國之常立神
三列目には、「國之常立神」と「豐雲野神」が登場します。
「國之常立神」:「天(あま)なる國」の守備が主な役割だと思います。
「豐雲野神」:「気象予報士」が主な役割だと思います。
この二人も「獨神」・「隱身」とあるので、
「集落の代表者」で「集落に常にいる人物」と言えそうです。
しかし、この後の「神世七代」では、「獨神」・「隱身」の記述が無く、
この二人で最後になります。
情勢が変わった傍証かも知れません。
「天之常立神との関係」と「世代」について、分かりませんでした。
「天之常立神との関係」については、
双方が「獨神」・「隱身」なので、「常立」を共通としますが、
別々の部族の可能性が高い様に思っています。
この人物が、「天之御中主神」達「別天神」と同じ時代なのか、
それとも、1世代後なのかで、年表作りに影響が出て来ます。
指標となるのが、「淤能碁呂嶋」です。
嶋とは表記されますが、
「淤(泥)」・「碁(整然と線の引かれた)」・「呂(長い)」となり、
干潮時以外でも現る「海中の道」を指していると思われます。
この場面で「伊邪那美命」の表記が3回変化しています。
「妹伊邪那美神」・「伊邪那美神」・「伊邪那美命」の3回で、
「妹」の有無で世代が代わるかは不明ですが、
確実に「伊邪那美神」と「伊邪那美命」で世代交代が起こっていると思います。
「淤能碁呂嶋」を「紀元前950年頃」と仮定すると、「平均寿命30歳」で、
「伊邪那美神」は「紀元前980年頃」の人物となります。
もし、「妹伊邪那美神」→「伊邪那美神」へ世代交代していたのならば、
「妹伊邪那美神」は「紀元前1010年頃」の人物となります。
そして、「別天神」がプラス「平均寿命30歳」で、
「紀元前1040年頃」となります。
「國之常立神」が、「神世七代」と同じ時代なら、「紀元前1010年頃」となり、
「別天神」と同じなら、「紀元前1040年頃」の人物となります。
もちろん、単純計算しただけなので、「流行病」などの要因があれば、
世代交代が早まると思います。
ちなみに、「豐雲野神」に関して、色々と調べましたが、
関連性のありそうな事柄を見つけられませんでした。
「淤能碁呂嶋」が形成された時期を、「紀元前950年頃」としましたが、
これは、「寒冷化」の波が列島に「紀元前900年頃」に到達したとしても、
突然、「寒冷化」するのではなく、少しずつ、進行すると考えた為です。
ですが、もし、「淤能碁呂嶋」が「紀元前900年頃」に形成されていたとすると、
「50年」ずれて、下記に様になります。
「淤能碁呂嶋」:「紀元前900年頃」
「伊邪那美神」:「紀元前930年頃」
「神世七代」:「紀元前960年頃」
「別天神」:「紀元前990年頃」
「淤能碁呂嶋」が「紀元前950年頃」か、「紀元前900年頃」かによって、
「阿毎」と「阿麻」の関係も少し見えて来る様に思います。
「阿毎一族」は、「倭人」と同族化し、「紀元前1000年頃」に、
「南朝鮮」へ「稲作(水稲)」を持ち込んだ。
「淤能碁呂嶋」が「紀元前900年頃」の場合、「別天神」は「紀元前990年頃」となり、
「阿毎一族」の分家・同族が考えられます。
同時期に「南朝鮮」と「列島(九州)」に定住したと思われます。
「淤能碁呂嶋」が「紀元前950年頃」の場合、「別天神」は「紀元前1040年頃」となり、
「阿毎一族」の分家・同族・別族が考えられます。
「現上海市」付近まで一緒に行動し、本家よりも早くに列島に移住したと考えられます。
「現上海市」付近まで一緒に行動した可能性の他に、
「華北の陝西地域」から海に出て、南下した可能性もありそうです。
しかし、色々な経路が考えられるので、特定は難しいと思います。
経路不明です。
何年頃が正解なのかは、「紀元前660年」と一応、検証出来る情報のある、
「神武天皇(俗称)」の時代にならないと、比較検討出来ないので、
正解を探すのは保留にします。