最終更新日 2024/11/12

※Social Postage Stamps

古事記 へようこそ Welcome to Japanese History

 第四章 葦原中國の平定

天照大御神之命以 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 我御子
正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國 言因賜而天降也 於是 天忍穗耳命
於天浮橋多多志【此三字以音】而詔之 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者
伊多久佐夜藝弖【此七字以音】有那理【此二字以音 下效此】告而 更還上 請于天照大神
解読

天照大御神之命(めい)を以って、豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
我御子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之知る所の國と、
言う而(に)因って、天より賜り降りる也

於是(これを)、天忍穗耳命、天浮橋多多志(此三字以音)に於いて
之(これ)而(すなわち)詔(みことのり)す

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
那理(此二字以音、下效此)有り、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)する

而(すなわち)告げて、更に上に還るように、天照大神于(に)請う

解説

02

伊多久佐夜藝弖


伊多久佐夜藝弖

原文:

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 伊多久佐夜藝弖【此七字以音】
有那理【此二字以音 下效此】

解読:

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
那理(此二字以音、下效此)有り、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)有り

伊多久佐夜藝弖

1段目〜3段目は、前回も書きましたが、統一感がありません。

「伊多久佐夜藝弖」は、「此七字以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。

読み

「伊」:呉音・漢音:イ

「多」:呉音・漢音:タ

「久」:呉音:ク、漢音:キュウ(キウ)

「佐」:呉音・漢音:サ

「夜」:呉音・漢音:ヤ

「藝」:呉音:ゲ、漢音:ゲイ

「弖」:音読み無し

上記により、呉音「いたくさやげ(て)」、漢音「いたきゅうさやげい(て)」になりそうです。

意味

情報量が多いので、参照14のサイトの文を引用します。

声符は尹(いん)。

尹は神官が神杖をもつ形。その神杖によって神をよぶ意がある。

〔説文〕に「殷の聖人阿衡(あかう)なり。天下を尹治する者なり。人に從ひ、尹に從ふ」と
字を会意とし、伊尹 (いいん)の名とする。

伊尹は箱舟で洪水を免れ、空桑の中から見出だされた聖者で、洪水説話にみえる神。

卜辞に「黄尹」の名があり、 「阿衡」にあたるものであろう。

〔周礼、秋官、伊耆(いき)氏〕に「國の大祭祀に、其の杖咸(函)~を共(供)することを
掌(つかさ ど)る」とあり、古い聖家族の伝統を伝えるものであろう。

Wikiにも「尹」は、「神杖を持つ形、神意を伝え調和をもたらす者。」とあり、
「神官が神杖をもつ形。その神杖によって神をよぶ意」と似ています。

考察の時、「伊」=「聖職者」としていましたが、
「神官」や「神杖」とは、どこから来たのか疑問になりました。

そこで、参照15のサイトを見ると、下記の様にあります。

《說文》:治也。从又丿。握事者也。

《字源》:会意 像以手持物形。所持物多以为是笔形,
即古之“聿”。“尹”是以手持笔会治事之义

布之道《廣韻形聲考》:尹,裘錫圭謂「尹」「聿」一字之分化,
說見:裘錫圭《說字小記》之《說“尹”》。其說是也。

《漢多》:甲骨文從「又」持「丨」,象以手持杖,表示握有權力者。

上記を見ると、「尹」には、「神官」や「神杖」の意味はありません。

「説文解字」では、「治也。从又丿。握事者也。」とあり、「尹」とは「統治者」と解釈できます。

「字源」には、「像以手持物形(手に物を持つを以って、像(かた)どる形)」とはありますが、
「杖」を想像できません。

「漢多」で初めて、「象以手持杖(手で杖を持つを以って象(かたど)る)」と記載があります。

ここで疑問として、なぜ、「杖」を持つになったのでしょうか?

「説文解字」では、「統治者」である証明を持つと解釈できますが、
「字源」も「漢多」も、「手に持つ」が重要視され、他の重要な情報がありません。

また、「漢多」には、「表示握有權力者」と「権力者」を表すとあり、
「説文解字」の「治也。从又丿。握事者也。」と似ていますが、
「統治者」と「権力者」は、似て非なるものだと思います。

参照14: 伊 とは? 意味や使い方

参照15: 尹: zi.tools

まとめ

この様に、「伊」は、「亻(にんべん)」+「尹」で形成されていますが、
「尹」には、「統治者」の意味であって、「神杖」や「神官」の意味では無い事が分かりました。

「神杖」や「神官」のイメージになったのは、
「説文解字」の「殷聖人阿衡也。尹治天下者。从人尹。」に引っ張られている様に思えます。

「殷聖人阿衡」が、調べても分かりませんでした。

「尹治天下者。从人尹」は、「尹は、天(天帝)下を治める者、尹は人に従(从)う」なので、
「説文解字」の「治也。从又丿。握事者也。」は、「天(天帝)下を治める」の意味がありそうです。

そうなると、「天(天帝)下を治める人」は、「天(天帝)子」の地位なので、
「殷代」で創作された字形であれば、「殷國王」を指しているのかも知れません。

他の問題として、参照16のサイトにある、一番最初の字形を見ると、
「亻(にんべん)」+「尹」ではなく、「尹」+「亻(にんべん)」になっています。

「金文西周早期」の字形も逆があり、
もしかしたら、逆の字形も古代には存在していたのかも知れません。

参照16: 伊: zi.tools

多は、「 天浮橋多多志」で考察しています。

「久」は「灸」の原字と、今まで、書いてきました。

しかし、改めて調べると、参照17のサイトに下記の様にあります。

原文:

《說文》:從後灸之也。象人㒳脛後有歫也。周禮曰。
    久諸牆以觀其橈。凡久之屬皆从久。


《字源》:象形 《说文》所说并不可信……本义不可考

布之道《廣韻形聲考》:久,當爲「又」之分化字。

西周金文或省「又」之一指而似「氒」形(見縣妀簋:「隹十~二月」《集成》

04269),秦文字「久」乃此類「又」的孑遺。


《漢多》:一說象小腿間距離,表示時間長。


《說文新證》:「氒」的甲骨文金文,郭沫若以為氒即矢栝字之初文。
      何琳儀指出「久與氒同形,構形不明。商周文字以久為氒」


解読:

《説文》

之(これ)灸の後に従う也

人の㒳(両)脛(すね)を歫(と)めた後に有る象(かたち)也

周禮に曰(いわ)く

其の橈(たわむ)諸(もろもろ)の牆(かこい)を久しく觀るを以って
凡(およ)そ久しく、皆、之(これ)屬して久しく従(从)う。

上記を見ると分かりますが、「象人㒳脛後有歫也」とあり、
今までの解釈と異なっていた可能性があります。

「説文解字」のみ解読しましたが、「從後灸之也」を「之(これ)灸の後に従う也」とすると、
「後」の意味として、「灸をした後」なのか、「灸の後ろ」なのか、判断が難しいです。

ただ、「病気の人へのお灸」とは解釈できません。

また、「象人㒳脛後有歫也(人の㒳(両)脛(すね)を歫(と)めた後に有る象(かたち)也)」
と解読しましたが、「脛」は「足の膝から踝(くるぶし)までの部分」なので、
「從後灸之也」の「灸」とは、意味が異なります。

ちなみに、「灸」は、現代では「艾(もぐさ)」に火をつけて背中に置く事ですが、
「説文解字」には、「灼也。从火。久聲」とあり、「灼く」事が「灸」らしいです。

「灼く」は、「あぶる」・「やく」と読み、調べると「真っ赤に燃やす」、
「「火偏」を太陽光の熱を指す」などありますが、
「灸」=「灼」ならば、「艾(もぐさ)」に火をつける行為自体不要になり、
現代の解釈は間違っていると考えられます。

字形

この様に考察すると、「説文解字」の「從後灸之也」と「象人㒳脛後有歫也」には、
一貫性が無い事になります。

もしかすると、「入」の様に、字形は同じだけど、字源が異なる字形が、
あったのかも知れないと考えることは出来ます。

それから、「久」を調べると、今の字形で考えている人が多いですが、
参照17のサイトを見ると、「コ」の部分が上を向いて、
「コ」の中心あたりから下に「縦棒」が伸びています。

ここで注意したいのが、参照17のサイトにある字形は、
「秦」の時代が一番古いので、「甲骨文字」や「金文」が存在していません。

そして、「説文解字」の時代の字形だけ、なぜか、「コ」の字形の先端が飛び出ています。

これも、字形の変遷を見ると分かりますが、「漢隸書」までは、
先端が飛び出る事がありません。

「コ」が「刀」の字形になっていますが、色々と調べると「人」でした。

そうなると、「刀」の下に伸びている「縦棒」が何を表しているのかは、
情報不足で分かりませんでした。

なぜ、「漢隸書」と「漢說文小篆」で、同じ「漢」の時代なのに、
「コ」が「刀」に入れ替わる様になったのかですが、
やはり、今までにも、何回か書いていますが、「字形が似ているから」だと思います。

「説文新證」という「2002、2004年に台湾・藝文印書館から刊行されたものの修訂版」
の中に、「秦代」以前にも、字形が存在したと思える記述があります。

「《說文新證》:「氒」的甲骨文金文」とあり、「氒」と「久」は似ているとあるので、
字形が参照18のサイトにあるので見ると、確かに似ています。

「春秋金文春秋早期」、「春秋金文春秋中期或晚期」、「戰國金文戰國晚期」の3つは、
「久」と酷似していて、これだけだと判別出来ません。

また、「入」や「ス」と見える字形も多くあり、
「久」が「氒」の略体と考えるのは違うように思えます。

参照17: 久: zi.tools

参照18: 氒: zi.tools

まとめ

上記の様に、色々と考察してきましたが、今まで使っていた「久」の意味が、
「灸」には全くの無関係であるのが分かりました。

参照19のサイトにある字形を見ると分かりますが、
「久」の上部である「コ」の様な字形はありません。

なので、「漢隸書」の字形が、多分に「久」として正解なのだと考えています。

では、「漢說文小篆」の字形は、どの様な漢字なのか?

こちらは、今後、字源辞典で考察しようと思います。

意味としては、「人」とは無関係なので、残るは「時間」となります。

字形については、「伊多久佐夜藝弖」のまとめで考察します。

参照19: 人: zi.tools

参照20のサイトを見ると、「人」の字形に怪しいのがありますが、
色々と字形を調べてみると、「𠂇」の箇所が、少々怪しい感じがあります。

「左」は、「𠂇」と「工」で形成されています。

「𠂇」は、「手」を表すと云われていますが、
確認のために、参照21のサイトで「手」の字形を見ると、全く違います。

参照20のサイトの「佐」では分かりにくいので、参照22のサイトの「左」を見ると、
「三ツ又」の様な字形ですが、参照21のサイトにある「手」の字形にはありません。

そこで、「左」の字源を調べていくと、「𠂇」は「又」だと書くサイトがありましたので、
調べてみると、確かに参照23のサイトの字形にありました。

残念なことに、「𠂇」は「又」と教えてくれたサイトは、
実際に見ると、検索した内容ではなく、一般的に云われている内容でしたので、
参照には載せない事にしました。

「𠂇」が「又」だと分かりましたが、「左向き」の字形です。

「左」に使われている字形は「右向き」なので、「又」とは違う漢字なのだと思います。

しかし、現時点では不明なので、今後、見つかり次第考察します。

意味

「又」を参照23のサイトの「字源」や「漢多」では、「右手」としていますが、
「説文解字」では、「手也。象形」としか記載が無いです。

また、「三指者」は「三本指」と解釈でき、
「三本指」を出している「手」の象形だと思われます。

なので、「工」という物を「手で持つ」というのは、難しいと思います。

「工」は、参照24のサイトにある「説文解字」には、「象人有規榘」とあり、
「人が榘(さしがね)を有し規する象(かたち)」と解読出来ます。

要約すると、「「榘(さしがね)」を持って、測りながら、規則を作る」と考えています。

そうなると、「榘(さしがね)」は「工具」ですが、
「規則を作る」までが「工」の範囲に入るのなら、意味が少々異なります。

他に「巧飾也」とありますが、ここから考えても「工具」のみを指すというのは、
異なるように感じます。

参照20: 佐: zi.tools

参照21: 手: zi.tools

参照22: 左: zi.tools

参照23: 又: zi.tools

参照24: 工: zi.tools

まとめ

「𠂇」=「又」ではない場合の字形が不明なので、ここではスルーしますが、
「工」の意味が「測量」だとするのならば、「三指者、手之列多略不過三也」から、
「三角測量」を推測しました。

そこで、「三角測量」を調べてみると、参照25のサイトが見つかり、内容を読むと、
「紀元前2500年ごろには水準測定器・垂直確定器・定規といった、
測量に必要な機器がすでに使われており」と書かれている事から、
「左」は「三角測量」を指すのだと考えています。

エジプトの測量技術は、各地に継承されて広まったので、
エジプトから長い年月の末に、殷にたどり着いて、甲骨文字で、
「三角測量」を指す字形が誕生したのだと思われます。

「紀元前2500年ごろ」のエジプト→「紀元前17世紀頃」の殷まで、
800年以上かかったことになります。

この様に、「又」は単に「手」を指しているのではなく、
「三角」の「三」を字形として表したら、
後世に「手」と思われるようになったのだと思います。

この「三角測量」を指す「左」に、「人」をつけて「佐」になるのですが、
「佐」は、どの様な意味があるのか、考えていきます。

参照25: 測 量の起源は古代エジプトから

意味

参照20のサイトにある「説文解字」の内容を、下記にまとめます。

《說文解字》
則箇切手相左助也。从𠂇、工。凡左之屬皆从左。 [臣鉉等曰:今俗別作佐。]

《說文解字繫傳》
則箇反手左,相佐也。從𠂇、工。凡左之屬,皆從左。 [臣鍇曰:「工,所作為也。會意。」]

《說文解字注》
則箇切𠂇手相左也。

[各本俱誤。今正。左者,今之佐字。
《說文》無佐也。𠂇者,今之左字。《𠂇部》曰:左手也。
謂左助之手也。以手助手是曰左。以口助手是曰右。] 从𠂇工。
[工者,左助之意。則箇切。十七部。] 凡左之屬皆从左。《康熙字典》

上記を見ると分かりますが、三種の「説文解字」では、統一していません。

特に、「佐」の意味が「助ける」なのに、「説文解字」ではありますが、
「説文解字繫傳」、「説文解字注」では、意味から「助」が削除されています。

この「佐」の意味としては、「助」が正しいように考えています。

「三角測量」では、皆が助け合わないと、正しい測量が出来ないでしょう。

「夜」は参照26のサイトを見ると、周代から存在している様です。

現在の字形は、「亠(なべぶた)」+「人」+「夕」という事になっています。

ところが、参照26のサイトにある「西周」の「甲骨文」では、
「人」と「夕」の字形が、逆になっています。

色々と調べると、「亦」+「夕」とWikiなどでは書いていますが、
なぜ、両側に「縦線」が無いのか疑問です。

また、「亦」の字形は「縦棒」であるのに対して、
参照26のサイトにある「西周」の「甲骨文」では、「横棒」になっていて大きく異なります。

「金文西周早期」では、「縦棒」になり、以降使われます。

それから、「人」の字形は使われていないのですが、
なぜか、現代では「人」となっているのも、すごく不思議です。

参照19のサイトにある「人」の字形に、「縦棒」のみは存在しません。

「宋傳抄集篆古文韻海」の時期に、「人」の字形の1つである「刀」が、
「夕」の位置に登場します。

この時期までは、古い字形を使用していますが、
次の「唐石經開成石經」の時期では、現代の字形になっていますが、
この「宋」と「唐」の間で、なにがあったのでしょうか?

「亦」とは思えない字形

他に、字形について調べていると、参照28のサイトを見つけました。

このサイトには「金文」の字形が載っていますが、
一番最初の字形が、「「縦棒」無し、「夕」が逆」になっています。

この字形は参照26のサイトには存在していませんし、
他の字形が書かれているサイトを見ましたが、ありませんでした。

また、参照29のサイトにある、「「夜」伯晨鼎西周中期偏晚集成2816」の字形は、
参照26のサイトにある「西周甲骨文西周」とは、「夕」の字形が異なっているので、
「西周中期」にも同じ字形が存在していたとも解釈できます。

参照26のサイトにある「西周甲骨文西周」の字形と
「西周金文西周早期」以降の字形で、本来は別の意味を持つ字形だったのかも知れません。

それと同時に、参照28のサイトの最初の字形も異なるので、
本当に「夜」の字形なのかは不明です。

参照26: 夜: zi.tools

参照27: 亦: zi.tools

参照28: 夜 とは? 意味や使い方

参照29: 夜:zdic.net

意味

参照26のサイトにある「説文解字」には、「舍也。天下休舍。从夕。亦省聲。」とあります。

「舎」とは何か?というと、
参照30のサイトに「市居曰舍。从亼屮口。屮象屋也。口象築也。」とあり、
「屮」+「口」で形成されて、「屮」は「屋」を表し、「口」は「築」を表すとあります。

「市居曰舍」は、「舎の中に市(いち)が居る」と解釈しています。

「舎」は、「大きな建物」と思われます。

これにより、「天下休舍」は、
「「天(天帝)の子」の下(した)にある「舎(大きな建物)」で休む」と解釈できます。

これが本来の意味だとするならば、
今まで言われてきた「太陽」が沈んだ「夜」の事を指すわけでは無いことになります。

「夕」は「从月半見」とあり、「半ばの月を見るに従(从)う」なので「半月」と解釈できます。

月は、南を向いて「左(東)」→「右(西)」という動きをします。

という事は、参照26のサイトにある、一番最初の字形「西周甲骨文西周」は、
「夕」が「左」にあり、次の字形である「西周金文西周早期」は、「夕」が「右」にあります。

この様に考えた場合、「夜」に適しているのは、前者の「西周甲骨文西周」の字形となります。

参照30: 舎: zi.tools

参照31: 夕: zi.tools

まとめ

上記のように、参照26のサイトにある、2つの字形のうち、
「西周甲骨文西周」の字形が、本来の「夜」で、
「西周金文西周早期」の字形は、月の動きを考えると異なるので、
「夜」ではない字形となります。

「西周金文西周早期」の字形ですが、
残る「舍也。天下休舍。从夕。亦省聲。」の意味だと思いますが、
なぜ、「夕(月)」が「右(西)」にあるのかは疑問です。

「夕(月)」が「右(西)」にあるという事は、「朝」に分類されると思うので、
そこから「大きな建物に入って休む」というのは、イメージできません。

ただ、「天(天帝)子」思想があると思われる「天(あま)一族」が、
仕事を「夜」に始めて、「朝」に終える様なサイクルで生活していた場合、
「天下休舍」は、間違っていないことになります。

逆に「朝」から「夕」までを担当するのが「日子」一族だと考えています。

意味の収拾選択に関しては、「伊多久佐夜藝弖」で考察します。

Wikiには、字源に関して、下記の様にあります。

原字の「埶」は「木」+「土」+「丮」の会意文字で、
植物を土に植えるさまを象る。

のち「艸」を添えて「蓺」の字体となり、
さらに「云」を添えて「藝」の字体となった。「うえる」を意味する漢語を表す字。

Wikiの内容は、参照32のサイトにある「漢多」にも同じ様な事が書かれています。

《漢多》:

初文作「埶」,

象人伸出雙手栽種草木之形。

後在「埶」上加注「艸」旁,「丮」下的「止」(或「女」)又進一步訛為象「云」之形,
遂演變成「藝」。本義是種植。

参照32のサイトにある「漢隸書」の字形と、参照33のサイトにある「秦篆書李斯」の字形を、
比較してみると、「丸」の字形が気になりました。

「丸」の字形がある参照34のサイトを見ると、「爪」の様な字形で、
参照33のサイトの「埶」の字形と比較すると、全く似ていません。

そこで、Wikiにもあった「丮」の字形を調べました。

確かに参照35のサイトの「漢說文小篆」の字形と一致しましたが、
「西周金文西周中期」の字形の次が「漢說文小篆」となっています。

しかし、参照36のサイトを見ると、「甲骨文字」や「金文」が存在しているのが分かります。

参照32: 藝: zi.tools

参照33: 埶: zi.tools

参照34: 丸: zi.tools

参照35: 丮: zi.tools

参照36: 「芸 (藝)」のはなし - かんじのはなし - ライブドアブログ

字形

参考にしている「説文解字」ですが、「藝」、「埶」の両方に「説文解字」がありません。

そこで、調べてみたら、「埶」はありますが、「藝」についてはありませんでした。

「藝」の原字が「埶」だとしても、なぜ、「艸(くさかんむり)」と「云」が追加されたかについて、
記載するべき情報があるはずです。

「藝」の字が、殷〜周の時代よりも後の時代であれば、
古事記の情報源には載っていないはずなので、
たぶん、「甲骨文字」や「金文」も存在していると考えています。

もし、古事記の情報源の記事に「埶」と載っていた場合、「藝」と変換したでしょうか?

この辺りの情報が無いので、不明な点が多いです。

ただ、殷〜周に存在した痕跡を探していると、
参照32のサイトにある「康熙字典」の中に、関連する情報を見つけました。

又【周禮·天官·宮正】會其什伍,而敎之道藝。【註】藝謂禮、樂、射、御、書、數。

意味について、調べていると、参照37のサイトを見つけました。

むかしの中国で学問の中心にあったのは儒学の経典、いわゆる「四書五経」であり、
うちの一つである『周礼』(しゅらい)という本には、
貴族の子どもたちが通う学校では「六藝(りくげい)」が教えられていたと書かれています。

「六藝」と は子どもたちが学校を卒業して社会に出た時に、
りっぱな紳士としてかならず身につけておかねばならない六種類の教養科目のことで、
具 体的には「礼・楽・射・御・書・数」(各種式典での作法・音楽・弓術・馬術・文字・算数)を指しています。

上記に、「周礼」の中には、「六藝」の事についても書かれているとあります。

「周礼」をWikiで調べると、
「紀元前11世紀に周公旦が作ったとも、前漢代に劉歆が作ったともされる」とあります。

他のサイトも見ましたが、後者を支持しているようです。

「紀元前11世紀に周公旦作った」のも十分に可能性があるように感じています。

なぜなら、「前漢代」、もしくは、その時代以降だとすると、
情報の信憑性が低くなる可能性が高くなるからです。

周代当時であれば、その時の事をまとめて載せれば良いですが、
情報(文献等)の保存、文化の違いなどで、正確に再現するのは厳しいと思います。

また、「紀元前11世紀に周公旦」が完成させたのであれば、
古事記の情報源に載っていても不思議では無いです。

そうなると、この時点で、「埶」が存在していたのかは、大きな問題になります。

参考に出来るサイトは無いかと調べていると、
もしかすると、「藝」と「埶」は、別の漢字ではないかという疑惑が出ました。

「□」は西周金文においてしばしば見られる字で、「犬」を意符、
「□」の簡体を声符とする形声字である。

「□」は「埶」の古文字で、
後代「蓺」とも書き、また古籍においては多く「藝」と書かれる。

「□」は、本文にも記載されていませんので、どの様な字形かは不明ですが、
「後代「蓺」とも書き、また古籍においては多く「藝」と書かれる。」の、
「後代」とある事から、「本来は違うけど、似ていたので、後世の人間が混同した」と
解釈できます。

これにより、「埶」の古文字が、「藝」に似た字形をしていたとも解釈できます。

ちなみに、参照33のサイトには、「秦篆書李斯」が一番古いですが、
参照39のサイトには、「甲骨文字」と「金文」も掲載されています。

このサイトでは、今回の考察とは違う見方をしているので、
字源辞典を作る時には、参考にしようと思います。

参照37: あつじ所長の漢字 漫談38 「藝」と「芸」と「艺」について

参照38: 殷 墟甲骨文中の「遠」「□(邇)」と関連字

参照39: 「芸 (藝)」のはなし

意味

「埶」の意味として、Wikiでは「植物を土に植えるさまを象る」としていますが、
「説文解字」では、「種也。从坴、丮。持而種之」とあり、「埶」=「種」としています。

「丮」の漢字は、「種を持つ事を表している」とあります。

つまり、今まで間違った意味として使っていたと言えます。

ここで、参照38のサイトに書かれている事が、繋がっているように思います。

「藝」※1

「埶」ー「蓺」ー「藝」※2

上記のような関係があった場合、同じ字形、もしくは、少し異なる字形の可能性が高く、
「植物を土に植えるさまを象る」の字形、「種を持つ事を表している」の字形が、
どの「埶(※1.※2)」を指しているのかは、すごく判断が難しいです。

あと「云」の字形にも問題があり、「耘」で「除草」の意味と、多くのサイトでは書いています。

しかし、ここまでの考察の経緯を考えると、鵜呑みには出来ません。

そもそも、「云」には、「雲」や「雨」の意味がある字形が存在しています。

皆さん忘れていますが、「植物を土に植えるさまを象る」の字形、
「種を持つ事を表している」の字形には、「除草」の前に、植物なら「水」が必要です。

なので、「藝(※1)」の「云」が、「雲」、「雨」を指していても、何も不思議ではないです。

また、「耘」が「除草」の意味があるので、
「艸(くさかんむり)」を使わなくても問題ないと思います。

この様に考えると、「藝(※1)」の「艸(くさかんむり)」は、
実は参照40にある例の様な字形だったのではないかと考えています。

ただ、残念ながら、「艸(くさかんむり)」に似た字形の意味については、
調べましたが分かりませんでした。

今後、分かれば、改めて考察したいと思います。

参照40: 「草 冠(くさかんくり)と間違えやすい漢字」

まとめ

上記のように考察すると、下記にまとめます。

「藝(※1)」:

「艸(くさかんむり)」ではなく別の字形、
「埶」は「種を持つ事を表している」字形、
「云」は、「雨」の字形

「藝(※2)」:

「艸(くさかんむり)」か、別の字形かは不明、
「埶」は「植物を土に植えるさまを象る」字形、
「云」は、「耘」で「除草」の意味

多分に、この様な感じだったのではないかと思います。

混同された原因は、「艸(くさかんむり)」か、
「夢」の様に「艸(くさかんむり)」に似た字形にあると考えています。

「眉の形」とするサイトもありましたが、諸説あると言うので、
詳しくは、字源辞典で追求しようと思います。

ちなみに、参照41のサイトに、
「〔説文〕の「埶(丸が丮)」も金文に「木+土+丮」に作る字であろう。
金文では「木+土+丮」を遠邇(えんじ)の邇の字として用いる。」とあります。

これが正解だとするならば、
当然、「埶(丸が丮)」の字形を調べても意味が無い事になります。

参照41: 芸 とは? 意味や使い方

「藝」は「芸」の「旧字」ではなく、「別字」になります。

Wikiには、下記の様に書いています。

「芸」には二種類の字が存在する(別字衝突)。

「ウン」と読む字。
形声。「艸」+音符「云 /*WƏN/」。
「ヘンルーダ」を意味する漢語{芸 /*wən/}を表す字。

「ゲイ」と読む字。
「藝」の中間を省いた略体。「藝」については藝#字源の項目を参照。

「ヘンルーダ」は、参照42のサイトによると、「ミカン科の常緑小低木」とあります。

名は、「オランダ語」が由来だとあるので、
古代には、別の表現を使っていた可能性が高いですが、判断が難しいです。

「藝」の中間を省いた略体」に関しては、少々怪しいと感じていて、
今のような字形だから言えるのであって、「略体」とするのであれば、
多くの字形を検証して、説得できる情報が無いと難しいです。

「ヘンルーダ」は、植物の名なので、説得力ありますが、
「略体」という事は、それだけの理由が存在したはずですが、なんだったのでしょうか?

参照42: ヘ ンルーダ

意味

参照43のサイトには、色々な意味が書かれています。

○説文解字:

艸也。佀目宿。从艸。

草也。目に宿すが佀(ごと)し。艸に従(从)う

○字義

1:芸香 芸香科 多年生草本 羽状复叶,有透明腺点,夏季开黄色小花,
 花、叶、茎有强烈刺激气味,古用以驱虫蠹

2:菜名

3:通「耘」 除草

4:「蕓」的简化字([蕓薹]即油菜 十字花科 一年生草本 花黄色,种子可榨油)

5:「藝」的異體字

「説文解字」は、「「草也」で、「ヘンルーダ」の事だと考えましたが、
「目に宿すが佀(ごと)し」で、微妙だと思いました。

参照42のサイトに、「ヘンルーダ」は、
「「眼鏡のハーブ」と呼ばれるほど視力を高める効果があると信じられていた。」
とあるのが理由です。

でも、「ヘンルーダ」に似た植物で、「目を回復」させるのが、当時あった可能性もあります。

ちなみに、「漢字では芸香(うんこう)と書き」とありますが、
「香木」が「香る木」であるのと同じく、「香るヘンルーダ」と考えることが出来ます。

なので、「ヘンルーダ」=「芸香」は違うかなと思っています。

問題は、「ヘンルーダ」という植物の中に、「香る」のと「香りが少ない」の区別が出来るのか、
今では現存していない品種が、紀元前には存在していたかも知れないので、真相は闇です。

次は、字義にある意味を見ていきます。

参照43: 芸: zi.tools

「ヘンルーダ」の事を指していると思います。

「菜名」の名とは何か?と調べると、
参照44のサイトにある「説文解字」には、
「艸之可食者(之(これ))者(は:短語)可食(たべれる)艸(くさ)」とあります。

最初は、「ヘンルーダ」を指しているかと思いましたが、
「ヘンルーダ」は「常緑小低木」とある事から、「木」に分類されるので、
「可食(たべれる)艸(くさ)」と考えるのは無理があります。

「芸香」の「芸」が、「可食(たべれる)艸(くさ)」を指すのならば、
「香る草」となり、「常緑小低木」よりも適している様にも思えます。

参照44: 菜: zi.tools

「云」が「耘」を指すと思われたのか疑問です。

色々と調べてみると、「耘」は、現在、「耒」+「云」ですが、
元々は「耒」+「員」なので、意味としては大きく異なります。

参照45: 耘: zi.tools

「「蕓」的简化字([蕓薹]即油菜 十字花科 一年生草本 花黄色,种子可榨油)」
とありますが、「十字花科(アブラナ科)」をWikiで調べると、
「4枚の花弁が十字架のように見えることから、昔は十字花科(Cruciferae)とも呼ばれていた」
と書かれているので、「ミカン科の常緑小低木」とは異なります。

「「藝」的異體字」は、本当に略字体として存在していたのでしょうか?

参照37のサイトでは、
「日本では鎌倉時代あたりから「芸」を「藝」の略字として使いつづけてきました。」
という事は、鎌倉時代以前、略字として使っていないと言う事は、
字源と意味が異なっているのを、理解していたからではないか?と考えています。

まとめ

この様に考えると、「説文解字」にある「草也」とは、
「菜」の「可食(たべれる)艸(くさ)」を指している可能性が高いように思えます。

「ヘンルーダ」が「常緑小低木」なので、「草」に入らないからです。

では、「草(艸)」とは何を指すのか?というと、参照46のサイトにある、
「植物で地上に現われている部分が柔軟で、木質にならないものの総称」が、
原意と考えています。

その様な定義だとすると、「十字花科(アブラナ科)」も「一年生草本(一年草)」とあるので、
こちらも、当てはまります。

「アブラナ科」には、「ブロッコリー」など多くの「野菜」があるので、
「可食(たべれる)艸(くさ)」としても問題がありません。

「艸(説文解字)」→「菜名(「可食(たべれる)艸(くさ)」)」→「十字花科(アブラナ科)」

上記のようにすると、納得できる繋がりとなります。

参照46: 草(クサ)とは? 意味や使い方

「和備弖」の「 」参照

まとめ

「伊多久佐夜藝弖」を、深堀しながら考察してきました。

「伊」:統治者

「多」:「大きなきりみ」を重ねる

「久」:長い時間

「佐」:「三角測量」し、家具などの配置を助け合いながら設置する。

「夜」:「夜」、もしくは、「大きな建物で休む」

「藝」:「藝(初期)」だと、「「種」を持って、水と土を探す?」

   「芸」だとすると、「十字花科(アブラナ科)」の野菜?

「弖」:準備完了

上記のように考えた場合、「統治者」が多くの時間を使って、
農地の整備?や建設などをして、街を発展させる準備が完了したと解釈することも出来ます。

「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)有り」
と繋がり、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」が赴任するので、「首都」の
「街を発展させる準備が完了した」と解釈すれば、矛盾はありません。

ただ、参照47のサイトにある「説文解字」によれば、「不宜有也」とあり、
普通に読めば、「有は宜しく無い」と解釈できますが、情報が足りません。

参照47: 有: zi.tools

Copyright © 水晶光矢 All Rights Reserved.