最終更新日 2024/11/12

※Social Postage Stamps

古事記 へようこそ Welcome to Japanese History

 第四章 葦原中國の平定

而取其矢自其矢 穴衝返下者 中天若日子寢朝床之高胸坂以死【此還矢之本也】亦其雉不還
故於今諺曰 雉之頓使是也 故天若日子之妻・下照比賣之哭聲 與風響到天 於是在天
天若日子之父・天津國玉神 及其妻子聞 而降來哭悲 乃於其處作喪屋
而河雁爲岐佐理持【自岐下三字以音】鷺爲掃持 翠鳥爲御食人 雀爲碓女 雉爲哭女
如此行定 而日八日夜八夜遊也

此時 阿遲志貴高日子根神【自阿下四字以音】到 而弔天若日子之喪時 自天降到天若日子之父
亦其妻 皆哭云 我子者不死有祁理【此二字以音 下效此】我君者不死坐祁理云
取懸手足而哭悲也 其過所以 者此二柱神之容姿 甚能相似 故是以過也
於是阿遲志貴高日子根神 大怒曰 我者愛友故弔來耳 何吾比穢死人云 而拔所御佩之十掬劒
切伏其喪屋 以足蹶離遣 此者在美濃國藍見河之河上 喪山之者也 其持所切大刀 名謂大量
亦名謂神度劒【度字以音】故阿治志貴高日子根神者 忿而飛去之時 其伊呂妹高比賣命
思顯其御名 故歌曰

阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇 阿那陀麻波夜 美多邇
布多和多良須 阿治志貴多迦 比古泥能迦微曾也

此歌者 夷振也
解読

而(すなわち)其の矢自(より)其の矢取り、穴に衝(ぶつかれ)者(ば:短語)下に返る

朝、床で寢る天若日子に中(あたり)、之(これ)高胸坂を以って死す

此の還しの矢之本也

亦、其の雉不還(かえらず)

故、今に於いて、雉之頓使、是、諺(ことわざ)と曰(い)う也

故、天若日子之妻・下照比賣之哭き聲(こえ) 與(ともに)風に響き、天に到る

於是(これを)、天に在る天若日子之父・天津國玉神、及び其の妻子が聞く

而(すなわち) 降りて来て哭き悲しむ

乃(すなわ)ち、其の處(ところ)に於いて、喪屋を作る

而(すなわち)、岐佐理【自岐下三字以音】を持ち、河の雁(かり)と爲す

掃(はく)を持ち鷺と爲す

御食人(みけびと?)を翠鳥(かわせみ?)と爲す

碓女(うすを使う女)を雀(すずめ)と爲す

哭女(なくを職業とする女)雉と爲す

此の如くに定めて行う

而(すなわち)八日の日、八夜の夜、遊ぶ也

此の時、阿遲志貴高日子根神【自阿下四字以音】到る

而(すなわち)、天若日子之喪を弔う時、天自(より)降りて到る
天若日子之父亦其妻、皆、哭きて云う

我が子者(は:短語)、不死(しなず)と祁理【此二字以音 下效此】有り

我が君者(は:短語)、不死(しなず)と祁理坐して云う

手足而(に)取り懸かり哭き悲しむ也

其の過ぎる所を以って、此二柱神之容姿者(は:短語)甚だ能く相似る

故、是(これ)を以って過ぎる也

於是(これを)阿遲志貴高日子根神、大いに怒りて曰(いわ)く

我者(は:短語)、愛する友故弔いに来た

何(いず)れの耳に吾を穢れた死人と比べると云う

而(すなわち)御佩之十掬劒を拔く所で其の喪屋を切り伏せる

足が蹶(たお)れるを以って離れて遣わす

此れ者(は:短語)、美濃國藍見河之河上に在る、之(これ)者(は:短語)喪山也

其の大刀を持って切る所

名を大量と謂う、亦、名を神度【度字以音】劒と謂う

故、阿治志貴高日子根神者(は:短語)忿(いかり)、而(すなわち)飛び去る之時

其の伊呂妹高比賣命、其顯(あらわ)れる御名を思う

故、歌、曰(いわ)く

阿米那流夜 淤登多那婆多能 宇那賀世流 多麻能美須麻流 美須麻流邇
あめなるや おとたなばたの うながせる たまのみまする みすまるに

阿那陀麻波夜 美多邇 布多和多良須 阿治志貴多迦比古泥能迦微曾也
あなたまはや みたに ふたわたらす あじしきたかひこねのかみそや

此の歌者(は:短語)夷(えびす?えみし?)振(止める?)也

解説

02

葬式


悲しむ聲

原文:

故天若日子之妻・下照比賣之哭聲 與風響到天 於是在天
天若日子之父・天津國玉神 及其妻子聞 而降來哭悲 乃於其處作喪屋

解読:

故、天若日子之妻・下照比賣之哭き聲(こえ) 與(ともに)風に響き、天に到る

於是(これを)、天に在る天若日子之父・天津國玉神、及び其の妻子が聞く

而(すなわち) 降りて来て哭き悲しむ

乃(すなわ)ち、其の處(ところ)に於いて、喪屋を作る

喪屋

「下照比賣」が「哭いていた聲」が「風に響き、天に到る」事は、現実には無いので、
これは、その場面を見た「天(あま)なる國」の人が、國に戻った時に、
「天津國玉神と妻子」に伝えたというのが正しいと思われます。

その事を聞いて、「天若日子」の葬儀場へと向かったのでしょう。

「天若日子」の両親と妻が集まったことで、「葬儀」が始まる前に「喪屋」を作ります。

「喪屋」について調べると、参照228のサイトに、
本当かは不明ですが、面白い事が書かれていました。

字源諸説:

《漢多》(于省吾):甲骨文從「桑」從數「口」,「桑」是聲符,
于省吾認為口乃採桑所用之器,商代已有絲 織品,故此字甲骨文是採桑之本字。

甲骨文、「桑」に従い、「口」を敷く

「桑」、是、聲符

吾、省みず于(に)認めると為す

口、乃(すなわ)ち、桑を採る所之器、商代、絲(いと)織品已(すでに)有る

故、此の甲骨文の字、是、採桑(桑の葉を取る?)之本字


《漢多》(尹黎雲):一說古代喪器講究以桑木制作,桑是辦理喪事的象徵,
其從多口正象眾口號啕大哭之形

一説、古代の喪器を講じて究(きわ)めるを以って、桑木で制作、
桑、是、喪の事的象徴として辦理(取り扱う?)

其の多くの口に従い、
正(まさ)に啕(よくしゃべる)眾(衆)口の象(かたち)と大哭之形の號(よびな)

上記にまとめましたが、解読がおかしな点もあるかも知れません。

注目すべきは、「口乃採桑所用之器(口、乃(すなわ)ち、桑を採る所之器)」です。

「桑」を採取して、どの様に使ったのかは不明ですが、
参照228のサイトにある「喪」の「商甲骨文𠂤組」を見ると、
「桑の木」の間に「口」の様な字形があり、「桑を取るための器」という解釈も出来ます。

また、「一說古代喪器講究以桑木制作」も
「一説、古代の喪器を講じて究(きわ)めるを以って、桑木で制作」と解読でき、
古代には「喪器」という物を、「桑木」で制作していた可能性もあります。

これが正しければ、「喪屋」とは、
「桑木」を使って「喪器」を制作する場所という解釈が出来ます。

ただ、「其の處」とあるので、この文の前文などには、土地名が書かれていた可能性があります。

重要な情報を、なぜ、載せなかったのでしょうか。

知られてしまうと困るような土地名だったのでしょうか?

疑問が残ります。

参照228: 喪: zi.tools

葬儀

原文:

而河雁爲岐佐理持【自岐下三字以音】鷺爲掃持 翠鳥爲御食人 雀爲碓女 雉爲哭女
如此行定 而日八日夜八夜遊也

解読:

而(すなわち)、岐佐理【自岐下三字以音】を持ち、河の雁(かり)と爲す

掃(はく)を持ち鷺と爲す

御食人(みけびと?)を翠鳥(かわせみ?)と爲す

碓女(うすを使う女)を雀(すずめ)と爲す

哭女(なくを職業とする女)雉と爲す

此の如くに定めて行う

而(すなわち)八日の日、八夜の夜、遊ぶ也

葬儀の内容?

「而日八日夜八夜遊也」とあり、
「八日八夜遊ぶ」になりますが、本当にそうだったのでしょうか?

色々とヒントを探しましたが見つかりませんでした。

登用する動物から考察します。

河雁

「河」は、「川」よりも「広い」場所を指し、「雁」は「鳥類」を指します。

情報収集すると、「雁」には二種類いて、カモ目カモ科マガン属する「カリガネ」、
カモ目カモ科ガン亜科の「雁」に分かれるので、精査する必要があります。

「マガン属」と「ガン亜科」は区分けされています。

「マガン属」は、基本「渡り鳥」のようで、「越冬」目的での日本滞在らしいです。

「ガン亜科」は、詳細がどのサイトにも無いので不明ですが、簡単に色々なサイトを見る限り、
「渡り鳥」ではなく、「水鳥」として定住しているようです。

どちらも、「水場」にいる事がありますが、判断は後のまとめで考察します。

岐佐理

「自岐下三字以音」と注記があるので、「音読み」指定となります。

「枝」:呉音:ギ(表外)、シ、漢音:キ(表外)、シ

「佐」:呉音・漢音:サ

「理」:呉音・漢音:リ

上記により、呉音「ぎ(し)さり」、漢音「き(し)さり」となりそうです。

意味


字形

参照229のサイトにある「枝」の諸説には、問題がありませんでしたが、
参照230のサイトにある「支」には、違和感があります。

参照230のサイトにある「東漢傳抄說文解字」と「宋傳抄集篆古文韻海」の字形を見ると、
「支」の漢字の下にも字形が存在します。

また、参照231のサイトにある「傳抄古文字」の字形を見ると、
「説文解字」の字形に変化したと言うのは、不思議に思います。

一番考えられるのは、「支」と似た漢字が存在していたが、
「支」と同じとして処理されてしまった可能性です。

参照231のサイトだけでなく、
参照232のサイトの「傳抄古文字」でも、「支」以外の字形を「支」として掲載しています。

これらは、「支」の字形の下に「巾」、「从」という字形があります。

もし、本当に、「支」には、複数の字形が存在いたのならば、
単なる「支」という解釈にはならないと思います。

参照229: 枝: zi.tools

参照230: 支: zi.tools

参照231: 枝的解释|枝的意思|汉典 “枝”字的基本解释

参照232: 支的解释|支的意思|汉典 “支”字的基本解释

意味

「木偏」は、「木」を指すで良いですが、「支」を詳しく考察していきます。

まず、Wikiを見ると、下記の様に書いています。

象形文字だが、字形の由来と造字本義は不明で、以下のような説がある。

いずれにせよ、「ささえる」「つかえる」を意味する漢語{支 /*ke/}に用いるのは
仮借によるものである。

1:定規を持った手を象る。「定規」「コンパス」を意味する漢語{規 /*kwe/}を表す字。

2:枝指を持つ多指症の手を象る。「えだ」を意味する漢語{枝 /*ke/}を表す字。

Wiki

上記により、「支」の意味の「ささえる」は、
創字よりも後に考えられるようになった可能性があります。

そして、「定規を持った手を象る。」や「枝指を持つ多指症の手を象る。」という説があるようです。

構成されているパーツは「十」と「又」で形成されています。

「又」は「三本指の手」を表しているのは、「又」の字形変遷を見れば、納得できます。

しかし、現在「+」の字形となっている「个」の字形に関して、
多くのサイトでは「竹」や「木の枝」と書かれています。

ですが、「支」の意味や字源が諸説あるという事は、
「竹」や「木の枝」も1つの説にしかなりません。

参照230のサイトにある「字源諸説」を見ても、
「半竹」、「竹の枝」と「竹」の事だけしか、書かれていません。

また、「又」の字形を「手」と考えている人が多いようですが、
「又」というの字形は、「三本指」、拡大解釈すれば、「三点」を意味しています。

そのため、「竹を持つ」のは、「三本指」ではせずに、「手全体」を使うと思いますので、
これらは、間違った解釈だと考えています。

情報不足なので、「佐理」を考察した後に、改めて考察します。

伊多久佐夜藝弖」で考察し、
「「三角測量」し、家具などの配置を助け合いながら設置する。」と解釈しました。

那理」で考察しましたが、書いていない事もあったので、もう少 し考 察します。

改めて、「理」の「甲骨文字」と「金文」の字形を探しましたが、見つけられませんでした。

実際に、参照48のサイトにある字形変遷の一番前は「秦篆書李斯」で、
すでに、「理」の字形なので、ここから、考察することは出来ません。

次に、参照49のサイトにある「字源字形」を見ると、
「「(理+又)」㚤理又每簋西周晚期集成3845」の字形が、「金文」に載っています。

ところが、「(理+又)」の字形には、問題点があります。

「(理+又)」の金文の字形を見ると、
「左上」にある字形は、「王」の真ん中の縦棒が突き抜け、
「左下」にある字形は、「又」は「三本指」なのに、こちらでは「四本指」になっていて、
「右」の「里」の字形は、「土」の「二番目の横棒」が消えています。

また、「傳抄古文字」では、「「理」四3.7老」「「理」三4老」、「「理」海3.7」の字形が、
「王」ではなく「ひょうたん」の様な字形になっています。

比較的新しい時代では「くずし字」があり、「ひょうたん」の様に見えなくは無いですが、
「楚」や「秦」の時代ですので、この時代はきちんと書いています。

それから、「王」ではなく「ひょうたん」の様な形を使っている字形は、
「田」+「円」の様に見えるので、別の漢字、もしくは、
「理」にも種類が存在する可能性があります。

この様に考えると、古事記編纂時の漢字の字形が、どうだったのか気になります。

場合によると、別の漢字、もしくは、異なる種類を「同一」と解釈していたかも知れません。

参照48: 理: zi.tools

参照49: 理的解释|理的意思|汉典“理”字的基本解释

まとめ

上記のように考察すると「佐」だけが、字源の意味が分かっています。

「枝」と「理」は、定説とは違う字形もありますが、色々と調べても分からないので、
現在、使われている意味を当てはめます。

すると、「理」は「ルール」などを決めると考えると、
「佐」の測量しながら設置すると合わせて、「測量し、設置するルールを決める」になりそうです。

では、「枝」ですが、「又」は「三本指」、もしくは、「三点」で何かをすると解釈できるので、
色々と考えた結果、「鉛筆」や「箸」の持ち方では無いか?と考えました。

だとした場合、「何かを書く」という解釈もできるように思います。

そこで、「岐佐理」とは、「測量し、設置するルールを決めて、配置する場所を決めた」
という意味があるのではないか?と推察しました。

現在では、「雁」の漢字の読みには、「ガン」・「カリ」の両方があります。

ですが、そもそも、音読み先行で来ていて、「雁」の音読みは、
呉音が「ゲン」、漢音が「ガン」で、「かり」は「訓読み」なので、多分に後になって、
「雁(ガン)」を「かり」と読むようになったのだと思われます。

「雁」の一番古い字形は、参照233のサイトが「楚(戰國)簡帛包山」、
参照234のサイトが「楚系簡帛」と「春秋戦国時代」以前の字形が見つかっていません。

そこで、「甲骨文字」など、「春秋戦国時代」以前の字形を探していると、
参照235のサイトが見つかりました。

ここには、「六書通 篆體字」の字形が掲載されていて、
調べると、位置づけは「春秋戦国時代」の「楚系簡帛」と似ているようです。

5個ある最初の字形は、「隹(ふるとり)」は問題ないとしても、
「人」の字形で「|(縦棒)」の字形は無いので、別の字形だと思います。

二番目は、左が「厂(がんだれ)」の中に「¥」の様な字形があり、
右が「鳥」となっていて、「雁」お字形とは思えません。

三番目は、「雁」の字形から「亻(にんべん)」を取った字形です。

四番目と五番目は、「雁」とは違う字形だと思います。

参照233: 雁: zi.tools

参照234: 雁的解释|雁的意思|汉典 “雁”字的基本解释

参照235: 【雁】的甲骨文象形文字金文篆文_字典词组含义解释

まとめ

「雁」の「説文解字」には、
「鳥也。从隹从人,厂聲。讀若鴈。 [臣鉉等曰:雁,知時鳥。大夫以爲摯,昬禮用之。故从人。]」
とあり、「若鴈」と讀むともあります。

「隹(ふるとり)」は、イメージ的には「小鳥」なので、
「鴈」は「小鳥」が成長し「鳥」になった事を指している様に思います。

「若」が付くのは、「小鳥」→「鳥」へと成長したけれど、
なったばかりで「若い」という意味だと解釈しています。

「知時鳥(時を知る鳥)」とは、「雁(ガン)」は基本、「渡り鳥」で「越冬」するために、
日本へと来るので、それで、「時を知る鳥」となったと言われています。

「漢語多功能字庫」の内容を、簡単に見た感じ、
「雁」と「鴈」を使い分けていたというイメージが出来ましたが、真偽は不明です。

あと、「亻(にんべん)」に関しては、情報不足で不明です。

まとめ

「岐佐理」と「雁(がん)」を考察して来ましたが、
「雁(がん)」が、「越冬」という事で、「秋〜冬」を指すと思われるので、
「岐佐理」とは、もしかして、「冬囲い」の事を指しているのだろうか?

「雁(がん)」が「越冬」をしに来たという事は、「冬」が来る証拠となるので、
植物に対して、「冬囲い」をする時期と考えても不思議では無いです。


この「鷺」という漢字だけの考察は、簡単に調べた限りありませんでした。

なので、「路」を「足」と「各」に分解し、「各」を考察した後に、「鷺」として考察します。

参照237のサイトにある「夊」の字形には、「説文解字」からしか載っていませんが、
参照238のサイトには、「甲骨文字」が載っています。

参照236のサイトにある「各」の「商甲骨文𠂤組」の字形を見ると、
確かに参照238のサイトにある「甲骨文字」に似ています。

しかし、参照236のサイトにある「各」の「甲骨文字」を、詳しく見ると、
「商甲骨文𠂤組」、「商甲骨文子組」、「商甲骨文花東子卜辭」の3つの字形は、
「A」の「横棒」が「左側」に伸びてます。

参照238のサイトにある「甲骨文字」も同じ字形となっています。

ところが、「商甲骨文賓組」の字形を境にして、「左」→「右」へと変化し、
以降、「右」で固定されてしまいます。

これは、「左右」で意味が異なるのではないか?と考えています。

「字源諸説」にある内容から考察します。

参照236: 各: zi.tools

参照237: 夊: zi.tools

参照238: 夊的解释|夊的意思|汉典 “夊”字的基本解释

字源考察

説文解字:

行遲曳夊夊,象人兩脛有所躧也。凡夊之屬皆从夊。


説文解字注:

行遟曳夊夊也。

[也字今補。《曲禮》曰:行不舉足。車輪曳踵。《玉藻》曰:圈豚行不舉足。齊如流。
注云:孔子執圭,足縮縮如有循是也。《玉篇》曰:詩云雄狐夊夊。今作綏。]

象人㒳脛有所躧也。

[《通俗文》。履不箸跟曰屣。屣同躧。躧屣古今字也。行遟者,如有所拕曳然。故象之。
楚危切。《玉篇》思隹切。十五部。] 凡夊之屬皆从夊。


《字源》:象形 像倒“止”形,本义为行走迟缓

布之道《廣韻形聲考》:夊,《說文·夊部》:「夊,行遲曳夊夊。象人兩脛有所躧也。」
《毛詩·衛風·有狐》「有狐綏綏」,《玉篇》引作「夊夊」。任鼎:「用夊(綏)大神。」
(說見:董珊《任鼎補釋——兼說亢鼎》)。

古文字「夊」亦讀端組歌部TOI
其證如:

①楚簡文字中「夊」聲之「𪢶」讀爲{錘}
(參考:白於藍.郭店楚墓竹簡考釋(四篇)》《說“綏”》、
劉剛《楚銅貝“𪢶朱”的釋讀及相關問題》、
李天虹《由嚴倉楚簡看戰國文字資料中“才”、“𪢶”兩字的釋讀》等);

②西周早期叔卣:「夊(垂)文遺工(功)。」
(說見:董珊《新見魯叔四器銘文考釋》);音與泥組微部NUI有別,但亦不遠。


《漢多》:「夊」甲骨文為「止」的倒寫,象腳掌向下之形;而「止」則象腳掌向上。

「止」、「夊」作為古文字部件,有時無別,均表示腳掌,
參見「韋」、「圍」。有時則因腳掌方向不同而意義有別,如「陟」從二止向上,
表示登山,「降」從二止向下,表示下山。

因此分出「夊」以表示向下的腳掌,參見「止」。

《説文新證》:甲骨文與「止」同字,只是方向不同。

甲骨文「止」的方向表示不同的意義,如「陟」右旁從二向上的「止」,
「降」右旁從二向下的「夊」

説文解字

「行遲曳夊夊,象人兩脛有所躧也。凡夊之屬皆从夊。」とあります。

行遲曳夊夊

「曳」が「ひっぱる」や「ひく」なので、
「行遲曳」で「遅れて曳いて行く」か、「曳いて遅れて行く」のどちらかになりそうです。

「曳」には、「ひきずる」の意味もあるらしいので、
「遅れても、曳きずって行く」になりそうなので、「遅れて曳いて行く」が合ってそうです。

しかし、これだけでは、何を「ひきずる」のか分かりません。

「夊」は「足」とは言われていますが、きちんと「足を曳きずる」と書かないと、
意味として繋がらないと思います。

それに、「夊」が何を指すのか?の文なのに、なぜ、「夊夊」とするのでしょう。

不思議です。

象人兩脛有所躧也

解読すると「人の兩脛(りょうすね)、躧(し、歩く?)所に有る象(かたち)也」となりそうです。

「躧」は「くつ」とも読めるらしいので、
「躧(くつ)の有る所の人の兩脛(りょうすね)の象(かたち)也」という解読も出来そうです。

ここから、イメージできるのは、「躧(くつ)の有る所」、つまり、
現在で言う「玄関」にいる「人の兩脛(りょうすね)」となりそうです。

しかし、これでは、「行遲曳夊夊」との関連性が無いです。

最初、1つの文になるのかと思っていましたが、
「行遲曳」は「遅れても、曳きずって行く」と解釈でき、前後どちらに付けても、
文として繋がっている様には思えませんでした。

説文解字注

行遟曳夊夊也。

[也字今補。《曲禮》曰:行不舉足。車輪曳踵。《玉藻》曰:圈豚行不舉足。齊如流。
注云:孔子執圭,足縮縮如有循是也。《玉篇》曰:詩云雄狐夊夊。今作綏。]

象人㒳脛有所躧也。

[《通俗文》。履不箸跟曰屣。屣同躧。躧屣古今字也。行遟者,如有所拕曳然。故象之。
楚危切。《玉篇》思隹切。十五部。] 凡夊之屬皆从夊。

上記のように、「説文解字注」には、色々と考察した痕跡があります。

こちらには、「行不舉足、車輪曳踵(踵(かかと)で車輪を曳き、足を挙げないで行く)」や
「足縮縮如有循是也(足を縮めるが如く、是、盾有る也)」とありますが、
「夊」と関係があるのか不明です。

「車輪曳踵」は、「馬」が「馬車」を「曳く」事を言っている様に思えます。

字源

《字源》:象形 像倒“止”形,本义为行走迟缓

布之道《廣韻形聲考》:夊,《說文·夊部》:「夊,行遲曳夊夊。象人兩脛有所躧也。」
《毛詩·衛風·有狐》「有狐綏綏」,《玉篇》引作「夊夊」。任鼎:「用夊(綏)大神。」
(說見:董珊《任鼎補釋——兼說亢鼎》)。

古文字「夊」亦讀端組歌部TOI
其證如:

①楚簡文字中「夊」聲之「𪢶」讀爲{錘}
(參考:白於藍.郭店楚墓竹簡考釋(四篇)》《說“綏”》、
劉剛《楚銅貝“𪢶朱”的釋讀及相關問題》、
李天虹《由嚴倉楚簡看戰國文字資料中“才”、“𪢶”兩字的釋讀》等);

②西周早期叔卣:「夊(垂)文遺工(功)。」
(說見:董珊《新見魯叔四器銘文考釋》);音與泥組微部NUI有別,但亦不遠。

「字源」では、「象形 像倒“止”形」と書き、「夊」を「止」の字形の変化形としていますが、
下の文を見て分かるように、「夊」を「止」の字形の変化形という扱いはしていません。

「夊(綏)」とあり、「夊」と「綏」を同じ漢字として扱っています。

また、「西周早期叔卣:「夊(垂)文遺工(功)。」」とあり、「夊」を「垂」として扱っています。

「綏」が「夊」の「異体字」とするサイトは、調べたらありましたが、理由については不明です。

漢語多功能字庫

《漢多》:「夊」甲骨文為「止」的倒寫,象腳掌向下之形;而「止」則象腳掌向上。

「止」、「夊」作為古文字部件,有時無別,均表示腳掌,
參見「韋」、「圍」。有時則因腳掌方向不同而意義有別,如「陟」從二止向上,
表示登山,「降」從二止向下,表示下山。

因此分出「夊」以表示向下的腳掌,參見「止」。

「漢多」と書く「漢語多功能字庫」では、「夊」を「止」の変化形という見解で一致しています。

まとめ

ここまで、字源について諸説見てきました。

1つ疑問があり、「止」の字形を変化させたのならば、「「夊」は「止」の字形と似ているべき」、
と思いましたが、字形を比較しても、「商甲骨文賓組」に関しては「反転」させたと言えます。

しかし、「止」の字形は「商甲骨文𠂤組」という「商甲骨文賓組」の二代前の字形があります。

この「商甲骨文𠂤組」の時代の「夊」の字形は、見つけられませんでしたが、
参照236のサイトにある「各」には「商甲骨文𠂤組」の字形が存在しています。

その字形を見ると、すでに、参照238のサイトにある「商甲骨文賓組」の字形になっているので、
「止」の字形を「反転」させたというよりも、創字の時期から同じ字形だった可能性があります。

参照239: 止: zi.tools

参照236のサイトにある「各」の字形を見ると、「口」ではなく「凵」の字形だと分かります。

字形は「楚(戰國)」のが、一番古いのですが、
参照236のサイトにある「各」の「商甲骨文𠂤組」の字形が「凵」であるならば、
「甲骨文字」まで遡ることが出来そうです。

参照240のサイトにある「説文解字」には、「張口也。象形。凡凵之屬皆从凵」とあります。

これは、明らかにおかしくて、「張る」という事は、「弦」を「張る」様に「引っ張る」という事です。

参照236のサイトにある「各」の「甲骨文字」と、
参照242のサイトにある「口」の「甲骨文字」を比較すれと"、
横の長さは、広くなっているわけでは無いです。

なので、間違いとなります。

参照240のサイトにある「凵」の「楚(戰國)簡帛包山」の字形は、
横の長さが広くなっているので、「広い」字形から考えたのかも知れません。

もしくは、「各」のように、「口」と同じ横の長さの字形と、
横の長さが広くなっている字形が、存在していたのかも知れませんが、
現代では判断できません。

参照240:凵: zi.tools

参照241:凵的解释|凵的意思|汉典“凵”字的基本解释

参照242:口: zi.tools

意味

「凵」の意味として言えば、やはり、見た目通り、「穴」という解釈が正しいと思います。

だとした場合、「夊」は何を指のか、非常に気になります。

参照237のサイトにある「説文解字」の内容つぃて、
「行遟曳夊夊也。象人㒳脛有所躧也。凡夊之屬皆从夊。」とあるだけで、
「行遟曳夊夊也」の「夊夊」が何を指すのか、何もかいていません。

「「夊夊」が「重い」から、どうしても、目的地に到着するのが遅くなるという解釈が出来ます。

この部分は、「説文解字」でも同じ様な解釈をしました。

次の「躧(くつ)の有る所の人の兩脛(りょうすね)の象(かたち)也」ですが、
参照243のサイトにある「躧」の「説文解字」には「舞履也。从足。麗聲。」とあります。

つまり、「躧(くつ)」は、「舞」の時に履く物なので、
「躧(くつ)の有る所の人の兩脛(りょうすね)の象(かたち)也」は、
「行遟曳夊夊也」とは、意味が異なると言えそうです。

「曳」の場合は、「凵」と直接の繋がりがありそうですが、
「躧(くつ)」の場合、「凵」との関係が非常に怪しいと思います。

これにより、「各」とは、「凵」(あな)に「夊(食糧?)」を置く(倉庫?)では無いか?
という解釈もできそうだと思っています。

参照243:躧: zi.tools

今度は、「各」の字源を考察します。

参照236のサイトにある「説文解字」として、
「異䛐也。从口夂。夂者、有行而止之不相聽意。と書かれています。

「䛐」の字を「左右」に入れ替えた「詞」という漢字を使います。

「言」とは、参照244のサイトにある「説文解字」によれば、
「直言曰言。論難曰語。从口。䇂聲。凡言之屬皆从言。」とあり、
「直接話す」と解釈できます。

「司」とは、参照245のサイトにある「説文解字」によれば、
「臣司事於外者。从反后。凡司之屬皆从司。」とあり、

「「臣司事」の従事者」と解釈出来ます。

これを合わせると、「臣司事の人達が、話し合いをしている事とは異なる」と、
「異䛐也」の解釈になりそうです。

「凵」(あな)を考察した際に、「各」の「口」に見えるのは、
「凵」(あな)だと認識出来ているので、
「从口夂。」とあたかも「夂」と「口」で構成されていると考えたのは、
「説文解字」の編纂者達が、甲骨文字を能く知っていなかったからだと思われます。

また、「有行而止之不相聽意」も「意見」を「聴き不相(ききあわず)」と、
少し、「夂」の意味として違うようにも感じます。

ただ、参照246のサイトにある「説文解字」では、
「異䛐也」ではなく、「異辭也」と「辭」の感じを使っています。

「各」の「口」ですが、「甲骨文字」では、ほぼ確実に「あな」ですが、
参照236のサイトの「商甲骨文何組」の頃から、「口」という感じになっていますが、
それは、状況に変化が出たからでしょうか?

どの様な、変化が出たのか気になります。

参照236:各: zi.tools

参照244:言: zi.tools

参照245:司: zi.tools

参照246: 各的解释|各的意思|汉典 “各”字的基本解释

「各」に「足」が付与されて「路」となります。

この当時の一番古い字形が、参照247のサイトにある「西周金文西周中期」だと思います。

この当時には、すでに「凵」→「口」へと変化したようです。

「各」は、「洞窟(凵)にいる家族」への獲物で、
だから、重くても、大変でも、曳き摺って来た。

多分に狩猟部隊と、家で子供などを護る人達で別れて、
大所帯で支え合ってきたのだと思います。

それも、ある程度、安全になり、大きな集団へと進化する時に、「洞窟(凵)」から外に出て、
「足」で歩いて移動できる「路」を作ったのではないか?と考えてます。

参照247:路: zi.tools

最後に「鷺」だけど、「白い鳥」=「鷺」なのは、確かな様です。

「路」がついている理由としては、「路」の場所に、餌になる魚などが豊富だったから、
「路」にいつのたのだろうと考えています。

参照250のサイトには、「鷺」=「白鳥」ではなく、「白鳥」の個体が「鷺」と呼ばれる様です。

また、調べれると、「1年中日本に生息し留まる組」と、
「冬に南方に渡去する夏鳥の組」がいるようですが、
「越冬」のために来る鳥組もいるようです。

参照248:鷺: zi.tools

参照249:鷺的解释|鷺的意思|汉典“鷺”字的基本解释

参照250:サギ

掃と鷺

「掃」とという漢字は、「大掃除」などで使うように「掃除」のイメージが強いです。

それと、「越冬する鷺」が合わさったのだとすると、
やはり、「河雁」と「岐佐理」の様に「越冬」に合わせた「鷺」と同じ様にした可能性もあります。

Copyright © 水晶光矢 All Rights Reserved.