故、追う所を避けて、而(すなわち)出雲國之肥河の上に在る鳥髮地に降りる
此の時、其の河の下流の箸に従う
是於(これお)須佐之男命
其の河の上而(に)有る、人の為を以て、上を往く者へ尋ねて覓(もと)める
老夫と老女二人與(ともに)而(に)童女在りて、中而(に)置かれて泣く
爾(なんじ)之(この)問い賜る
汝等者(は:短語)誰か
故、其の老夫答えて言う
僕者(は:短語)国神で大山津見神之子
僕の名は足名椎と謂い、妻の名は手名椎と謂い、女の名は櫛名田比賣と謂う
亦、汝、哭く由者(は:短語)何かと問う
答えて白(もう)して言う
我之女者(は:短語)自ら八稚女(やちめ?)の本と在り
是、高志之八俣遠呂智(おろち)毎年来て喫す
今、其の来る可(べ)き時、故、泣く
爾(なんじ)其の形は何の如くかと問う
答て白(もう)す
彼の目は赤加賀智(かがち:ほおずき)の如く身一つ而(に)八頭八尾有る
亦、其の身に蘿(つた)及び檜(ひのき)榲(すぎ)が生えて
其の長い谿(たに)而(に)八峡谷に八尾度す
其の腹を見れ者(ば:短語)悉く血が常に爛(ただ)れる也
(此の赤加賀知(かがち)者(は:短語)今者(は:短語)酸醤?也)
高志之八俣遠呂智
原文:
亦問汝哭由者何
解読:
亦、汝、哭く由者(は:短語)何かと問う
「置中而泣(中而(に)置かれて泣く)」とはありますが、
「哭く」とは書いていないので、別の場面だと思われます。
「泣く」は「しくしく泣く」、「哭く」は「わんわん哭く」では、異なります。
原文:
我之女者自本在八稚女
解読:
我之女者(は:短語)自ら八稚女(やちめ?)の本と在り
我とは誰の事でしょうか?
「我」は「僕(使用人)」の雇い主でしょうか。
「我の女」=「童女」の可能性もありますが、
このの文だけでは、関係性を知ることが出来ません。
また、「八稚女」の読みを調べると、「やおとめ」とするサイトもあるようですが、
なぜ、その様になるのか不思議です。
もし、特定の読みがあれば、注記があっても良さそうですがありません。
原文:
是高志之八俣遠呂智【此三字以音】毎年來喫
解読:
是、高志之八俣遠呂智(おろち)毎年来て喫す
「此三字以音」とあり、「音読み」指定になっていて、
「高志之八俣遠呂智」の「遠呂智」の箇所を指していると思われます。
「高志」:こし?
「八俣」:やまた?はちまた?
「遠」:呉音:オン(ヲン)、漢音:エン(ヱン)
「呂」:呉音:ロ、漢音:リョ(表外)
「智」:呉音・漢音:チ、宋音:シ
上記により呉音「おんろち」、漢音「えんりょち」となりそうです。
通説では、「高志」を「こし」と読み、
「越」の前身と考えていますが、本当でしょうか?
「飛鳥池遺跡 荷札集成」に「高志」や「高志國」があるようですが、
仮に7世紀後半の時点で「高志」=「越」としても、
紀元前800年頃においても、同じ場所に存在していた証拠にはなりません。
なにより、「高志」と書かれた木簡が見つかれば、
現代人なら「高志」=「越」と考えると思います。
これでは根拠になりません。
一番、根拠となるのは、「越」地域と「出雲」地域との交易に関する情報で、
紀元前の情報でなければ、意味がありません。
調べた限り、4世紀以降では「高志」=「越」と考えるに値する情報もありますが、
それ以前となると、検索しても出てこないので、
古事記の時代において、「高志」=「越」となるのかは不明です。
また、読みですが、
「高」=「呉音・漢音:コウ(カウ)」、「志」=「呉音・漢音:シ」なので、
「こし」ではなく「こうし」と読むのではないか?と考えています。
万葉仮名(表記法)では「高」=「こ」としているので、
そちらに引っ張られた可能性もあります。
ちなみに、「高志之」は「高志地方から来た」と解釈しています。
多くの人は「やまた」と読むと思います。
字源は参照19のサイトには、下記のようにあります。
「俟(まつ)-待つ、期待して待つの意味」の字形を変えて、変化を待つ、
OK辞典
すなわち、「分かれている所」を意味する「俣」という漢字が成り立ちました。
上記により「俣」は、「分かれるのを期待して待つ」という解釈が出来ます。
「八俣」とは「8つに分かれるのを期待して待つ」と変換できます。
「期待して待っていた」のが本当であれば、何を期待していたのでしょうか?
参照19: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「俣」という漢字
「遠」=「遠く」、「呂」=「背骨」、「智」=「知恵・智慧」と考えると、
「遠くから背骨の様な形で来て智慧を貰った」と解釈できます。
これは、「隕鉄」を指すのだと考えています。
「八俣」の「俣」も、「隕鉄」を期待していたとすれば、納得が行きます。
「毎年來喫(毎年来て喫す )」とあるので、毎年降って来て、
地上に「印(穴)」を「喫(刻む)」したのだと思われます。
現代でも、気が付かなくても、隕石が落ちているので、
不思議ではないと思います。
原文:
今其可來時故泣 爾問其形如何 答白 彼目如赤加賀智而 身一有八頭八尾
亦其身生蘿及檜榲 其長度谿八谷峽八尾而 見其腹者 悉常血爛也
【此謂赤加賀知者今酸醤者也】
解読:
今、其の来る可(べ)き時、故、泣く
爾(なんじ)其の形は何の如くかと問う
答て白(もう)す
彼の目は赤加賀智(かがち:ほおずき)の如く身一つ而(に)八頭八尾有る
亦、其の身に蘿(つた)及び檜(ひのき)榲(すぎ)が生えて
其の長い谿(たに)而(に)八峡谷に八尾度す
其の腹を見れ者(ば:短語)悉く血が常に爛(ただ)れる也
(此の赤加賀知(かがち)者(は:短語)今者(は:短語)酸醤?也
形を説明する場面は、「高志之八俣遠呂智」の落下場所と思っていましたが、
「泣く」→「哭く」→「泣く」と変化していることからも、
別の話ではないかと?考えを改めました。
そもそも、「高志之八俣遠呂智」には「八頭八尾」の説明もありませんし、
今回の話は山の事を話しているので、山は移動できません。
まとめで改めて考えます。
「目」に例えていますが、遠くから目の様に見えたという事は、
現場では「赤加賀智」の様に小さくなく、辺り一面が赤になっている状態だと思います。
山頂に「溶岩湖」みたいなものが形成されていた事を指すとも受け取れます。
ただ、「加賀智」の意味として、
「智(智慧)が加(多く)なり賀(喜ぶ)」と考えると、
山頂に溶岩湖が形成されたとするのは、違うのかも知れません。
通常の「蔦」ではなく「蘿」を使っています。
「蘿」を「草冠」+「羅」に分解し、「羅」を「網」に変換すると、
「滝」や「断崖絶壁」などの「岩場」に、「蘿」が生い茂っているとイメージできます。
調べていると「檜」が生えている場所が分かりました。
参照20のサイトには下記のようにあります。
乾燥した場所を好み、天然林もあるが、多くは植林である[4]。
天然のものは尾根筋の岩場などに見られ、特に木曽の天然林は有名である[8]。
典型的な陰樹の特性を持ち、幼樹は日当たりを嫌う。
「天然のものは尾根筋の岩場などに見られ」とあり、
「蘿(つた)及び檜(ひのき)榲(すぎ)が生えて」の環境とは、
「尾根筋」ではないかと考えられます。
参照20: ヒノキ - Wikipedia
「すぎ」と読みます。
参照21のサイトによると、
「植林の際にも谷間はスギ、中腹はヒノキやサワラ、尾根筋はマツと植え分けられる。」
とあるので、「谷間」を好んでいたと思われます。
この当時でも、天然ヒノキの近くに谷間があり、
その近くに、「スギ」が生えていたのかも知れません。
参照21: スギ - Wikipedia
山肌には「八峡谷」があって、
「八尾度す」は「8つの尾根を越えた(度)」と解釈できます。
「腹」は「中腹」、「悉く血が常に爛(ただ)れる」は、
「中腹から溶岩が流出している」事を指していると思われます。
冒頭では「赤加賀智」でしたが、今回は「赤加賀知」に変更されています。
つまり、同じものを指しているのか、不明となります。
「知」は「智」の代用字と言われていますが本当なのでしょうか?
もし、同じであれば。そのまま「智」とすれば良いのにしないのは、
なんらかの問題が起きたと考えたほうが良いと思います。
「此謂赤加賀知者今酸醤者也」の文から「赤加賀知」=「酸醤」となりますが、
「酸」=「酸っぱい」、「醤」=「味の濃い食品」と解釈できます。
しかし、「ほおずき」を検索して調べても、
「爽やかな酸味」、「甘酸っぱい」とはありますが、同じとは思えません。
古代の「ほおずき」は、「酸っぱくて味の濃い」食べ物だったのでしょうか?
あと、不思議なのが、今まで、注記などの多くは、単語の後に挿入していますが、
なぜ、わざわざ、文の最後にこの文を入れたのかです。
「彼目如赤加賀智而【此謂赤加賀知者今酸醤者也】」でも可能だったはずです。
これは、「赤加賀智」と「赤加賀知」は別のものですという事を、
指しているのではないか?とも考えています。
この様に、考察しましたが、
やはり、この話は、「高志之八俣遠呂智」とは無関係な気がします。
話が繋がっているように見えますが、
「高志之八俣遠呂智」の漢字の意味からしても、
「八俣」と「八頭八尾」から、繋げてしまった様に思えます。
そもそも、「8つの頭」と「8つの尾」があるというのは、
単純に「尾を持つ生物」が8体になるのではないでしょうか?
「身」は「頭」と「尾」の中間にあると考えると、
「ヒュドラ」の様な形にはなりません。
色々と文として足りないですが、定説とは違うと考えるのが妥当と思います。