而(すなわち)其の矢自(より)其の矢取り、穴に衝(ぶつかれ)者(ば:短語)下に返る
朝、床で寢る天若日子に中(あたり)、之(これ)高胸坂を以って死す
此の還しの矢之本也
亦、其の雉不還(かえらず)
故、今に於いて、雉之頓使、是、諺(ことわざ)と曰(い)う也
故、天若日子之妻・下照比賣之哭き聲(こえ) 與(ともに)風に響き、天に到る
於是(これを)、天に在る天若日子之父・天津國玉神、及び其の妻子が聞く
而(すなわち) 降りて来て哭き悲しむ
乃(すなわ)ち、其の處(ところ)に於いて、喪屋を作る
而(すなわち)、岐佐理【自岐下三字以音】を持ち、河の雁(かり)と爲す
掃(はく)を持ち鷺と爲す
御食人(みけびと?)を翠鳥(かわせみ?)と爲す
碓女(うすを使う女)を雀(すずめ)と爲す
哭女(なくを職業とする女)雉と爲す
此の如くに定めて行う
而(すなわち)八日の日、八夜の夜、遊ぶ也
此の時、阿遲志貴高日子根神【自阿下四字以音】到る
而(すなわち)、天若日子之喪を弔う時、天自(より)降りて到る
天若日子之父亦其妻、皆、哭きて云う
我が子者(は:短語)、不死(しなず)と祁理【此二字以音 下效此】有り
我が君者(は:短語)、不死(しなず)と祁理坐して云う
手足而(に)取り懸かり哭き悲しむ也
其の過ぎる所を以って、此二柱神之容姿者(は:短語)甚だ能く相似る
故、是(これ)を以って過ぎる也
於是(これを)阿遲志貴高日子根神、大いに怒りて曰(いわ)く
我者(は:短語)、愛する友故弔いに来た
何(いず)れの耳に吾を穢れた死人と比べると云う
而(すなわち)御佩之十掬劒を拔く所で其の喪屋を切り伏せる
足が蹶(たお)れるを以って離れて遣わす
此れ者(は:短語)、美濃國藍見河之河上に在る、之(これ)者(は:短語)喪山也
其の大刀を持って切る所
名を大量と謂う、亦、名を神度【度字以音】劒と謂う
故、阿治志貴高日子根神者(は:短語)忿(いかり)、而(すなわち)飛び去る之時
其の伊呂妹高比賣命、其顯(あらわ)れる御名を思う
故、歌、曰(いわ)く
阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみまする みすまるに
阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也
あなたまはや みたに ふたわたらす あじしきたかひこねのかみそや
此の歌者(は:短語)夷(えびす?えみし?)振(止める?)也
葬式
原文:
故天若日子之妻・下照比賣之哭聲 與風響到天 於是在天
天若日子之父・天津國玉神 及其妻子聞 而降來哭悲 乃於其處作喪屋
解読:
故、天若日子之妻・下照比賣之哭き聲(こえ) 與(ともに)風に響き、天に到る
於是(これを)、天に在る天若日子之父・天津國玉神、及び其の妻子が聞く
而(すなわち) 降りて来て哭き悲しむ
乃(すなわ)ち、其の處(ところ)に於いて、喪屋を作る
「下照比賣」が「哭いていた聲」が「風に響き、天に到る」事は、現実には無いので、
これは、その場面を見た「天(あま)なる國」の人が、國に戻った時に、
「天津國玉神と妻子」に伝えたというのが正しいと思われます。
その事を聞いて、「天若日子」の葬儀場へと向かったのでしょう。
「天若日子」の両親と妻が集まったことで、「葬儀」が始まる前に「喪屋」を作ります。
「喪屋」について調べると、参照228のサイトに、
本当かは不明ですが、面白い事が書かれていました。
字源諸説:
《漢多》(于省吾):甲骨文從「桑」從數「口」,「桑」是聲符,
于省吾認為口乃採桑所用之器,商代已有絲 織品,故此字甲骨文是採桑之本字。甲骨文、「桑」に従い、「口」を敷く
「桑」、是、聲符
吾、省みず于(に)認めると為す
口、乃(すなわ)ち、桑を採る所之器、商代、絲(いと)織品已(すでに)有る
故、此の甲骨文の字、是、採桑(桑の葉を取る?)之本字
《漢多》(尹黎雲):一說古代喪器講究以桑木制作,桑是辦理喪事的象徵,
其從多口正象眾口號啕大哭之形一説、古代の喪器を講じて究(きわ)めるを以って、桑木で制作、
桑、是、喪の事的象徴として辦理(取り扱う?)其の多くの口に従い、
正(まさ)に啕(よくしゃべる)眾(衆)口の象(かたち)と大哭之形の號(よびな)
上記にまとめましたが、解読がおかしな点もあるかも知れません。
注目すべきは、「口乃採桑所用之器(口、乃(すなわ)ち、桑を採る所之器)」です。
「桑」を採取して、どの様に使ったのかは不明ですが、
参照228のサイトにある「喪」の「商甲骨文𠂤組」を見ると、
「桑の木」の間に「口」の様な字形があり、「桑を取るための器」という解釈も出来ます。
また、「一說古代喪器講究以桑木制作」も
「一説、古代の喪器を講じて究(きわ)めるを以って、桑木で制作」と解読でき、
古代には「喪器」という物を、「桑木」で制作していた可能性もあります。
これが正しければ、「喪屋」とは、
「桑木」を使って「喪器」を制作する場所という解釈が出来ます。
ただ、「其の處」とあるので、この文の前文などには、土地名が書かれていた可能性があります。
重要な情報を、なぜ、載せなかったのでしょうか。
知られてしまうと困るような土地名だったのでしょうか?
疑問が残ります。
参照228: 喪: zi.tools
原文:
而河雁爲岐佐理持【自岐下三字以音】鷺爲掃持 翠鳥爲御食人 雀爲碓女 雉爲哭女
如此行定 而日八日夜八夜遊也
解読:
而(すなわち)、岐佐理【自岐下三字以音】を持ち、河の雁(かり)と爲す
掃(はく)を持ち鷺と爲す
御食人(みけびと?)を翠鳥(かわせみ?)と爲す
碓女(うすを使う女)を雀(すずめ)と爲す
哭女(なくを職業とする女)雉と爲す
此の如くに定めて行う
而(すなわち)八日の日、八夜の夜、遊ぶ也
「而日八日夜八夜遊也」とあり、
「八日八夜遊ぶ」になりますが、本当にそうだったのでしょうか?
色々とヒントを探しましたが見つかりませんでした。
登用する動物から考察します。
「河」は、「川」よりも「広い」場所を指し、「雁」は「鳥類」を指します。
情報収集すると、「雁」には二種類いて、カモ目カモ科マガン属する「カリガネ」、
カモ目カモ科ガン亜科の「雁」に分かれるので、精査する必要があります。
「マガン属」と「ガン亜科」は区分けされています。
「マガン属」は、基本「渡り鳥」のようで、「越冬」目的での日本滞在らしいです。
「ガン亜科」は、詳細がどのサイトにも無いので不明ですが、簡単に色々なサイトを見る限り、
「渡り鳥」ではなく、「水鳥」として定住しているようです。
どちらも、「水場」にいる事がありますが、判断は後のまとめで考察します。
「自岐下三字以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。
「枝」:呉音:ギ(表外)、シ、漢音:キ(表外)、シ
「佐」:呉音・漢音:サ
「理」:呉音・漢音:リ
上記により、呉音「ぎ(し)さり」、漢音「き(し)さり」となりそうです。
枝
参照229のサイトにある「枝」の諸説には、問題がありませんでしたが、
参照230のサイトにある「支」には、違和感があります。
参照230のサイトにある「東漢傳抄說文解字」と「宋傳抄集篆古文韻海」の字形を見ると、
「支」の漢字の下にも字形が存在します。
また、参照231のサイトにある「傳抄古文字」の字形を見ると、
「説文解字」の字形に変化したと言うのは、不思議に思います。
一番考えられるのは、「支」と似た漢字が存在していたが、
「支」と同じとして処理されてしまった可能性です。
参照231のサイトだけでなく、
参照232のサイトの「傳抄古文字」でも、「支」以外の字形を「支」として掲載しています。
これらは、「支」の字形の下に「巾」、「从」という字形があります。
もし、本当に、「支」には、複数の字形が存在いたのならば、
単なる「支」という解釈にはならないと思います。
参照229: 枝: zi.tools
参照230: 支: zi.tools
参照231: 枝的解释|枝的意思|汉典 “枝”字的基本解释
参照232: 支的解释|支的意思|汉典 “支”字的基本解释
「木偏」は、「木」を指すで良いですが、「支」を詳しく考察していきます。
まず、Wikiを見ると、下記の様に書いています。
象形文字だが、字形の由来と造字本義は不明で、以下のような説がある。
いずれにせよ、「ささえる」「つかえる」を意味する漢語{支 /*ke/}に用いるのは
仮借によるものである。1:定規を持った手を象る。「定規」「コンパス」を意味する漢語{規 /*kwe/}を表す字。
2:枝指を持つ多指症の手を象る。「えだ」を意味する漢語{枝 /*ke/}を表す字。
Wiki
上記により、「支」の意味の「ささえる」は、
創字よりも後に考えられるようになった可能性があります。
そして、「定規を持った手を象る。」や「枝指を持つ多指症の手を象る。」という説があるようです。
構成されているパーツは「十」と「又」で形成されています。
「又」は「三本指の手」を表しているのは、「又」の字形変遷を見れば、納得できます。
しかし、現在「+」の字形となっている「个」の字形に関して、
多くのサイトでは「竹」や「木の枝」と書かれています。
ですが、「支」の意味や字源が諸説あるという事は、
「竹」や「木の枝」も1つの説にしかなりません。
参照230のサイトにある「字源諸説」を見ても、
「半竹」、「竹の枝」と「竹」の事だけしか、書かれていません。
また、「又」の字形を「手」と考えている人が多いようですが、
「又」というの字形は、「三本指」、拡大解釈すれば、「三点」を意味しています。
そのため、「竹を持つ」のは、「三本指」ではせずに、「手全体」を使うと思いますので、
これらは、間違った解釈だと考えています。
情報不足なので、「佐理」を考察した後に、改めて考察します。
佐
「 伊多久佐夜藝弖」で考察し、
「「三角測量」し、家具などの配置を助け合いながら設置する。」と解釈しました。
理
「 那理」で考察しましたが、書いていない事もあったので、もう少 し考 察します。
改めて、「理」の「甲骨文字」と「金文」の字形を探しましたが、見つけられませんでした。
実際に、参照48のサイトにある字形変遷の一番前は「秦篆書李斯」で、
すでに、「理」の字形なので、ここから、考察することは出来ません。
次に、参照49のサイトにある「字源字形」を見ると、
「「(理+又)」㚤理又每簋西周晚期集成3845」の字形が、「金文」に載っています。
ところが、「(理+又)」の字形には、問題点があります。
「(理+又)」の金文の字形を見ると、
「左上」にある字形は、「王」の真ん中の縦棒が突き抜け、
「左下」にある字形は、「又」は「三本指」なのに、こちらでは「四本指」になっていて、
「右」の「里」の字形は、「土」の「二番目の横棒」が消えています。
また、「傳抄古文字」では、「「理」四3.7老」「「理」三4老」、「「理」海3.7」の字形が、
「王」ではなく「ひょうたん」の様な字形になっています。
比較的新しい時代では「くずし字」があり、「ひょうたん」の様に見えなくは無いですが、
「楚」や「秦」の時代ですので、この時代はきちんと書いています。
それから、「王」ではなく「ひょうたん」の様な形を使っている字形は、
「田」+「円」の様に見えるので、別の漢字、もしくは、
「理」にも種類が存在する可能性があります。
この様に考えると、古事記編纂時の漢字の字形が、どうだったのか気になります。
場合によると、別の漢字、もしくは、異なる種類を「同一」と解釈していたかも知れません。
参照48: 理: zi.tools
参照49: 理的解释|理的意思|汉典“理”字的基本解释
上記のように考察すると「佐」だけが、字源の意味が分かっています。
「枝」と「理」は、定説とは違う字形もありますが、色々と調べても分からないので、
現在、使われている意味を当てはめます。
すると、「理」は「ルール」などを決めると考えると、
「佐」の測量しながら設置すると合わせて、「測量し、設置するルールを決める」になりそうです。
では、「枝」ですが、「又」は「三本指」、もしくは、「三点」で何かをすると解釈できるので、
色々と考えた結果、「鉛筆」や「箸」の持ち方では無いか?と考えました。
だとした場合、「何かを書く」という解釈もできるように思います。
そこで、「岐佐理」とは、「測量し、設置するルールを決めて、配置する場所を決めた」
という意味があるのではないか?と推察しました。
現在では、「雁」の漢字の読みには、「ガン」・「カリ」の両方があります。
ですが、そもそも、音読み先行で来ていて、「雁」の音読みは、
呉音が「ゲン」、漢音が「ガン」で、「かり」は「訓読み」なので、多分に後になって、
「雁(ガン)」を「かり」と読むようになったのだと思われます。
「雁」の一番古い字形は、参照233のサイトが「楚(戰國)簡帛包山」、
参照234のサイトが「楚系簡帛」と「春秋戦国時代」以前の字形が見つかっていません。
そこで、「甲骨文字」など、「春秋戦国時代」以前の字形を探していると、
参照235のサイトが見つかりました。
ここには、「六書通 篆體字」の字形が掲載されていて、
調べると、位置づけは「春秋戦国時代」の「楚系簡帛」と似ているようです。
5個ある最初の字形は、「隹(ふるとり)」は問題ないとしても、
「人」の字形で「|(縦棒)」の字形は無いので、別の字形だと思います。
二番目は、左が「厂(がんだれ)」の中に「¥」の様な字形があり、
右が「鳥」となっていて、「雁」お字形とは思えません。
三番目は、「雁」の字形から「亻(にんべん)」を取った字形です。
四番目と五番目は、「雁」とは違う字形だと思います。
参照233: 雁: zi.tools
参照234: 雁的解释|雁的意思|汉典 “雁”字的基本解释
参照235: 【雁】的甲骨文象形文字金文篆文_字典词组含义解释
「雁」の「説文解字」には、
「鳥也。从隹从人,厂聲。讀若鴈。 [臣鉉等曰:雁,知時鳥。大夫以爲摯,昬禮用之。故从人。]」
とあり、「若鴈」と讀むともあります。
「隹(ふるとり)」は、イメージ的には「小鳥」なので、
「鴈」は「小鳥」が成長し「鳥」になった事を指している様に思います。
「若」が付くのは、「小鳥」→「鳥」へと成長したけれど、
なったばかりで「若い」という意味だと解釈しています。
「知時鳥(時を知る鳥)」とは、「雁(ガン)」は基本、「渡り鳥」で「越冬」するために、
日本へと来るので、それで、「時を知る鳥」となったと言われています。
「漢語多功能字庫」の内容を、簡単に見た感じ、
「雁」と「鴈」を使い分けていたというイメージが出来ましたが、真偽は不明です。
あと、「亻(にんべん)」に関しては、情報不足で不明です。
「岐佐理」と「雁(がん)」を考察して来ましたが、
「雁(がん)」が、「越冬」という事で、「秋〜冬」を指すと思われるので、
「岐佐理」とは、もしかして、「冬囲い」の事を指しているのだろうか?
「雁(がん)」が「越冬」をしに来たという事は、「冬」が来る証拠となるので、
植物に対して、「冬囲い」をする時期と考えても不思議では無いです。
この「鷺」という漢字だけの考察は、簡単に調べた限りありませんでした。
なので、「路」を「足」と「各」に分解し、「各」を考察した後に、「鷺」として考察します。
夊
参照237のサイトにある「夊」の字形には、「説文解字」からしか載っていませんが、
参照238のサイトには、「甲骨文字」が載っています。
参照236のサイトにある「各」の「商甲骨文𠂤組」の字形を見ると、
確かに参照238のサイトにある「甲骨文字」に似ています。
しかし、参照236のサイトにある「各」の「甲骨文字」を、詳しく見ると、
「商甲骨文𠂤組」、「商甲骨文子組」、「商甲骨文花東子卜辭」の3つの字形は、
「A」の「横棒」が「左側」に伸びてます。
参照238のサイトにある「甲骨文字」も同じ字形となっています。
ところが、「商甲骨文賓組」の字形を境にして、「左」→「右」へと変化し、
以降、「右」で固定されてしまいます。
これは、「左右」で意味が異なるのではないか?と考えています。
「字源諸説」にある内容から考察します。
参照236: 各: zi.tools
参照237: 夊: zi.tools
参照238: 夊的解释|夊的意思|汉典 “夊”字的基本解释
説文解字:
行遲曳夊夊,象人兩脛有所躧也。凡夊之屬皆从夊。
説文解字注:行遟曳夊夊也。
[也字今補。《曲禮》曰:行不舉足。車輪曳踵。《玉藻》曰:圈豚行不舉足。齊如流。
注云:孔子執圭,足縮縮如有循是也。《玉篇》曰:詩云雄狐夊夊。今作綏。]象人㒳脛有所躧也。
[《通俗文》。履不箸跟曰屣。屣同躧。躧屣古今字也。行遟者,如有所拕曳然。故象之。
楚危切。《玉篇》思隹切。十五部。] 凡夊之屬皆从夊。
《字源》:象形 像倒“止”形,本义为行走迟缓布之道《廣韻形聲考》:夊,《說文·夊部》:「夊,行遲曳夊夊。象人兩脛有所躧也。」
《毛詩·衛風·有狐》「有狐綏綏」,《玉篇》引作「夊夊」。任鼎:「用夊(綏)大神。」
(說見:董珊《任鼎補釋——兼說亢鼎》)。古文字「夊」亦讀端組歌部TOI
其證如:①楚簡文字中「夊」聲之「𪢶」讀爲{錘}
(參考:白於藍.郭店楚墓竹簡考釋(四篇)》《說“綏”》、
劉剛《楚銅貝“𪢶朱”的釋讀及相關問題》、
李天虹《由嚴倉楚簡看戰國文字資料中“才”、“𪢶”兩字的釋讀》等);②西周早期叔卣:「夊(垂)文遺工(功)。」
(說見:董珊《新見魯叔四器銘文考釋》);音與泥組微部NUI有別,但亦不遠。
《漢多》:「夊」甲骨文為「止」的倒寫,象腳掌向下之形;而「止」則象腳掌向上。「止」、「夊」作為古文字部件,有時無別,均表示腳掌,
參見「韋」、「圍」。有時則因腳掌方向不同而意義有別,如「陟」從二止向上,
表示登山,「降」從二止向下,表示下山。因此分出「夊」以表示向下的腳掌,參見「止」。
《説文新證》:甲骨文與「止」同字,只是方向不同。
甲骨文「止」的方向表示不同的意義,如「陟」右旁從二向上的「止」,
「降」右旁從二向下的「夊」
「行遲曳夊夊,象人兩脛有所躧也。凡夊之屬皆从夊。」とあります。
「曳」が「ひっぱる」や「ひく」なので、
「行遲曳」で「遅れて曳いて行く」か、「曳いて遅れて行く」のどちらかになりそうです。
「曳」には、「ひきずる」の意味もあるらしいので、
「遅れても、曳きずって行く」になりそうなので、「遅れて曳いて行く」が合ってそうです。
しかし、これだけでは、何を「ひきずる」のか分かりません。
「夊」は「足」とは言われていますが、きちんと「足を曳きずる」と書かないと、
意味として繋がらないと思います。
それに、「夊」が何を指すのか?の文なのに、なぜ、「夊夊」とするのでしょう。
不思議です。
解読すると「人の兩脛(りょうすね)、躧(し、歩く?)所に有る象(かたち)也」となりそうです。
「躧」は「くつ」とも読めるらしいので、
「躧(くつ)の有る所の人の兩脛(りょうすね)の象(かたち)也」という解読も出来そうです。
ここから、イメージできるのは、「躧(くつ)の有る所」、つまり、
現在で言う「玄関」にいる「人の兩脛(りょうすね)」となりそうです。
しかし、これでは、「行遲曳夊夊」との関連性が無いです。
最初、1つの文になるのかと思っていましたが、
「行遲曳」は「遅れても、曳きずって行く」と解釈でき、前後どちらに付けても、
文として繋がっている様には思えませんでした。
行遟曳夊夊也。
[也字今補。《曲禮》曰:行不舉足。車輪曳踵。《玉藻》曰:圈豚行不舉足。齊如流。
注云:孔子執圭,足縮縮如有循是也。《玉篇》曰:詩云雄狐夊夊。今作綏。]象人㒳脛有所躧也。
[《通俗文》。履不箸跟曰屣。屣同躧。躧屣古今字也。行遟者,如有所拕曳然。故象之。
楚危切。《玉篇》思隹切。十五部。] 凡夊之屬皆从夊。
上記のように、「説文解字注」には、色々と考察した痕跡があります。
こちらには、「行不舉足、車輪曳踵(踵(かかと)で車輪を曳き、足を挙げないで行く)」や
「足縮縮如有循是也(足を縮めるが如く、是、盾有る也)」とありますが、
「夊」と関係があるのか不明です。
「車輪曳踵」は、「馬」が「馬車」を「曳く」事を言っている様に思えます。
《字源》:象形 像倒“止”形,本义为行走迟缓
布之道《廣韻形聲考》:夊,《說文·夊部》:「夊,行遲曳夊夊。象人兩脛有所躧也。」
《毛詩·衛風·有狐》「有狐綏綏」,《玉篇》引作「夊夊」。任鼎:「用夊(綏)大神。」
(說見:董珊《任鼎補釋——兼說亢鼎》)。古文字「夊」亦讀端組歌部TOI
其證如:①楚簡文字中「夊」聲之「𪢶」讀爲{錘}
(參考:白於藍.郭店楚墓竹簡考釋(四篇)》《說“綏”》、
劉剛《楚銅貝“𪢶朱”的釋讀及相關問題》、
李天虹《由嚴倉楚簡看戰國文字資料中“才”、“𪢶”兩字的釋讀》等);②西周早期叔卣:「夊(垂)文遺工(功)。」
(說見:董珊《新見魯叔四器銘文考釋》);音與泥組微部NUI有別,但亦不遠。
「字源」では、「象形 像倒“止”形」と書き、「夊」を「止」の字形の変化形としていますが、
下の文を見て分かるように、「夊」を「止」の字形の変化形という扱いはしていません。
「夊(綏)」とあり、「夊」と「綏」を同じ漢字として扱っています。
また、「西周早期叔卣:「夊(垂)文遺工(功)。」」とあり、「夊」を「垂」として扱っています。
「綏」が「夊」の「異体字」とするサイトは、調べたらありましたが、理由については不明です。
《漢多》:「夊」甲骨文為「止」的倒寫,象腳掌向下之形;而「止」則象腳掌向上。
「止」、「夊」作為古文字部件,有時無別,均表示腳掌,
參見「韋」、「圍」。有時則因腳掌方向不同而意義有別,如「陟」從二止向上,
表示登山,「降」從二止向下,表示下山。因此分出「夊」以表示向下的腳掌,參見「止」。
「漢多」と書く「漢語多功能字庫」では、「夊」を「止」の変化形という見解で一致しています。
ここまで、字源について諸説見てきました。
1つ疑問があり、「止」の字形を変化させたのならば、「「夊」は「止」の字形と似ているべき」、
と思いましたが、字形を比較しても、「商甲骨文賓組」に関しては「反転」させたと言えます。
しかし、「止」の字形は「商甲骨文𠂤組」という「商甲骨文賓組」の二代前の字形があります。
この「商甲骨文𠂤組」の時代の「夊」の字形は、見つけられませんでしたが、
参照236のサイトにある「各」には「商甲骨文𠂤組」の字形が存在しています。
その字形を見ると、すでに、参照238のサイトにある「商甲骨文賓組」の字形になっているので、
「止」の字形を「反転」させたというよりも、創字の時期から同じ字形だった可能性があります。
参照239: 止: zi.tools
凵
参照236のサイトにある「各」の字形を見ると、「口」ではなく「凵」の字形だと分かります。
字形は「楚(戰國)」のが、一番古いのですが、
参照236のサイトにある「各」の「商甲骨文𠂤組」の字形が「凵」であるならば、
「甲骨文字」まで遡ることが出来そうです。
参照240のサイトにある「説文解字」には、「張口也。象形。凡凵之屬皆从凵」とあります。
これは、明らかにおかしくて、「張る」という事は、「弦」を「張る」様に「引っ張る」という事です。
参照236のサイトにある「各」の「甲骨文字」と、
参照242のサイトにある「口」の「甲骨文字」を比較すれと"、
横の長さは、広くなっているわけでは無いです。
なので、間違いとなります。
参照240のサイトにある「凵」の「楚(戰國)簡帛包山」の字形は、
横の長さが広くなっているので、「広い」字形から考えたのかも知れません。
もしくは、「各」のように、「口」と同じ横の長さの字形と、
横の長さが広くなっている字形が、存在していたのかも知れませんが、
現代では判断できません。
参照240:凵: zi.tools
参照241:凵的解释|凵的意思|汉典“凵”字的基本解释
参照242:口: zi.tools
「凵」の意味として言えば、やはり、見た目通り、「穴」という解釈が正しいと思います。
だとした場合、「夊」は何を指のか、非常に気になります。
参照237のサイトにある「説文解字」の内容つぃて、
「行遟曳夊夊也。象人㒳脛有所躧也。凡夊之屬皆从夊。」とあるだけで、
「行遟曳夊夊也」の「夊夊」が何を指すのか、何もかいていません。
「「夊夊」が「重い」から、どうしても、目的地に到着するのが遅くなるという解釈が出来ます。
この部分は、「説文解字」でも同じ様な解釈をしました。
次の「躧(くつ)の有る所の人の兩脛(りょうすね)の象(かたち)也」ですが、
参照243のサイトにある「躧」の「説文解字」には「舞履也。从足。麗聲。」とあります。
つまり、「躧(くつ)」は、「舞」の時に履く物なので、
「躧(くつ)の有る所の人の兩脛(りょうすね)の象(かたち)也」は、
「行遟曳夊夊也」とは、意味が異なると言えそうです。
「曳」の場合は、「凵」と直接の繋がりがありそうですが、
「躧(くつ)」の場合、「凵」との関係が非常に怪しいと思います。
これにより、「各」とは、「凵」(あな)に「夊(食糧?)」を置く(倉庫?)では無いか?
という解釈もできそうだと思っています。
参照243:躧: zi.tools
各
今度は、「各」の字源を考察します。
参照236のサイトにある「説文解字」として、
「異䛐也。从口夂。夂者、有行而止之不相聽意。と書かれています。
「䛐」の字を「左右」に入れ替えた「詞」という漢字を使います。
「言」とは、参照244のサイトにある「説文解字」によれば、
「直言曰言。論難曰語。从口。䇂聲。凡言之屬皆从言。」とあり、
「直接話す」と解釈できます。
「司」とは、参照245のサイトにある「説文解字」によれば、
「臣司事於外者。从反后。凡司之屬皆从司。」とあり、
「「臣司事」の従事者」と解釈出来ます。
これを合わせると、「臣司事の人達が、話し合いをしている事とは異なる」と、
「異䛐也」の解釈になりそうです。
「凵」(あな)を考察した際に、「各」の「口」に見えるのは、
「凵」(あな)だと認識出来ているので、
「从口夂。」とあたかも「夂」と「口」で構成されていると考えたのは、
「説文解字」の編纂者達が、甲骨文字を能く知っていなかったからだと思われます。
また、「有行而止之不相聽意」も「意見」を「聴き不相(ききあわず)」と、
少し、「夂」の意味として違うようにも感じます。
ただ、参照246のサイトにある「説文解字」では、
「異䛐也」ではなく、「異辭也」と「辭」の感じを使っています。
「各」の「口」ですが、「甲骨文字」では、ほぼ確実に「あな」ですが、
参照236のサイトの「商甲骨文何組」の頃から、「口」という感じになっていますが、
それは、状況に変化が出たからでしょうか?
どの様な、変化が出たのか気になります。
参照236:各: zi.tools
参照244:言: zi.tools
参照245:司: zi.tools
参照246: 各的解释|各的意思|汉典 “各”字的基本解释
路
「各」に「足」が付与されて「路」となります。
この当時の一番古い字形が、参照247のサイトにある「西周金文西周中期」だと思います。
この当時には、すでに「凵」→「口」へと変化したようです。
「各」は、「洞窟(凵)にいる家族」への獲物で、
だから、重くても、大変でも、曳き摺って来た。
多分に狩猟部隊と、家で子供などを護る人達で別れて、
大所帯で支え合ってきたのだと思います。
それも、ある程度、安全になり、大きな集団へと進化する時に、「洞窟(凵)」から外に出て、
「足」で歩いて移動できる「路」を作ったのではないか?と考えてます。
参照247:路: zi.tools
鷺
最後に「鷺」だけど、「白い鳥」=「鷺」なのは、確かな様です。
「路」がついている理由としては、「路」の場所に、餌になる魚などが豊富だったから、
「路」にいつのたのだろうと考えています。
参照250のサイトには、「鷺」=「白鳥」ではなく、「白鳥」の個体が「鷺」と呼ばれる様です。
また、調べれると、「1年中日本に生息し留まる組」と、
「冬に南方に渡去する夏鳥の組」がいるようですが、
「越冬」のために来る鳥組もいるようです。
参照248:鷺: zi.tools
参照249:鷺的解释|鷺的意思|汉典“鷺”字的基本解释
参照250:サギ
掃と鷺
「掃」とという漢字は、「大掃除」などで使うように「掃除」のイメージが強いです。
それと、「越冬する鷺」が合わさったのだとすると、
やはり、「河雁」と「岐佐理」の様に「越冬」に合わせた「鷺」と同じ様にした可能性もあります。