爾(なんじ)速須佐之男命、天照大御神于(に)白(もう)す
我の心清く明るい故
我の所で生まれた之(この)子は、得手のある弱(若い)女
此れに因って言う者(は:短語)我、自ら而(に)勝と云う
勝佐備(此の二字、音を以ってす)於(お)、
天照大御神之營田之阿(此の阿の字、音を以ってす)から離れた溝に埋める
亦、其の大嘗(だいじょう)之殿に於いて聞いて看ると、
屎麻理(此の二字、音を以ってす)を散らしていた
故、雖(これ)の為と然り
天照大御神者(は:短語)登賀米受(とがまず)而(に)告げる
醉(よ)って吐き散らす屎(くそ)の如く而(に)登許曾(此の三字、音を以ってす)
我、那勢(なせ)之命の為の如く
此れ又離れの田の阿の溝に埋める者(は:短語)
阿多良斯登許曾(阿自(より)以下七字、音を以ってす)の地
我、那勢(なせ)之命の為の如此(し)登(と、此の一字、音を以ってす)
雖(いえど)も、直ぐに詔(みことのり)す
猶(なお)其の惡態(あくたい)は不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る
天照大御神、忌服屋(きぶくや)而(に)坐す
神を令(うなが)し御衣之(これ)織る時
其の服屋の頂きを穿(つらぬ)く
斑馬(まだらなうま)を剥く而(に)は天を逆さに剥ぎ、堕(くず)れる所に入る時、
而(すなわち)天服織女、梭(ひ)於(お)
陰上(陰上の訓は富登と云う)而(に)衝き死ぬを見て驚く
忌服屋
原文:
天照大御神 坐忌服屋而 令織神御衣之時 穿其服屋之頂 逆剥天斑馬剥而 所墮入時
天服織女見驚而 於梭衝陰上而死【訓陰上云富登】
解読:
天照大御神、忌服屋(きぶくや)而(に)坐す
神を令(うなが)し御衣之(これ)織る時
其の服屋の頂きを穿(つらぬ)く
斑馬(まだらなうま)を剥く而(に)は天を逆さに剥ぎ、堕(くず)れる所に入る時、
而(すなわち)天服織女、梭(ひ)於(お)
陰上(陰上の訓は富登と云う)而(に)衝き死ぬを見て驚く
読みを「きふく」とするサイトも多いですが、
呉音は「ゴ(表外)」、漢音は「キ」なので、
呉音だと「ごふく」、漢音だと「きふく」になります。
ただ、「服」=「ふく」前提なので、当時、
どの様に呼んでいたのかは不明です。
「忌」には、「信仰」、「命日」、「いましめる」などが、
参照14のサイトにはありますが、
今回の場合、「惡態(あくたい)は不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る」から
「非常の場合にそなえる」、「用心する」の為の「服」と考えられます。
参照14:
漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「忌」という漢字
「其の服屋の頂きを穿(つらぬ)く」とはありますが、
「斑馬」が降って来たのでしょうか?
そもそも、「天服織女」が死んだのではなく、
「斑馬」が「陰上」を衝かれて死んでいたとも解釈できます。
なにより、「堕(くず)れる所に入る時」が正しければ、
「天服織女」は状況確認するために、
目視確認した時の情報を書いていると思われます。
ただ、疑問として、「馬」が屋根を突き破って落ちてくるでしょうか?
特別な事象を「斑馬」の様な物としたのでしょうか。
可能性として「隕石」があると考えて、検索したら、
「斑馬」で「クレーター」と関連付けがされているようです。
ちなみに、「斑馬」=「しまうま」とするサイトが多いですが、
「シマウマ」は「縞馬」であり、「斑」ではありません。
「まだら模様」=「縞模様」でもありません。
「 葦原中國悉闇」でも「斑馬」について考察しています。