爾(なんじ)速須佐之男命、天照大御神于(に)白(もう)す
我の心清く明るい故
我の所で生まれた之(この)子は、得手のある弱(若い)女
此れに因って言う者(は:短語)我、自ら而(に)勝と云う
勝佐備(此の二字、音を以ってす)於(お)、
天照大御神之營田之阿(此の阿の字、音を以ってす)から離れた溝に埋める
亦、其の大嘗(だいじょう)之殿に於いて聞いて看ると、
屎麻理(此の二字、音を以ってす)を散らしていた
故、雖(これ)の為と然り
天照大御神者(は:短語)登賀米受(とがまず)而(に)告げる
醉(よ)って吐き散らす屎(くそ)の如く而(に)登許曾(此の三字、音を以ってす)
我、那勢(なせ)之命の為の如く
此れ又離れの田の阿の溝に埋める者(は:短語)
阿多良斯登許曾(阿自(より)以下七字、音を以ってす)の地
我、那勢(なせ)之命の為の如此(し)登(と、此の一字、音を以ってす)
雖(いえど)も、直ぐに詔(みことのり)す
猶(なお)其の惡態(あくたい)は不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る
天照大御神、忌服屋(きぶくや)而(に)坐す
神を令(うなが)し御衣之(これ)織る時
其の服屋の頂きを穿(つらぬ)く
斑馬(まだらなうま)を剥く而(に)は天を逆さに剥ぎ、堕(くず)れる所に入る時、
而(すなわち)天服織女、梭(ひ)於(お)
陰上(陰上の訓は富登と云う)而(に)衝き死ぬを見て驚く
勝佐備
原文:
於勝佐備【此二字以音】 離天照大御神之營田之阿【此阿字以音】 埋其溝
解読:
勝佐備(此の二字、音を以ってす)於(お)、
天照大御神之營田之阿(此の阿の字、音を以ってす)から離れた溝に埋める
於勝佐備【此二字以音】と注記があります。
しかし、「二字」とは「佐備」を指すのでしょうか?
「佐備」で考えて行きます。
「佐」:呉音・漢音:サ
「備」:呉音:ビ、漢音:ヒ(表外)
上記により、呉音「さび」、漢音「さひ」になりそうです。
「營田(営田)」とは、参照1のサイトには下記のようにあります。
中国・日本古代の官による田地耕営。
地方官が農民を募集して荒れ地を開墾耕作させ、
収穫の半分ないし大部分を官の手に収めた。兵士による屯田と区別されたが、いずれも官営田として共通性があり、
名称の混同もみられた。中国では南北朝時代から、唐、宋(そう)にかけて行われ、
唐代では州の長官や節度使が営田使を兼ね、
のちには中央の戸部の営田務が管轄した。唐後期以降に置かれた官荘も営田と似た性格をもつ。
北宋の北西国境地方では、
民兵の弓箭(きゅうせん)手を営田に使役した例もある。日本では平安時代初期の9世紀に
公営田(省営田、国営田を含む)が行われるとともに、
王臣勢家、国郡司、富農による農地開発も私営田とよばれた。
上記の内容で考えると、この場面の「營田(営田)」は、
「天照大御神」が新たな土地の「開墾地」と言えそうです。
では、「阿」とは何でしょうか?
「入り組んだ場所」や「良い」などの意味がありますが、
「開墾地」であるならば、「用水路」をイメージします。
ただ、この場所から「離れた溝」という文もあり、
「溝」=「用水路」とも解釈できます。
参照2のサイトにある意味から考えると、
「軒、ひさし」や「棟」がある場所と解釈出来ます。
「阿」とは「開墾地」の住民の家や収穫倉庫などが多くあり、
「入り組んだ状態」だったから、この名になったようにも思えます。
参照1: 営田とは - コトバンク
「勝佐備」を「天照大御神之營田之阿」から離れた溝に埋めたという記事ですが、
「勝佐備」とは何を指すのでしょうか?
「開墾地」近くの溝に埋めたとあるので、土壌など土地に関連する物だとは思います。
そして、「勝つ」に「備えて」「佐(助ける)」と解釈すると、
「勝つ」とは何か?になります。
参照3のサイトにある、「勝」の字源を見ると、
最初の形では「月」の部分がありません。
ところが、「説文解字」になると、なぜか「月(舟?)」が増えています。
ここから、「説文解字」以前は、違う形をしていた可能性があります。
そして、本来「月(舟?)」が無かったのであれば、
「朕」+「力」で構成されていないと言えます。
ただ、ところどころ、形が異なっている箇所もあるので、
参照4のサイトにある意味から考えます。
「景色・地形が優れている。優れた景色」(例:景勝)だとすると、
「景観を維持するのに備える」とも解釈できますが、
重要な情報が抜けているようなので、判断できません。
今後、情報が見つかれば、その時に改めて考察します。