最終更新日 2024/11/12

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 第四章 葦原中國の平定

天照大御神之命以 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 我御子
正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之所知國 言因賜而天降也 於是 天忍穗耳命
於天浮橋多多志【此三字以音】而詔之 豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者
伊多久佐夜藝弖【此七字以音】有那理【此二字以音 下效此】告而 更還上 請于天照大神
解読

天照大御神之命(めい)を以って、豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
我御子、正勝吾勝勝速日天忍穗耳命之知る所の國と、
言う而(に)因って、天より賜り降りる也

於是(これを)、天忍穗耳命、天浮橋多多志(此三字以音)に於いて
之(これ)而(すなわち)詔(みことのり)す

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
那理(此二字以音、下效此)有り、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)する

而(すなわち)告げて、更に上に還るように、天照大神于(に)請う

解説

03

天照大神


那理

「那理」には、【此二字以音 下效此】の注記があるので、「音読み」指定となります。

「那」:呉音:ナ、漢音:ダ(表外)、宋音:ノ(表外)

「理」:呉音・漢音:リ

上記から、呉音「なり」、漢音「だり」になりそうです。

意味

「那」の詳細は、「 宇那賀氣理弖」を参照

「殷代」に「西夷」と呼ばれた地域に存在したと思われる「那國」

「宇那賀氣理弖」では、あまり深堀せずに「玉を加工する」にしたんですが、
参照48のサイトでは、「説文解字」では「治玉也。从王。里聲。」とありますが、
「王に従(从)う」ともあります。

「説文解字」の「玉(ぎょく)で治める」は、「王が玉(ぎょく)で治める」と繋がります。

しかし、「王」ではなく「玉(ぎょく)」が主なので、「王に従(从)う」とは違う感じがします。

字形で言えば、参照49のサイトにある「西周晚期集成3845」の字形には、
「王?」+「又?」+「里」となっています。

「又?」としたのは、参照49のサイトにある金文の字形が、「又」は「三本線」なのに、
こちらでは、「四本線」となっていて異なっています。

他にも、「王?」としていますが、「王」の字形には、「下に突き出た」字形が無いので、
もしかしたら、別の字形の可能性があります。

「拝」の旁が「三本」なんですが、色々と考えうる字形を見ましたが、分かりませんでした。

原意が「玉(ぎょく)で治める」や「玉を加工する」にあるとすると、
「里」の意味するのが何か?疑問が出てきます。

上記のように、「点」は多くあるんですが、いまいち「線」に繋がりません。

ただ、「那」と繋がる言葉なので、イメージとしては「規則」と考えています。

参照48: 理: zi.tools

参照49: 理的解释|理的意思|汉典 “理”字的基本解释

まとめ

上記により、「那理」とは、「那國」の「法律」や「規則」と考えています。

繋げて考察

原文:

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者 伊多久佐夜藝弖【此七字以音】
有那理【此二字以音 下效此】

解読:

豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
那理(此二字以音、下效此)有り、伊多久佐夜藝弖(此七字以音)する

当時の状況

前回、「伊多久佐夜藝弖」では、下記の様に考察しました。

「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、
伊多久佐夜藝弖(此七字以音)有り」と繋がり、
「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」が赴任するので、「首都」の
「街を発展させる準備が完了した」と解釈すれば、矛盾はありません。

そして、今回。「那理」を、「那國」の「法律」や「規則」と考察しました。

これによって、「街を発展させる準備が完了した」という状況は、
「「那國」の「法律」や「規則」の下、建物を建築したりした」と考えています。

天照大神

冒頭に「天照大御神之命以」とあるのに、なぜか、ここでは「天照大神」となっています。

「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」と書かずに「天忍穗耳命」も、違和感があり、
この「天照大神」と「天忍穗耳命」により、時代が異なる可能性があります。

とは言っても、「天照大御神」が次の場面には存在しているので、
「大御神」という最高位に、この当時は就いていなかったのかも知れません。

何にしても、情報が少なすぎますので、今後、新しい情報が見つかれば、改めて考察します。

内容

「告而 更還上 請于天照大神」を
「而(すなわち)告げて、更に上に還るように、天照大神于(に)請う」と解読した場合、
「還」と「請」が、ポイントになりそうです。

なにより、「天照大神」の上に「天照大御神」がいるので、
次の地位の「天照大神」に頼んだとしても、望んだ結果になるかは不明です。


説文解字

参照50のサイトにある「説文解字」には、「謁也。从言。青聲。」とあります。

参照51のサイトにある「説文解字」には、「白也。从言。曷聲。」とあります。

「請」は、現代では「求める」などの意味がありますが、
参照50のサイトの「説文解字」には、「謁」とあり、イメージが異なります。

「謁」について調べると、参照52のサイトには、下記の様な記載がありました。

〔説文〕三上に「白(まう)すなり」とあり、もと神に告げ求める意。

曷は 曰(えつ)と匄(かい)とに従い、 曰は祝詞。匄は屍骨の象で、
その呪霊によって神に請謁する意であった。のち貴人にまみえる意に用いる。

上記の様に、「請」は「もと神に告げ求める意。」とあります。

「匄」の原意を「屍骨の象」としていますが、
参照53のサイトでは、違う見解が書かれています。

甲骨文字は「亡(死者)+刀」の会意で、おそらく刀で人を殺す意で、災厄の意。

[甲骨文字辞典]。

金文は 亡と刀がくっついた形で、意味は、乞う・願う・求める意で
「用匄多福(用いて多福を求める)」などの形で多く見られる[金文大字 典]。

金文でなぜ意味が逆転したのか不明。

篆文は刀が勹に変わった形で、
「勹(人がおおう形)+兦ボウ(=亡。死者)」の会意。

兦ボ ウは死者の象形、勹ホウは人がつつむ形となり強いて解字すると
「人が死者を抱いて蘇りを願う」形となる。

意味は金文と同じく、乞う・ もとめる意。現在の意味も同じだが、
物乞いする意など限定された意味となっている。

匄カイは異体字だが、匃と同様に用いられる。

上記では、甲骨文字の字形は、「「亡(死者)+刀」の会意で、おそらく刀で人を殺す意」
と推測しています。

参照52のサイトの「匄」の原意が「屍骨の象」というのは、
参照53のサイトの「篆文」の字形を推測したのかも知れません。

あと、参照52のサイトで「日」を「祝詞」としているので、なぜかと調べたら、
「日(太陽)」ではなく、「曰(いわ)く」を指している様です。

ただ、「祝詞」として良いのかについては不明です。

参照50: 請: zi.tools

参照51: 謁: zi.tools

参照52: 謁 とは? 意味や使い方

参照53: 音 符 「匃カイ」 <こう・もとめる> と 「丐カイ」 - 漢字の音符

字形

字形から考察します。

「請」は、「言(ごんべん)」+「青」で形成されています。

参照50のサイトにある、「青」の字形を見ると、「生」+「月」で形成されています。

しかし、参照54のサイトにある「青」の字形と、参照50のサイトにある「青」の字形を、
同じ「楚(戰國)簡帛包山」で比較すると、少々異なるのが分かります。

参照50のサイトの「青」の「月」の下部部分では「日」の様に見えるのに対して、
参照54のサイトの「青」では、「月」の下部部分が「女」の様に見えます。

「日」の様に見えないか、何回か比較しても、「日」と「女」に見えます。

ちなみに、「青」の字源を調べるために、色々なサイトを見て回ると、
「青」を「生」+「丹」・「井(丼)」と考えている人が多いようです。

しかし、それは、金文など、原点に近い字形ではなく、
「説文解字」の字形を見て、その様に解釈しているようです。

残念ながら、それでは、字形の本質を探すことは難しいでしょう。

「請」の一番古いのは、「戰國金文戰國晚期」の字形ですが、
「青」の下部の字形が「口」と解釈できる字形になっていて、
今までの解釈とは異なっています。

「青」の字形のパーツを書くと、「↓」+「∴」+「)(」+「口」となり、
一つ一つの意味が分からないと、「戰國金文戰國晚期」の字形を解釈するのは難しいです。

「請」の「戰國金文戰國晚期」の字形は先程書きましたが、
「青」は、参照54のサイトでは「西周金文西周中期」が一番古いです。

「青」の最古の次の字形が「春秋金文春秋晚期」ですが、
字形がかすれていて、ほとんど読み取るのが難しいです。

「請」の一番古いのは、「戰國金文戰國晚期」の字形に似ている「青」の字形は、
参照54のサイトの、下の方にある「楚簡郭店」の字形が、雰囲気が似ています。

参照54: 青: zi.tools

まとめ

色々と考察してきましたが、今回の場合「天照大神于(に)請う」の意味としては、
「天照大神に請う(もとめる)」で良い感じがします。

字源に関しては、色々な考えがありますので、調べていると、
参照55のサイトに、「青の字源には諸説あり」とあります。

という事は、Wikiや字源解説サイトにある説明は、
意外に間違っている可能性もありそうです。

参照55: 音 符「青セイ」<あお>

この漢字を「辶(しんにょう)」+「目」+「袁」と考えている人が多いですが、
参照56のサイトを見ると「辶(しんにょう)」+「目」+「遠(「辶(しんにょう)」抜いた字形)」
という字形なのが分かります。

参照57〜60のサイトの「Gallery 字形」という場所に、
「西周の甲骨文字」や「西周の金文」の字形が載っている場所があります。

4つのサイトにある字形を比較してもらえば分かりますが、
「袁」と「遠」では、字形が異なっているのが分かります。

大きく異なるのは、「袁」には「又(三本指)」と思われる字形がありますが、
「遠」には、その様な字形は無く、「還」の字形にもありません。

「還」にあるのは、「止」と解釈できる字形で、
「又(三本指)」と解釈するのは難しいように思えます。

ただ、参照57のサイトにある「還」の「西周甲骨文」の字形と、
「西周中期金文」以降の字形では、大きな違いがあります。

あと、「西周甲骨文」の字形の左にある形を、上記でも書いているように、
「辶(しんにょう)」と考えていましたが、調べてみると、
どうやら「彳(ぎょうにんべん)」らしいです。

「西周甲骨文」の字形では、「彳(ぎょうにんべん)」+「目」+「衣(参照63)」ですが、
次の「西周中期金文」では、
「彳(ぎょうにんべん)」+「目」+「衣?(参照62)」+「○」+「止」の字形に見えます。

なぜ、追加されたのかは謎です。

参照56: 音 符「袁 エン」<遠い・長い>

参照57: 還: zi.tools

参照58: 遠: zi.tools

参照59: 袁: zi.tools

参照60: 睘: zi.tools

彳(ぎょうにんべん)

「彳(ぎょうにんべん)」は、参照62のサイトによると、
「よちよち歩きの意。ゆえに小歩の意とする」とあります。

参照57のサイトの「楚(戰國)簡帛郭店」の字形までは、「彳(ぎょうにんべん)」なんですが、
次の「秦簡帛睡虎地」から、徐々に「辶(しんにょう)」に変化しているように見えます。

参照61: 彳 - ウィクショナリー日本語版

参照62: 彳 とは? 意味や使い方

「衣」は、多くのサイトでは「衣服」と書いていますが、
参照64のサイトには、違う見解が書かれています。

「衣は隠なり」という語源説について書いてあり、
参照57のサイトの「還」の「西周甲骨文」の字形の意味が、なんとなく分かります。

「彳(ぎょうにんべん)」+「目」+「衣(参照63)」と解釈しましたが、
「彳(ぎょうにんべん)」は、「ゆっくり歩く」、「衣」が「隠す」になりますが、
「目」は何を指しているのでしょうか?

参照63: 衣: zi.tools

参照64: 11 「衣」は霊の依るところか? - 常用漢字論

「目」が、本当に「人の目」なのかを調べていると、違う見解がありました。

「罒は獣の目、幸は獣の分解した体」とあり、どうやら、「白川説」のようですが、
参照57のサイトの「還」の「西周甲骨文」の字形に当てはめると、
「目」+「衣」で、「獣の目を隠す」となり、「彳(ぎょうにんべん)」の「ゆっくり歩く」を合わせると、
「獣の目を隠して、ゆっくり歩く」となりそうです。

参照65: 漢 字の「目」はなぜ縦長なのか

まとめ

「還」の意味を調べると、「「経過」を経ながら戻る」という意味がある様ですが、
その元々の意味が、「獣の目を隠して、ゆっくり歩く」としても、違和感は無いです。

この状況は、狩猟に出かけて、獣を狩って、獣の目を隠して、家まで連れて還ると解釈できます。

狩猟で狩った獣の目を隠すのは、現在でも行われているようです。

まとめ

「而(すなわち)告げて、更に上に還るように、天照大神于(に)請う」の意味ですが、
問題となるのは「更に上に還る」です。

そもそも、ここで「天照大神」に頼んだのは誰でしょうか?

「還」なので、「上」に戻った後に、この土地に戻るという意味だと思いますが、
「上」に一時的に戻る事があるのならば、申請した人は、高位の人間かも知れません。

ただ、「内容」でも書きましたが、「天照大神」の上には「天照大御神」がいるので、
「天照大神」に申請したところで、意味があるように思えません。

「天忍穗耳命」の名が出ていることから、
「天忍穗耳命」が「天照大神」に頼んだと思われがちです。

しかし、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國者(は:短語)、那理有り、伊多久佐夜藝弖」が、
「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」が、「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」の受け入れ体制が
完了したから、「天(あま)なる國」に連絡するために戻ると解釈すれば、問題ありません。

そもそも、「天忍穗耳命」は、どの様な立ち位置かは不明ですが、
「天(あま)」がつくことから、連絡係で色々と動き回る事はしないはずです。

ちなみに、「天忍穗耳命」と「天照大神」の話が挿入されたのかについては、
古事記は、時系列順に並んでいると考察していて思っていました。

なので、「豐葦原之千秋長五百秋之水穗國」と「天忍穗耳命」と「天照大神」に
引っ張られて、編纂者達が同一人物と思ったのかは不明ですが、
話し合って、挿入することにしたのだと思います。

「正勝吾勝勝速日天忍穗耳命」や「天照大御神」としなかった事から、
多分に、同一人物ではないと感じていたんだと思います。

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