途中で変化したりと、統一感がありません。

「大國主神」→「大穴牟遲神」→「葦原色許男」→「大國主神・宇都志國玉神」
→「大國主神」→「葦原色許男命」→「大穴牟遲」→「大國主神」となっています。

一人の人間の話であれば、「生まれて、地位を獲得し、亡くなる」となるので、
名を変える時は、何らかの問題が発生した場合のみです。

もちろん、「大國主神」は、最終の名なので、「幼名」等あったと思いますが、
同じ場面と思われる中で、名を変えることは無いと思っています。

「亦の名」ではなく、「異名」や「通称」などであれば、あっても不思議ではないです。

現代でも、「PN(ペンネーム)」など、その時々で使い分けしている人もいるでしょう。

しかし、それは、「本名」を変更しているわけでは無いです。

これらを考えると、「名」が違うので、別の場所での話なのかも知れません。

主な女性

八上比賣

この女性は、「大穴牟遲神」と夫婦なのだと思います。

ただ、第三章全体が「継ぎ接ぎ」だというのを考慮すると、
「大穴牟遲神」と「八上比賣」が一人しか存在していないと考えるのは早いと思います。

其八十神、各有欲婚稻羽之八上比賣之心

この話が、「故 此大國主神之兄弟〜」の後になります。

「稻羽之八上比賣」では、「稻羽」という地名の記載がありますが、
「國」に関しての記載はありません。

國名の記載があれば、推測できますが、「稻羽」だけでは探せません。

地名が、現存していれば、話は早いですが、太古の地名は残っていないと思います。

ただ、今昔、地名は、その土地の「特徴」から来ていると思うので、
「稻羽」に意味が込められていると思います。

それで、調査した結果、「アイガモ」を水田に放ち、「害虫駆除」や「雑草駆除」をする方法を、
この地域では、普通に行われていたから、
「稲」と「鳥の羽」から「稻羽」となったのでは?と推測しました。

今では、「アイガモ」を利用するのが通常ですが、
推測が正しい場合、当時、どの様な「鳥(水鳥)」を利用していたのかは分かりません。

其菟白大穴牟遲神 此八十神者 必不得八上比賣 雖負帒 汝命獲之

「菟」という人物が、「大穴牟遲神」が「八上比賣」を得ることができると言っていますが、
なぜ、その様な事を言えたのでしょうか?

また、「菟」という人物は誰なのか?気になるところですが、情報がありません。

「菟」に関しては、本文にも書いていますが、
古代中国「夏」王朝初代「禹」の後裔が、「菟」に変更したと考えています。

色々と「菟」なる人物に疑問点はありますが、解決できる情報はありません。

後裔

実際に、後裔について調べると、Wikiには「杞國」が「禹の末裔」を自称していたとあり、
「紀元前445年、楚によって滅ぼされた」とようです。

地理的にも、「河南省杞県一帯」→「山東省(山東半島)新泰市(西側)」とあり、
現朝鮮半島にも近い距離にあります。

なので、九州と交流があっても、なにも不思議ではないです。

ちなみに、
「杞の公子の一人が斉に仕え、鮑の地を与えられた事から鮑氏を名乗り」とあり
人名としては「鮑叔」という人物の様です。

他に、確認された後裔は見つかりませんでしたが、「菟」もその一つだと思います。

故 其八上比賣者 雖率來 畏其嫡妻須世理毘賣而 其所生子者〜

この場面以降、第三章において「八上比賣」は登場しません。

この後に、「故名其子云木俣神 亦名謂御井神也」と繋がりますが、
どこにも、この子の父親に関しての記述がありません。

なぜ、記載しなかったのでしょうか?

それに、「八上比賣」と「須世理毘賣」の名がある場面が無いので、
「故 其八上比賣者 雖率來」と以降で、場面が違うように思えます。

「故」とありますが、この前文が「故 其八上比賣者 如先期 美刀阿多波志都」であり、
「雖率來(率いて来ると雖(いえど)も)」の「率いる」に関係する記述がありません。

他にも「其嫡妻須世理毘賣」の「其の」が誰を指すのか?という疑問があります。

「大穴牟遲神」と「八上比賣」が関係あるのは判明していますが、
「大穴牟遲神」と「須世理毘賣」については、記述が無いので、
この場面では、知ることは出来ません。

この様に考えていくと、上記の文が繋がった文と考えていましたが、
どうも、そうではないと言えそうです。

「須勢理」と「須世理」

この女性には「須勢理毘賣」と「須世理毘賣」の2つの表記が存在しますが、
時代などの情報が不足しているので、関係性は不明です。

參到須佐之男命之御所者 其女須勢理毘賣出見

「須佐之男命之御所」とはありますが、「須佐之男命の女」という記載では無いです。

「須佐之男命之御所」に居るのは、「須佐之男命」だけでしょうか?

「須佐之男命之御所」と書いている事から、「政務」を行う場所と思われます。

その場所には、多くの地位が高い人物とかの出入りがあった可能性があり、
「其女」の「其の」が、誰を指すのか、この記事からは分かりません。

あと、「爾其大神出見」とあるので、該当場面には、
最低でも「須佐之男命」、「大神」、「須勢理毘賣」がいたと解釈できます。

だとするならば、「須佐之男命」の娘とは限らず、「其の女」では、
「須佐之男命之御所」に居る、誰かの「女(娘)」でしかありません。

この様に考えると、「謂之葦原色許男」の文から、
「大國主神」の「亦の名」とされる「亦名謂葦原色許男神」と混同したようにも思えます。

ちなみに、「大神」が「誰を指すのか」に付いての情報は無いです。

卽喚入而 令寢其蛇室 於是其妻須勢理毘賣命

この場面になると、「其妻須勢理毘賣命」と「女」→「妻」、「命」の追加と変化があります。

変化したことで、「時間の経過」があったことが分かります。

問題は、「其女須勢理毘賣」=「其妻須勢理毘賣命」なのかという事です。

「時間の経過」が存在したということは、同一人物でない可能性も十分にあります。

しかし、この場面のみでは、判断することは出来ません。

於是 其妻須世理毘賣者 持喪具而哭來 其父大神者

ここでは「須世理毘賣」と「勢」→「世」へと変化しています。

この記事以前には「須世理毘賣」の他に、男性の名が登場しないので、
「妻」とありますが、誰と結婚したのかは不明です。

また、「其父大神」とあり、「爾其大神出見」と同じ「大神」を使用していますが、
これだけでは、「爾其大神出見」の時と同じく、人物を特定するのは不可能です。

なにより、当時の人は「大神」で通じたのかも知れませんが、
後世の現代では、誰を指すのか、判断しようがありません。

他の章では「伊邪那岐大神」などと、名を記載していたのに、
なぜ、第三章では名の記載をしなかったのか不思議です。

この後に「負其妻須世理毘賣、卽取持其大神之生大刀與生弓矢及其天詔琴而」
と、「其妻須世理毘賣」が登場しますが、「其妻須世理毘賣」と同じかどうか不明です。

意禮爲大國主神 亦爲宇都志國玉神而
其我之女須世理毘賣 爲嫡妻而

誰かが「大國主神」を継承し、「宇都志國玉神」も継承しています。

その誰かですが、前の方で「大穴牟遲神」が登場するので、
この人物と思いたいですが、そうでもなさそうです。

あとの方に「我之女須世理毘賣 爲嫡妻而」があり、
「其妻須世理毘賣」と、この場面よりも前に2度記載があるので、
前文とは別の話と解釈出来ます。

また、「我の女」とありますが、名の記載がありません。

故 其八上比賣者 雖率來 畏其嫡妻須世理毘賣而 其所生子者

一見、一つの文として成立してそうですが、不自然な箇所もあります。

「八上比賣」の場所でも書きましたが、
「八上比賣」と「須世理毘賣」の2人が登場すする場面がありません。

また、「雖率來(率いて来ると雖(いえど)も)」とありますが、
「率いて来ると雖(いえど)も」「其嫡妻須世理毘賣而(に)畏れ」と、
繋がった話の様に思えません。

他に、「其所生子者」の「其所」とはどの場所を指すのでしょうか?

「故名其子云木俣神、亦名謂御井神也」と「人名」と「亦の名」が存在するということは、
「生まれた場所」や「母親」が分かっている可能性が高いと思います。

「八上比賣」が「木俣神」の母であるなら、なぜ、その様に書かないのか疑問です。

そもそも、「嫡妻須世理毘賣」を畏れたとして、
「刺挾木俣而返」とするのは違うように思えます。

又其神之嫡后、須勢理毘賣命

この文には、詳しい情報が無いので、解釈も難しいです。

沼河比賣

「此八千矛神、將婚高志國之沼河比賣」の記事により、
「八千矛神」と「高志國之沼河比賣」が結婚しているのが分かります。

ただ、「八千矛神」の「居住地域」、「高志國」の場所が分かりません。

多くの人は、「八千矛神」を、
「大國主神」の「亦の名」にある「八千矛神」と混同しているので、
糸口になりそうな情報はありませんでした。

まとめ

何度か書いていますが、第一章や第二章よりも「第三章」では、
考察していて、「細切れ」を集めた「継ぎ接ぎ記事」がほとんどだと思っています。

なぜ、そうなのか?ですが、これらは、第二章の最後にある、
「兄八嶋士奴美神」の子孫である「大國主神」の記事に引っ張られていると感じています。

その記事を元にして、当時、現存した資料から「大國主神」と、
「亦の名」に記載された表記を探して、繋げたように思えます。

時系列としては、表記が混在しているので、古い順だと思われますが、
「故、此大國主神之兄弟、八十神坐」の「大國主神」と、
「兄八嶋士奴美神」の子孫である「大國主神」が、同じである理由が無く、
非常に、考察を困難にしています。

なにより、「大國主神」の地位を継承してても、
「兄八嶋士奴美神」の子孫である「大國主神」である証明になりません。

現在でも、「落語」等にある「襲名」では、「◯代目」としているので、
いつの時代の人物なのか?の判断が出来ます。

しかし、「故、此大國主神之兄弟、八十神坐」から第三章が始まっている以上、
この前の記事によっては、「兄八嶋士奴美神」の子孫である「大國主神」よりも、
「何代目か後」なのかも知れません。

一番良いのは、第二章と第三章の「大國主神」が「同一人物」を証明できれば良いですが、
上記の様に、証明は不可能なので、その時代を知る事ができる情報が鍵になります。

「社伝」等には、「〇〇の時代」等の記事が存在しているので、
大まかではありますが、時代特定のすることが可能です。

今後は、それらの情報を収集し、時代特定できればと思っています。

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