此の如くに之(これ)白(もう)す
而(すなわち)出雲國之多藝志之小濱に於いて、天之御舍多藝志【三字以音】を造る
而(すなわち)、水戸神之孫 櫛八玉神が膳夫を爲す
天を獻(たてまつった)御饗之時、禱(いのる)と白(もう)す
而(すなわち)、櫛八玉神、鵜に化けて海底に入り咋(くう)
底から出て之(これ)波邇【此二字以音】、天八十毘良迦【此三字以音】を作り
而(すなわち)、鎌海布之柄 に燧臼(のろしうす)を作る
海を以って蓴(ぬなわ)之柄、燧杵(のろしきね)を作る
而(すなわち)、鑽(きり)出す火と云う
是、我の所の燧(のろし)の火者(は:短語)、麻弖【二字以音】の地下者(は:短語)、底津石根に於いて凝らし焼く
而(すなわち)繩之(これ)𣑥(かえ)、千尋の繩を打ち延ばすと爲す
海で之(これ)口大之尾翼の鱸【訓鱸云須受岐、すずき】を釣る
佐和佐和邇此【五字以音】控(弓を引きしぼる)に依って騰(あげる)而(すなわち)之(これ)竹を打ち、登遠遠登遠遠邇【此七字以音】
天之眞魚を咋(くい)獻(たてまつる)也
故、建御雷神、返りて参上し、葦原中國之狀が和平に向かうと復奏して言う
複雑化した文3
原文:
如此之白 而於出雲國之多藝志之小濱 造天之御舍多藝志【三字以音】而 水戸神之孫 櫛八玉神
爲膳夫 獻天御饗之時 禱白而 櫛八玉神 化鵜入海底 咋出底之波邇此二字以音
作天八十毘良迦【此三字以音】而 鎌海布之柄 作燧臼 以海蓴之柄 作燧杵 而鑽出火云
解読:
此の如くに之(これ)白(もう)す
而(すなわち)出雲國之多藝志之小濱に於いて、天之御舍多藝志【三字以音】を造る
而(すなわち)、水戸神之孫 櫛八玉神が膳夫を爲す
天を獻(たてまつった)御饗之時、禱(いのる)と白(もう)す
而(すなわち)、櫛八玉神、鵜に化けて海底に入り咋(くう)
底から出て之(これ)波邇【此二字以音】、作天八十毘良迦【此三字以音】を作り
而(すなわち)、鎌海布之柄 に燧臼(のろしうす)を作る
海を以って蓴(ぬなわ)之柄、燧杵(のろしきね)を作る
而(すなわち)、鑽(きり)出す火と云う
「如此之白(此の如くに之(これ)白(もう)す)」とはありますが、
「唯(ただ)、僕(やつかれ、使用人)の住む所者(は:短語)〜」の文は、
誰かが、話をしたという表記がありません。
つまり、ナレーションの様な存在なので、
「此の如くに之(これ)白(もう)す」の文は当てはまりません。
そうなると、この文の前には、誰かが話している文が存在していたのだろうと推測できます。
なぜ、その部分を削除して、「〜神之御尾前而仕奉者違神者非也」の文の後に繋げたのか、
すごく不思議です。
文を読めば、明らかにおかしいのは、すぐに分かるのに、
歴史書にその様に記したのには、なにか意味があるのだと思いますが、
文章がおかしいのは確かなので、フォローはできません。
「天之御舍多藝志」がどの様な物だったのかは書かれていません。
「多藝志【三字以音】」と注記があるので、「音読み」指定となります。
「多」:呉音・漢音:タ
「藝」:呉音:ゲ、漢音:ゲイ
「志」:呉音・漢音:シ
上記により、呉音「たげし」、漢音「たげいし」となりそうです。
参照270のサイトにある「説文解字」には「種也。从坴、丮。持而種之」とあり、
「種」を指すと書いています。
ところが、「漢多」では、「象人伸出雙手栽種草木之形」とあり、
「人が雙(ふたつ)の手を伸ばして出し、草木之形を栽種する象(かたち)」と解読できます。
また、「後在「埶」上加注「艸」旁,「丮」下的「止」(或「女」)又進一步訛為象「云」之形,
遂演變成「藝」。本義是種植。」とあり、「本義は種を植える事」としています。
これにより、「説文解字」では「種」を指すとした考えから、
「漢多」の「種を植える」事へと変化した事になります。
ところが、真ん中にある「埶」の参照271のサイトにある「説文解字」には、
「像跽跪的人双手捧持禾苗或树苗栽种之形」とあります。
解読すると「跽跪的(ひざまずき、上半身をまっすぐに保つ?)人が双(ふたつ)の手で、
禾の苗を持って捧げる。或いは、树苗(苗木?)を栽种(植え付ける)之形」となりそうです。
参照270のサイトにある「漢多」の意味に近いようですが、こちらは「捧げる」となっています。
参照271のサイトにある「漢多」を見ると、「埶」の字源に付いて、
色々と考察している様子が分かりますが、結局、何が正しいかは不明です。
参照272のサイトにある「字源字形」の形が正しいと考えた場合、
「捧げる」、「植える」は十分にあり得ると思います。
もしかすると、「捧げる」と「植える」の意味を持つ漢字が、
別々に存在していた可能性もありそうです。
「「埶」甲1991合28809」は、「捧げる」の代表例になりそうです。
「「埶」甲2295合27382何組」は、「植える」の代表例です。
ちなみに後世に付与されたと云われる「艹(草冠)」と「云」ですが、
参照270のサイトにある「漢多」の場所に「又進一步訛為象「云」之形」とあり、
「訛り」が影響した可能性がありそうです。
「艹(草冠)」と「云」にも、当然、「埶」に付けたほうが良いと判断された話があると思いますが、
全く、外に出て来ていません。
Wikiでは、「艹(草冠)」が先に付いたと書いていますが、その様な情報を見た事が無いです。
その他に「藝」の意味を考察できそうな字として「坴」があります。
「丸」の部分は「丮」の字形なので、「坴」は「埶」の旁の部分になります。
しかし残念ながら、参考になりそうな情報がありませんでした。
参照273のサイトにある「説文解字」には「土凷坴坴也」とありますが、
「土の凷(かた)まり」しか分かりません。
「土の塊」を砕いたのか、それとも、水をかけたりしたのか、
「土凷坴坴也」では、考察すべき情報がほとんどありません。
参照270:藝: zi.tools
参照271: 埶: zi.tools
参照272: 藝的解释|藝的意思|汉典 “藝”字的基本解释
参照273: 坴: zi.tools
「多」は「多い」、「志」が「自分の意志によって、したい事を行う」ですが、
「藝」は何を指しているのかと考えると「植える」と「捧げる」どちらも合っていると思います。
「多くの捧げ物」でも、「多くの植えた物」でも通じると思われます。
でも、高位の人間で無いと「捧げ物」は、意味が無いと思うので、
「多くの植えた物」が良い気がします。
そうなると、「多藝志」は「多くの植えた物」を栽培するために
「志」を持ってあたるという意味でしょうか?
ちなみに、「藝」に関しては、「伊多久佐夜藝弖」でも考察をしてい ます。
「而(すなわち)、水戸神之孫 櫛八玉神が膳夫を爲す」とあるが、
「櫛八玉神」が「膳夫」に就任した経緯などについては、書かれていません。
ちなみに、「膳夫」とは「宮中に仕え、大王の食膳に奉仕する」事を言うらしいです。
湊神社、御門主比古神社 境内 阿於社、賣布神社、火守神社、ふくろうの社
志布比神社、櫛玉比女命神社
「櫛八玉比女命」とはいつの時代の人なんでしょうか?
この後の記事では、「櫛八玉神」が行った事について、書かれています。
「而(すなわち)、櫛八玉神、鵜に化けて海底に入り咋(くう)」は、
当然、「鵜」に化ける事は出来ないですので、
「鵜」の様に潜水時間が長い事から、付けられたと思われます。
潜水時間と深度ですが、参照274のpdfには、
「カワウ」で、最大時間1.2分、最大深度37m、
「ウミウ」で、最大時間が2.4分、最大深度45mのようです。
なので、最大深度40m近くを素潜りで行ける人だったのだと思います。
「海底」が、何mかは不明ですが、最低でも30m近くはあったと思われます。
そして、「口」に魚を咥えて、地上に戻ってきたのかも知れません。
参照274:カワウってどんな鳥
底から出て之(これ)波邇【此二字以音】、天八十毘良迦【此三字以音】を作り
而(すなわち)、鎌海布之柄 に燧臼(のろしうす)を作る
「波邇【此二字以音】」と注記があり、「音読み」指定となります。
「波」:呉音・漢音:ハ
「邇」:呉音:ニ、漢音:ジ
上記により、呉音「はに」、漢音「はじ」となりそうです。
波際という事だろうか?
「天八十毘良迦【此三字以音】」と注記があり、「音読み」指定となります。
「毘」:呉音:ビ、漢音:ヒ
「良」:呉音:ロウ(表外)、漢音:リョウ、慣用音:ラ(表外)
「迦」:呉音:キャ、ケ、漢音:カ、キャ
上記により、呉音「びろうけ」、漢音「ひりょうか」となりそうです。
「毘」ですが、「毘」ではあまり情報が無かったので「毗」の字形にすると情報が出てきました。
参照275のサイトには「説文解字」の字形が載っていないので不明ですが、
参照276のサイトには載っています。
それによると、「田」になっているのは「囟」が変化した為で、
「比」は「匕(さじ)」を2つ並べた形になっています。
「囟」は、参照277のサイトにある「説文解字」には、
「像婴儿头顶骨未合缝……本义指婴儿头顶未合缝之处」とあります。
解読すると「頭蓋骨が未だ縫い合わされていない赤子のようなもの、
本義は赤ちゃんの頭で縫い合わされていない部分を指す」
「比」は、比較すれば分かりますが、「刀」の字形になるのが「人」、
「刀」の逆位置になるのが「匕(さじ)」なので、
参照276のサイトにある「説文解字注」の字形が正しければ、
「人」ではなく「匕(さじ)」が2つ並んだ字形となります。
これらから、参照275のサイトにある「説文解字」には、
「人臍(へそ)也。从囟,囟,取气通也;从比聲。」とありますが、
なぜ、「臍(へそ)」にたどり着いたのか、疑問しかありません。
逆に、「囟」が「縫い合わされていない頭蓋骨」で、「比」が「匕(さじ)が並んだ形」なので、
「匕(さじ)」を使って、「縫い合わせる」事を指している様に思えます。
それとも、「縫い合わせていない」と思われる場所が「臍(へそ)」という事でしょうか。
参照275:毗: zi.tools
参照276: 毗的解释|毗的意思|汉典 “毗”字的基本解释
参照277: 囟: zi.tools
参照278: 匕: zi.tools
Wikiによると「計量器の形、食器の形、部屋から伸びる廊下の形、
など複数の説が存在するが定説はない。」とあり、複数の字源説があるようです。
参照279のサイトと参照280のサイトにある「甲骨文字」の字形を見ると、
真ん中の箱の様な字形に「横棒」があるタイプと無いタイプが存在します。
「金文」でも「横棒」の有無が存在します。
ところが「楚系簡帛」の時代になると「横棒」があるのが当然という字形に変化します。
多分に「横棒」がある字形に統一されていったのかも知れません。
しかし、「甲骨文字」や「金文」では「横棒」の有無があるので、
当然、意味も異なっていたと思われます。
これは「豆」と似た感じがします。
あと、Wikiで書いてあったように「定説が無い」と思えるのが、
字源諸説の内容から分かります。
「説文解字」では「善也」とあり、「从畗省」と解釈されていますが、
「畗」の字形と思える形が「良」の中にはありません。
「字源」では「像水中有梁形」と「水中に有る梁の形」とありますが、
仮にそうだとして、上下にある形は、何を指しているのでしょうか。
「本义,应与水中之梁有关……良应以梁为本义」ともあり、
「本義、水中之梁に有る关(ものともののつなぎ目)に与えて应(こた)えた、
梁を以って良き应(こた)える為の本義」と解読できそうです。
これは「なにか」の「梁」として使われていた物を見つけたから創ったとも受け取れます。
「漢多」では、そうではなく、別の見解を述べています。
「《漢多》(徐中舒):甲金文象古人居住的半穴居的走廊之形,是「廊」的初文。半穴居的走廊,
兩邊各有入口,空氣流通,生活條件改善了,所以引申有良好、明朗義。」とあり、
古代人が住んでいた「穴居」に通じると考えているようです。
上下の形は、「廊下」だと書いています。
しかし、参照279のサイトにある「商甲骨文𠂤組」以降のように、
「廊下」の様に見えれば良いですが、
「商甲骨文午組」では、何かを掴むアームの様な形でになっています。
これも、一部分のみを区切って、考察しているという感じに映ります。
やはり、説得力がある字源は存在していないようです。
参照279:良: zi.tools
参照280: 良的解释|良的意思|汉典 “良”字的基本解释
「毘」:「匕(さじ)」を使って、「縫い合わせる」
「良」:計量器の形?
「迦」:「であう」、「巡り合う」、「比べる」
上記の様に考えた場合、「毘」は「80」という物を入れる入れ物で、
「良」が「計量器」と考えれば、「80」という物の重さを図っていると思われます。
「計量器」の場合、「比べる」が適している様にも思えます。
「燧臼」は「のろしうす」と読むと思われます。
「燧」は「ひうち」とも読み、「ひうちうす」でも良いのかも知れません。
「臼」は、参照281のサイトにある「説文解字」には「古者掘地爲臼」とあり、
古代では、「掘られた場所」=「臼」と考えられます。
ただ、「燧臼」がどの様な物で作られたかについては不明です。
参照281:臼: zi.tools
海を以って蓴(ぬなわ)之柄、燧杵(のろしきね)を作る
「蓴」は「蓴菜」や「石蓴(あおさ)」の様に、海や川に存在する植物なので、
「柄」を作るというのは、「石蓴(あおさ)」を「柄」に巻いたりするくらいではないかと思います。
先程は「燧臼」と「臼」でしたが、今回は「燧杵」と「杵(きね)」になります。
何をしたかったのでしょうか?
而(すなわち)、火を鑽(きり)出すと云う
これは、無人島などで生活する時に必要な火を起こす時に、
木を速く回して、火の粉を確保する方法と似ているように思えます。
しかも、「言」ではなく「云」なので、色々と伝え聞いた方法だと思います。
原文:
是我所燧火者 於高天原者 神產巢日御祖命之 登陀流天之新巢之凝烟訓凝姻云州須之
八拳垂摩弖燒擧 麻弖【二字以音】 地下者 於底津石根燒凝而 𣑥繩之 千尋繩打延爲
釣海人之口大之尾翼鱸訓鱸云須受岐 佐和佐和邇此【五字以音】控依騰 而打竹之
登遠遠登遠遠邇【此七字以音】 獻天之眞魚咋也
解読:
是、我の所の燧(のろし)の火者(は:短語)、
高天原に於いて者(は:短語) 神產巢日御祖命之登陀流、
天之新巢之凝烟【訓凝姻云州須】之八拳、摩弖を垂らして燒き擧げる
麻弖【二字以音】の地下者(は:短語)、底津石根に於いて凝らし焼く
而(すなわち)𣑥(たえ)之繩、千尋の繩を打ち延ばすと爲す
海で之(これ)口大之尾翼の鱸【訓鱸云須受岐、すずき】を釣る
佐和佐和邇此【五字以音】控(弓を引きしぼる)に依って騰(あげる)
而(すなわち)之(これ)竹を打ち、登遠遠登遠遠邇【此七字以音】
天之眞魚を咋(くい)獻(たてまつる)也
「是(これ)」とありますが、
前文が「而鑽出火云(而(すなわち)、火を鑽(きり)出すと云う)」なので、
「燧(のろし)の火」と関係があるようには思えません。
もちろん、「火を鑽(きり)出す」までに「燧臼」や「燧杵」を作っていますが、
その時に、今回の話が挿入されていれば良かったですが、そうではありません。
内容ですが、「神產巢日御祖命之登陀流」とは、どの様な物なのでしょうか?
前回の範囲で「登陀流」について、
「険しい場所」で「食べ物」を捧げ、「生まれた子」に名を与えたと解釈しましたが、
今回も、それが当てはまるのかは疑問です。
また、「天之新巢之凝烟【訓凝姻云州須】之八拳」なのでしょうか?、
新しい言葉が登場しています。
「州須」は、呉音で「すす」と読めますが、「新巢」とは新しい町や村を指すのでしょうか?
それとも、別の事を指すのか、いまいち良く分かりません。
「摩弖を垂らして燒き擧げる」も、意味不明な文となります。
「摩弖」が食材なのか、それとも別の物なのか、ここでは判断できません。
「八拳垂摩弖燒擧 麻弖」と「摩弖」と「麻弖」が近くにあるので、
どの様に解読しようかと考えましたが、「摩弖」は「摩弖を垂らして燒き擧げる」とし、
「麻弖」は「地下者(は:短語)」に繋げました。
「麻弖」の「読み」と「意味」は最後の方に書くとして、
「底津石根に於いて凝らし焼く」という言葉が使われています。
これは、たぶんに、「底津石根」に工夫を凝らして「焼く」、
つまりは「焼き石」ではないかと思っています。
しかし残念ながら、前文との繋がりは無いようです。
「麻」:呉音:メ(表外)、漢音:バ(表外)、慣用音 : マ
「弖」:呉音・漢音:テ
上記により、呉音「めて」、漢音「ばて」となりそうです。
「弖」の字源が、判明していないので、「麻」だけでは考察できません。
「而(すなわち)𣑥(たえ)之繩、千尋の繩を打ち延ばすと爲す」の「𣑥(たえ)之繩」とは、
参照282のサイトによると「𣑥、たえ。梶の木の繊維で織った布。」とあります。
問題は「千尋の繩を打ち延ばすと爲す」です。
「千尋」は、「非常に長い」や「非常に深い」を表す言葉と、検索するとあります。
なので「千尋の繩」は「非常に長い縄」となりますが、
「縄」を「打ち延ばす」とは聞いたことがありません。
探しても見つかりませんでした。
本当に「非常に長い縄」を「打ち延ばす」したと考えた場合、
なぜ、その様な事をしたのか気になります。
参照282: 「𣑥」の漢字‐読 み・意味・部首・画数・成り立ち - 漢字辞典
「海で之(これ)口大之尾翼の鱸【訓鱸云須受岐、すずぎ】を釣る」とあり、
「須受岐」を呉音で読むと「すずぎ」となり、漢音だと「しゅしゅうき」となります。
もしかしたら、古代では「すずぎ」と呼んでいたけれど、
後世に「すずき」へと変化した可能性がありそうです。
「佐和佐和邇此【五字以音】」と注記があるので、「音読み」指定となります。
「佐」:呉音・漢音:サ
「和」:呉音:ワ、漢音:カ、唐音:オ
「邇」:呉音:ニ、漢音:ジ
「比」:呉音:ヒ、ビ(表外)、漢音:ヒ
上記により、呉音「さわさわにひ」、漢音「さかさかじひ」となりそうです。
「佐和佐和」と繋げた意味が不明です。
普通であれば「佐和」だけで、十分なはずですが、なにかあったのでしょうか?
「佐」の考察は、「伊多久佐夜藝弖」でもしています。
意味としては、「「三角測量」で、皆が助け合う」だと考えています。
「和」の考察は「和備弖」でもしてます。
これには問題もあり、「龢」と「和」を「和」として考えている可能性です。
現在でも「龢」は、「和」の異体字としています。
しかし、「龢」は「禾(いね)」の「容積」を量る」事で、
「和」は「口」が「口(くち)」を表している場合、
「禾(いね)」を「口(くち)」で「食べる」という意味になるように思えます。
この様に、「龢」と「和」では、意味が異なります。
なので、この当時の「和」がどちらに傾いているのか、非常に気になります。
「佐和」であれば、「龢」・「和」どちらの意味でも通じます。
「爾」=「美しく輝く花」と考えられているので、
「邇」で「美しく輝く花」まで行くという意味にも見えます。
ただ、参照283のサイトを見ると、「説文解字」には「麗爾,猶靡麗也」とあり、
解読すると「猶(なお)麗しさを靡(わ)ける也」となりそうです。
「美しく輝く花」とは書いていないので、どの様に判断するかは個人に任されています。
それに「字源」、「漢多」の字源諸説を見ても、「美しく輝く花」と解釈しているのは無く、
なぜ、その様に思ったのか謎になります。
字義には「花朵繁茂的样子(生い茂る花々の様子)」とあるので、
完全に間違いでも無さそうです。
参照283:爾: zi.tools
Wikiでは「「止 (足)」+「匕 (=「比」、ならぶ)」。「やめる」「とまる」を意味する漢語」
としていますが、「匕(さじ)」は「小刀」などを象(かたど)った字形と云われていて、
「止(足)」が付いたからといって、「やめる」や「止まる」というのは、
「足」の近くに「罠(鉄線の様な罠)」があるからという事でしょうか。
「罠」があるから、そこから先に行くのは危険という事で、
「足を並べた」というのならば、納得できます。
上記のように考察した場合、「佐和」で「穀倉庫」の設置と考えれます。
「佐」の「三角測量」によって建物を建設するのと、
「和」の「禾(いね)」の「容積」を量る」で「穀倉庫」だと考えました。
「邇此」の判断が難しいです。
「邇」は普通に「穀倉庫」の周りに植える花、
「此」が「穀倉庫」周辺に「罠」を巡らせたという事でしょうか。
もう少し、当時の状況などの情報が欲しいところです。
「控(弓を引きしぼる)に依って騰(あげる)」と解読しましたが、「控」の考察が難しいです。
「控」には「ひく」などの意味があり、色々と試行錯誤しましたが、
「弓を引きしぼる」事で、目線が上に行くという風に考えましたが、正しいかは不明です。
「登遠遠登遠遠邇【此七字以音】」と注記があり、「音読み」指定となります。
「登」:呉音・漢音:トウ(トゥ)、慣用音:ト
「遠」:呉音:オン(ヲン)、漢音:エン(ヱン)
「邇」:呉音:ニ、漢音:ジ
上記により、呉音「とうおんおんとうおんおんに」、
漢音「とうえんえんとうえんえんじ」になりそうです。
「天神御子之天津日繼所知之登陀流」で考察し ていますが、
Wikiには、二通りの解釈が載っています。
1:「「豆」+「癶」で、食器に盛られた食べ物を捧げるさまを象る。
Wiki
「すすめる」「ささげる」を意味する漢語{烝 /*təng/}を表す字。」
2:「登」はそれを音符にもつ形声文字で、「癶」は上方向に登っていく足の形。
「のぼる」「あがる」を意味する漢語{登 /*təəng/}を表す
今までは、なんとなく、選べましたが、今回は判断が難しいです。
Wikiなどの字源サイトには「「辵」+音符「袁 /*WAN/」」とありますが、
字形から見ると、実は違うように見えます。
まず、参照284のサイトにある「西周金文西周中期」の字形を見ると、
「袁」と言われた字形は、上下に「止」がある字形なのが分かります。
ところが、「袁」の字形は?と言うと、参照287のサイトにある「袁」の字形を見ると、
「止」の字形は無く、「山」もしくは「傘」の様な字形が「甲骨文字」にはあります。
そうなると、本当に「遠」にあるのは「袁」ではない、別の字形という事になります。
今の活字にすると「辶(しんにょう)」と「袁」になっているだけとなりそうです。
では、「袁」の様に見えてしまう字形ですが、参照288のサイトにある字形を見ると、
どうやら、似た漢字が存在していたようです。
「甲骨文字」にある「袁」と思われる「「遠」後2.42.8合30273無名組」の字形ですが、
これは「辶(しんにょう)」ではなく「彳(ぎょうにんべん)」なので、「遠」の字形とは言えません。
「金文」は、「彳(ぎょうにんべん)」+「止」の漢字があるので「辶(しんにょう)」です。
ただ、「「遠」番生簋蓋西周晚期集成4326」の字形には、なぜか、「止」が無いので、
これも「遠」の字形と考えるのには無理がありそうです。
「秦系簡牘」と「傳抄古文字」は、「遠」の字形と思われますが、「傳抄古文字」の一部、
「「𢕱」四3.15崔」や「「𢕱」四3.15崔」は「遠」とは言えそうも無いです。
「説文解字」になると、なぜか、今まで登場していなかった「辶(しんにょう)」+「袁」と
「辶(しんにょう)」+「止+○(点が入る)+三本に分裂した線」が並びます。
非常に不思議です。
なにか圧力でもあったのでしょうか?
ちなみに、「袁」の意味ですがWikiでは、
「「爪 (=人の手)」+「衣 (=衣服)」+「又 (=人の手)」、服を両手に持って体に着る様子」
と書かれています。
今回の本当の「遠」の字形は、参照284のサイトにある「漢簡帛張家山」の字形までは、
「辶(しんにょう)」+「止+○(点が入る)+三本に分裂した線」で書かれていましたが、
「漢石經熹平石經」以降は「遠」になっています。
「□」と「𧘇」の字形の意味が分かれば、意味も分かるかも知れませんが、
現在は不明なので、今後の情報で見つかれば、改めて考えます。
参照284: 遠: zi.tools
参照285: 袁: zi.tools
参照286: 止: zi.tools
参照287: 袁的解释|袁的意思|汉典 “袁”字的基本解释
参照288: 遠的解释|遠的意思|汉典 “遠”字的基本解释
「登遠遠」と同じ漢字を繋げる意味を考えましたが、分かりませんでした。
これが、万葉仮名で「とおー、とおー」ならば、「許々袁々呂々邇」のように、
「かけ声」や「歌曲」と考える事が出来ますが、
「とうおんおん」だと、何を言っているのか不明です。
古代の人の間では、「登遠遠登遠遠邇」の言葉は大きな意味が合ったのかも知れませんが、
現代では、解明する事は出来ないようです。
原文:
故 建御雷神 返參上 復奏言向和平葦原中國之狀
解読:
故、建御雷神、返りて参上し、葦原中國之狀が和平に向かうと復奏して言う
最後の文でも「葦原中國」とあり、「出雲國」をどうにかしようと考えていたのではありません。
ちなみに、「出雲の国譲り」は、誤っているので、「葦原中國の和平」に改めるべきと思います。
しかし、第四章の流れが、「葦原中國」を和平に持っていく為と分かりますが、
なぜ、「出雲國」に行ったりしたのかの理由が書かれていません。
普通に考えれば、「出雲國」は全く関係ない立場です。
必要な箇所は、ほとんど削除されているので全貌は分かりませんが、
「葦原中國」を「天(あま)一族」に渡すのを反対した勢力がいたのは確かな様です。
そこで「大国主神」等が本当に関わっていたのか、考察をしてみて、
非常に微妙だなと思いました。
なぜなら、文の繋がりが考慮されていないからです。
今までは、文の繋がりを考えていた様に見えましたが、
第四章では、おかしな文の繋がりを多く見つけています。
展開も飛び飛びで、文のまま考えるべきか、裏を考えるべきか、非常に難しいです。