爾(なんじ)速須佐之男命、天照大御神于(に)白(もう)す
我の心清く明るい故
我の所で生まれた之(この)子は、得手のある弱(若い)女
此れに因って言う者(は:短語)我、自ら而(に)勝と云う
勝佐備(此の二字、音を以ってす)於(お)、
天照大御神之營田之阿(此の阿の字、音を以ってす)から離れた溝に埋める
亦、其の大嘗(だいじょう)之殿に於いて聞いて看ると、
屎麻理(此の二字、音を以ってす)を散らしていた
故、雖(これ)の為と然り
天照大御神者(は:短語)登賀米受(とがまず)而(に)告げる
醉(よ)って吐き散らす屎(くそ)の如く而(に)登許曾(此の三字、音を以ってす)
我、那勢(なせ)之命の為の如く
此れ又離れの田の阿の溝に埋める者(は:短語)
阿多良斯登許曾(阿自(より)以下七字、音を以ってす)の地
我、那勢(なせ)之命の為の如此(し)登(と、此の一字、音を以ってす)
雖(いえど)も、直ぐに詔(みことのり)す
猶(なお)其の惡態(あくたい)は不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る
天照大御神、忌服屋(きぶくや)而(に)坐す
神を令(うなが)し御衣之(これ)織る時
其の服屋の頂きを穿(つらぬ)く
斑馬(まだらなうま)を剥く而(に)は天を逆さに剥ぎ、堕(くず)れる所に入る時、
而(すなわち)天服織女、梭(ひ)於(お)
陰上(陰上の訓は富登と云う)而(に)衝き死ぬを見て驚く
屎麻理
原文:
亦其於聞看大嘗之殿 屎麻理【此二字以音】
解読:
亦、其の大嘗(だいじょう)之殿に於いて聞いて看ると、
屎麻理(此の二字、音を以ってす)を散らしていた
「だいじょう」としましたが、「おおなめ」かも知れません。
「嘗」には、「経験する」や「試す」などの意味がありますが、
「嘗」を「大いに」実行すると考えることが出来ます。
その結果、秋の収穫物で「大嘗祭」を行うのだと思います。
ここでは、「大嘗之殿」とありますが、「大嘗祭」を行う建物なのか、
「大嘗」に至るまでの「試行錯誤」をする場所なのか、どちらなのでしょう。
「見る」ではなく「看る」とあります。
参照5のサイトには、「見守る」、「見張る」という意味があり、
「屎麻理【此二字以音】散」の作業を「見守っていた」もしくは
「見張っていた」と解釈できます。
「屎麻理【此二字以音】」と注記があります。
「屎」:呉音・漢音:シ、訓読み:くそ
「麻」:呉音:メ(表外)、漢音:バ(表外)、慣用音:マ
「理」:呉音・漢音:リ
上記により、呉音「しめり」、漢音「しばり」、慣用音「しまり」となりそうです。
「屎」:大便、糞
「麻」:麻
「理」:区別、処理
上記の様に考えた場合、
開墾地に使うための「施肥」作りの事だと思われます。
参照6のサイトにありますが、堆肥には「糞」も用いられていた様です。
参照6: 自家で作られていた施肥(せひ) | 稲作の歴史 - クボタ
「登」:呉音:トウ(トゥ)、漢音:トウ(トゥ)、慣用音:ト、訓読み:のぼ
「賀」:呉音:ガ、漢音:カ(表外)
「米」:呉音:マイ、漢音:ベイ、訓読み:こめ、よね、めーとる
「受」:呉音:ズ(表外)、漢音:シュウ(シウ)(表外)、慣用音:ジュ、訓読み:う
「而」:呉音:ニ、漢音:ジ、宋音:ジ、訓読み:すなわち、なんじ、しかるになど
上記により、呉音「とうがまいずに」、漢音「とうかべいしゅうじ」になりそうです。
「とがめずに」としていましたが、「米」が「め」とは読めません。
もしかしたら、本来「とがまずに」だったのが、
万葉仮名が発明された事により、「米」=「め」となった可能性がありそうです。
「登」:「みのる(実)」、「成熟する」、「なる(成)」、「出来上がる」
「賀」:「祝い」、「喜び」
「米」:米
「受」:「受け入れる」、「授ける」
「而」:ひげ
上記のように考えた場合、開墾地に堆肥を撒いて、成長促進させ、
秋に多くの収穫を出来る様にしたと解釈できそうです。
参照10: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「受」という漢字
参照11: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「而」という漢字
原文:
如屎醉而吐散登許曾【此三字以音】
解読:
醉(よ)って吐き散らす屎(くそ)の如く而(に)登許曾(此の三字、音を以ってす)
「如屎醉而吐散(醉(よ)って吐き散らす屎(くそ)の如く而(に))」とは、
どの様な状況なのでしょうか?
「醉」:酒が尽きるまで飲む
「吐散」:喚き散らす、つばを吐く
「如屎」:?
最後の「如屎(屎(くそ)の如く)」に関してはイメージできません。
酔ったからと言って、その様な行為が毎回起きるわけでないと思うので、
酒で発酵させた肥料を、開墾地に撒いた状態が、
その様な状況と似ていたからでは無いかと推測しています。
「登許曾【此三字以音】」と「音読み」指定になっています。
「登」:呉音・漢音:トウ(トゥ)、慣用音:ト
「許」:呉音:コ(表外)、漢音:キョ
「曾」:呉音:ソウ(ソゥ)、ソ、ゾウ(ゾゥ)、ゾ、漢音:ソウ(ソゥ)
上記により、呉音「とうこそ」、漢音「とうきょそう」となりそうです。
「登」:「みのる(実)」、「成熟する」、「なる(成)」、「出来上がる」
「許」:「進む」
「曾」:「ますます(以前より程度が大きくなるさま)」
上記の様に考えると、「成長促進を願って」と解釈できそうです。
参照12: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「許」という漢字
参照13: 漢字・漢和辞典-OK辞典⇒⇒⇒「曽/曾」という漢字
原文:
我那勢之命爲如此 又離田之阿埋溝者 地矣阿多良斯登許曾【自阿以下七字以音】
我那勢之命爲如此登【此一字以音】詔雖直
解読:
我、那勢(なせ)之命の為の如く
此れ又離れの田の阿の溝に埋める者(は:短語)
阿多良斯登許曾(阿自(より)以下七字、音を以ってす)の地
我、那勢(なせ)之命の為の如此(し)登(と、此の一字、音を以ってす)
雖(いえど)も、直ぐに詔(みことのり)す
「我、那勢(なせ)之命の為の如く」の「我」とは誰を指すのでしょうか?
「天照大御神者(は:短語)登賀米受(とがまず)而(に)告げる」から考えて、
「我」=「天照大御神」と推測できますし、「那勢(なせ)之命」からも、
同じく推測することが出来ます。
これにより、「勝佐備」を埋めたり、「屎麻理」を散らしたりした行為は、
「速須佐之男命」の為にしたと考えることが出来そうです。
この行為について、多くのサイトでは、「速須佐之男命」の行為としていますが、
上記のように考えれば、「天照大御神」の可能性が高いと思います。
「阿多良斯登許曾【自阿以下七字以音】」とあり、「音読み」指定になっています。
「阿」:呉音・漢音:ア
「多」:呉音・漢音:タ
「良」:呉音:ロウ(表外)、漢音:リョウ、慣用音:ラ(表外)
「斯」:呉音・漢音:シ、宋音:ス
上記により、呉音「あたろうし」、漢音「あたりょうし」になりそうです。
「阿」:良い、入り組んだ
「多」:多い
「良」:良い
「斯」:切り分ける
上記のように考えれば、栄養分が豊富な土地を見つけて、
区画整理した場所が「阿多良斯登許曾」と言えそうです。
原文:
猶其惡態不止而轉
解読:
猶(なお)其の惡態(あくたい)は不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る
この「惡態」とは何を指すのでしょうか?
なにより、「惡態」があるような描写がありません。
そうなると、本来は、必要な情報が存在していたが、
古事記編纂の際には、存在していなかったということでしょうか。
「我」の場所にも書きましたが、「勝佐備」を埋めたり、
「屎麻理」を散らしたりした行為は、「我、那勢(なせ)之命の為」とあるので、
そもそも「惡態」には入らないでしょう。
この文の前には、「我、那勢(なせ)之命の為の如此(し)登(と)雖(いえど)も、
直ぐに詔(みことのり)す」とあり、何らかの問題が発生していた可能性があります。
その問題が「惡態」に関する事だと思いますが、
記述が無いので、不明です。
「轉」が「転」の旧字らしいですが、「云」へと変化した理由は何でしょうか?
本題ですが、「不止(とまら)ず而(に)轉(うつ)る」と解読した場合、
「惡態」は移動していて、「天照大御神」の場所を通過したと考えられます。
そうすると、「鳥」や「動物」を想像しますが、情報がありません。